04
(京奈院ラヴの配信ログより抜粋)
:待機
:あと3分
:新作ゲームってぶつおり3?
:発売日的には。でもぼかす意味がわからん
:同期生のフォーちゃんも枠取ってるしコラボ来る?
:だったら告知あるっしょ
:それもそうか
「リスナーの皆さん、こんばんは。異界の古都より参りました、ディメンジョン・トラベラーズ二期生、京奈院ラヴです。……ですわ。本日もこのような遅い時間に、私のために集まっていただきありがとうございます。……ますわ」
:はじまた
:こんばんはですわ
:お嬢様、仮面がさっそく剥がれてましてよ
「ほほほ、なんのことでござい……ございましょう?」
:口調エミュ下手すぎか
:まるで成長していない…
:もうすぐ一周年なのに
「ん、んん! ……こほん……。ハイ、挨拶ノルマはこれでおしまい! ラヴ友の皆さん、改めてこんばんはー! 今日も今日とて、一緒に楽しくて遊んでいきましょー!」
:うるせえ!
:声のデカさで誤魔化すな
:音量調節してもろて
「あ、はい、スイマセン……。ええと、これくらいでいいかな? いい? オーケーオーケー。よし、それじゃ告知通り、さっそく新しいゲームで遊んでいこうと思います!」
:おけ
:やはり新作か。いつ開始する? 私も同行しよう
:京奈院!
「いや、京奈院は私だから……。このやり取り何回目? とにかく、今日プレイするのはこちらのタイトル! じゃん! 本日0時解禁予定の『AnotherArcadia』です!」
:知らん
:え、なにそれ
:ぶつおり3は…?
「ぶつおりはね、興味はあるんだけどね……あれ、FPSだから……」
:あっ(察し)
:よわよわ三半規管
:コラボ……3D酔い……放送事故……
「黒歴史を掘り返すのはやめてください……。えー、というわけで、超メジャータイトルと発売日が被ってしまったこの『AnotherArcadia』なのですが、ジャンルはRPGとなっています。安心ですね。ラヴ的にはPVを見てビビッと来たのですが……うーん、確かにCMとかを見た記憶がありませんし、実はマイナーなタイトルなのかな?」
:実はも何も知ってるヤツ誰もいない説
:開発会社すら聞いたことないとこなのだが
:アナザーアルカディア、つまり略称は
:#このコメントは削除されました#
「事前ダウンロードは済ませているので、0時のアンロックと同時にスタートしますよー。あ、ちなみにこのゲーム、主人公のキャラクリがあるんですけど、外部の3Dデータを取り込んでコンバートする機能があるらしいんです。せっかくなのでラヴはラヴの姿で冒険したいと思います!」
:いいね
:意外とハイテック
:告知にあった、私が世界を救う、ってそういうこと!?
「とか言ってるうちに、あと1分! うぅ、ドキドキしてきた。この、未知のタイトルに触れる直前のドキワク感。ここからしか得られない栄養があると思うのです……!」
:わかる
:わかるけど、地雷を掴むのは怖い
:ラヴの配信見て面白そうだったら買うわ
「あ、0時になりました! よし……ストア開いて、タイトル選んで……起動!」
………
……
…
:お?
:暗転
:真っ暗
:光量調節はよ
「……え? あれ?」
:どした
:立ち絵も消えてる
:なんかのトラブル?
「うひゃ! な、なにこれ……。コメントが、流れてる……?」
:草
:なに言ってんねん
:コメは流れるものやろがい!
「そうじゃなくて! え、だって、なんでコメント欄が浮いてるの?」
:???
:浮いてる?
:ラヴ、真っ暗でゲーム画面が出てないよ
:いや、なんかうっすら見えてきた気がする
:部屋?
:真ん中にテーブルがあるっぽい
:なにか置いてあるな
「テーブル……って、これのこと? あ、本当だ、なにかある。みんなにも、これが見えてるの?」
:せやで
:もうゲーム始まってる?
:ノア 調べる
「ゲーム? でも、そんな……。ええと、置いてあるのは……なんだろう、形はランプ? に似ている気がする。あ、お尻のところにツマミが……っ、ひゃん!」
:転んだ
:尻もち
:かわいい
:灯りが点いたね
:びびりすぎw
「いたた……。うわ、すごい光ってる。ちょっと眩しいかも」
:ラヴおるやん
:おお、主人公のモデルいい感じじゃん
:ほんとだ、ラヴのモデルそのまんまだ
:これが異世界転生ちゃんですか
「……え? 私まだキャラクリもなにも……」
:うん?
:固まった?
:あ、動いた
:自分の手を見てる?
:ラヴ?
:やっぱりなにかトラブってるぽい
:あちこち見回してるけど
:てか表情めっちゃ動くな
:よくわからんけど、驚いてる?
「ここって……」
:はい
:初期地点
:主人公の拠点なのかな?
:そういやオープニングイベントとか起こらんな
:プレイヤーの自主性に任せるスタンスか
:ラヴー? なにか喋ってー
「待って……まさか、ゲームの中? で、でも、そんなわけ……」
………
……
…
(以降、混乱によりリスナーとも意思疎通できない時間がしばらく続く)
◆
川崎大輔の失踪を尋ねると、通話相手の鳥島刑事は面食らった様子で肯定した。
デルタの情報の裏が取れたことになる。やはりというべきか、AnotherArcadiaの存在までは警察もたどり着いていなかったが。
「宇佐見さん、どこから川崎大輔のコトを聞きつけたんスか?」
「仕事の関係でちょっと。その件に関して、調べてもらいたいことがあります」
「失踪者の手がかりになりそうな話なら、是非」
「昨日の夜から今朝にかけての行方不明者で……ええと、あとでリストを送るけど……該当する人たちのパソコンの中身を確認して欲しいんです」
「ウス。具体的にはなにを探せばいいんスか?」
「AnotherArcadiaっていうゲームがインストールされてるか、なんですけど……」
「ゲーム? ……うーん、とりあえず調べてはみますけど、それ、失踪となにか関係があるんスかね」
そんなことこっちが聞きたいくらいだ。
ひとまずデルタから提供された不明者のリストを鳥島に回送しておいた。
通勤ラッシュの時間は過ぎているので道路はさほど混雑していない。
念のため後ろを気にしておいたが、尾行らしき自動車は見つからなかった。
助手席に立て掛けたタブレットには動きのない画面が映し出されている。
食事を終えて気が緩んだのか、ラヴは眠ってしまっていた。疲労も限界に近かったのだろう。最初の部屋に戻ってテーブルやソファで簡単なバリケードを作ったところで、倒れるように目を閉じてしまった。
すやすやと眠る寝顔がとても可愛らしい。スクリーンショットを撮りたくなる衝動を、鋼の理性で自制しなくてはならなかった。
今日は平日だ。学生や社会人たちが離脱し、日中暇な人たちも代わり映えしない状況に見切りをつけて配信から去っていった。現在の接続者数は大きく減っている。コメント欄では残された熱心なファンたちが考察を争わせているが、これといったアイディアは見当たらなかった。
30分ほどで目的地に到着した。市街地のオフィスビルだ。独立した社屋ではなく、複数の企業がフロアを賃借しているようだ。
1階のエントランスでテナント看板を確認する。あった。古歩道研究所。表記は3階。同じフロアには他に2社のテナントが入っている。
エレベーターで3階に上がった。
廊下の壁にフロアマップが掛けられている。古歩道研究所が西の端のごく小さなエリアを借りていることがわかった。他の会社のオフィスを横目にそちらへと足を向ける。
廊下は閑散としていた。南向きの窓から眩しい陽光が差し込んでいる。扉を隔てた向こう側には就業中の人の気配があるが、そこは目的とは別の会社だ。
フロアの西の端、古歩道研究所の入り口の扉には鍵がかかっていた。ノックしても反応がない。壁の高所にある室内窓も真っ暗だったので、部屋の中は灯りさえ点いていないようだ。
小さく息を吐き、廊下に戻る。ちょうどよく、別の会社からサラリーマンらしき男が出てきた。胸ポケットからタバコの箱を取り出している。喫煙スペースに向かうところらしいその男を呼び止めた。
「あの、すいません」
「はい?」
「すぐそこの古歩道研究所に用事があるのですが、留守みたいで」
「はぁ」
「連絡を取りたいのですが、あちらの社員に知り合いとかいませんか?」
「いや、確かにウチの会社は隣ですけど、向こうさんと絡みはありませんし……」
そう言って男は首をひねった。
「言われてみると……うーん、あそこに出入りする人って今まで見たことがないな。電気が点いてるのを見た記憶はあるから、いつも誰もいないってわけじゃないんだろうけど」
「そうですか……。どうも、ありがとうございます」
「いや、このくらい別に」
曖昧な笑顔を浮かべて男は宇佐見に背を向けた。喫煙スペースはフロアの東端だ。フロアマップを頭の中に展開しつつ、もう一度古歩道研究所のドアの前に戻る。
宇佐見はジャケットの内ポケットに手を突っ込んだ。それと同時に、廊下に人がいないことと、天井に防犯カメラがないことを確認した。
極細のドライバー型のツールをドアの鍵穴に挿し込む。この鍵の構造はごくありふれた簡素なものだ。ドアノブを身体の陰で隠しながら、指先に意識を集中する。
きっちり5秒で軽快な音が鳴り、落ちていた錠が90度回転した。何気ない仕草でドアノブを回し、室内に足を踏み入れる。
部屋の中は薄暗い。外窓にブラインドが降りている。太陽の光が細い線になって床に落ちていた。そもそも西部屋だから、この時間はもともと日当たりが悪いのかもしれない。
背後のドアに鍵を掛け、壁際を探って照明のスイッチを入れた。蛍光灯の白い光があっという間に室内を照らし出す。
誰もいない。古歩道研究所のオフィスには静寂だけが沈殿している。
幸いなことに、死体が転がっているとか、そういう古典的なドッキリも見当たらなかった。
ズボンのポケットでスマートフォンが振動する。
デルタからの連絡だった。
「目的地に到着しましたね」
「……どこかから見張っているのかな?」
「監視はしていません。この端末の位置情報をトレースしています」
「あ、そう」
「カメラモードを起動して室内を撮影してください」
好き勝手言ってくれる。
タッチパネルを操作し、カメラを起動してから端末を胸ポケットに放り込んだ。レンズがぎりぎりでポケットから顔を覗かせている。
室内は風変わりな家具配置をしていた。一般的なオフィスとは趣が違っている。
可動式の細長いテーブルが6つほど並べられて、ひとかたまりの大きなテーブルを作っている。その片側にパソコンが3台。かなり近い位置で同じ方向を向かせて配置されている。パソコンの前には椅子が1つだけ。3台のパソコンを1人の人間が操作している光景が想像できた。
パソコン以外のテーブル上のスペーズは、おびただしい数の書物や綴じ込み、乱雑に散らばったメモ用紙によって埋め尽くされている。まるで紙の海だ。その海の中に、ぽつりぽつりと、用途不明の偶像や構造体が孤島のように顔を出している。
適当な書物を手に取ってみた。タイトルは英字。古い時代にイギリスで書かれた、土着の呪術についての研究書のようだ。表紙を捲ってみると、本文にはかなりの量の注釈が肉筆で書き込まれていた。
この本の他に、日本語やフランス語、ロシア語、さらには宇佐見の見たことのない言語で記された書物まで存在していた。ざっと見た感じ、その大部分が世界中の超常現象にまつわる資料のようである。
偶像や構造体といったアイテムも、現代的な制作物ではなさそうだ。素材は石か木で、どことなく古めかしい印象だ。偶像の造形はそれぞれだが、そのどれもが現実にはありえない異形の怪物を象っていた。
「……普通に考えれば、ゲームの設定作りのための資料なんだろうけど」
「カメラから認識できたタイトルの86%は電子化されていない書籍のもので、内容の精査は不可能です。また絶版となっているものが32%、ネットワーク上に該当するタイトルの記録が存在しないものが27%あります」
「蒐集するのにかなり金が掛かってそう、っていうのは俗な感想かな」
書物をテーブルに戻し、ぐるりと周囲を見回した。部屋の中に本棚は存在しない。テーブル以外の家具といえば少し離れたところに食卓らしき小さな机とゴミ箱、それから壁際に置かれた冷蔵庫があるくらいだ。
つまり、乱雑に置かれた書物を保管するためのスペースがないということ。なんとなく、部屋の主の性格が透けて見える気がした。
次に、3台のパソコンを調べてみる。どれもタワータイプだ。
電源が落ちていたので、3台まとめて起動させた。冷却ファンの低い音が部屋に響く。それぞれのモニターにありきたりな風景が表示された。デフォルトの背景だろう。適当なキーを叩くと、ユーザー認証のダイアログが表示された。
「3台のうち2台のIPをオンラインに検出しました。アカウントを解析します」
さてどうしたものか、と考えるより早く、胸ポケットからデルタの声がした。
2台のパソコンのダイアログに黒丸が連続して打ち込まれ、即座に認証が突破される。画面がスムーズに切り替わってデスクトップに遷移した。10秒とかからない早業だった。
「1台はゲーム制作用のPCですね。制作ツールと完成品のAnotherArcadia本体が残されています。もう片方はデータベースとして使用されています。メモ書きやレポートといったファイルがほとんどで、電子書籍も格納されています」
「……デルタは、人間じゃない?」
直感的な印象がそのまま口に出た。
侵入の速さだけなら凄腕のハッカーということでギリギリ通るかもしれない。だが、情報の検索と閲覧、カテゴライズの速さはそれだけでは説明がつかない。同じことを同じスピードで人間がやろうとしたら、手と目と脳の数が足りないだろう。そういう並列した速さだ。
「人間だと名乗った記録はありません」
「記憶じゃなくて記録、ね」
宇佐見の問い掛けに、デルタは至極あっさりとそう応じた。
自分で想像していたよりも動揺はなかった。今日一日で突飛な事態にも耐性がついたのかもしれない。しかし、人間でないなら、彼(あるいは彼女)の正体はなんなのだろうか。受け答えからはなんとなく機械的でロジカルな印象を受けるのだが。
「向かって左のPCからデータをコピーしました。最後の1台がオフラインになっているため侵入できていません。そちらにLANケーブルを挿し替えてください」
「確認だけど、キミが入手した情報は僕にも提供してもらえるの?」
「捜査に必要な情報は共有します。これは無料サービスです」
「そのフレーズ気に入った? オーケー、すぐに挿し替える」
パソコンの背部に手を回して、水色のケーブルの接続を変更した。未解析のパソコンのモニターにネットワーク接続のポップアップが表示される。
問題のPCのモニターにはデスクトップ画面が表示されていた。表示されているアイコンはたった1つで、見たことのないデザインだった。黒と赤の渦形で、中央がくぼんで見える。立体的な錯視のようだった。渦巻き、穴、瞳、あるいは門。そんな印象がある。
「データの複製を開始しました。ですが、アプリケーションを解析できません」
「どういうこと?」
「プログラムが未知の形式でコーディングされています。コンパイラも特殊なもので、出力される機械語を私の環境では走らせることができませんでした。しかし、データ上の観測ではプログラムは有効なものとして振る舞っています。現在、類似する過去の事例を当たっていますが、合致するケースはヒットしていません」
「正体不明のプログラム、か。こっちから起動してみようか?」
1秒にも満たない、僅かな沈黙が流れた。
「ミスタの目にはどのように映っていますか?」
「デスクトップにアイコンがある。赤と黒のツートンで、渦巻きみたいな形。アイコンに名称はつけられていない」
「同様の視覚情報をカメラから確認しました。2分待ってください。データの複製が完了した後で、プログラムを実行するよう依頼します」
時計を見る。9時38分。
入り口のドアに目を向けてみるが、誰かが出社してくる気配はない。そもそも、この会社の規模はどのくらいのものなのだろうか。極端な推測ではあるが、椅子や家具の配置を見る限り、この場で作業をしていたのは1人だけなのかもしれない。
その人物がAnotherArcadiaの製作者なのだろうか。あるいはこのオフィスは囮で、本部はどこか別の場所にあるのかも。公式ホームページなんていうあからさまな場所に記載されていた住所なのだから、そういう欺瞞工作だったとしてもおかしくはない。
いずれにせよ、もし本当にAnotherArcadiaに悪意のある仕掛けがあって、それが原因で複数の失踪者が出ているのであれば、その製作者がこの場に戻ってくる可能性はかなり低いだろう。ノコノコと顔をだすようなら、そいつはよほどの自信家か単なる間抜けのどちらかだ。
「複製が完了しました。プログラムを実行してください」
「わかった」
「こちらからもデータログをモニタリングしています。お気をつけて」
お気をつけて、なんて言われてもね。
椅子には座らず、立ったままマウスを滑らせ、問題のアイコンをクリックする。
ジジ、とハードディスクが音を立てた。
次の瞬間、モニターが赤と黒の二色に染まる。
アイコンの画像が拡大されて表示された形だ。
視覚的な圧迫感がある。
螺旋を描く赤と黒の繰り返しが、奇妙な立体感を作っている。
真ん中に近づくほど、
奥へ、奥へと、
進んでいく。
落ちていく。
混じっていく。
目眩。
平衡感覚の欠落。
渦の模様に手招きされている。
吸い寄せられている。
螺旋の中心に、瞳が見えた。
黄色く濁った、捕食者の瞳。
同時に、異様なニオイが鼻を突いた。
瞬間的な酩酊感。
血溜まりで腐り果てた肉片を思わせる苛烈な腐敗臭。
そのニオイを、宇佐見は知っている。
視界の解像度が回復する。
足の裏にタイル床の硬さを感じた。
頭の靄はもう消えている。
直感。
床を蹴って後ろに跳んだ。
――その鼻先を、モニターから伸びた黒い鉤爪がすり抜けた。