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 京奈院ラヴ/もうすぐ一周年@k9-Lav


 配信告知です。

 本日23:45から某新作ゲームを発売日最速プレイします。

 私、世界を救っちゃいますよ!



 ◆



 世界一の美少女を夢に見た。

 最高の夢見で、最悪の目覚めだった。夢の切れ目はいつも同じ。幻の少女に手を伸ばし、触れる直前に彼女が消えることで、現実が雪崩のように押し寄せてくるのだ。


 スマートフォンの着信が宇佐見を夢から引き上げた。

 半覚醒のまま、枕元で充電中の端末を掴み、タッチパネルをスワイプする。コール音が鳴り止むと同時に、端末と連動させておいた部屋の照明が点灯した。瞼の裏が赤く染まり、さっさと目を覚ませと背中を蹴りつけてくる。


「もしもし……」


 端末を耳に当てながら壁の時計を見る。午前四時。まだ太陽も昇っていない時間だった。窓の外は真っ暗だ。鳥の声も車の音もまだ聞こえてこない。


「よかった、繋がった。こんな時間に申し訳ありません。今、大丈夫ですか?」

「あー……はい。いや、10秒待ってください」


 ベッドから上半身を起こす。耳元から端末を離し、ディスプレイを確認した。通話相手の名前が表示されている。株式会社スターライト、マネージャー、山坂。文字と記憶と意識を結びつけて、端末を耳に戻した。


「おまたせしました。おはようございます、山坂さん。なにかありましたか?」


 白々しい挨拶だな、と自分で言ってから思った。

 なにもなかったら、こんな時間に連絡が来るはずもない。


「その、緊急の依頼があります。ええと、たぶん、緊急。メイビーですけれど」

「……? とにかく詳しく聞かせてください」

「はい、ですが、なんと説明すればいいのか。実のところ、私もまだ混乱していて、いったいなにが起こっているのか、ぼんやりとしか把握していないというか……」


 通話相手の歯切れが悪い。珍しいことだった。普段の山坂ならもっとテキパキと説明を始めていそうなものだが。こんなに動揺している彼は初めてかもしれない。それだけ予想外の事態に直面しているということだろうか。


「ともかく……そう、弊社のラヴに関わることです」

「京奈院さんのことですね。またどこかのイベント会場に忘れ物でもしましたか? それとも、以前調べたストーカーがなにかやらかしたとか」

「いえ、そういうわけではないのです。そうですね……ひとまず、彼女のチャンネルを見てもらえますか?」

「ちょっと待ってください」


 デスクのパソコンを立ち上げたときには、もう完全に目が覚めていた。

 ブラウザを開く。ブックマークの先頭に彼女の名前がある。

 大手動画配信サイトに存在する彼女のチャンネルにジャンプした。見慣れたレイアウトだ。羅列されたサムネイルにひとりの少女が様々な表情を浮かべて映っている。目を引くのは、肩にかかる色素の薄い髪と、頭の上の大きな犬耳。かわいい。


「……あれ? 彼女、配信中なんですか?」

「それです。中を覗いてみてください」


 画面をスクロールして、ライヴ中の表記に気づいた。

 山坂の言葉に従い、画面を遷移させる。数秒のデータ転送、そして、コマーシャル。

 その間に配信の概要に目を通す。タイトルには新作ゲームの実況とある。配信開始から……四時間経過? 結構な長丁場だ。日付が変わる前からやっているのか。

 おちゃらけた広告が終わる。動画が切り替わった。


『あ゛あ゛あ゛あー! もう無理ぃ! おうち帰りたいぃ!』

「うわっ」


 突然の絶叫に思わずのけぞった。慌てて音量を調節する。

 いったいなにごとだ?

 画面の中では犬耳の少女――京奈院ラヴがテーブルに突っ伏していた。薄暗い部屋だった。床と壁は木造でリビングルームのような印象だ。窓はあるが、暗くて外の様子はわからない。部屋の中の光源は、丸テーブルの真ん中に置かれたランプだけ。


 違和感があった。なにかがおかしい。

 原因はすぐにわかった。ラヴの動きが滑らかすぎるのだ。


 現実世界に犬耳の生えた人間は存在しない。京奈院ラヴはVtuberで、犬耳の少女の姿は3Dモデルのはず。モーションキャプチャーによってリアルタイムの動きと連動させることは可能なのだろうが、それにしたって画面の中の少女の動きは自然すぎる。

 ラヴはテーブルに頭を乗せてすすり泣きしていた。ランプの灯りが彼女の顔を照らしている。恐怖と不安に表情を歪ませながらぽろぽろと涙を流している。やはり、滑らかすぎる。その仕草の不完全さが、あまりにも人間らしい。


「これ……ゲーム画面ですか?」

「わかりません」

「わからないって……どういうことです?」


 宇佐見の問いに、スマホの向こうから呻くような吐息が返ってきた。

 数秒の沈黙。それから、絞り出すような山坂の声。


「彼女は……ラヴは、ゲームの中に閉じ込められたと、そう言っているんです」



 ◆



 スターライトの社屋の近くにあるファミレスで山坂と合流することになった。

 ジャケットを羽織り、雑居ビルのねぐらに鍵を掛け、ビートルに飛び乗った。イグニッション。リアエンジンの振動が後ろから伝わってくる。

 早朝の道路は空いていたが、ドライブを楽しめる心境ではなかった。15分ほどで待ち合わせ場所に到着した。24時間営業のファミレスは、周囲の眠れる街を起こさないよう、貞淑な灯りの中に浮かび上がっていた。


「宇佐見さん、こっちです」


 山坂は宇佐見より先に到着していた。大学生らしきアルバイトの店員に連れがいると伝えて彼の座る席へと移動する。パーティションの陰の奥まった席だ。周囲のテーブルはどこも空席。盗み聞きの心配はないだろう。


「どうも、山坂さん。なんだか妙なことになりましたね」

「ええ……本当に前代未聞というか、どう対処すればいいのか……」


 テーブルを挟んだ向こう側の山坂が疲れた表情でこめかみを押さえた。短く切りそろえた黒髪に、黒縁の野暮ったい眼鏡。いささか地味な印象の男だが、優秀な芸能マネージャーであることは宇佐見もよく知っている。……色々と仕事を回してくれる相手なので、多少の贔屓目はあるかもしれないが。


「なにか状況に動きはありましたか?」

「いえ、目新しいことはなにも。ラヴも少しは落ち着いてきたみたいで、ちょっとずつですが、リスナーと協力して周りの様子を調べ始めています」

「リスナーとコンタクトが取れているんですか?」

「彼女にはリスナーのコメントが見えているらしいです。こう、空中にコメント欄が浮かんで見えている、というようなことを言っていました」


 山坂が虚空を指さしながら苦笑いを浮かべる。

 宇佐見は眉をしかめながら、持ってきたタブレットをテーブルに広げる。無線が飛んでいることを確認して、京奈院ラヴの配信に接続した。


「もちろん、コメントを介して事務所が問題解決のために動いていることは伝えてあります。ですが、それで事態が好転するとは限らないとラヴは考えているみたいで……。あるいは、じっとしているのが落ち着かないのかもしれません」


 さきほどと同じ薄暗い部屋が画面に映る。しかし、視点が変わっていた。カメラは定点ではないのか。天井付近から見下ろす視点なので、人間による撮影ではないように思えるが。

 ラヴはランプを片手に持って部屋の中をうろうろと探索している。かなりのへっぴり腰だった。恐る恐る、という表現がぴったりだ。


 リアルタイムで流れるリスナーからのコメントにも目を通した。ラヴのことを心配するものもあるが、無責任な内容のものも多い。暴言や煽るようなコメントも散見されたが、行き過ぎた言動は素早く削除されているようだ。モデレーターが頑張っているのだろう。


「同接の人数がすごいことになっていますね」

「ええ……リスナーの誰かが拡散させたみたいです」

「失礼なことを聞きますが、これって演出とか、炎上狙いではありませんよね?」


 "祭り"の様相を呈しているコメント欄を横目に見ながら、そう質問した。

 そもそも京奈院ラヴという少女は、基本的におっとりしっとり、清く優しく柔らかく、スターライト社に所属するVtuberの中でも落ち着いた性格のキャラクターとしてファンから認知されている。確かにはっちゃけるときははっちゃけるのだが、子供のように泣きじゃくったことなど一度として無いはず。今の彼女の様子は、普段の彼女とはあまりにもギャップがありすぎる。

 その手のギャップが起爆剤になって、ストリーマーがいきなりブレイクすることがある。……らしい。伝聞なので宇佐見は実例を知っているわけでもないが。


 つまり、宇佐見が尋ねたのは、彼女の主張する『ゲームに閉じ込められた』というのは演出のための嘘で、とにかく人を集めたところで突飛なことをして認知度を高めようとする策略なのではないか、という疑念だった。


「とんでもない! そんな奇策に頼らなくても、ラヴは十分やっていける人気がありますよ。むしろ最近は上り調子で、チャンネル登録者もじわじわと増える傾向にありましたし、焦る理由なんてどこにもありません」

「本人もそれは認識していましたか?」

「はい、直近の打ち合わせでも嬉しそうにしていましたよ。数字の跳ねないストリーマーが思い余って炎上騒ぎを起こすことが無いとは言いませんが、ラヴに限ってそれはありえません」


 山坂はきっぱりと断言した。まぁ、確かに、ラヴが単独でこんなだいそれたことを計画するとは思えない。やるなら会社の指示の上で、とも考えたが、騒ぎを起こすことが目的なら山坂もわざわざ宇佐見に声を掛けたりはしないだろう。この点に関しては彼の言葉を信じていいと思う。


「となると……結局、僕はなにをすればいいんでしょう? 依頼の目的を設定してもらわないと、なにから手を付けるべきかの取っ掛かりもなくて」

「宇佐見さんにお願いしたいのは、彼女、京奈院ラヴの発見と確保です。これはスターライト社からの依頼として考えてもらって結構です」


 そう言って山坂が鞄の中からA4サイズの書類を取り出した。

 見飽きるほどに見慣れた、宇佐見探偵事務所の契約書類だった。山坂、というかスターライト社には書類のテンプレートを渡してある。専属というほどではないが、宇佐見にとって彼らは貴重な常連客といえる相手だ。

 テーブルの上を滑ってきた書類を受け取る。内容に不備は見当たらない。山坂も手慣れたものである。


「詳しい状況を説明します。まず、現実(リアル)のラヴとは連絡がついていません。スマホはもちろん、各種の通話ツールやSNSにも反応がありません。ライヴ配信のコメントが唯一の例外です。……あれを"リアル"と言っていいかは疑問ですが」


 山坂の指先が神経質にテーブルを叩いた。

 目を瞑り、顔を二、三度横に振ってから、彼は言葉を続ける。


「今晩の配信は彼女の自宅から行う予定でした。しかし、会社の人間が訪問したところ、彼女の部屋はもぬけの殻でした。私が現実で彼女に会ったのは三日も前のことで、それ以降の彼女の動向は掴めていません。オンラインでメッセージのやりとりはありましたが、特におかしなところはなかったと思います」

「なるほど……。うーん、ひとまずは通常の行方不明者の捜索と同じアプローチでいくしかないかな。一応ですが、彼女の部屋を確認することはできますか?」

「はい。そう言われると思って、合鍵を準備してあります」

「さっきも会社の人が彼女の部屋を見に行ったと言いましたけど、合鍵を会社で管理しているんですか?」

「ええ、まぁ。宇佐見さんもご存知の通り、彼女は落とし物や忘れ物をしやすいタイプといいますか……。本人も自覚があるのか、念のため預かっておいてくれと押し切られまして」

「確かに、もう三回くらい失せ物探しの依頼を受けてますからね」


 苦笑しながら過去の依頼を思い出す。友人からもらったというキーホルダー、お気に入りのハンカチ、それから鞄ひとつをまるまるどこかに置き忘れたということもあった。

 宇佐見はラヴと直接顔を合わせたことはない。回収した忘れ物はすべて会社を介して彼女に手渡されたはず。向こうは宇佐見の存在を認識してもいないだろう。

 そのくらいの距離感があったほうがいい。宇佐見はそう思っている。


「では、まずは彼女のマンションに行きましょう。私が案内します」

「わかりました。それじゃ、距離があるなら僕の車で……」

「ああそれと、こちらを渡しておきます」


 山坂が鞄の中からてのひらサイズの薄紙を取り出した。

 裏返しにテーブルに伏せられたそれを見て、なにかの写真だと思い当たる。レトロなものだが、ネットワークに上げたくない画像を取り扱うには都合のいい媒体だ。


 ……待て。

 この状況で、取り扱いに注意が必要な写真だって?

 それは、まさか……。


「極秘でお願いします。"彼女"のリアルでの写真です。彼女の捜索のためだけに使用して、発見の後は処分してください」


 長方形のそれがテーブルを滑ってくる。

 真っ白な裏面を指で押さえて、それを受け取った。……受け取ってしまった。


「……これ、見ないと駄目ですか?」

「え? ですが、顔を知らなければ探しようもないのでは?」

「ですよね……」


 まぁ、予想していなかったわけでもないけれど。

 それでも、こう、心の準備とかが必要じゃん?


 もう一度言おう。

 宇佐見は京奈院ラヴとの間に適切な距離感があることが望ましいと考えている。

 こめかみを揉みほぐして、盛大に溜め息。

 受け取った写真を硝子細工のように丁寧にジャケットのポケットに入れて、宇佐見は椅子から立ち上がった。これを見るには、それなりの覚悟が必要だ。


 宇佐見イサム。

 年齢28歳、性別男性、独身、職業探偵。

 まごうことなき、京奈院ラヴのファンであった。

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