3章:時雨拉致(3)
夜10時になった頃、異型の化け物はゆっくりと行動を開始した。
化け物は天井から血まみれの床に音も立てずに降り立つと時雨のいる部屋に向かって這いずって行った。
時雨はすぐに化け物の存在に気が付き、昼と様子が違うことにまで気がついたようだ。
徐々に部屋の隅に追い詰められていく。
化け物は時雨の姿を認めると、まるで獲物をいたぶるかのようにゆっくりと逃げる時雨に近づいて行った。
化け物は一定の距離まで近づくと立ち止まり、その口を大きく広げた。
時雨は驚愕により動けなくなってしまっている。
化け物の口内上部に、叔父に該当する男の顔が張り付いていた。
化け物は時雨の驚愕になど興味を持たなかった。
時雨はその直後に嫌悪の悲鳴をあげることになった。
魚の口内から無数の触手が飛び出してきた。
その触手は時雨の逃げ道を防ぐように取り囲み、その中の数本が体に巻きついてきた。
触手はぬるぬるとしており、本体が魚だからかとても生臭い。
そして触手は服の中に潜り込んでくると、今度は下腹部に向かって下がってきた。
へそまで触手が進んで来たところで、生理的嫌悪感により悲鳴を上げた。
「いやああぁああぁぁあ!!!満月助けてぇぇぇ!!!!!」
時雨は嫌悪と絶望に涙を流していた。
咄嗟に思い人の名を叫んでしまったが、彼がわざわざ危険を冒して時雨を助けに来る理由などないのだ。
時雨の絶望を他所に異型は時雨の体を蹂躙しようと最後の一線を越えようと、目的の場所に触手を伸ばした。
その時、化け物の横を風が通り抜けた。
風は化け物の触手を切り裂き、時雨に巻きついていた触手を払いのけた。
そしてそこまでして初めてその姿を現した。
森の中を村人に聴いた方角に真っ直ぐ進んで、満月はなんとか柏村の入口に辿りついた。
ここに連れてこられているだろう時雨の場所を突きとめようと意識を集中した。
だが、化け物が大量の村人を食い荒したらしくここからは血の臭いがきつ過ぎて探ることができない。
仕方なく周囲に気を配りつつ村の中へ踏み入った。
しらみつぶしに探すには時間が足りないので、何かないかと全神経を集中させて周囲に気を向けた。
20分ほどが過ぎ、手遅れだったのかと絶望に押し潰されそうになったときにそれは聞こえた。
それは時雨の助けを求める悲鳴だった。
その声を聞いた時、満月の中で何かが切れた。
「頼むぞ・・・!間に合ってくれよ・・・!」
切羽詰まったように言うと、満月は悲鳴の聞こえた方角に向って走り出した。
突風が部屋の中に吹いたかと思うと触手に支えられていた時雨の体は宙に投げ出された。
唐突に支えを失った時雨は床に尻もちをついた。
頭に疑問符を浮かべながらう?うぅ?と唸っている。そして少したち涙目になったところで風を巻き起こしたと思われる張本人が異型と時雨の前に姿を現した。
その姿を見て涙は引っ込んだのだが、時雨は浮かべていた疑問符の量を増やすことになった。
時雨を助け出したのは女性だった。
しかもどういう理由か浮いていた。
腰まで届くのではというほど長い水色がかった髪の毛、澄んだ川面を思わせるほど透き通った水色の瞳、服は白い着物を着ていた。同性の時雨から見てもとても綺麗だった。
時雨にはその人がなぜ自分を助けたのかがわからず、動揺を隠せないままとりあえず助けてもらったお礼を言っておこうと口を開いた。
「えと、あの、どなたか存じませんが、助けていただいてありがとうごらいまふぃら?」
最後が疑問形になってしまった。
なぜかその女性がお礼を言おうとしていた時雨の頬を両手で引っ張ったのだ。
痛い。
とても痛い。
結構本気で引っ張っているらしい、女性の手が震えている。
時雨はまた訳がわからず涙目になった。
そしてその女性は多少満足したのか手を離して時雨に話しかけた。
「元気そうで何よりじゃのぅ。小娘。いっそ食われてしまっていればいいものをな。」
・・・笑顔でそんなことを言われた。
えらく機嫌が悪いようで、額には青筋が浮いている。
異型とは別の理由で怖かった。
異型には生理的な恐怖も入っていたのだが、この女性は単純に怖い。
時雨から一瞬たりとも視線を外さない。
顔は笑っているが目が笑っていないのも一つの原因のようだ。
すでに浮いているとか異形とかそれどころではなかった。
本能的にこの人をこれ以上怒らせたらまずいというのがわかった。
時雨が恐怖に怯えていると、異型は切られた触手が癒えたらしく落ちていた触手は残っていない、どうやら口の中に引っ込めたようだ。
攻撃してきた時雨の目の前にいる女性を敵と認識したらしく、女性を威嚇して鎌を振り下ろした。
「危ない!」
時雨は咄嗟にその女性に対して叫んでいた。
目の前の女性は避けようともせずに振り返って鎌を見ている。
鎌が女性を切り裂いた。
女性の体が二つに分かれる。
分かれたと思った。
鎌が通り過ぎたはずの女性の体は、服も合わせて異型の鎌が振り下ろされる前のままだ。
時雨は急な展開に付いていけずに呆然とするしかない。
異型も訳がわからないのか後退して奇怪な音を出している。
女性は異形を指さすと声を荒げずに呟いた。
「我に触るな。この下郎。我に触れていいのはこの世にただ一人だけじゃ。」
そう呟くと同時に異型は壁を突き抜けて吹っ飛んだ。
時雨は唖然とするしかない。
異型に何が起きたのか、どうやら異型を飛ばしたと思われる圧倒的な強さのこの女性は誰なのか、そしてなぜ時雨を助けてくれたのかがわからないのだ。
「・・・俺の、出る幕は、ないか。それと、水守、どう考えても、やり過ぎだ。・・・時雨は大丈夫そうで何よりだ。」
そう言って満月は窓から顔を覗かせた。
どうやら水守と呼ばれたこの女性は満月の知り合いのようだ。
息切れしているらしく言葉が途切れ途切れになっていた。
時雨は満月がきてくれてうれしくなったのだが、時雨より先にその女性に話しかけたことが若干ショックだった。
「小娘を助けてやったのじゃ。少しは感謝したらどうじゃ?」
満月に対して怒りを隠そうともせず、やたら高圧的にそう告げた。
満月がやれやれという仕草をしたあと、その女性に対して助かったよと短く言った。
それを聞いて少し怒りが収まったらしい女性は、それでもムスッとしたまま時雨から少し離れた。
よっ!と勢いを付けると時雨は窓から部屋の中に入ってきた。
時雨の傍に来ると優しい笑みを浮かべて頭を撫でた。
「怖かったろ?もう大丈夫だぞ。」
時雨は知っている顔を見てようやく恐怖から解放されたのか、ぼろぼろと泣きだしてしまった。
助け出した二人は「この女泣かせは、本当にどうしようもないのう。」「いや、どう考えても俺のせいじゃないだろ?」などと口論している。
もう何が何だかわからないが貞操を異型に奪われなかったことと、満月が助けに来てくれた嬉しさでいっぱいだった。
時雨は女性が助け出してくれる直前に、全てを諦めて体を投げ出していた。
それが二転三転して無事なまま好きな異性に頭を撫でられている。
嬉しくない訳がない。
だが少しすると、あることを思い出した。
「口の中に、伯父さんの、顔があったの。どうして・・・?」
時雨はまだ泣いていた。
満月は時雨を見ると悲しそうに告げた。
「たぶん、食われちまったんだろうな・・・。」
満月は立ち上がると異型が吹っ飛んで行った方角を見る。
「さて、後始末だ。」
と、面倒そうに呟いた。
時雨は泣きながらも満月のほうを見る。
満月は泣いている時雨に笑顔を向けた。
そして化け物の飛ばされた方を見て立ち上がると、ちょっと待ってろと言って穴の開いた所から飛び出していった。
後には時雨と水守が残された。
時雨は泣きながらもさっきお礼ちゃんと言えてなかったなと嗚咽混じりにだが水守に告げようとした。
「我に礼など言わなくてよいぞ。」
水守は時雨を見ようともせずにそう言った。
「我は満月に頼まれなければ主のような小娘を助けたりなどしておらんでな。礼を言うなら満月にでも言ってやるがよい。やつは主を助けるために洞窟からずっと走ってきたのじゃからな。」
素気なくそう言うと水守は時雨を見た。
正面から見るとやはりとても綺麗な女性だった。
時雨は一瞬見惚れてしまったが、すぐに正気に戻ると、水守を正面から見据えた。
「どういう理由かはともかく、えっと、水守さんは私を助けてくれましたから。だから、
お礼は勝手に言わせてもらいます。助けてくれてありがとうございました。」
そう言うと座ったまま深く頭を下げた。
水守は居心地が悪そうに顔をしかめると勝手にするがよいと告げて顔を背けた。
時雨は頭を下げていて気がつかなかったが顔を背ける直前に見えた女性の顔は笑っていたようだった。
異形の化け物は森を走っていた。
先ほど見たこともない自分とは違う性質の異型の女に軽くあしらわれたのだ。
あの時、異型の女に鎌を振ったとき確かに女に当たったように見えた。
だが実際は空を切ったように当たった感触がしなかったのだ。
化け物は初めて得体の知れないものに恐怖した。
その時、化け物は背後に何かを感じ咄嗟に横に跳んだ。
直後、前に生えていた植物に何かが突き刺さった。
そして轟音と共にその植物は、その何かが突き刺さった部分から、半分に叩き折られた。
「ちっ!今のに当たってくれたらこれ以上無駄に動かずに済んだってのに。」
植物を叩き折った物の正体は先ほど女に吹き飛ばされる前に窓から顔を見せた者だった。
「さて、あんたには悪いがここで決めさせてもらうぞ。面倒なのはごめんだからな。」
そう言うと同時に男に異変が起こった。
髪の毛と瞳の色が黒から銀に、狼を思わせる鋭い犬歯とその爪、それを見ると化け物は即座に逃げ出した。
「おいおい。ここで逃げるのかよ。・・・まぁ少しは知能があったってことだな。」
そんな台詞が化け物の逃げようとした先から聞こえた。
満月は化け物の進行方向に回り込んでいた。
顔には狩る者の獰猛な笑みが浮かんでいる。
「この姿になると自分を抑えるのに苦労するな。あんま長時間なってるとお前の様に元に戻れなくなるしな。悪いが」
そう言って満月はそこで一旦間を置き、尚も逃げようとする化け物に告げた。
「もう終わらせてもらったぞ。」
それがいつ行われたのかわからなかった。
満月のその言葉が聞こえたか定かではないが、化け物はその場に崩れ落ち、そのまま起き上がることはなかった。
「よし、後始末終了。二人のところまで戻るか。」
そう言って頭を掻く満月の姿はもう狼を思わせる銀髪のものではなく、目つきの悪いだけの黒髪の男に戻っていた。
置いて行かれた化け物の遺体には、口の中にあったと思われる時雨の叔父の顔が潰されてなくなっていた
見てくれている人がいるか知らないが、コピペ作業はまだ始まったばかりだよっ・・・!
読み直すととても恥ずかしい作品でしたまる