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(非公式ファンサイトより抜粋)
・京奈院ラヴ
スターライト社のVtuberグループ『ディメンション・トラベラーズ』の2期生。
和装の犬耳お嬢様で、しっとりとした声質と穏やかな語り口が持ち味。
ストーリー重視のゲーム実況や読み聞かせ配信が活動のメイン。設定通りのしっかり者で、同期とのコラボイベントでは司会進行を受け持つことも。
落ち着いた雰囲気でリラックスできると評判の反面、どこかパンチに欠けるため、2期生の中ではフォロワーの推移がやや低調気味。本人も雑談配信でポロッと不安を漏らしており、彼女のファンも密かに心配していた。
――だが奴は……弾けた。
実はかなりのカードゲームマニアであり、デュエルウォーズシリーズをこよなく愛する生粋のデュエリスト。
デビュー当初から言葉のチョイスにデュエリストの片鱗が覗いていたのだが、半年前にデュエルアリーナ(デュエルウォーズの電子版プラットフォーム)がリリースされたことでついに覚醒。
高度なデッキ構築とプレイング、カード使用時の気合の入った口上、そして妙にエッチなダメージボイスで、界隈の古参とアリーナからの新規勢を巻き込み急速に勢力を拡大しつつある。
新たにリリースされたグッズやボイスドラマのクオリティも高く、読み聞かせやカード以外のゲーム実況も定期的に行っているため、昔からのファンもにっこり。
個人的には色っぽい声を活かした囁きボイスを販売して欲しい。期待大。
(追記)
囁きより先にカードバトル風味の爆音ボイス集が販売された。
運営は人の心がわからない。
◆
聞き込みは成果なしだった。宇佐見はビートルの運転席で溜め息を吐く。
山坂は電車で会社に戻ったので、今は宇佐見ひとりだった。ラヴの部屋にはスターライト社の女性スタッフを置いておくとのことだ。ラヴがふらりと戻ってきても大丈夫だろう。
京奈院ラヴはあまり近所付き合いに熱心なタイプではなかったらしい。引っ越しの挨拶や回覧板のやりとりはしっかりとこなしていたようで、存在を認知されていないというわけではなかったが、少なくとも昨日から今日にかけて彼女の姿を目撃したという住人は見つからなかった。
怪しい物音や不審な人物の目撃証言もない。早朝ということもあって在宅している住人は多かったのだが、その尽くが空振りだった。
ハンドルに顎を乗せながら次のアプローチを考える。
助手席に置いたタブレットからはラヴの声が聞こえてきている。時刻は午前8時。配信開始からおよそ8時間。彼女はまだ初期地点の建物の中にいた。どうやらゲーム内時間と現実の時間とがリンクしているようで、2時間ほど前にようやく夜の帳が取り払われたところだ。視界が広くなったことで、その建物がいわゆる洋館と呼ばれるようなレトロな建築様式だということもわかった。
『そ、それじゃあ、台所を探索してみたいと思います。食べるものが見つかるといいけど……。え、包丁? 武器にするの? い、一応それも探してみたほうがいいのかな』
画面には疲れた表情のラヴが慎重に廊下を進んでいく様子が映し出されている。
空腹に気づいて食料の捜索に乗り出したところだ。ゲームの中でも生理現象は存在するらしい。ちょっと前にトイレがどうのこうのとリスナーが悪い方向に盛り上がった場面もあったのだが、そこは忘れてあげるのが武士の情けというもの。詳細は省くが、乙女の尊厳は守られた、とだけ言っておこう。
ポケットの中でスマートフォンが震えた。
着信あり。発信者の名前を見てから応答する。
「もしもし?」
「あ、おいすー。反応遅れてゴメンねー。ちょうど今起きたところでさ」
「いや、こっちこそ早い時間に悪かった。メッセージは読んでくれた?」
「おうともさ。VRの話でしょ? とりあえずザクっと解説するぜぇー」
友人の間延びした声が聞こえてくる。
先端技術の専門家……というよりはガジェットオタクと言ったほうが近いか。そこそこ付き合いの長い友人だ。仕事に必要な道具をレンタルしたり、こうやって知識の提供を求めたりする関係だ。もちろん対価は払っている。向こうも向こうで宇佐見に面倒な雑用を回したりしているので、持ちつ持たれつといったところ。
「まー知ってると思うけどさ、現実のVRって創作みたく脳細胞にビビっと電気を流して仮想現実を生み出すとかじゃなくってさ、物理的に感覚を再現することで人間の主観を騙してるワケ。で、そうなってくると感覚によって騙しやすいのとそうじゃないのが出てくるんだよねー」
「五感によって再現の精度が違う、ってことだよね」
「そそ。視覚と聴覚はノウハウの蓄積があるし、かなりの精度で認識をすり替えることができる。触覚も技術的には良いセンまで来てるかな。手のひらとか部分的な触感ならグローブ型のデバイスでイケるしね。ただ完全な再現ともなると全身スーツやらが必要だから、一般への普及は難しいかもだけど」
「他の感覚は?」
「嗅覚と味覚は発展途上。一応プロトタイプ的な試みはあるんだけど、なんていうか、まだまだ粗いってところだね。化学物質の合成でフレーバーを調整しようとしたり、味覚を反応させるジェルを作ってみたりとか、可能性は感じるんだけどねー」
くつくつとくぐもった笑いが耳をくすぐった。それを聞き流しながら友人の話を咀嚼する。なるほど、嗅覚と味覚か。ちょうどラヴが食事を探しているところだ。実食の反応でなにかわかるかもしれない。
「その、ハイエンドなVR機器の流通って調べられる?」
「んー……モノによっては噂が聞こえてきたりするくらい、かな。新技術のテストヘッドに網を張ってるトモダチもいるし。探っておこうか?」
「頼む。報酬は払うから」
「おけおけ。あとで請求送るから、いつものトコに振り込んどいて」
通話が切れた。これでなにかの取っ掛かりが見つかれば儲け物だ。
コンビニで買ってきたパンとペットボトルのコーヒーをビニールから出した。遅めの朝食に齧り付きながら、改めてタブレットの動画配信に目を向けてみる。
ラヴは食料を発見していた。
洋館の冷蔵庫の中から出てきたのは、魚の缶詰と袋に入った乾パンだった。リスナーが調べたところ、ラベルは市販されている製品のものだったらしい。だからといって安全が保証されるわけでもないが、背に腹は代えられないと、ラヴはそれを口にした。
食事のシーンを凝視してみたが、違和感は見当たらなかった。味や食感のリポートにも不自然さは無い。彼女の体感した感覚がVRで再現できるレベルのものなのか、見ただけでは判断がつかなかった。
コメント欄は混沌としていた。
ラヴの発言を信じて本気で心配している者、演出と割り切って探索ゲームのように楽しんでいる者、ラヴをからかって笑っている者、外部のまとめサイトから来たのかなにも考えず周囲の熱に浮かされている"お客様"もいた。荒らしだったり過剰に攻撃的なコメントもある。モデレーターの削除も完全には追いついていないようだ。
もし、山坂からの依頼がなければ、自分もこの中に混じっていたのだろうか。
モサモサとパンを噛みながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
甘ったるいコーヒーを飲んだところで、またスマホが震えた。
メッセージアプリに着信ありの表示。登録外のユーザーからだった。相手のユーザー名は『失踪事件について情報あり』となっている。
窓の外を見回す。ビートルの周囲に人影はない。腕を伸ばして、ダッシュボードにしまってあるセンサーを起動させた。サーチに3秒。盗聴や隠しカメラの電波は検出できない。
深呼吸。通話ボタンをタップした。
「もしもし」
「こんにちは、はじめまして、ミスタ・ウサミ。応答に感謝します」
わざとらしいほどの合成音声だった。
名前を言われたのだから、間違い電話ではないだろう。
「どちら様ですか」
「私のことはデルタとお呼びください。早速ですが、伝えたい情報があります」
「ちょっと待った。ええと、それ、有料サービス?」
「はい。対価として私に対するミスタの協力を要請します」
「それなら先にそっちの要求を聞かせてもらいたいんだけど……」
「京奈院ラヴの捜索を継続してください。状況に応じて追加のタスクを提示します」
脳裏に複数の人間の顔が走った。
山坂、それからスターライト社の複数の知人。どこから話が漏れた。
「僕が京奈院さんを探していると、誰から聞いた?」
「安心してください。内部からの漏洩ではありません。私が自分で調べました」
「そうだとしてもあんまり安心できないね」
「京奈院ラヴの配信機器に触れましたね。起動中のカメラとレコーダにあなたの顔と声が記録されました。山坂氏の発言から名前も確認できます。配信には反映されていませんが、データはストレージに保存されています」
思わず車の窓からマンションを見上げてしまった。通話の相手――デルタと名乗る人物が、あのとき既にラヴのパソコンに侵入していたということか。
ラヴが配信でゲームの中に取り込まれたと言い出したのは、昨晩の0時近くのこと。それを見て興味を惹かれたハッカーが不正に侵入していたというのであれば、酔狂ではあるが、筋は通る。
しかしそれでも、山坂は宇佐見のことを名字でしか呼んでいなかったはず。そこからスターライト社と宇佐見探偵事務所の関係を探り当てたのであれば、デルタなる人物の情報収集能力はかなりのものだといえるだろう。
「納得いただけたのなら、話を戻します。よろしいですか?」
「……わかった。それじゃ、情報とやらを聞かせてくれ」
「午前0時から午前8時までの8時間で、全国の警察に行方不明者の捜索依頼が複数提出されています。現在17件。警察はこれらの行方不明者の共通点に気づいていません」
いきなり話が飛んだ。
額に指を当てながら口を挟む。
「共通点とは?」
「行方不明者の電子ウォレットの動きを調べました。時期は異なりますが、いずれも特定のゲームを購入しています。タイトルは『AnotherArcadia』。京奈院ラヴが配信しているものと同じタイトルです」
「……」
「17名の中に動画配信者はいませんでした。京奈院ラヴと違い、彼らの現在の安否を確認することはできません。通報は午前7時以降に集中していますが、これは朝になって行方不明者の部屋に親族が入ったことで失踪が発覚したケースが多いためです。状況を鑑みるに、未発覚の失踪もまだ存在しているものと推測されます」
「それは、つまり、そのゲームに行方不明の原因があるっていうこと?」
「不明です。だからこそ、調査が必要です」
大きく息を吐き出し、頭を掻いた。
思考が目まぐるしく回転している。信用するか、しないのか。話に乗るのか、乗らないのか。決断が必要だ。
「キミの話を信用するには、情報が足りない」
「ミスタ・ウサミ、警察に知人はいますか?」
「……白樺区の鳥島刑事なら、周辺の所轄にも顔が利くはず」
「最寄りの不明者は、花楓区の川崎大輔、19歳の大学生です。確認を取ってください」
レスポンスが早い。あらかじめ展開を予測していたのか、それとも単に頭の回転が早いのか。いずれにしても一筋縄ではいかない相手だとわかる。
「そのゲームを調べるとして、なにから手を付ける?」
「現在、オンライン・ストアにおける新規の販売は停止しています。出品者の申請によるものです。ですが、ゲームの公式ホームページは現在も公開され続けています。開発会社のアドレスも明記されているため、まずはそちらを調査することを提案します」
「貴重な情報をどうも。至れり尽くせりだね」
「有料サービスですので」
バックミラーに映る顔が片方の眉だけ傾けて頬を引きつらせていた。
踏み倒したら地の果てまで追いかけてきそうだ。実際、それくらいの技術力はありそうだし。厄介な相手に目をつけられてしまった。その上、状況はますます混沌としてきている。
ラヴの他にも行方不明になっている人がいて、しかもゲームが原因かもしれないって?
頭が痛くなりそうだ。件の開発会社とやらを調べたとして、どんなおかしな情報が出てくるのやら。ぞわぞわと背中が粟立つような嫌な予感でいっぱいだ。
溜め息。
それでも、義務感と好奇心が不安を覆い隠してしまうのだから、探偵っていうやつは救えない。コーヒーを飲み干し、エンジンを始動させた。腹の底に響く振動に気合が入る。
スマホを見ると、『失踪事件について情報あり』さんはいつの間にか『デルタ』に名前が変わっていた。抜かりのないヤツだ。シンプルな黒猫のアイコンがユーザーに紐付けられている。
メッセージアプリには既にAnotherArcadiaのホームページアドレスが送られてきていた。いちいち行動が早い。
ページを開き、目的の住所を確認して、宇佐見はビートルを発車させた。