魔女の森
振るえる手で注がれるお茶はカップからかなり飛び散っている。ふたつのカップにお茶が注がれ、ラドルがそれをひと口飲んだのを見てからロードンは椅子に座った。
「本当にすまなかった。あの頃のおれはどうかしていた。心から反省している」
ロードンは額を机に擦り付ける。
「もういいって。今は鍛冶の仕事をしているんだろ? まっとうに生きてるじゃねぇか」
普段はあまりしゃべらないラドルだが、この男を前に気を遣わずにはいられなかった。
「あぁ、ノーザップ領土の武器屋に卸して得た金で生活している。ごくまれにだが、そこそこの実力と胆力のある奴が、おれに直接頼みに来ることもある。あまりに志の低い奴の装具は作りたくはないんだけど、おれも生活があるからな。そういうときは手を抜いて作ってる。しかし、そんな粗雑なモノでも喜んで帰っていくから不思議だぜ」
鍛冶の話を始めると少しだけ打ち解けたのかロードンは笑顔で語った。
「その依頼をしてくる客についてなんだが、数ヶ月以内のあいだにレティシアって女の冒険者が来なかったか?」
「レティシア? いや、名前は忘れたが女の依頼ならこの半年で二件あった」
「そのふたりのうちマジカテ鉱石を持ち込んだ女はいたか?」
「いたぞ」
ロードンは即答する。
「そいつがどこにいるか知りたい。どこに住んでいるとか、どこに行くとか言っていたか?」
少し興奮気味に聞いたことで体をビクつかせたロードンを見て、ラドルは椅子に深く座りなおして返答を待った。
「えーと、ノーザップ王国の者だってのは言ってたな」
「そのノーザップを出ていっちまった。その手掛かりがマジカテ鉱石を加工できる鍛冶師だったんだが、それを加工できる鍛冶師はノーザップにはいなかった」
ラドルの言葉にロードンは表情をしかめる。
「ノーザップ王都にはおれの弟子がいるはずだ。そいつならマジカテ鉱石だって加工できる。そう鍛えた」
「残念だがそいつは天に召されてもういない」
それを聞いてロードンは少しだけ悲しげな表情を浮かべた。
「ここ数年、顔を出さないと思ったらそういうことだったのか」
「病気か寿命か。だが、それが人族だ」
ラドルもなにかを思い出して目を伏せた。
「その弟子の孫がおまえの存在を思い出させてくれて、ここにやってきたってわけだ」
「そうだったのか。だけどおれはそのレティシアって女がどこにいるかは……」
そこで口を止めたロードンが言葉を足す。
「そう言えば、どっかの国に移住する前にやり残した仕事をするとかなんとか……」
「どんな仕事だ?」
「なんだったかなぁ……、真剣に聞いてなかったからぁ」
ロードンは思い出そうと右に左に首をひねる。
「それはいつの話だ?」
「話を聞いたのは三ヶ月以上前だ」
「三ヶ月か、ならもうそこにはいないのかもな」
ラドルは体の力を抜いた。
「話を聞いたのは三ヶ月前だが、そいつがそこに向かうとしたら数日以内だと思うぞ」
「なぜそんなことがわかるんだ?」
「そりゃぁその女がここに来たのは四日前のことだからだ。三ヶ月前ってのは装具を作ってくれって依頼に来た日だ。それが完成して引き渡したのが四日前。あっ、そういえば引き渡したときに、『これであのゴーレムと戦える』ってことは言ってたな」
「ゴーレム?!」
その言葉でラドルはピンときた。同時に戦慄が走る。
「バカ野郎、なんでそれを早く言わない!」
その叫びにロードンは驚いて椅子ごとひっくり返った。少しラドルに慣れてきたところだったが、再び腰が抜けてしまい立ち上がれない。それを見て『しまった』と思ったラドルはあわててロードンに駆け寄った。
「すまん。あまりのことにデカい声を出しちまった」
おびえるロードンに謝り、手を引いて起こした彼をゆっくり椅子に座らせて言った。
「ロードン。おまえはゴーレムのことを知らないようだな」
知っていればラドルが声を荒げた理由がわかるはずなのだ。
「ゴーレムって……、ま、魔術で造る人形の奴隷とか疑似生命とかってやつだよな?」
恐る恐るそう回答する彼にラドルはうなずくが、その回答に対して返す言葉は重苦しいモノだった。
「やっぱり知らないのか。ノーザップ王国でゴーレムって言ったらアレしかない。ノーザップ領土のさらに北。魔女の森だ」
「魔女の森? おれはそんなの聞いたことない」
「知らないのか? 北の森は魔女が住み始めた十年くらい前からそう呼ばれるようになった」
五十年前はノーザップ王国領土を駆け巡っていたロードンだが、隠居してからはたまに町や村に行く程度。外界の情報にも興味がないため、そんな名称も魔女の存在も知らなかった。
「人族はあいつを魔女なんて呼んでいるが、そんな可愛いもんじゃない。奴は『超越者』だ。ゴーレムはその超越者である【グレンマーリ】が造った」
「超越者ってなんだ?」
「魔族に伝わる恐ろしい存在。夜王をも上まわる危険な奴らだ」
「夜王って……なんだ?」
「夜王は人族が定めた手を出してはいけない魔王級の者たち。五十年前のおまえもその夜王に数えられていたんだぜ」
「お、おれもか?」
ロードンはラドルの勢いに圧されつつも少し嬉しそうに笑った。しかし、自分を見るラドルの目から伝わる焦燥感にその笑いを引きつらせた。
普段は物事に動じないラドルが声を荒げるほどの存在。彼がこれほどの危機感を覚えたのはかなり久しい。嫌な汗がじっとりと吹き出してきたラドルは机にある残りのお茶を飲み干した。
「まっとうに生きているおまえに会えて良かった。そのうちまた顔を出す。生きていたらな」
唐突に話を打ち切って挨拶を済ませたラドルは急ぎ家を飛び出していった。




