湖の精霊
狂気に満ちた姿と叫びでラドルに向かってきた精霊は、そのままラドルの体をすり抜ける。
「無駄だ。そんなエナジードレインは効きはしない」
だが、精神精霊体は執拗にラドルを襲った。
「おい。おまえが村の者を殺したのか?」
ラドルの生気を奪おうとするのと同じこの行為によって、村人を殺したのではないかと推測したラドルだったが、その言葉は精霊には届かない。
「空腹と汚染、それに孤独か。つらいのはわかるが……正気を取り戻しやがれっ。」
腕を湖に突っ込んで大量の魔力を一気に叩きこむ。その力によって湖の水は大きく弾けた。
「ギョエーーーーーー!」
断末魔とも受け取れる叫びを発した精神精霊体は大きく仰け反ったあと脱力して空気に溶けこむように消えてしまった。弾けた水は土砂降りの雨となって降り注ぐ。
「目は覚めたかよ」
そう口にしたラドルの前に薄っすらとなにかが収束して姿を成した。
「すみません。おかげでなんとか意識を取り戻せました」
そう謝罪するのは、さきほどの悪霊のような恐ろしい姿ではなく、麗しい美貌の女性だった。
「話せ。なにがあった。あの村の有り様はおまえの仕業か?」
「いえ、違います。私ではありません。鉱山からの毒ガスでこの周辺の自然が破壊され、湖の汚染と共に汚れた空気が陽光が持つ浄化の力をさえぎってしまいました。それが理由で私は精霊力も弱まっていき、村人も次々と倒れてしまったことで信仰力も得られなくなって……。苦しさに耐え切れず先ほどのように」
「力を取り戻すために村人の生気を吸ったんじゃないのか?」
霊力も吹き散らす眼力での問い詰めに、アウラはその存在を震わせながら首を横に振った。
「そんなことはしていません! 村人あっての私という存在です。その村人に手をかけるなど絶対にありません。それに私は湖から遠くに離れることはできませんので」
精神精霊体とは人の意志が集まり生まれた精神体がその土地の力と結びついた者だ。土地神、地主神とも呼ばれることがある。その土地に暮らす者たちの信仰心があってこその存在なのだ。
「湖の汚染が進んでしまい、人を癒す力がなくなった私には村人を救うこともできなくなってしまいました」
「なら、村人が死んでいったのは毒ガスが原因なのか?」
これは誰もが最初に考える理由だった。
「いえ、陽光の浄化力は弱まりましたが、毒は自然が持つ解毒力によって村人の命を奪うほどではありませんでした。ただ、少なくとも健康に害をなすことは確かで、さらに自然の恵みも得られなくなり、汚染された物を口にしたことで急激な悪化を見せる者もおりました」
村は多くの人が体調を急変させて亡くなった。徐々に体を蝕む毒ガスの影響とは違う。
「ここもハズレか。いったいなにが原因なんだ」
「こんなはずではなかったのです」
「こんなはずではなかった?」
「私がこの土地の不吉な予兆を感じたころ、この地に異世界から大いなる力を持った者が現れたのです」
「異世界からだと?」
「そうです、その者の清き心を感じた私はそれに見合う水の精霊力を与えました」
「精清水だな」
「村人たちはそう呼んでいました」
サルサの言ったとおりだった。
精清水とは浄化作用が強化された水のことだ。本来は精霊が住む領域にある水が精霊の力を受けて加護が宿り精清水となる。それを人族の少女が同じ物を作り出せるというのだ。
「その精霊力によって汚染された水を清め、侵された体から毒素を浄化・排出する手助けをすることで村人は元気に……、元気になるはずでした。最初はうまくいっていたのです。ですが、一度元気になっても状態が急変して死んでしまう人が増えていき、結果的に多くの村人が命を落としてしまいました」
「その精清水でも治せないような病や力が働いたってことか」
「確証はありません。わかったのは結果だけです。彼女は私に助けを求めてきましたが、すでに力を失っていた私にはどうすることもできず、最後には私自身も自我を保つことすらできなくなってしまいましたので」
昼間だというのに毒素によって薄暗く感じてしまうこの空気は、精神精霊体の心情そのものだった。希望の光は届かない。失われていく自然は村人の信仰を映す鏡の如し。力を失いながらも狂気という毒は近付く者を傷つける。
「この湖の精神精霊体でもわからないとなるといよいよお手上げか。その女がなにか知っているとも思えないが、その女に話くらいは聞いておくか。邪魔したな」
ラドルは精霊に背を向けた。
「この件に進展があったらまた来る。それまで人が来ても襲うなよ。とは言ってもこんなところに来る物好きなんてそうはいねぇか」
ラドルがそう言うと精霊は不安げに聞き返した。
「もしも……。もしも、進展がなかったら?」
足を止めて首だけ振り向きラドルは言った。
「大地は汚染され、村人がいなくなり、自然の力も信仰力も得られなくなったおまえは、存在を保てず、そう遠くない未来に消えてなくなるだろう。その最期のときまで悪霊にならず、静かに消えて逝け」
一見冷たいとも取れる言葉を言い放ったラドルは悲しげな波動を放つ精霊を感じながら村へと戻っていった。




