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(株式会社スターライト公式ホームページより抜粋)


 ・京奈院ラヴ (Canine Lav)


 異世界の古都、京奈に住む犬耳のお嬢様。

 箱入りだけどしっかり者。ヒトの世界の文化に興味津々です。

 厳しく育てられた反動か、特に娯楽の話題に目がないようで……?



 ◆



 山坂を助手席に乗せて、京奈院ラヴのマンションへとビートルを走らせた。

 宇佐見は車を発進させる直前、深呼吸をしながら"彼女"の写真を見た。写真の中の人物の姿は目に焼き付いていて、たぶん、生涯忘れることはないだろう。山坂からはその人物の本名まで聞いてしまった。ごくごく短い音の連なりも、もはや烙印のごとく脳細胞に刻み込まれている。


 "彼女"を探すために、それらの情報を活用することに躊躇いはない。

 けれど同時に、"彼女"と京奈院ラヴとの秘密のリンクは、墓の下まで持っていかなくてはならない。こうやって秘密の重石を抱え込んでいくのが、探偵の人生というものだ。偉大なるシャーロック・ホームズがライヘンバッハの滝から浮上できたのは、奇跡というほかあるまい。


「警察にはもう通報しましたか?」

「ええ、一応。京奈院ラヴとは特定されないように、弊社のタレントが姿を消した、という形でですが。正直、それでどこまで真剣に捜査してもらえるものやら……」

「事件性があるとは断定できない状況ですからね。彼らも多忙ですから、仕方ありません。でも、きちんと通報しておくに越したことはありませんから」


 ナビゲートされた先は8階建てのマンションだった。ファミレスからそう遠くは離れていない。確か、5年ほど前に建築されたものだったはず。悪い噂も良い噂も聞いたことのない、どこか没個性のマンションだった。


 空きの目立つ駐車場にビートルを停めて、エントランスに入る。郵便受けの並ぶあたりで天井を見上げ、防犯カメラの存在を確認した。奥まったところの正面にエレベーターホール(と呼ぶには非常にささやかな広さだが)があり、白い照明がクリーム色のタイルを照らしていた。

 エレベーターの前で山坂が5階のボタンを押した。1階で待機していた箱のドアが開く。エレベーターの天井にも防犯カメラがあった。操作盤の下に貼られた管理会社のステッカーの内容を記憶しておく。


 5階。エレベーターの降り口から通路が左右に伸びている。山坂に先導されて東側の角部屋に向かった。ネームプレートを確認して、山坂が鞄から出した合鍵を回す。

 秘密の扉はあっけなく開かれた。ふんわりと甘い香りがした気がした。早朝の薄明かりの中、綺麗に並んだ女物の靴が見える。靴棚の上には可愛らしい硝子細工の小物が置かれていた。目立ったゴミやホコリは見当たらない。きちんと定期的な掃除がされている証拠だ。解釈一致である。


 我ながら気持ち悪い感想だな、と宇佐見は心の中で頭を抱えた。


「では、どうぞ」

「……山坂さんは入らないんですか?」

「いえ、入りますが……お先にどうぞ」

「なぜ」

「いや、マネージャーとはいえ、率先して女性の部屋に無断で入るのは、どうも」


 こいつ……!

 探偵ならそんなこと気にもしないんでしょ、みたいな口ぶりで!


 半眼になって山坂を睨むと、彼はとぼけた顔で肩を竦めた。

 溜め息。

 仕方なしに山坂と位置を入れ替えて、京奈院ラヴの私室に足を踏み入れる。「お邪魔します。誰かいませんか」と声を掛けてみたが、室内から反応はない。靴を揃えて廊下に上がる。


 短い廊下の先にダイニングがあった。中央にガラス製の低いテーブルがあって、それを囲うようにクッションが置かれている。手前のキッチンスペースからはほのかな生活感が漂っている。壁際の本棚は漫画とライトノベルとでほとんどが埋まっていた。見覚えのあるタイトルの童話が数冊。彼女が読み聞かせの配信で使用していたものだ。


「奥の部屋が配信部屋です」


 背後の山坂から声が掛かる。テーブルを迂回して隣室への扉を開いた。

 やや手狭な部屋だった。いや、そう感じるのは配信用の機材がかなりのスペースを占有しているためか。とにかくダイニングと比較するとごちゃっとした印象だ。機材の中心にはタワータイプのパソコンとゲーミングチェアが鎮座している。


 少し考え、まずはひと通り全体をチェックすることにした。

 各部屋の収納や衣装棚、ユニットバスの蓋の下までを開けてみて、誰も居ないことを確認する。さしあたりラヴの行方を示すような手掛かりも見つからなかった。……ひとりのファンとしては声を上げたくなるようなアイテムをいくつも目にしてしまったのだが、それはさておき、である。


「となると、やっぱりコレか……」


 配信部屋に戻り、パソコンと相対した。椅子に座るのは恐れ多いので、立ったままである。真っ暗なディスプレイに自分の顔が映っている。よかった、真剣な表情をキープできている。もしニヤケた顔などが見えでもしたら切腹ものだ。


 美しい雪の結晶に触れるように、そっとマウスを握った。瞬間、ディスプレイが切り替わった。本体の電源は触っていない。どうやらモニターが休止状態になっていたようだ。


「最初に部屋を見に来た社員の方は、パソコンに触れたりしましたか?」

「いえ、とにかくラヴがいないことを確認して、すぐに社に戻ってきたはずです」


 アクティブになっているのは配信用の設定画面だった。細かい操作方法はさすがにわからないが、動作を継続しているように見える。配信中の文字がポップアップされていて、5時間超のタイムカウントが今も数字を刻み続けていた。

 タスクバーを見ると他にもいくつかのアプリケーションが動いていることがわかる。目についたのは『AnotherArcadia』と表記されたアイコンだった。記憶違いでなければ、現在進行中のラヴの配信タイトルに同名のゲームタイトルがあったはず。

 ある種の予感を覚えながら、そのアイコンをクリックした。


『大丈夫? ねぇホントにコレ大丈夫!? って、あ、ッ、ピギャァ!』

「うおっとと」


 殴りつけるような悲鳴に思わず耳をふさいでしまった。

 最前列になったウィンドウの中で、犬耳の少女が盛大にひっくり返っている。薄水色の着物の裾から眩しい太ももがあらわになっていた。センシティブである。コメント欄も大盛りあがりだ。

 どうやらランプを片手に周囲の探索をしていたところらしい。暗がりの戸棚の中を調べようとした瞬間、強い風が窓ガラスを叩き、その音に跳び上がってしまったようだ。かわいい。

 流れるコメントをざっと見たが、今のところラヴの探索でめぼしい成果は上がっていない様子。というか、最初の部屋とその隣くらいしかまだ調べられていないらしい。牛歩の如き進捗だった。でもリアクションがかわいいので許せる、というコメントが散見できる。同感である。


「というか……コレ、どういうことでしょう」

「このパソコンからゲームの配信を続けている……ように見えますが」

「本人がいないのに?」

「それは、その、私にはなんとも」


 振り返ると山坂の困惑した顔があった。

 ひどく間の抜けた表情だったが、宇佐見は笑うことができなかった。


 ◆


 配信部屋からダイニングに移動した。悩んだが、パソコンはそのままにしておいた。強制的に配信を切ることもできそうだったが、下手に弄って取り返しのつかないことになってしまったら、という不安があったためだ。山坂からも特に反対はなかったので、彼も同じような気持ちなのだろう。

 その、取り返しのつかない事態というものの具体例を明確な言葉にすることはできないのだが……。

 扉を閉めるとパソコンから聞こえていた音声がきれいにシャットアウトされる。それで防音工事が施されていることに気づいた。


「大きく分けて2つのパターンが考えられます」


 指を2本立てて山坂に示す。相変わらず立ち話だ。彼女のクッションに許可なく座り込むのは躊躇われた。


「京奈院さんが自分の意思で姿を消したか、あるいは、彼女以外の何者かの意思によって姿を消したか、その2つです。前者のパターンなら対処は比較的容易でしょう。彼女の交友関係、特に配信設備を融通できる相手を重点的に洗えば、居場所を掴める可能性が高い。さっきの部屋のパソコンも、そこからリモートで動かしている形ですね」

「それなら、彼女と同じ『箱』のライバーから当たりましょうか。うちの社のマネージャー連中に調べさせます。あとは……コラボ経験のある他社やフリーの相手にもできるだけ声を掛けてみましょう」

「お願いします。そこら辺、僕みたいな業界の外部の人間が嗅ぎ回ると余計な軋轢が生まれちゃいますから。適材適所ってことで」

「ええ、任せておいてください」


 そう言って頷いたものの、山坂はあまり納得していないようだった。

 それはそうだろう。彼からすれば、ラヴが自発的にこんなトラブルを起こすということ自体、信じ難いのだから。自社や同業のライバーを疑うのも気分の良いものではないに違いない。たとえこの失踪に悪意が無さそうに見えても、だ。


「それで、もうひとつのパターンだった場合は」

「確認ですが、スターライト社に脅迫とかは来てませんよね?」

「それは……誘拐ということですか? いえ、そんな話は聞いていませんが」

「わかりました。念のため、京奈院さんの実家にも連絡を取ってください」


 とは言ってみたものの。誘拐と仮定してもやはり今回の件は普通とは毛色が違う。

 なんといっっても一番の不思議は、姿を消した当人が元気に(元気に?)動画の配信を続けているという点だろう。普通に考えて、誘拐犯は拐った相手にそんな自由を許しはしないだろうし、拐われた側も呑気に動画を撮っている余裕なんて無いはずだ。山坂も当然そこを疑問に思っているようで、しきりに首を傾げている。


「パッと思いつく可能性は3つです」


 頭の中で考えをまとめながら、指を3本立てる。


「1つ、そもそも配信しているのが京奈院さんではない可能性。いわゆる、乗っ取りというやつですね」

「それはありえません!」


 間髪入れずに否定が飛んできた。

 一度言葉を切り、勢い込んだ山坂に先を促す。


「配信から聞こえてくる声は間違いなくラヴの声です。ボイスチェンジャーとも思えません。それに、言葉の選び方や仕草のひとつひとつからも、"らしさ"が感じられます。確かに普段よりも素が出ていますが、断言できます。配信中のラヴの"魂"は彼女自身のものです。宇佐見さん、わかりますか? わかりますよね! 彼女は今混乱しながらも挫けることなく少しずつ少しずつ自分にできる範囲で現状の問題を解決しようとしているわけでその気高い意思と不屈の闘志はいつもは穏やかな気性に隠れがちですがまさにそれこそが京奈院ラヴというタレントの本質とも言うべき点であり同時に自身を支えるリスナーたちを意識しつつ彼らのコメントを拾うにも彼女独特のセンスがときたま垣間見えて――」

「山坂さん、ストップストップ。言いたいことはわかりましたから、ね?」


 わっと言葉を浴びせかけられたが、言いたいことは概ねわかる。というか、状況が状況でなければ全力で頷いて肯定したいくらいだ。腰を据えて語り合う機会があれば、2時間、いや、半日は余裕だろう。さすがは彼女のマネージャー。理解(わか)ってるじゃないか。

 つまり、可能性として提示してみたものの、宇佐見も現在の配信からラヴの"魂"を感じているわけだ。言語化が難しい感覚だが、ひとりのファンとしてほぼほぼ確信に近い思いがあった。間違っていたら謝罪動画を出してもいい。逆立ちで町内一周だ。


「では、2つ目。京奈院さん自身の意思ではなく、何者かに強制されて配信を続けている、という可能性です」

「……うーん、どうでしょうか。確かに動画の中のラヴはかなり混乱しているようですが、一方で行動自体はほとんど自然体です。誰かに脅されているようなぎこちなさは見当たらないと思います」

「ええ。ですが、なんらかの理由でそう見えるよう演技している可能性もあるわけじゃないですか。彼女、本気を出すと結構な演技派ですよね?」

「そうですね……本人もかなり熱心に勉強してますし、そのおかげでボイスドラマも好評ですから、一定水準以上の技量があるのは間違いないです。でも、ここまで不自然さを感じさせない演技となると、どうかなぁ……」


 そう言って山坂は難しい顔で首を傾げた。

 宇佐見としては、件のボイスドラマの出来が空前絶後の素晴らしさだと認識しているので、ガチで演技をすれば内心の不安や恐怖くらい隠し通せるのではと思っているので、そこは意見の相違である。

 いやほんと、すごく良いボイスドラマだったのよ。DLしてない人類は今すぐ公式ストアに行ってサンプルだけでも聞くべきだと思う。マジで。


「……それで、3つ目ですが。誘拐されていることに彼女自身が気づいていない、という可能性はないでしょうか」

「ええと、具体的には?」

「たとえばですけど、彼女が寝てる間にVR機器を装着させて、自分の部屋で動画配信をしてると錯覚するように仕向けるような……。その流れで、ゲームの中に取り込まれるというヴァーチャル・シチュエーションを用意して、事件の発覚を遅らせようとしたり……とか」


 ……自分で言っていて、苦しいなと思った。

 いくらなんでも手間がかかりすぎる。得られるメリットも微妙なラインだ。案の定、山坂もなんともいえない表情になってしまった。


「そもそも技術的に可能なのですか、それは?」

「うーん、そこは僕も門外漢なので……あとでちょっと知り合いに訊いてみます。でも、京奈院さんが自分の状況を正確には認識していない、というのはありえる話だと思うんですよね」

「まぁ、はい。その考えはわからないでもないです」

「ともかく、いずれにしても彼女がこの部屋から出ていったことは確かです。防犯カメラの記録を閲覧できれば良いのですが……まぁ、それはたぶん断られるので、一応管理会社に依頼だけはしておいて、まずは近隣住民への聞き込みからやっていこうと思います。もちろん、Vtuberとしての京奈院さんのことは伏せて、この部屋の住人を見かけなかったか、という形で調べることになりますが」


 地道な仕事になるだろう。探偵は足で稼げ、とはよく言ったものだ。しかし、ラヴのためなら千里の道もなんとやらだ。

 ジャケットの襟を正して気合を入れ直す。よし、行くぞ、と玄関に向かおうとしたところで、山坂がおずおずと手を挙げて宇佐見を呼び止めた。


「あのぅ、ラヴが本当にゲームの中に取り込まれている可能性はないのでしょうか」

「……」


 いや、だって、それは、ねえ?

 もしかしたら、と考えちゃうくらいには宇佐見もオタクの素養を持っているのだが……その場合、いったいどうやって彼女を現実に連れ戻せばいいのだろう? というか、一介の私立探偵にできることがなにかあるのだろうか。そりゃ、"推し"がそんなシチュエーションに巡り合っているともなれば、確かに滾るものはあるけれど。


「……他の可能性をある程度潰したところで、改めて検討しましょうか」


 結局、今の宇佐見に言えるのは、それが精一杯だった。

 もしも真実がそれだとしたら、どうせなら彼女と一緒にゲームの中に閉じ込められたかったよ、コンチクショー!

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