窮地の時
二人の会話は日が高く昇るまで続いていた。
ふと気がつくと、外が急に騒がしくなっていた。
「なんだ?」
翠は首を傾げつつ、外を見た。
「今から残党狩りを行う! 隠し立ては許されない! 全ての者は証明書を持ち、並べ!」
翠が外を覗き見ると、鎧を着た偉そうな兵士風の男が声を張り上げていた。
「あれは残党狩りです。恐らくこの前の戦争でこの村に逃げ込んだ者がいないか捜しているんでしょう」
リアナも翠と同じように覗き込むと、そう説明した。
「・・・・・俺はまずくないか?」
「はい。あなたは見つかると事が大きくなりますから、見つからない様に隠れていてください」
リアナはそう指示を出し、外へ出ていった。
外へ出たリアナは、皆と同じように列に並ぶ。
翠は家々を捜索する兵士の目を場所を変え続け、何とか切り抜けた。
事は順調に進んでいるかに見えた。しかし―――――
「おい、証明書はどうした?」
それは、一人の男性の順番になったときだった。
「いえ・・・・・・捜したのですが・・・見つからず・・・・」
村人はビクビクしながらそう告げた。これから告げられるであろう言葉を予想しながら。
「そうか。ならば我らとともに来て貰う。連れて行け」
兵士の男は別の兵士にそう指示を出した。その指示に慌てて村人は兵士にすがりつく。
「それだけは勘弁してください! 帰りはどうやって帰ってこればいいんですか!」
連行されれば王都シーフォードに連れて行かれる。その距離は百や二百ではきかなかった。
「そんな事は知らん。構わないから連れて行け」
しかし、兵士は全く取り合おうとせず、無情な指示を繰り返した。
他の村人は巻き込まれるのを恐れ、目を逸らしている。
しかし唯一人、それを止める人がいた。
「待ってください! これは残党狩りのはずです! この方が村人かどうかは巡回の兵士に聞けば分かるはずです!」
リアナだった。
リアナは勇敢にも兵士の前に立ちはだかっていた。
(おいおい、わざわざ自ら危険に飛び込むことないだろう。大体、自分は皆に疎まれてるんじゃなかったのか?)
翠はリアナに行動が理解できず、その行動の意味を知ろうと注意深く観察した。
「この男は証明書を持っていない。連れて行く理由はそれだけで十分だ」
兵士は前と同じような主張を繰り返した。その意思を覆すつもりは全くないようだ。
「そんなに強引に連れて行くなら、力ずくで止めます」
リアナの意志も変わらず、強固な姿勢でなおも立ちはだかり続けた。
(あぁ、そうか。あの子はお人好しなんだ。見ず知らずの俺を信じてしまうほどに・・・)
「邪魔だてするならば、容赦はしない」
兵士は埒が明かないと判断したのか、腰元の剣を鞘から抜き取った。
「最終忠告だ。そこを退け」
「嫌です」
「そうか、ならば・・・」
兵士は剣を振り上げる。
それを見ていた翠は我慢が出来ず、外へ飛び出していた。
(だけど、ああいう人間が損をするのは気に入らない!)
翠は見つかることなど完全に度外視し、リアナの元へ駆ける。
(間に合わない!)
しかし、翠の位置からでは距離があり過ぎて全く間に合いそうにない。
それでも翠は必死に走った。諦め、後悔することだけはしたくなかった。
だがそんな中、剣は無情にも降り下ろされた。
「はっ!」
しかし、剣はリアナには当たらなかった。リアナは一般人とは思えぬ動きで剣を回避したのだ。
避けられると思っていなかった兵士は、降り下ろした状態で固まった。
「リアナ、大丈夫か?」
そこに翠は駆け付けた。
「はい。大丈夫です」
リアナは余裕だったらしく、全く慌てた様子がない。
「貴様、何者だ?」
未だ怒りおさまらぬ兵士はその怒りの矛先を翠に変えたようだ。
「知るか。お前に名乗る名前はない」
「この・・・!」
元々キレやすい危ない人間だったのか、それだけのことで再び剣を振り上げた。
「これは正当防衛です」
リアナは笑顔でそう告げると、今まで手の平の中で燻らせていた炎を一気に膨れ上がらせた。
「何!?」
「双手火炎撃!!」
リアナは炎を纏った両腕を兵士に突き出した。そして燃え上がる炎。それはまるで爆発の様に兵士を吹き飛ばした。
周りはあまりの出来事に呆然としている。
(なんて威力なんだ・・・・・・・これがネイシス。皆が恐れるのも理解出来なくもないな・・・)
「大丈夫ですか?」
「あぁ、ありがとう。問題ない」
「問題はあるだろ」
皆が未だ呆然とする中、一人の男が二人の前に歩み出て来た。
その表情は、先程のリアナの力を見ていたにもかかわらず、余裕が見て取れた。
「久し振りだな、レイ。まさか君がネイシス・マスターだったとはね」
男は前髪をかきあげ、見下したような視線を二人に向けた。
「誰だ? こいつ」
翠は隣にいるリアナに聞いた。
「彼はフェイル・アース。土のネイシスの直家ちょっかです」
「ちょっか?」
翠は聞き慣れない単語にそのまま聞き返した。
「『直家』とは様々な属性の中で、ある属性の『ネイシス』を扱うトップの一族をさします。トップとは言っても実力では無く、決める基準は国にあります。そして称号として、土なら『アース』、火なら『エン』、水なら『スイ』といった名が貰えます」
(なるほど。『直家』は『宗家』と似た様な意味合いか。ネイシスは遺伝だけじゃなく、突然現れることもあるって言っていたから、『宗家』『分家』じゃ都合が悪いわけか)
翠は話を聞く中で、そう自分なりに解釈した。
「おい、お前。何者だ?」
フェイルはそこで初めて翠の存在に気づいたかのように、訝しげな視線を向けた。
「俺は日向翠」
もう翠は語順を気にする気もないらしく、そのまま慣れ親しんだ名前を名乗った。
「スイ・・・・・だと?」
フェイルの目線が急に険しくなった。
(何かまずいこと言ったか?・・・・・あぁ。水のネイシスの直家は『スイ』だって言ってたな。こっちの感覚で名乗ってしまったが、『スイ』はまずかったか?)
しかし、翠の懸念は杞憂に終わった。
「ふ・・・こんな奴が『スイ』を継いだ奴なはずがない・・・か」
まるで自分を納得させるかの様にフェイルはそう呟く。そして気を取り直し、顔を引き締めた。
「見たところ知らない顔だが、今はそれより、レイ、君だ。ネイシス・マスターと分かった以上、軍の訓練を受けて貰う。抵抗はするなよ? 君のネイシスでは私には勝てない」
そう言ってフェイルはリアナに手を伸ばした。
「待てよ」
翠はフェイルとリアナの間に立ちふさがった。
「邪魔だ。退け」
「強制ってどういう事だよ! 本人の意思はどうなるんだ!?」
翠は何故か憤慨していた。それはリアナの話を聞いたときには見せなかった反応だった。
「ネイシス・マスターは貴重な存在だ。一人加わるだけで軍事力が大きく変わる。気持ちや、向き不向きなど小さなものに囚われている場合ではない」
その一言が、翠の気持ちに完全に火をつけた。
「小さい事だと? ふざけるな! リアナは争いたくないから今まで隠して来たんだ。それをたかが俺みたいな何処の誰とも知れない奴の為にその秘密をばらしたんだ。無理矢理連れて行くと言うなら、俺が止める!」
翠はそう言い放ち、右腕を振り上げた。
(ふん・・・・・所詮は素人のパンチ。避けるのは容易い)
フェイルはそう考え、余裕の姿勢を崩さなかった。
『ヒュッ・・・』
しかし、全てはフェイルの考えを覆した。
翠の拳はフェイルによって簡単に受け止められた。しかし翠はすぐさま跳び上がり、右脚でフェイルを蹴り飛ばしたのだ。
まさか2撃来るとは思っていなかったフェイルは、その蹴りを完全に受けてしまった。
吹き飛ぶフェイル。
それを見た兵士達はすぐに動いた。
「待て!」
しかし、フェイルの一喝で兵士達は止まった。
「お前達は手を出すな」
フェイルはすぐに立ち上がると、翠と対峙した。
「お前、素人じゃないな?」
「素人って言った覚えもない」
「くく・・・・確かにそうだ。だが、素人ではないのなら、手加減はしない」
フェイルはおもむろに地面の砂を握った。その瞬間、フェイルの周りに螺旋状に砂が立ち上ぼった。
「安心しろ。一瞬だ」
「がっ!」
本当に一瞬だった。
フェイルが言い終わった頃には、翠の身体に直径1mほどの土で出来た丸田状の物体が翠の胸にぶつかり、翠を吹き飛ばしていた。
「翠!」
リアナが慌てて翠に駆け寄ろうとしたが、フェイルに捕まりそれは叶わなかった。
「力無き勇気ある行動は、無謀と同意だよ。撤退する」
フェイルがそう指示を出すと、兵士達は撤退しだした。
「お願い起きて! 翠!」
リアナは助けて欲しいわけではなかった。ただ未だにピクリとも動かない翠の安否が心配だった。
(これが土のネイシスの力か。生身の人間じゃ太刀打ち出来ないな。それにしてもすごい衝撃だ。肋骨が折れた感触がしたから、無事じゃないな。他に異常といえば身体が動かないことくらいか。目は見えてるんだけどな)
翠は冷静に自分の状態を分析した。それはこの上なく絶望的な状態だった。
「翠! 翠!」
(あ、リアナが呼んでるな。初めて名前を呼ばれた様な気がする)
翠はそんな暢気なことを考えながら、目線だけを声のする方に向けた。
(リアナ、連れて行かれてる・・・・のか? ふざけるな。おい、寝てる場合じゃない!動け! 動けよ!)
翠は必死に動かそうとするが、全く身体はいうことを聞かない。
それは当然だった。肋骨は何本も砕け、衝撃はそれだけに留まらず、背骨にもひびを入れていた。さらに吹飛ばされた時にぶつけた上腕、前腕、大腿、その他さまざまな骨にひびが入り、折れた肋骨は臓器を傷つけてる。動くことはおろか、そのまま死んでもおかしくはなかった。
(命を助けてくれた恩人だぞ! その上俺のせいで秘密までばらして! そんな恩人を見捨てる気かよ! 動けよ! 動け! 命なんてどうでもいいだろうが! 今動かなきゃ意味ないんだよ!)
まるで別人の身体を動かす様に、翠はそう叱咤し続けた。しかし、動くわけがない。
(くそ! 考えろ・・・・何かないか? 何か・・・・・)
動けない状態で何かも何もないのだが、翠は必死に考えた。
目には段々遠ざかるリアナがぼやけていく。
翠はいつの間にか涙を流していた。
(待ってくれ。連れて行くなよ。頼む・・・俺はどうなってもいい・・・・・頼む・・・・・・・誰か・・・)
しかし、翠の意思とは裏腹に、翠の意識は閉じようとしていた。
(リア・・・・ナ・・・・・)
『翠、その力は無闇に使うんじゃない。本当に必要だと思う時、その時に使いなさい』
その時、翠の頭の中で声が響き渡った。それは懐かしい、暖かい声だった。
(義父・・・・さん?)
その瞬間、翠の目の前に記憶がフラッシュバックした。
別れ―――――
出会い―――――
義父さんの死―――――
約束―――――
色々な場面が目まぐるしく流れていく。それは、翠の失われた記憶だった。
(そうか。そういう事か。だから俺は別世界に憧れたんだ。そこなら受け入れられると思ったから。そこなら俺はいてもいいと思ったから。義父さん、力、今が使い時だよね)
翠は何もためらう事なく、思い出した感覚のままに、力を――――――――開放した。