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05

(201X年10月13日 某県地方新聞より抜粋)


 12日午前5時20分ごろ、○○市の民家から出火していると、付近の住民から119番通報があった。2階建て住宅が全焼し、焼け跡から2人の遺体が発見された。

 現在この家に住む犬飼冬二さん(42)夏菜さん(39)夫妻と連絡が取れなくなっていて、警察は遺体の身元の確認を急ぐとともに出火原因を詳しく調べている。


 消防によると、現場に居合わせた市民が、火災現場から犬飼さん夫妻の娘である8歳の子供を救出したとのこと。救出された子供は軽傷で、命に別条はない。

 また、出火したと思われる時刻に聞き慣れない動物の吠え声が聞こえたと付近の住民が証言していて、警察は事件との関連を調べている。



 ◆



 鋭い風が眼前を吹き抜けた。

 鼻先に熱を感じる。掠ったか、それとも錯覚か。

 バックステップの勢いを制御しつつ、着地。パソコンとの距離はおよそ2m。じりじりと後退しつつ、モニターの様子をうかがう。


 腐臭がいよいよひどい。ドロリとした緑色の粘液が液晶の縁から滴っている。

 蛍光灯の光を反射する鋭利な鉤爪は、灰白色の腕に繋がれてモニターからだらりと垂れ下がっていた。画面に映る電子の虚像ではない、物理的な実体としてそれはそこに存在している。


 脱皮直後の昆虫のようにぬらついた異形が、上腕を捩りながら這い出してくる。

 体毛の無い腕、継ぎ目のない肩、ヤゴに似た頭部と落ち窪んだ眼窩、そして複数の体節を持つ長い胴体。ムカデを彷彿とさせる胴長の怪物は、しかし、唐突にずるりとモニターから落下した。

 不格好にタイル貼りの床に落下したソレには、足がなかった。胴体の終端、腰のあたりが、引きちぎられたように切断されている。歪な断面からは緑色の粘液がとめどなく溢れて床を汚している。


 ……似ている。

 けれど、あの火事の日に見たアレとは別物だ。


 一瞬、宇佐見の脳裏に10年前の記憶がフラッシュバックした。

 浅く、ゆっくりと息を吐く。

 軽い頭痛を覚えながらも、意識はしっかりと目の前の脅威に集中している。


 自身の体液の池を這いずっていた怪物が、頭を持ち上げて宇佐見を見た。

 鉤爪の先端が床に食い込む。灰白色の腕部で筋肉が隆起した。

 ぞわりと悪寒。

 反射的に宇佐見は横に跳ぶ。


 直後、砲弾のように突撃してきた怪物がすぐ横をすり抜けた。

 獲物を取り逃がしたアルビノの怪物がそのままオフィスの壁に激突する。

 轟音。

 ステンレスの壁面がひしゃげてひび割れる音が続く。


 宇佐見が振り返る。

 怪物の突撃を受け止めた白い壁がクレーターのように凹んでいる。

 その中心に肩をめり込ませた怪物が、ずるりと地面に落下した。


 瞬間、宇佐見は背中に腕を回す。

 ジャケットの下に仕込んだホルスターから小型の銃を引き抜く。

 前方に素早く銃口を向けて、トリガー。

 シリンダーから圧縮窒素の音。

 スタン・ショットから発射された極小の飛翔体が、怪物の肩に突き刺さる。

 それとほぼ同時に、飛翔体に接続されたワイヤーを介して、30万ボルトの電撃が怪物に叩き込まれた。


「ッ、ギギィ……」


 ノイズのような奇妙な声。下肢の無い異形が上半身を折り曲げた。

 人間が相手であればこれで一時的に行動を封じられるのだが……。


 怪物はびちゃびちゃと体液をかき混ぜながら無秩序に身体を捻らせている。

 薄い粘膜に覆われた真っ白な脇腹に無数のあばらが浮かび、その間の筋組織がゴムのように収束した。


 それを視認した瞬間、宇佐見は後方に飛び退っていた。

 コンマの差で怪物が粘液を撒き散らしながら跳躍する。

 蛇を思わせるジャンプから、鉤爪がハンマーの如く振り下ろさる。

 ソレが、宇佐見の眼前で床に叩きつけられた。


 鈍い破砕音を響かせて床のタイルが砕け散る。

 局所的に粉塵が舞う中、宇佐見は二発目の弾丸を怪物の首筋に打ち込んだ。

 ノータイムで放たれる電撃。

 びくんと痙攣する怪物。

 その首を狙って横蹴りを叩き込み、怪物を地面に薙ぎ倒す。

 足元に粘液が飛び散る。

 警戒しながら、3歩後退。


 1つのカートリッジで撃てるのは2発までで、予備のカートリッジは車の中だ。

 どうする。場合によっては逃走も視野に入れるべきだろう。しかし、この奇妙なバケモノを放置してよいものか。コイツは明らかに人間に対して害意を持っている。平日のオフィスビルのど真ん中に放置すれば、周囲にどれだけの被害が出るのかわかったものじゃない。

 可能ならば無力化したい。だが、相手の身体の構造は人体とは明らかに違っている。たとえ全身の関節を外したとしても、筋肉だけで元気に跳ね回りそうな予感があった。動きを止めるにはひどく難儀しそうだ。


「……そもそも、コレって生物の枠で括っていい存在なのかな」


 などと呟きながら、注意深く相手の様子をうかがう。

 怪物はちぎれた腰から体液を溢しながら身悶えしている。その首が不意に180度回転して、逆さまになりながら宇佐見を睨んできた。落ち窪んだ眼窩の奥でドブのように濁った黄色い瞳が光っている。


 そのまま、互いに睨み合うこと数秒。


 不意に、怪物の瞳から光が失われた。小刻みに動いていた胴体もぴたりと静止する。その唐突な変化に、宇佐見は電池の切れたオモチャを連想した。

 次の瞬間、静止した怪物が身体の末端から順に、灰のような粒子になって崩れ出した。音もなく、サラサラと、怪物が輪郭を失っていく。


 いや……『崩れていく』ではない。

 正確には『消えていく』だ。


 怪物の身体から零れた灰に似た粒子は、床に落ちることもなく、そのすべてが透明になって消えていったのだ。

 蒸発でも、昇華でも、空気に溶けたのでもない。それが純然たる消滅なのだと、宇佐見は直感的に理解できた。……あるいは、できてしまった。


 ほんの数秒と経たないうちに、怪物の痕跡は現世から完全に消え去っていた。

 肉も、骨も、あれほど撒き散らしていた体液さえも綺麗さっぱり消滅している。

 さきほどの出来事が夢ではないと証明しているのは、壁と床に残されたクレーターだけだった。


「……どういうこと?」


 死んだ……のだろうか。

 案外、こちらの攻撃が効いていたのかもしれない。もしかしたら、元から瀕死だったのかも。怪物の腰の状態を思い出してそう思い至る。もちろん、なんの確証もない推測だが……。


「なんというか、幽霊でも相手にしてたみたいな感じだね」

「ミスタ・ウサミ」

「ああ、デルタ。さっきの怪物について、キミはどう思う?」


 ふと、胸ポケットのスマホから合成音声が聞こえてきた。

 あまり気にしていなかったが、どうやら落っこちずに残っていたらしい。結構激しく動いたつもりだったが、それならそれでラッキーだ。映像記録が撮れているなら、もう少し詳しく()()の観察ができるはず。


「ミスタ、すぐにこの場を離れることを推奨します」

「うん?」

「物音を聞きつけて廊下に人が集まってきました。時間が経過するほど、退去時に見咎められる可能性が高くなります」


 そう言われて、ようやく壁を隔てた廊下のざわつきに気づいた。

 宇佐見は渋い表情を浮かべて古歩道研究所のオフィスをぐるりと見回してみる。

 不法侵入、不正アクセス、器物損壊……。スリーアウト、ってところか。


「この状況の()()()()釈明は不可能です。警察に拘留された場合、長期間の活動の制約が予測されます。京奈院ラヴの捜索が停滞する事態は私にとっても望むところではありません。即時の離脱を強く推奨します」

「そうだね。僕も面倒は御免だ。……ただ」


 出入り口のドアを気にしつつ、宇佐見はちらりとパソコンに目を向けた。

 あの怪物を呼び出したのは、やはり、あそこに格納されていたプログラムによるものなのだろうか。もしそうならば、放置しておくのも気が引けるが……。


「デルタ」

「はい。プログラムに手を加えることはできませんでしたが、PC本体にロックを掛けておきました。多少は時間が稼げるでしょう。複製したプログラムコードは確保してあります。まずはそちらの解析から進めていく予定です」

「……有能すぎて、ちょっと怖いね」

「発声、呼吸、心拍数いずれも平常値ですね。ジョークと判断します」


 宇佐見は思わず肩を竦めた。ジョークどころか、掛け値なしの本音だ。

 スタン・ショットの飛翔体をきっちり回収してから、宇佐見はポケットから取り出した帽子を深くかぶりオフィスから撤収した。

 幸いにも廊下の人だかりはまだ遠巻きで、彼らの視線は入り口とは別の辺の壁面に集中していた。ちょうど怪物が激突してクレーターになっていたあたりだ。外側にできた『コブ』を指さしながら、集まった会社員たちが不安げに言葉を交わしている。


「ビルの防犯カメラを掌握しました。ミスタの姿が映像に残ることはありません」


 彼らに背を向けてエレベーターに歩を進める宇佐見の胸で、デルタが囁いた。

 あっさり言われると、逆に怖いのだが……!

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