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夢幻  作者: 遊。
第八巻雫編後編

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雫の戸惑い

 「いただきまーすなの!

お前、どうしたの?」

「燃え尽きたぜ…真っ白にな。」

長きにわたる(時間に換算すると一瞬だが)戦いを終えた俺は某ボクシング漫画の主人公のように燃え尽きていた。

と言うかなんであれに乗ってそんなけろっとしてんの?異能力無くても超人なんじゃないの…?

アトラクションに乗り終えた後、雫は満足そうな顔で弁当の入った鞄を俺からひったくり、さっき指定した広場のベンチに腰掛けて早速広げる。

可愛らしいデフォルメキャラの柄物包み布を広げると、大きめな弁当箱が出てくる。

雫がそれを開けると、卵焼きにミニハンバーグ、ウインナーに唐揚げ、トマトやブロッコリーレタスなどのサラダにちくわのキュウリなどなど、中々レパートリーに富んだラインナップから作った凪の本気具合を見受けられる。

もう一つの弁当箱には形の整ったおにぎりが幾つか入れてあり、小さめなタッパーにはウサギリンゴとカットオレンジが入っていた。

ひとまずお茶を飲んで気持ちを落ち着かせる。今食ったら間違いなくリバースしそうだが、とりあえず流石凪と言える見栄えの良さ。

早速我先にと弁当を食べ始める雫が、ふとその手を止める。

「どうしたんだよ…?」

「お前の言う通りだったの。」

「…は?」

「確かにここはお前と来ても楽しかったの。」

急に何を言い出すのかと思えば、一度照れくさそうに頬を染めながら、そんなことを言ってきた。

「…そうだろう。」

言い方は相変わらずむかつくものの、その言葉を聞いて今日ここに来た当初の目的は果たせたような気がした。

今のところ、雨が危惧していたような過去の記憶の片鱗に触れると言う状況にも陥ってなさそうに見えるし、どうやら杞憂だったらしい。

「ん?」

よく見ると、弁当箱の下に手紙が入っていた。それを引っ張り出すと、

「桐人へ、今日は楽しんでね。

雫には野菜も食べるように言っておいてください。

よろしくね。凪より。」

と書かれていた。

ほんと、こう言う所までしっかりしてるよなぁ…。

「おいこら雫、ちゃんと野菜も食えよ。」

手紙を見て雫の方に目を向けると、さっきからおにぎりと一緒に唐揚げやらミニハンバーグと言った肉系のおかずにばっかり手を伸ばしているだからか野菜系のおかずは一切減らず、肉系のおかずばかりがどんどん減っていく。

と言うかこいつ絶対俺の分を残す気ないだろ…。

「う…お前凪みたいな事言うの…。」

いやまぁ…実際本人からの思し召しだし…?「て言うか俺の分まで食うんじゃない!こっちのちくわのキュウリ巻きでも食ってろ。」

「だからお前にはちゃんと野菜を残してやってるの!」

「それは好意じゃなくてただの嫌いな物の押し売りだ!」

ほとんど食われた肉系のおかずをなんとかひったくり口に突っ込む。

のんびり味わってる場合じゃない。

健全な男子学生にとって肉系おかずは弁当の肝だ。

「あぁ!横取りはずるいの!」

「やかましいわ!お前は良いからちくわとトマトでも食ってろ!」

「嫌なの!」

大人気ない?何とでも言え。

これは健全な男子高校生にとって決して譲る事の出来ない宿命の戦いなのだ。

「良いから食え!」

そう言ってギャーギャー叫ぶ雫の口にちくわキュウリを突っ込む。

「あむぅ!?」

そしてそれに雫が動揺している隙に残りのミニハンバーグを自分の口に突っ込む。

好きな物は最後まで残しておきたい派だし出来れば時間をかけて味わいたい気持ちもあるが背に腹は変えられん。

このまま食えずに終わるより全然マシだ。

うん、旨い。

口に入れて噛み締めた途端に溢れる肉汁。

焦げ色もきれいに仕上がっているのに充分に火が通っていて…。 

凪の丁寧さが窺い知れる完璧な出来。

まさしくパーフェクト。

「どうだ、ちくわも旨いだろう。

まだまだ沢山あるからな、沢山食べて大きくなるんだぞ。」

「こ、こんなの食べても大きくなれないの…。」

いまだ突っ込まれたちくわを渋々咀嚼しながら上手く喋れないながらに不満をぼやく雫。

「どうだ?意外とまずくないだろう?」

「美味しくもないの…。」

まぁ実際ちくわばっか食ってても大きくはなれんだろうし雫の言い分も分からんでもないが。

まぁでも肉ばっか食ってるよりかはマシだろう。

奪い合ったお前が言うかと言う意見は一切受け付けない。

「ほらほらこっちのプチトマトも食え。

栄養たっぷりだぞ。

何なら俺の分まで食ってくれたって良いんだぞ。」

これは雫の好き嫌いを矯正する為であって別に俺が嫌いだからじゃないぞ。

間違えないように。

一つ摘まんで差し出すと露骨に顔を顰めてくる。

「そんなに体に良いんならまずはお前が食えば良いの!」

「それだけは絶対嫌だ!」

大人気ない?知るもんか。

俺だって嫌いな物は嫌いなんだ。

「お前も人の事言えないの!」

「うるせぇ!お前は黙って俺の分までトマト食ってりゃ良いんだよ!」

「そっくりそのままお前に返すの!」

第二次おかず合戦、ここに開幕。

小分けにされていない弁当を複数で分ける際、喧嘩になる原因は必ずしも好きなおかずの奪い合いだけとは限らない。

お弁当の中身が八割方片付くと残りの二割つまり、さほど好きではないおかず。

これはまぁ良いのだ、どうとでもなる。

だが共通して大嫌いなおかず、これが一番やっかいなのだ。

ヒートアップした二人にもはや残して変える等と言う妥協案なんて残されていない。

お互いが既にいかにして自分が食べずして相手に全てを押しつけるかと言う思考に至っていたのだ。

そしてその思考はお互いに強硬手段と言う結論を導き出した。

「「良いから食えー!(食うの!)」

そう叫びながら、お互いの口にトマトを突っ込んだのはほぼ同時。

結果、引き分け。

なんとも呆気ない幕引きである。

「「げほっ!」」

両者ノックアウト必須かと思われたその時、事態は思わぬ方向に転換する。

「「あれ?」」

一概に嫌いな食べ物と言っても、単純に味が嫌いだからと言う理由だけが全てとは限らない。

過去にアレルギー反応を起こし、それが原因で嫌悪感を抱いていると言う場合もあれば、実際に食べてもいないのに見た目や匂いと言った一部の情報で敬遠し、好んで食べなくなると言うケースも実は少なくはない。

そしてそれは二人もまたそうだったのだ。

「「以外とまずくない(の)。」

「っはははは。」

雫が同じ反応をしたのをみて、思わず笑ってしまう。

「そうだな。」

「これなら食べれるの。」

一度その本来の味を知ってしまえばもはや恐れる物など何もない。

弁当は二人であっと言う間に平らげ、空にしてしまうこう言う食わず嫌いと言うのは人間関係においてもしばしばある話だ。

人の印象は九割第一印象で決まると言うように、人間と言うのは自身の感覚や直感と言う限られた視野で人を見てしまいがちだ。

実際今目の前に居る雫だって正直最初の印象は最悪だった。

何なら勘違いで殺されかけたし…。

茜にしたってこれまで一度だって友好的な態度を示した事は無いどころか、会うたびに憎まれ口を叩くし愛想もクソも無い。

でもそれは俺自身が深く相手の事を知らないで決めつけた勝手な想像だ。

実際には茜にしろ、雫にしろ、唯一友好的な凪にしろそう言う人格が形成されるに至った経緯や事情がある。

彼女達の場合はそもそも自分がそうなった経緯を自分ですら知らないわけだが。

…まぁどんな経緯とか事情があってもだから殺されかけても仕方ないなんて思える訳がないのだが…。

「さっき言った通り、確かにここは一緒に来たのがお前とでも楽しいの。」

「お前とでも、は激しく余計だがな。」

「でもやっぱりそう思うからこそ凪にも一緒に来てほしかったの。」

そう言う雫は少し寂しそうだった。

当然と言えばそうだろう。

実際俺が親父と言ってなんだかんだ楽しめた事も、だからそれで満足できた訳じゃない。

欲を言えばいくらでもこうなっていれば、もっと自由に行きたいところを回りたかったとか、誰と行きたかったとか言っていけばキリがないくらいに不満は出てくる。

雫にとっての凪は母親のような存在であるからこそ余計にそう思うのだろうし、普段身近で一生懸命頑張っている凪を見て少しでも同じ気分を味わわせてあげたい。

少しでもそれで幸せを感じて欲しいのだ。



それで凪の負担が減るわけじゃないし、茜ならそんな物は救済じゃない。

根本的な解決じゃないただの感情論。

いえ、実際はただ自己満足に巻き込んでさも恩着せがましく威張り散らしているだけ。

ありがた迷惑な話だわ…。

とか言って(リアルにいってるとこ想像出来て、脳内に本人が出演したのかとも思えて苛立ったのは内緒だ。) 

まぁ、でもそれは実際極論だ。

凪は雫のそんな気持ちをそんな風に無下にしたりはしないだろうし、きっと素直に喜んでその頭を撫でたりでもしたのだろう。

短い期間の付き合いではあるものの、それは断言できる。

そして俺自身もそう言う雫の気持ちを簡単に無下にしてしまいたくなかった。

だからこそ、何か良い方法はないかと考える。この場に居ない凪に、少しでもそんな気分を味わわせてあげられる方法は無いだろうかと。そう考えたところで、子供の頃の記憶がふと脳裏を過る。

そうだ、あれなら!

「雫、それなら俺に良い考えがあるぜ。」

「何なの!?」

俺の言葉を聞いて雫は大きな声を上げながら対面の席から身を乗り出す。

「ふふふ…それはな。」

説明しながら、俺は園内のあるスペースに目を向ける。

この時俺が思いついた良い案って言うのはあえて俺の口からは語らない事にする。

実際に雫がそれを凪にしてあげた時にそれを語った方が一番良いと思うからだ。

と言うわけでその為の下準備が終わった後、流石にそろそろ激しいのじゃなくて大人しいのに乗らないかと言う俺の提案に、渋々雫が頷いてくれたので、観覧車に乗ろうと言う事になった。

それは園内の奥部に位置してっぺん正面からは園内を一望出来、背面からは近隣の町並みを眺められるランドの目玉と言われるだけある大がかりな観覧車。

結構な高さだから一部の人は怖がったりもするようだが、主にカップルなんかがよく言うジンクスを信じて乗ったりする場合も多く。

今でこそ昼の時間帯だから少ないが夜の時間帯だとライトアップによる良い雰囲気からかてっぺんでキスなんかするカップルもいる。

はい、本音はこんなクソガキとじゃなくてもっと可愛い彼女と一緒に乗りたかったさ。

くそう…。

そんな事を考えながら雫の方をチラリと見ると、目の前の観覧車に目を向け、目を輝かせるこの反応を見るのは今が初めてじゃない。さっきまでの絶叫系地獄の合間も本当に楽しそうにアトラクションの一つ一つを眺めては目を輝かせていた。

本当に本気で楽しもうとしてるんだな。

それがよく伝わってくる。

あの日の俺も、最初こそ好きに回らせてくれない親父に苛立ちながらもなんだかんだこれから乗るアトラクションを目の前にすると今の雫のように目を輝かせて期待に胸を膨らませていた。

そんな風に純粋な気持ちで遊園地を楽しんでいた記憶は確かにある。

でも今はこんな無粋な事考えてそんな風に純粋に楽しむって気持ちも以前よりは薄れてしまった。

俺もあの頃から随分変わってしまったんだなと思う。

「何してるの?順番がもうすぐ来るの!」

そんな事をばんやりと考えていると隣の雫が言いながら小突いてくる。

「へいへい、分かってるよ。」

そのままスタッフの案内に従って観覧車に乗り込む。

乗り込んで数分。

「すごいの!さっきまで乗ってたのが見えるの!」

最初こそ対面の席に座ってどうなるのかそわそわしていた雫も、いざ動き出すと入り口の窓に張り付いてそこから見える景色に釘付けになっている。

「おいおい、あんまり揺らすなよ…。

気持ちは分からんでもないが。」

体験した事がある人は分かると思うが、観覧車と言うのは揺らせば意外と揺れる。

本来は故意に揺らすのは故障の原因にもなるし場合によってはスタッフに注意される事もある。

のだが雫はそんなのお構いなし。

「高いの!すごいの!」

大興奮。

なんとかと煙は高いところが好き…と言うが…。

もしかしたらジェットコースターが好きなのもだからじゃないのか…?

「誰が馬鹿なの!?」

「いや!言ってねぇよ!なんなら思ってもねぇし!」

ちゃんとなんとかってぼかしたんだぞ、偉くね?

「そんなの知らんの!」

何で考えてる事分かってんだよww

何、茜が乗り移ってたりするの?

「って…おいそんなに暴れたら…。」

観覧車が大きく揺れる。

と、俺達の乗るゴンドラが頂上に差し掛かっていたいた頃不機嫌そうに暴れる雫の手が一度止まる。

さっきまで大騒ぎしていた雫とはまるで別人のように落ち着き払い、口を噤む。

流石に様子がおかしいと思った俺は慌ててその表情をのぞき込む。

すると視線は一点に向けられ体は小刻みに震え、冷や汗が流れ落ちている。

「雫…?」

声をかけると、大げさなくらいに大きく肩を震わせる。

それはまるで、さっきからずっと隣に居たのに一人で居て急にいきなり死角から声をかけられたかのような。

途端に、雫の体が小刻みに震え始める。

つられて雫の視線の先を見る。

入り口とは反対側の窓から、近隣の町並みが広がっている。

と、その時だった。

雫がその場にしゃがみ込む。

「雫…?」

再び雫の表情を見ると、その目には涙が伝っていた。

「おい!雫!」

叫びながらも、頭にはこの状況に陥った原因がはっきりと分かっていた。

一時的な過去の記憶の再生。

本人も自覚していない記憶の片鱗に触れ、急なやり場のない不安と恐怖に襲われ、立ってすらいられなくなる。

これが雨が危惧していた状況。

「な…何なの…これは…。」

しかもこの状況の何よりやっかいな部分は、先に述べた通り本人にも自覚が無いと言う事だ。

だからいつこうなるかなんて本人も分かるはずないし、そうなったところでまずは自分が今どうなっているのかを理解する方が先でどうして良いのかも分からない。

「なんでなの…?何にも無いのに…悲しくて…寂しくて…怖いの…。」

涙ながらにそう呟くのがやっとなようだった。俺自身もどうして良いのか分からず、下に着くまでの間ただずっとその頭を撫でてやるしか出来なかった。

降り終わった後にスタッフに事情を聞かれたものの、適当に済ませ、足早にその場を離れる。

流石にこのままここには居られない。

いまだ落ち着きが戻らない雫を背負い、テーマパークをあとにした。


雫編後編


 「そんな事があったんだ。」

神社に戻る頃には雫もだいぶ落ち着きを取り戻し、自分で歩けるくらいにはなっていた。流石にいくら小さな子供とは言え神社に続くあんな急で足場の悪い階段を上れる自信はないし丁度良かったと言えば丁度良かったのだが。

その間も雫は普段の明るさは一切無く、終始無言で俺の後に付いてきていた。

今は奥の部屋で雫を眠らせてから、居間に戻ってきた凪に事情を話しているところだ。

「悪い、それまではなんともなかったから油断してた。」

「ううん、こればっかりは桐人にもどうしようもない事だから。

ここまで連れて帰るの大変じゃなかった?

本当にありがとね。」

本当に申し訳なくて言ったつもりだったのだが、凪は責めるどころかそんな労いの言葉までかけてくれる。

ほんと、良い奴だよな…。

茜なら役立たずの一言でも言ってきそうなもんなのに。

「いや、大丈夫だ。

森に入る前ぐらいには落ち着いて自分の足で歩いてくれてたしそんな大変ではなかったよ。」

「そっか。

それなら良かった。」

今日一日が来るまで、俺は雫が普通の少女であるとまだどこかで信じていた。

いや、まぁ…実際初対面で殺されかけたし普通じゃない力もぶつけられたけども。

でもそれだけであとはなんら変わらない、見た目のままの元気で明るい女の子であると信じて疑わなかった。

光が言うような生前自殺したからこそ今ここにいる、と言う事実こそ全く信じていなかった。

いや、正しくは信じたくないとその事実に蓋をしていたんだ。

そうする事によって事実から目を背けようとしていた。

最初から無かった物として受け入れようとしていた。

でも俺は今日知ってしまったのだ。

仮に生前自殺したと言う事実が無くても、雫の中には今の雫も知らない自分が確かに存在していると言う事を。

「本当はさ、私も出来るだけ雫のそばに居てあげたいんだ。

本当はすごく寂しがり屋で、一人で遊んでるのだってきっと寂しい。

でも多分我慢してくれてるんだと思う。」

物思いにふけっていると、凪がそう言って申し訳なさそうな表情を浮かべる。

こう言う時の凪はおそらく頭の中で自分を責めている。

やっぱり凪は優し過ぎるんだ。

それは最初に本人が語った自分が最年長だからと言う責任感からと言うのもあるのかもしれない。

でもそれが無くとも凪は自分を責め過ぎな程に責める事はしても、他人を頭ごなしに責め立てるようなことはしない。

自分だっていっぱいいっぱいな癖にだ。

「お前だって雫や茜のために頑張ってんだ。

凪が一人で負い目を感じるような事じゃねぇよ。」

「ありがと…。」

多分そう言う部分は本人の真面目さでもあり弱さでもあるのだろう。

もしかしたらそんな思考も、生前の凪の影響なのかもしれない。

「そうだ、雫のやつずっとお前と行きたかったってぼやいてたぜ。」

「あはは、それはごめん。

桐人からしたら面白くなかったよね?」

「いや、まぁなんだかんだ楽しめた…かな。

うん…楽しめたかな…。」

「大丈夫…?」

呆れられてしまった。

いや、うん、ちょっと絶叫系で怖い思いをしたトラウマがですね、はい…。

いや、言わないけどな…。

「大丈夫だって。

弁当もめちゃくちゃ旨かったし、ちゃんと野菜も食わせた。」

「あ、ほんと?良かった。

普段からずっと言ってるんだけどトマトだけは絶対食べなくて困ってたんだよね。

桐人の食べさせ方が良かったのかも、頼んでみて良かった。」

「あーははは…。」

苦笑い。

「どうやったの?参考にさせてよ。」

「いや、もう普通に食えるようになったみたいだし大丈夫だと思うぞ。」

「え、本当にすごい!本当にどうやったの!?」

言えない…俺も食えなくて押し付け合いの内に相殺したなんて…。

「あー…きっと凪の調理が良かったんだと思うぞ?」

「え、プチトマトはただ洗っただけなんだけど…。」

ですよねー!

「まさか桐人も?」

ばれてて草ww

「本当に食べたの?」

「あ、えっと、はい。」

嘘は吐かない方が良い、今日改めて学習しました、はい。

仕方なく凪に事実をそのまま話すと、大笑いされた。

「何、その実際にその場に居た訳じゃないのに簡単に想像出来ちゃう経緯。」

「うるせぇな…。」

いくらなんでも笑いすぎだろう…。

「あはは、ごめんごめん。

これを機に二人が少しは仲良くなったみたいで良かったよ。」

「どこがだよ。」

「そう言う所がだよ。

なんて言うの、子供の内は常に仲良くしてる間柄だけじゃなくて良い喧嘩相手も友達って呼べるんだよ。

「あれが良い喧嘩相手ねぇ…。」

「うん、私はそう思うよ。」

「凪…。」

さっきの笑い声で目を覚ましたのか、雫が扉を開けながら眠そうに声をかけてくる。

「あ、ごめん…起こしちゃった?」

慌てて凪が謝る。

「ううん、違うの。

凪に渡したい物があって起きてきたの。」

「渡したい物?」

その雫が渡したいと言ってる物が何かを、俺はよく知っている。

何故ならそれこそが、昼食後に俺が提案した凪への贈り物。

一緒に来れなかった凪に少しでもその気分を味わわせてあげられる方法。

「これ、読んで欲しいの。」

「え、これって。」

雫が凪に差しだしたのは、飛び出す絵本だ。

それもウイッキー君とその仲間達がテーマパーク内を舞台に大冒険するハラハラドキドキのいかにも子供達が喜びそうなストーリー。

実は以前俺も親父に同じような本をお土産として買ってもらった事があり、これを一緒に読めば実際に体感は出来なくても臨場感とか雰囲気は伝わるんじゃないかと思ったのだ。

これなら忙しくて中々時間がとれない凪でも、雫と二人で楽しむ事が出来るだろう。

「こいつが教えてくれたの。

これなら写真とかパンフレットよりも一緒に行った感じが味わえるだろって。」

「すごい!ありがとう、桐人。」

本を手に取って喜ぶ凪。

「俺はここらで帰るからさ、早速読んでやれよ。」

「うん、ありがとう。」

「ふん、お前もちょっとは気が利くの!」

「こーら。

お前じゃないでしょ、それに素直にありがとうって言いなさい。」

言いながら凪が雫を小突く。

「あだっ…うう分かったの…。

あり…がとうなの…その…桐人。」

ここに来て初めて名前を呼びやがった。

呼び捨てなのは相変わらず生意気だなと思うが…まぁちゃんと名前で呼んでるだけマシか…。

少なくともこそ泥よりは全然マシだ。

「おう、こちらこそありがとな。

今日はゆっくり休めよ。」

挨拶もそこそこに、帰り支度をする。

「桐人、今日は本当にありがとう。

帰り道気をつけてね。」

「おう、またな。」

見送りの言葉をかけてくれる凪に返事を返し

神社を出る。

すっかり暗くなった空は、雲一つない満点の星空。

それを見上げて歩きながら、今日一日の出来事を思い返す。

俺は、間違えてないよな…?

頭の中でそう自問する。

今頃楽しそうに雫とお土産の本を読んでいるであろう凪と雫を思い浮かべながら思う。

観覧車で突然雫が涙を流したのを見て俺は何も出来なかったし、何をしたら良いのかも分からなかった。

原因は最初から分かっていたのに、突然の事過ぎてまず理解が追いつかなかった。

それまでは何ともなかったし、ムカつくぐらいいつも通りだったのに。

最初こそ俺と一緒に行く事を嫌がってたけど、実際に中に入ればなんだかんだ楽しんでるなと言うのは伝わってきた。

その様は間違いなく普通の子供のそれで、特別な環境下で生まれ育った雫もちゃんと普通になれてると思えた。

…思えたのに。

現実はそんなに甘くなかった。

油断していた俺をあざ笑うかのようにそれは結果となって現れたのだ。

そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にかいつもの通学路である住宅街の辺りまで来ていた。

頼りない消えかかった街灯で辺りは薄暗い。

「桐人さんみーっけなのですー!」

そんなところで突然通り魔にあった。

それも路上でいきなりナイフで切りつけてくるようなのではなく俺の姿を遠巻きから見つけ出すやいなや突進でもするかのごとくの勢いで抱きついてきたのはクリーム色の髪の俺がよく知る少女。

その名も光。

いつもなら俺が出かけるなら意地でも付いてこようとする光が、今回ばかりはやけに素直に送り出したなと思っていたが、帰り道はどうやら待ち伏せされていたらしい。

「桐人さんの帰りが遅かったのでー。

来ちゃった♪えへへ♪なのですー。」

「あ、さいですか…。」

「あれれー。

木葉さんが男の人はこの台詞言ったら喜ぶって言ってましたのにー。」

「またあいつか…!」

「何かおかしかったですかー?」

「生憎俺はお前みたいな子供にそんな台詞言われても喜ばないし大体セリフも棒読みだ。

「ぶー…。」

不満そうに頬膨らませられても…一部の大きなお兄さんは大喜びしそうだが、生憎俺はしないのだ。

何故なら俺はロリコンじゃないから!繰り返す、俺はロリコンじゃないから!大事な事なので二回言ったんだぜ。

「雫ちゃんはどうでしたか?」

普段は不思議系天然アホキャラなのに急に狙ったように真面目になるのが光なのだ。

そして真面目になると語尾をいちいち伸ばさなくなるとこも最近知った事だ。

実際、この話は光にも話しておこうと思ったしありがたい。

「途中までは順調だった。」

「ふむふむ、含みのある言い方ですね。」

「あぁ、観覧車に乗ってからゴンドラが一番上に上がった辺りで雫の様子がおかしくなったんだ。」

「なるほどです。

私はその場面を実際に見た訳ではありませんしはっきりとは断言できませんが、それは遊園地やテーマパークそのものでも観覧車に乗った事が原因と言うわけでもなさそうですね。桐人さんもここまでは察してるかなとは思いますがもしそのいずれかに該当するのであれば、実際にそこに入る前、それを見た地点で異変が現れていた筈ですから。」

「だよな…。

となるとやっぱりあれかな。

その時丁度雫が入り口側と反対の窓を見てたからそれが原因なのかもな。」

「おそらく。

これは完璧に私の推測ですが、生前の雫ちゃんはそこから見えた景色に何かしらのトラウマを抱えているのではないでしょうか。」

「景色…?」

「はい。

その場所そのものにトラウマが無いと言う事になるのであれば、それ以外にある、と考えるのが妥当ですよね。

観覧車は園内の景色だけに限らずその近隣の景色も見渡す事が出来ますからそのタイミングでたまたま見えた景色に生前の彼女は見覚えがあったのかもしれませんね。

「それって生前の雫がその辺りに住んでいたかもしれないって事か?」

「そうかもしれないですし、単純に彼女がトラウマを覚える程の何かがその場所であったとも考えられますね。」

「なるほど…。」

「まぁそこは彼女が自殺したいと思える程のトラウマが分からない事にははっきりとした事は分からないですし現段階で言える事は無いですね。」

「そっか、そうだよな。

なぁ光、俺…間違ってないよな?」

つい、先程感じた不安が口をつく。    「桐人さんはそう思うのですか?」

「いや、正直よく分からなくてさ。

付き合いが短いかってのもあるけどあんな雫初めて見たし普段の雫とは全く違って見えたんだ俺はあいつにそんな顔させたくて今こうして動いてる訳じゃないのに。」

「今回の桐人さんの目的は精一杯の笑顔で消えていく彼女の未来を少しでも良い物に変えたい、でしたよね?」

「あぁ。」

「今回の展開はおそらく雨ちゃんが予測する未来に近づくための最初の引き金と言う事になります。

結果的に言えばそのきっかけを作ってしまったと言えますが、でもそれによって本来の彼女を知るためのヒントを得る事が出来ました。確かに、その為のリスクは大きかったかもしれません。

でも何も知らずにこれから起こる未来を未然に防ぐのはほぼ不可能と言って良いと思います。

彼を知り己を知れば百戦危うからずと言う言葉もありますし、彼女を救うために必要なのはまず本当の彼女を可能な限り知る事です。

ただし生前自殺を図る程のトラウマですから慎重さも必要ではありますが、その未来に発展せず、彼女の記憶のヒントを得られたのはこちらにとってメリットになると思いますです。」

「そう…だな。」

「大丈夫ですよ。

桐人さんがした事が間違いじゃなければ、きっと未来を帰る事が出来ます。

これはその為の前進だと思いましょう。」

「おう、ありがとな。」

「いえいえ、それで桐人さん桐人さん。」

「ん?なんだよ?」

「私へのお土産はなんですかー?」

「あ…。」

「桐人さん…?」

やけに優しい声音でそう名前を呼ぶ光。

この後家に帰り、気を落とした光を見て母さんに俺が閉められる事になるのだが…その辺りの話は思い出したくもないから割愛させてくれ…いや、させてください。


 「ふーん、なるほどね~。

そんな事があったんだ。」

翌日の学校。

昼休憩に弁当を食べていた時の事だ。

今は昨日起きた事を木葉に聞かれ渋々…話しているところだ。

「凪っちとか光ちゃんに話す時との扱いの差に全米じゃなくて私が泣いた!」

「当たり前だ…。

そんなもので全米が泣いてたまるか。」

「雫さん、何があったんだろうね。」

横で聞いていた千里が遠慮がちに話に入ってくる。

「そうだな。」

「私カメラ貸してあげたよね?ファインプレーじゃない?ねぇねぇ。」

「光とも昨日話したんだけどさ、どうやら遊園地とかテーマパークとかそのものが駄目な訳でも観覧車そのものが原因と言うわけではなさそうなんだ。

それよりも観覧車から見えたその近辺に何かしらのトラウマがあるんじゃないかって話になってさ。」

後ろでなんか言ってる奴はほっといて…。

「だから私の扱い!何があったのか聞いてるの私!分かる!?」

「あーはいはい。」

まぁこいつも普段こそあれだが真面目な時には意外と頼りになったりするのだ。

「はぁ…まぁ良いや…。

ウイニーの観覧車っててっぺんだと結構高いし広く見渡せるよね。

近くの海だけに限らず近辺の商店街とかその付近の住宅街とかも見れるよね。

そう考えたら住宅街とかが一番あり得そうだよね。

あるいは商店街の中にある自宅兼お店の場所とか。」

「やっぱでも雫が住んでいた場所を見たって考えるのが妥当なんだろうか。」

「海とかでも思い出はありそうだけどね、例えば生前溺れた経験があってトラウマになってるとか。

でも一番過ごす時間が長いのは多分家だと思うし雫っちは小さいから家庭環境に問題があったって考える方が妥当だよね。」

「だよな…。」

「まぁでも観覧車がいくら高い位置まで上がって景色がよく見えるって言っても流石にそんな一つの場所を特定してってのも考えにくいよね。」

「まぁそれも確かにな。」

「そう考えるともっとこう広い範囲でって可能性も視野に入れとくべきかもね。」

「そうだな。」

光は今回の事が雫の過去を知るためのヒントになると言っていた。

とは言えそれも具体的な物ではなく、今木葉が言うように広い視野で考えなければ真実が見い出せないような抽象的な物だ。

生前の雫が生まれた場所を推測出来る可能性があったとして範囲が広過ぎるし、そもそもあの時彼女が見ていた景色の中に生前住んでいた家があったと言う確証も無い。

木葉が言うように、そもそもそれだけ広い範囲の中から自分の家だけを特定して見ていたと言うのも考え難い。

ヒントって言うには弱いよな…。

頭の中で思考を巡らせていると、なんだか廊下の方が騒がしくなった気がした。

「なんだ…?また怪物か?」

思わず刀を隠しているバットケースに手をかける。

そしてその手はすぐに止まる。

直後に聞こえてきた大音声のせいだ。

「桐人は居るの!?」

言いながら教室のドアを勢いよく開いたのは雫だ。

あからさまにこの場に居る奴らより幼い見た目やそんな彼女が着ている巫女服など場違い過ぎる見た目に、周りに居た生徒らは奇異の眼差しを向け、俺の名前が出るとその視線は狙ったように一斉にそいつらの視線が俺に集まる。

中にはこないだの光の騒ぎがあったからか声に出してまたか…とぼやく声もあった。

くそう…変な注目のされ方されてしまったじゃないか…。

恨めしく雫の方に目を向けるとその表情はいかにも切羽詰まったと言う感じのものでふざけている感じは一切なかった。

「雫っち、どうしたの?何かあった?」

俺の代わりにそう聞いたのは木葉だ。

聞かれた雫はとても慌てて走ってきたらしく息が上がっているようだった。

年代的に考えても元気が有り余ってる年頃で普段あんなに元気そうに走り回っている彼女が、ここまで疲労感を分かり易く表に出すと言うのはよほど慌ててここに来た証拠だろう。それだけ緊急を要する要件を伝えに来たのは間違いないだろう。

苦しそうに呼吸を整えている雫がひとまず落ち着くのを待っていると、ようやく一言とひれ途切れだがこう言った。

「た…大変なの…凪が…凪が倒れたの…!」

「「「え!?」」」

驚きの声が俺、千里、木葉、の三人で重なる。「な、凪が!?」

思わず聞き返す。

「凪さん、何があったのかな…。」

心配そうに呟く千里。

「とりあえず今はどういう状況なの?」

そう冷静に聞き返すのは木葉だ。

「えっと…今は茜が凪の看病をしているの。それで私…どうして良いのか分からなくて…お前らを探しに行く事にしたの。」

「なるほど…。」

あの茜がねぇ…。

意外な話だとは思ったが、普通に考えれば三人の中で二番目にしっかりしているのはどう考えても茜だ。

性格こそあれだが、こないだ雫に教えてもらったように意外とクッキーを作るのが上手かったり、あれでちゃんと生活能力はあるのかもしれない。

まぁでも最初に述べた通り性格があれだからなぁ…。

憎まれ口の一つ二つは叩いてるだろうし渋々やってるんだろうなぁ…。」

「ひとまず行ってみようよ。

詳しい話はそれから聞こう。」

「えぇ!でもこれから…。」

休憩明けたら授業なのにと言いたげにあわあわしている千里。

「そんな事言ってられないだろ。

早く行って凪がどうなってんのかを確かめないと。」

「まぁ茜っちが見てるみたいだし大丈夫だとは思うけどどうなってるのかはやっぱ気になるよね。」

「いや、でも茜だぞ…?本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。

茜っちあぁ見えて本当はちゃんと優しいもん。キリキリだって本当は知ってるくせに。」

「まさか…。」

実際そんな妄想をしていた時期もあったさ。

それはこの際認めようじゃないか。

普段の冷たい態度も実は優しさなのかなとも思ったさ、いや、思いたかったさ。

そんな風に思っていた時期もありました。

うん、もうこれ口癖で良いや。

あいつにそんな事を期待してみろ。

気持ちの悪い妄想をするのは勝手だけれど、私を巻き込まないでもらえるかしら。

それともあなたはこんな風に罵ってくる人間に求めるしか選択肢が無いほど寂しい人間だったのかしら?

それともそう言う趣向を持った異常者だったのかしら…。

どちらにせよあまり関わらないで欲しいのだけれど…。

とか最大コンボ数をどんどん増やしながら心を抉ってきそうだ…。

最近ほんと…こいつの良いそうな事がマジで分かるようになってるしその顔までイメージ出来るようになってきたんだよなぁ…。

あぁおそろしい…。

おっと…今は真面目に自分の将来を憂いている場合じゃなかった…。

「なら千里は残って事情を適当に説明しといてくれ。」

「うんうん、真面目な優等生の千里っちが学校サボるなんて先生もびっくりするよね。」

「あ、えっと…その…。」

「そうだな、ここまで皆勤だし仕方ないかぁ…。」

「わ…私も行く!」

「「よし。」」

木葉と二人してガッツポーズ。

実際凪の状態はまだよく分からないが千里の力はきっと役に立つはずだ。

そう思ったのは、どうやら木葉も一緒だったらしい。

「じゃ、蟹井、俺らサボるわ。

後は上手い事言っといてくれ。」

「は!?なんだよそれ!?」

急に言われた蟹井は全く意味が分かってないようだが今は説明してる時間も無い。

とりあえず今は一番の親友に任せて急ぐとしよう。

雫を連れて三人で慌てて教室を出る。

「あ、おい!ったく…。」

蟹井が呼び止めようとした時にはもうそこからは見えなくなる位置まで走っていた。

「凪っちが倒れたのっていつの話?」

走りながら木葉が隣を走る雫に問いかける。

「今朝…バイトに行く前なの…。

私が起来たときにはもう凪は支度を済ませてて…朝ご飯を食べてる私に行ってきますって声をかけて出ようとした時に…。」

「それまでの様子は?」

「いつもよりちょっと元気無さそうだったの…だから大丈夫なの?って聞いたの。

でも大丈夫って言うからいってらっしゃいって言ったのそしたら…。」

走りながらもそう返しながら俯く雫。

「凪っち…一番年上だからさ、結構無理してたんだと思う。」

「だよな…。」

確かにそう言う兆候が凪には確かにあった。

実際にそれを自分で口に出していたし三人の生活費を稼ぐ為のバイトや、家では家事全般までこなし、その上一番幼い雫の母親代わりにまでなっているのだ。

実際二番目にしっかりしているであろう茜がどれほど協力していたのかは分からないがその負担は相当の物だったのではないか。

そのせいで二人より睡眠も満足に取れていなかったのかもしれない。

「疲れ…溜まってたんだろうな…。」

そんな言葉が口をつく。

俺が家に帰れば、いつも母さんが晩飯を用意してくれるし、働いている訳でもないのに小遣いだって貰っている。

それを当たり前だと思ってる訳じゃないが、それに特に疑問を抱く事もせず、普通の事の

ように過ごして生きてきた。

実際の年齢は分からないが、凪だってまだ俺達とそう変わらない年代であるのは見ていてなんとなく分かる。

そんな彼女が、生まれてきて自分もよく分からず不安や恐怖を感じながらも自分が最年長だからと言う理由で二人の母親代わりになってここまで頑張って。

なんでそこまで頑張れるんだよ…?

頭の中でそんな疑問が浮かぶ。

ただ優しいからだけで片付けてしえない程に凪は身を粉にして母親のポジションを演じている。

不満や愚痴の一つも言わず、懐いてて可愛がってる雫だけでなく、あんな一切心を開こうともしない茜にまで分け隔て無く。

この辺りも生前の凪の記憶とか人格から来ているのだろうか。

走りながらそんな事を考える。

あんな風に言っている辺り、木葉も同じような事を思っているのだろう。

走る足は自然と早まる。

上手く学校を抜け出し、そのままもう通りなれた神社に続く森に踏み込み、階段を駆け上がる。

その間は重い沈黙が流れ、誰も自分から言葉を発しようとはしなかった。

その後神社に着き、雫の後に続いて奥の部屋に入ると、ベッドで休んでいる凪と、椅子に座ってその様子を見る茜が居た。

「あら、早かったわね…。

でもあまり足音をバタバタと立てないでもらえるかしら。」

そして茜は俺達の顔を見ると、そう言いながらため息を吐く。

「おう、悪い凪が起きちまうな。」

寝ている様子の凪に一度目を向け、小声で詫びる。

「いえ…あなたの足音はただただ耳障りで聞くだけでうんざりするもの…。」

こいつは…!素直に謝った誠意を返しやがれ。「そんな物受け取った覚えはないわ…。

勝手に押しつけておいて返せだなんて随分と傲慢なのね…。」

こいつやっぱり嫌い!

「凪っちの様子はどう?」

ここで木葉が口を挟む。

「どうもこうも見ての通りよ…。

今朝倒れてからずっとこのまま寝ているわ…。」

「お前、今まで看病してたんだろう?

案外良いとこあるじゃないか。」

さっきの仕返しとばかりに皮肉を言ってやる。「変な勘違いをしないでもらえるかしら…。

別に私はあなたが言う良い人として彼女を見ていた訳ではないわ…。」

「ならなんだって言うんだよ?」

「ただ他人に借りを作るのが気に入らないだけよ…。

それが勝手に押しつけられた物でも。

何かを得るためにはそれなりの代価を支払わなければならない。

私が与える夢幻も同じ。」

「等価交換って訳か、お前らしいな。

なぁ、凪が倒れた原因がお前には分かるか?」

一番気になった事を聞いてみると、茜は一度ため息を吐く。

「おそらく過労でしょうね…。

何が彼女をそこまで動かすのかは私には全く分からないのだけれど…彼女は自分だけでなく私や雫の為に寝る間も惜しんで仕事や家事をこなしているのだから…。

それによって自分に何かメリットがあるという訳でもないと言うのに。」

実際、茜ならそう言うだろうなと思ったし、今みたいな顔でってのまで鮮明にイメージもしてたさ…。

でも茜の言い方がきついのはいつもの事として、凪が必要以上に一人で頑張り過ぎているってのは確かだ。

「まぁもっとも…それは凪だけでなくあなた達にも言える事なのでしょうけど。」

そんな俺の考えている事も当然見透かしているのだろう。

ため息を吐いてからそう言って一度睨んでくる。

「俺はあいつ程じゃねぇよ。」

それは元々自分が頑張っていると思ってるわけじゃないと思ったからでもあるし、でも何より頑張りすぎて倒れてしまった凪を見てそれを認めてしまうのがあまりにも無責任な事のように思えたと言う方が最もな理由だった。「…どちらにしろ私には理解できないわ。

何も与えていないというのに他人が自分に何かを与える筈がない。

人間とは自分が得をするためなら相手が損する事も厭わない生物だもの…。

私の元に現れる人間はいつだってそうして自分が助かるために平気で他人を蹴落とし、裏切り、欲に溺れていった。

凪やあなた達とは違うわ…。

実際彼女もあなた達も私がいくら突き放そうとも私を見放そうとはしないもの。」

茜の意見は確かにネガティブだが一応正論だ。現実的な話で言えば彼女の言う通りこの世界にはそう言う人間だって沢山居るし、実際俺だって凪のようにいつも他人の事ばかり考えて動き回っているわけじゃない。

そもそも茜がそんな風に考えるのだって生前の人格から来てると言う可能性もあるが、そう言う人間達ばかりを試練を与えていく内にずっと見てきたからだ。

だから偏った思考になってしまったと言うのも大きな原因の一つなわけで。

「まぁもっとも…あなたがそもそもそう言った趣向に異常な快感を感じる異常者であるならそれもメリットになるのでしょうけど…。」

「アホか!!」

くそう、本当にさっき思ったような事を思ったような顔で言ってきやがったじゃないか…。「あら…さっきからあなたの予想通りだと言うのは少し癪ではあるけれど…。

一応的を射ているのなら被害妄想もここまでくると立派な物ね…。」

「これは被害妄想じゃなくてただの正論だっての…。」

「まぁ…どうとでも思えば良いわ…。

別にあなたにどう思われようが私には関係のない事だもの。

被害妄想で逆上する、もしくはその異常な好みで襲いかかってくるような事がなければだけれど…。」

「ねぇわ…。」

それを聞いて茜はまたため息を吐く。

「あなたは…本当にこれまでの人間とは違うのね…。」

「それはどう言う意味で言ってるんだ…?」「別に…何でもないわ…。」

そう言って茜は興味も無さそうにそっぽを向く。

「あなた達が来たのなら…もう私がここに居る必要はないでしょう…。

後は好きにすると良いわ…。」

相変わらず投げやりだなぁ…。

まぁここまで律儀に看てただけまだマシではあるのか。

「言わなくても分かっているようで良かったわ…。

それと…一つだけ教えておく…彼女の力を使って凪を今すぐ元気にする事は可能よ…。

だから彼女をこの場に連れてきた判断は正しいわ…。」

そう言って一度だけ千里の方に目を向ける。

「本当か!?なら早速…」

「ただし…それで治って目を覚ましたとしても、彼女はきっと今からでもすぐにバイトに行くと言い出すでしょうね…。

いつまた疲れを溜め込んで今の二の舞になるかも分からないと言うのは知っておいた方が良いと思うわ…。

その都度彼女の力を使えば良いと言うのなら止めないけれど…。」

「それは…確かに…。」

それだけ言うと本当に言う事はそれだけだったらしく、さっさと茜は部屋を出て行ってしまう。

「確かにそうだよね…。

私も茜っちが言う通り凪っちは今起きたらまた無理しちゃうと思う…。

千里っちの力だって確かに疲労も取れるんなら万能ではあるけど…ノーリスクってわけでもないからそれする度に千里っちに負担がかかっちゃうってのはあるよね…。

私やキリキリが急に戦う事になって万が一にも大きな怪我をした時に出来なくなったら困るって言うのもあるし…。」

申し訳なさそうに木葉が呟く。

「まぁな…。」

「でも私はみんなを助けられるなら頑張りたいなって思うけど…。」

それに千里が遠慮がちに口を挟む。

「千里っちの気持ちも分かるけどさ、千里っちだって無理しちゃ駄目だよ。

今の凪っちみたいな事になったら私、怒るから。」

そう言う木葉の顔は真剣だった。

「ご、ごめんね…。」

それに気圧されて、千里は素直に謝る。

「やっぱ根本をどうにかしないと駄目だよな…。」

その為には、凪がどうしてそこまで出来るのかを把握する必要があるだろう。

それをきちんと把握した上で彼女を説得しなければ、茜が言うように今回の二の舞だ。「うん、そうだね。

私もそう思う。」

それに木葉も同意する。

「でもこればっかりは本人に聞かないとだめだよな。

どこまで話してくれるかは分からないけどな。」

ただこれが純粋な遠慮からくるものなのなら、話し合いで解決する事もそこまで難しい事ではないだろう。

でも彼女の場合はおそらくそれだけではない。本人も分からない生前のトラウマから来ているのであれば、正直一筋縄ではいかないだろう。

「そうだね。

ひとまずせっかく来たんだし、起きるまで様子を見てよっか。」

そう木葉が提案する。

「そうするか。」

どちらにしろ、現時点で出来る事はそれぐらいしか無さそうだ。

それにしても…。

「あいつ本当にちゃんと俺達が来るまで凪の事看てたんだな。」

俺達がここに来るまで茜が腰掛けていた椅子の近くには、おそらく熱があったのであろう凪の為にと氷水が入ったバケツが置かれたままになっていた。

凪のベッドの近くにはおでこに乗せてあるのとは別に乾いたタオルが用意されているし、水の入ったペットボトルも凪がすぐ手の届く所に置いてある。

「だから言ったじゃん茜っちはちゃんと優しいって。」

「そうだな…。」

素直に最初からそうだと認めるのはあんなぞんざいな扱いを受けた後だからちょっと癪ではあるものの、実際茜にちゃんとそう言う一面があるのかもとは以前から思っていた。

「茜もちゃんと凪の事を心配しているし感謝もしてると思うの。」

ここで、さっきまで黙っていた雫が口を開く。「私は、凪が急に倒れた時パニックになってどうしたら良いか全然分からなかったの。」

「まぁ、そうだろうな。

それが普通の反応だ。」

「茜は違うの。

今朝も私と違って一切動揺してなかったし、こうなる事も見越してたのか前々からさっき言っていたみたいな皮肉を直接凪に言ってたの。」

「確かにあいつなら遠慮無く言いそうだな…。」

「それで?凪っちはなんて?」

俺がまたその状況を鮮明に頭の中で想像していると、木葉が口を挟んでくる。

「苦笑いして大丈夫だよって言ってたの…。」

「凪らしいな…。」

「うん、だよね。」

「私がパニックになってる間茜は私が呼びに行かなくてもすぐに部屋から出てきて、凪をすぐに部屋に運んで看病し始めたの。

それを看ていても私は相変わらずどうして良いかも分からなくて…結局お前らに助けを呼びに行くぐらいしか出来なかったの。」

おそらく茜は雫が俺達を呼びに行く事まで見越してたんだろうな…。

でもそれまではちゃんと看てる辺りやっぱ良いとこあるよな…。

雫の言う通り、言い方こそあれだが茜もちゃんと感謝してるし心配もしているのだろう。自分からそうしようとはしないながら、与えられた物をきちんと返せるのは優しさと呼んで良いのではなかろうか。

今こうしてあんなぞんざいな態度をされても茜とのこの不思議な関係を続けられているのはそんな部分に微かな希望のようなものを感じているからだと思う。

雫が言う前々から言っていた皮肉も言い方が悪いだけで純粋に心配からの言葉なのだろうと思うし、思いたい。

「あ!そうだ、凪っちって朝からずっと寝てるんだよね?

ならお昼とかもまだ食べてないんじゃないかな~?」

「まぁ確かに。」

俺達が学校を抜け出したのは、丁度弁当を食べ終わった後の昼休憩だ。

今までずっと寝ていたと言う事になるのであれば、凪はまだ昼ご飯を食べていないと言う事になる。

「今日は多分コーヒーは飲んでたけどご飯は食べてないの。」

「「「え!」」」

俺、木葉、千里の声が重なる。

「最近はいつもそうなの。

私達の朝ご飯を用意はしてくれるのに自分はコーヒーだけで済ませてるの。」

「う~ん…今日に関しては多分食欲が無かったからかもね。」

「だろうな。」

「あ、私良い事思い付いちゃった。」

と、ここで木葉がニヤリと不適な笑みを浮かべる。

「あ、絶対何か悪い事企んでる顔だ…。」

「悪い事じゃないも~ん。

私達でさ、お粥を用意してあげようよ。」

「ほう、お前にしては良い事言うじゃないか。」

「キリキリは本当に私の事をなんだと思ってるのさ…。」

「…そんな事よりじゃあどうする?」

「さりげなく流された!」

「わ、私も手伝いたいの!」

それに雫が少し大きめな声でそう言いながら手を上げる。

「あ…じゃぁ私も…。」

「うん、千里は今回は片付け側に回ろうな…。」

「あう…。」

少し残念そうに千里が声を漏らす。

「とりあえず雫っちに主体でやってもらうのが一番だと思う。

加えて自分も手伝うからあんまり無理しないで欲しいって言う雫っちの純粋な気持ちを伝えれば良いんじゃないかな。」

「何この子天才。」

「さっきと比べてそのあからさまな手のひら返しなんですかね!?」

「ならとりあえず雫と木葉でお粥を用意して、俺と千里は凪の様子を見とくって事にするか。」

「それで良いと思うけど…。

な~んか納得いかないな~…。

まぁ良いや…雫っち、行こ。」

どこか不満げだが、渋々と言った感じで雫を連れて木葉は部屋を出ていく。

「あ、うんなの。」

それに雫はそう返して素直について行く。

その出て行く背中を見送りながら思う。

先日雫が掃除をした時凪はすごく喜んでたし、今回もきっと喜んでくれるんだろうな、と。

だからその背中に頑張れよ、と小さくエールを送った。

「あ、そろそろおでこのタオルやり変えた方が良いよね。」

二人が部屋を出ていった後、千里が言いながら凪のおでこに乗せられているタオルをとって、茜が用意していたバケツに入れてよく絞る。

それをまたおでこに乗せると、軽く乾いたタオルで周辺の汗を優しく拭く。

「やっぱ手際良いな。」

「うん、ありがとう。

ずっと桐人君の看病とかしてたから。」

昔は良く俺も風邪を引いて寝込んだりした。

その時はよくこうして千里が学校帰りとかにお見舞いに来て世話をしてくれてたっけ。

ものすごく甘い(塩と砂糖を間違えただけじゃなく分量まで間違えてたんだよな…。)お粥を食べさせられてあわや吐きそうになったのもその時か。

「あの時のお粥は本当に甘かったな。」

そう言って笑うと千里は少し拗ねた表情をした。

「も、もぉ…あの時はその…ちょっと失敗しちゃったから…。」

「ははは、分かってるって。」

まぁ実際にはちょっとじゃないけどそれを本人には言うまい。

「桐人君、それでも無理して全部食べてくれたよね。

私、嬉しかったなぁ。」

「あぁ…。」

あの後しばらく甘い物食べたくなくなったけど…千里がせっかく頑張って作ってくれたのが嬉しかったんだよなぁ。

と、ここで。

「んんっ…。」

千里がタオルで汗を拭いていると、凪が小さく唸る。

「凪!?」

慌てて俺も凪の方に歩み寄る。

「あれ…きり…とと千里…?」

目を開けて俺達の姿を見ると気怠げになんとかそう喋る。

それから慌てて凪が体を起こし、またすぐ倒れたのはほぼ同時。

「無理すんなって。

お前は今朝家を出る時に熱を出して倒れたんだ。」

「そっか…やっぱりそうだったんだ…。」

弱々しく凪がそう呟く。

「二人ともごめんね…。

情けないとこ見せちゃったね。」

そうして申し訳なさそうにそう呟く。

「いえ、調子はどうですか?」

そう言って千里が優しく聞き返す。

「あ、うん…今朝よりは全然楽になったかな…。」

「やっぱ今朝から体調悪かったんじゃないか。」

「えっと…うん…。

正確には昨日の夜からちょっとあんまり気分良くなくて…。

だから昨日は桐人から貰ったあの本を読んだ後は私もそのまま寝たんだけど…。

朝いつもの時間に起きたらちょっとね…。」

「おいおい…。

無理しすぎだよ。」

「ごめん…。

でも…私が頑張らなきゃ…。」

「お前はもう充分頑張ってるよ。

だからもう無理すんなって。」

「そんな事ない!」

急に凪はそう叫ぶ。

「なっ…。」

が、喉が痛いのだろうに無理をしたからか咳をし始める。

「私は…もっと頑張らないと…じゃないと…。店長にも謝らなきゃ…。」

そう言う表情はまるで目に見えない何かに怯えているようだった。

「何今の声!大丈夫?」

そう言って声を聞いた木葉が様子を見にくる。「あ、木葉も居たんだ…。

ありがとう、ごめんね。」

「え、うん。

体調は大丈夫そう?バイトの方は心配しないで良いよ。

私の方から花子ちゃんのお父さんに伝えてもらうように頼んどいたから。」

「そうなんだ…。

ほんと…情けないなぁ…。」

凪はいつだってそうだ。

他人にはすごく優しいくせに、自分にはすごく厳しくて、何かあるとそうやってすぐ自分を責めるのだ。

「体調を崩すくらい誰だってあるよ~。

あ、今雫っちと二人でお粥作ってるから。」

「え、そうなんだ…ごめん、本当に何から何まで…。」

「良いって、困った時はお互い様でしょ。」

「そう…だね。」

そう返しつつも、凪はどこか納得していないようだった。

「あ…ごめん

雫っち一人に任せてるから一旦戻るね。

キリキリ、引き続き凪っちの看病宜しくね!」

そう言って軽く手を振ると、木葉は部屋を出ていく。

それから少しの間沈黙が流れる。

「私さ…いつもこうなんだ…。

何かをしてなくちゃ気が済まなくて、何もしてない時は落ち着かなくてさ。

私は何で生きてるんだろうって思えて…まるでそうしなければここにいちゃいけないような気がして…すごく…怖くなるの…。」

そう言いつつ、凪は震えていた。

さっきのようにまるで見えない何かに怯えるように。

間違いない。

これは凪の生前のトラウマから来ている物だ。勿論それに対して確固たる根拠があるわけではないが、先日の雫の急な変化を目の前で見ているからこそ正しいかどうかは分からなくても間違いではないと言うのだけは確信出来る物だった。

「ごめんね…。

こんなの変だよね…。」

そう言ってまた自分を責める。

そう言う表情は心の傷が痛々しく見えてくるように悲痛な物で何も言えなくなる。

〈彼女は普通だとでも思っていたの?〉

「つっ…!?」

そのまま何も言えず黙っていると、突然雨がテレパシーでそう語りかけてくる。

「桐人…(君)?」

その声に、凪と千里が心配そうに声をかけてくる。

でも雨の言葉に何も言えなかった俺は、それに何かを返す事も出来なかった。

〈彼女も死神神社の巫女であり生前自殺してここに居る人間の一人だと言う事、あなたは分かっている筈だよ?〉

そう、俺はその事実を確かに知っている。

でもだ、俺は凪を茜や雫とは違う普通で、自分達となんら変わらなくて、優しくて面倒見の良いお姉さんのような存在だと思っていたそれこそ彼女だけ別物だと思っていた。

茜のように極端にリアリストでもないし、雫みたいにクソ生意気でもないし。

〈…それは関係ないしあなた個人の好き嫌いな気がするけど…。〉

…まぁそれは置いといて…。

〈結局流すんだ…。〉

知り合った経緯はともかく凪は自然に仲良くなれるくらい良い意味で普通で、それをこれまで信じて疑う事もしなかった。

優しさだって凪の性格で、面倒見が良いのもそこからだと思っていた。

それを優し過ぎると思う今日まで信じなかった。

見て見ぬふりをして、そうじゃないだろう、そうじゃなければいいと無理矢理にでも思い込んでいた。

〈原因は分からないけど彼女はとても自己肯定感が低いみたいだね。

そして彼女は自分を追い込む事によってそれを埋めて生きている。

だから彼女にとっては自分が倒れる事よりもそれ以上追い詰められなくなって何も出来なくなる事の方が恐怖なんだろうね。

「でもそれは…!」

〈あなたにとっては普通じゃないかもしれない。

でもそれはそう。

彼女はそれをこれまで出さなかっただけで、最初からあなたが言う普通なんかじゃなかった。〉

「っ…!?」

〈あなたがこれまで同様何も知らず深く興味も持たなければあなたにとってはずっと彼女は普通に優しくて面倒見の良いお姉さんだったんだろうね。

そしてこれまでとなんら変わらない日々を過ごす事が出来ていた。

知らない方が良い事もあると思うよ?

あなたが言う普通は、知らないからこそ成り立つ物でしかない。〉

「でも…!」

確かに俺は本当の彼女を知らなかった。

本当は誰よりも臆病で、でもそれを表に出さずに人前では気丈に振る舞ってて。

少しずつ関わる機会が増えていく中で、そう言う部分も知っていく中でえたものだって沢山あって…。

「それが間違いだなんて思わないし思いたくない。」

〈言ってる事はむちゃくちゃだけどあなたらしいね。

好きにしたら良いよ。

最初にも言った通り私は茜にしか興味が無いから。〉

相変わらず言いたい事を言ったらさっさとテレパシーを止めやがった。

「あ、悪い…今のは気にしないでくれ。」

「う…うん、その…私は別に気にしてないから…全然気にしてないから。」

幼なじみに気を遣われちゃったじゃんかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ(血涙)

「なんか…ドンマイ…。」

凪にまで…くそう…。

「私こそごめん…気を遣わせるつもりなかったんだけどな…。」

「いやだからそれは気にすんなって、木葉も言ってたろ?困った時はお互い様だって。」

「そう…だよね。」

と、ここで。

「はい、お待たせ!今から私と雫っちの自信作のお粥を作った雫っちが持ってくるよん!」

ドアが勢いよく開かれ、木葉の明るい声でその場の空気も一瞬で明るくなる。

「さ~!美味し過ぎてほっぺた落ちちゃうかもしれないお粥をどうぞ~。」

いつものハイテンション木葉さんでさもバラエティ番組とかでゲストが扉から出てくるようなふりで腕を高らかに扉に向けて上げる。…でも雫は入ってこない。

「ど、どうぞ~…。」

あ、これも知ってる…。

バラエティとかでなんかハプニングあってゲストが来られなくなって気まずいやつだ…。でもこれは流石におかしいぞ…?

それにはふりをしてる木葉も気付いたらしくチラチラと何度もドアに目線を向けそわそわしている。

流石に様子がおかしい。

全員がそう思っていたところで皿が割れる音が響き渡る。

ドアの前で立ち止まっていた雫はその場に立ちすくみ体を震わせていた。

「何でなの…?何で足が動かないの…?何でこんなに体が震えてるの何でこんなに…悲しいの…?」

そう自分の脳内に沸き起こる疑問を一つずつ口に出し、雫は持っていたお粥の入った皿を勢い良く床に落としてその場にしゃがみ込んだ。

「あっ…あぁ…。」

そして床に散らばるお粥と割れた皿を見て、

その震えは一層強くなる。

「何なの…これ…。」

季節は夏でむしろ暑いくらいなのにまるで寒さで凍えそうな時のように腕を組んで蹲り、その体の震えを少しでも抑えようとするも、震えは増すばかりで収まりそうにない。

「怖い…怖いの…助けて…マ…」

言いかけた言葉の意味に気付き驚く。

ママ…?自分には生まれた時からそんな存在は居なかった。

でもそれに近い存在は居た。

本当の母親のようにいつも気にかけてくれて、甘えたりわがままを言っても断る事もあったけど嫌な顔一つせずに聞いてくれて、寂しい時はいつも一緒に居てくれて。

とっても大好きな凪が居る。

居てくれている。

でも確かにそんな存在だと思っていたとは言え、凪の事をママだなんて…。

いや…違う…これはきっと本当の…本当の?

そう思いかけてまた思考を一度止める

本当のとは何なのか?自分の事である筈なのに何も分からない。

なら自分はどこの誰なのか?

どうしてそんな事も分からないのに生まれてきたのか、それすらも分からない。

怖い、ただ怖い。

自分が何者かも分からないのに何も無くこれまで生きていた事も、そんな自分を怖いと思ってしまった今の自分も怖い怖い怖い怖い怖い。

音に気付いて歩み寄ってくる桐人や木葉の声ももはや全く耳に入っていなかった。

肩を掴みながら何度も名前を呼ぶ雫、歩み寄ろうとする凪を必死に抑えようとする千里。声は全く入ってこないのにそんな様子だけは分かる。

そしてその視線の先に現れたのは…。

「あれは…私…なの?」

私の言葉にその場に居た全員がそちらを一斉に見るが、どうやら見えているのは私だけらしい。

何言ってんのと言いたげな表情で皆が私の方に向き直る。

巫女服を着ている今の私とは違う、いかにもその年頃の女の子が着ているような可愛らしいキャラ物のワンピース。

リボンなんか無く、髪の色も普通に黒髪で、でも明らかに自分だと分かる毎朝鏡で見た自分と同じ顔の作り。

その手には大きな熊のぬいぐるみ。

そうだ、確かあれは私の一番の友達の…。

そこまで思いかけたところで、今度は激しい頭痛に襲われる。

「痛い…痛い痛い!」

頭を抑え私は叫ぶ。

そんな私を、私にしか見えない私は冷めた表情で黙ったまま私の事をずっと見つめていた。

 その後も雫はしばらくの間落ち着きを取り戻さず。

千里の制止を振り切って歩み寄った凪が宥めるも、それで収まる様子もなかった。

今は夕方の帰り道。

正直あのまま放って帰るのは抵抗があったものの、ここまでしてもらって悪いけど今日はもう帰ってほしいと凪に頼まれ、仕方なくだ。「そっか…あれってそう言う事だったんだ。

なるほどね。」

帰り道で木葉にさっきの凪が出した大声の話を聞かれた。

「俺あんな取り乱した凪を初めて見た。」

本人が居る前では出来なかったけど、今日あった事を本人の居ない所でこうして誰かと話したかった。

ここまであまりにも色んな事があり過ぎてそれを自分一人の頭の中だけで収集する事が出来そうもなかったのだ。

「ま~ね…私も実際に見たわけじゃないけどちょっと想像出来ないかも。」

「やっぱお前もそう思うか。」

「うん、でもやっぱ人間ってさ、見かけがどうでもそんなに強くないからさ。

きっと凪っちもそうなのかなとは思ってたかな。」

「そっか…そうだな。」

実際雨の言う通り凪だって神社の巫女であり、俺が言う普通の存在じゃない。

今その記憶が無いとは言え一度自殺しているんだからそう言う弱さが確かにある事だって分かりきった事だし何度も思い知らされるきっかけはあった訳で。

「雫ちゃんも大丈夫かなぁ…。」

とっさに横を歩いていた千里が呟く。

それを聞いて俺と木葉は同時に黙る。

最初にも少し触れたようにさっきまでの雫はそれはもう酷かった。

横で呼びかけていた木葉だけじゃなく目の前で大声で呼びかけていた俺の声にも一切反応を示さず、ただ見えない何かに怯えるように震えていた。

いや、実際本当に俺達には見えない何かを見ていたような事も言っていた。

あの状態の雫はどう考えても凪一人でどうにか出来るような状態じゃなかった。

いまだ落ち着かない雫を必死に一人で宥めようとしている凪の姿が頭に浮かんで、胸が痛む。

そうしてる凪も体調を崩してるし気持ち的にも不安定になってたのに。

俺達が居た時以上に収集が付かなくなってるんじゃないだろうか。

そう思うと自然と足が元来た道に向きそうになるが、なんとか踏みとどまる。

「やっぱ…気になるよね…。」

木葉が、それに気付いて言ってくる。

「まぁな…。」

「私もあのまま帰るべきじゃなかったと思うよ。」

「そうだよな…。

どうするべきなんだろうな。」

「まぁ…このままじゃやっぱ駄目だよね…。」

「どうにか…しないとだよな。」

「うん…。」

そのまま重い沈黙が流れる。

そしてその沈黙を破ったのは…。

「呼ばれて飛び出て光ちゃんですー!」

突如そんなどこかで聞いた事のあるせりふを言いながらランプの中から…じゃなくて電柱の陰から光が顔を出す。

「俺は別にくしゃみもあくびもしてねぇよ…。」

「中々まずい事になりましたね。」

こんな気分の中ちゃんと返してやったのに流しやがった…。

「状況を知ってんのか…。」

「はい、知り合いの情報屋さんが教えてくれたのです。」

「情報屋ね…。」

なんとなくその情報屋が誰か分かる気がするんだが…。

まぁそれはさておき…。

「光ちゃんもやっぱまずいって思うんだね。」

ここで木葉が話に入ってくる。

「はい、その人の話を聞く限りでは今の雫ちゃんは生前の記憶が戻りつつあり、精神的にとても不安定な状態にあると言えます。

一度自殺している彼女達にとって生前の記憶が戻る事が何を意味するのか、分かりますよね?」

「そりゃ…まぁ…。」

三人同時に口ごもる。

考えたくはないが、同じ事の繰り返しになる可能性が高い。

「お察しの通りです。

そして以前説明した通り、そうなれば二度と輪廻の波には乗れなくなり、存在さえもなかった事になる。」

「っ…。」

「こうなってしまってはもう今更後戻りは出来ません。

桐人さんが最初に言ったように少しでも良い未来を目指すのであれば今こそ行動に移すべきです。」

「行動に…。」

「現時点で彼女の記憶の再生を止める事は不可能と言って良いでしょう。

遅かれ早かれ全ての記憶を取り戻し、再び自ら命を絶つ可能性が高いです。」

「そんな…!」

光の言葉に木葉が悲痛な表情でそう返す。

「…今私達に出来るのは、彼女の記憶が全て戻る前に少しでも生前の彼女の情報を調べ、彼女が再び自殺しないように対策を練る事です。」

「そうか…そうだよな。」

「具体的な物ではないにせよ桐人さんは既にもう生前の彼女を知るためのヒントを見つけていますよね。」

「まぁ確かに。」

「光ちゃんの話は分かった。

そう言う事なら私も身近なとこから情報を探ってみようかな。」

「身近な?」

「キリキリも感じたと思うけど雫っちぐらいの年齢で自殺って特例だよね。

ニュースとか新聞で報じられてても不思議じゃないと思う。」

「なるほど、確かにその可能性は充分あるな。」

「ではこうしましょう。

今日はもう遅いですし明日私と桐人さんで観覧車から見える場所の近隣を探索してみます。木葉さ、千里さんは二人の様子を見つつ、情報を探る、と言う形でどうでしょうか。」

「まぁ確かに二人の事も気になるしここは分担した方が良さそうだね。

じゃあ今日の内にちょっと調べてみる。

明日探索するのに使えそうな情報があったらメールするね。」

「おう、頼む。」

こうして、俺達の今後の方針が決まった。

その日の夜遅く、木葉からメールが届き、事態は急展開を見せる。

「雫っちの正体…分かったかも。」

そして一緒に送られてきた新聞の切り抜きを撮影した物には、今の雫に酷似しているが髪色の違う少女が写っており、行方不明と言う大きな文字が刻まれていた。

「多分これ本当は行方不明じゃなくて自殺したのに見つかってないだけだと思う…。

そんなの悲しいよね…。」

文面からも沈痛な面持ちが伝わってくる。

「もしかしたらその見つかってないって言うのも神社の巫女として転生したからってのと関係してるのかもしれないな。」

「そうかも…でもどちらにしろ悲しいよね。」

「だよな…。」

その事実を知って俺達が出来る事はなんだろう?

雫が自ら死を選んだ理由はまだ分からない。

もしかしたら虐待が原因と言う理由もあり得る。

でもそうじゃなくて他の理由で、居なくなって心配し、悲しんでくれる親の存在があったとしたら。

それだけじゃない。

そう感じる同じ学校の友達や先生の存在があったなら。

もし自分がそのいずれかの立場ならどう感じるだろう。

身近な存在だった人が急に行方不明になり、二度と会えないなんて事になったら。

そんなの悲しいし寂しいに決まってる。

これから先、彼女が死んだと言う事実を知らずに待ち続けるよりは、事実を知って受け止めていった方が多分まだ良い。

雫の親を探そう。

そして話を聞いてみよう。

そこから本当の意味で彼女を救うヒントがえられるかもしれない。

木葉にそれを伝え、絵本を読んでいる光にも伝える。

「そうですか。

桐人さん、おそらく明日、状況が一気に変わります。それがもしかしたら桐人さんが望んでいるような結末ではないかもしれない、良い意味での期待の裏切りでもあれば、勿論悪い意味での裏切りの場合も。

それでも彼女の全てを知る覚悟が、あなたにはありますか?」

「もとよりそのつもりだ。

最初に決めたんだ。

こうして生まれ変わったあいつの未来を少しでも良い物にするって。

その為にはまずあいつが生前自殺した理由を知る必要がある。」

「ふふふ、そうですね。

それを彼女より先に知った上で、彼女が再び自殺しないようにするための対策を考えなければいけませんね。」

「だからその為に明日あいつの親を探す。

行方不明って事になってるんならまともな親なら探してるかもしれない。」

「彼女の親がまともな人だと言う保証があるんですか?」

「いや…確証があるわけではないよ。

むしろ、これは俺がそうであって欲しいと言う願いの意味もある。」

「そうですか…。

そうだと良いですね。」

光はそう言って笑ってくれる。

そうして翌日。

俺と光は早速ウイニーランドの観覧車から見えた一帯の散策を始めた。

「桐人さんとお二人でピクニックなのですー。」

そんな事を言いながら、大きめなバスケットを両手で揺らしご機嫌そうにスキップする光ったく…人の気も知らずに…。

こっちはあんな風にきばって言った手前気合い入りすぎてほぼ無睡なんだぞ…。

「お弁当楽しみにしておいてくださいね。

今日はサンドイッチにしましたですー。

卵サンドにハムサンド、カツサンド三度の楽しみサンドで一つサンドイッチ~♪」

おまけによく分からない鼻歌なんか歌ってやがる。

「おいおい…ちょっとは緊張感持てよ…。」

流石に我慢出来なくなってぼやく。

「良いじゃないですかー。

桐人さんとピクニックなんて初めての事ですから気合い入れて早起きして準備したんですよ。」

「だから今日は…ピクニックじゃねぇだろうが…。」

「桐人さん…昨日も寝てないんですよね。

責任感が強いのはとても良い事ですが気張り過ぎて無理し過ぎるのは桐人さんの悪い所なのです。

疲れた時には甘い物を食べると良いらしいですから、今日はフルーツサンドも作ってきました。

全部が上手くいったら一緒に食べましょう。」

そう言って光は満面の笑みを浮かべる。

寝てないのバレてたのか…。

いや…まぁ部屋一緒だし早起きしてたのは俺も知ってるから気付いてても不思議じゃないか…。

なんだかんだこいつは…ちゃんと考えてくれてるんだな…。

勿論立場上雨の言うように現実的で時には厳しい事だって言う。

でも光はちゃんと味方としてそれをし、行動しているのだ。

自分の目的のために渋々協力してる茜や雨とは違う。

「まぁ…一応サンキュウ。」

「はい、you,r Welcomeですー。」

相変わらずムカつくくらい良い発音で言うよな…。

流石全ての国の言葉が一般教養の場所で育っただけあるよなぁ…。

と、ここで木葉から電話が入る。

「おう、もしもし。」

「あ、キリキリ?とりあえず私は今から千里っちと神社に向かうとこ。

神社の辺りは圏外だから連絡出来なくなるし

一応もう一つ気になる情報があったから先に言っとくね。」

「おう、サンキュウ、こっちも今光と散策してるとこだ。」

「そかそか。

で、情報なんだけど、生前の雫っちの行方不明が発覚したのって、彼女の母親が出した捜索願いが原因らしい。

それで捜索が始まったらしいんだけど、居なくなった時間が夜遅かったからか大して目撃情報とかも集まらなかったらしくて…。

誘拐もしくは何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いって事でいまだに調査中って事になってるみたい。」

「そうか…。」

とりあえず母親は雫の事を探してると分かって少し安心する。

同時にその探してる娘が実はもう自殺してる事を知ってしまっている俺は、それを母親が知ってしまったらと考えてしまい胸が痛くなる。

「とりあえずこっちは任せて。

そっち終わったら神社で合流ね。」

「おう、頼む。」

その後に簡単な挨拶を済ませ、電話を切る。

「木葉さんですよね。

何かあったのですか?」

「いや、そうじゃない新しい情報をもらったんだよ。」

そう言って俺は光にさっき木葉に言われた情報を教える。

「ふむ、そうですか。」

「一応母親は雫の事をちゃんと探してくれていたんだよな。」

「そのようですね。

でもそれだけで彼女の母親がまともな母親かどうかは分かりませんよ?

単に世間体を意識して探させてるだけで普段は周りに悟られないように虐待を続けているのかもしれない。

もしかしたら両親は自分で働かずにギャンブルにのめり込んで雫さんに何かお金稼ぎをさせていて逃げられたから探したとも考えられる。」

「確かに自殺を選ぶぐらいだしその可能性がないとも言えないけど…。」

「真実はやはり自分自身の目で確かめた方が良いと思いますよ。

人は基本実際に体感した事しか本当の意味で信じる事は出来ないのですから。」

「そう、だな。」

甘い考えなのかもしれないと言うのは分かってるつもりだ。

でも信じずには居られなかった。

結論から言えば、その後の捜索は順調だった。捜索願いが出ていると言うのもあり、近隣の商店街で情報提供を呼びかける張り紙が見つかったのだ。

この近辺に住んでいるのは間違いなさそうだが…。

「かと言ってそれが分かっても聞き込み調査

なんて出来ないよな…。」

張り紙をしばし見つめながらぼやく。

「確かに警察でもないのに怪しまれてしまいますねー。」

「だよなぁ…。」

「あの…。」

「うおう…!?」

しばらく眺めていると、唐突に背後から声をかけられた。

思わず眺めすぎたから不審者だと思われて警察に声をかけられたのかと思ったら、少しやつれた中年の女性だった。

「あ、あなたは?」

心臓が破裂しそうなほどびっくりして思わず変な声出てしまった。

「あ、いえ…その張り紙を熱心に見られていたので…。」

「あ、えっと…。」

「あと…その…先日ウイニーに行かれてませんでしたか…?」

「……え?」

意表を突いてくる質問に思わず聞き返す。

「すいませんあなたが以前見覚えのある子

と一緒に歩いているのを見かけた物で…。」「あ…えっともしかして?」

この人が…?

あまりにも話が出来過ぎているな、なんて思いもあったがこの状況は今の俺からすれば願ったり叶ったりの状況だ。

だと言うのに…とは言えどう話しかけるか…。迷っていると、その人に奇異の眼差しを向けられた。

「失礼ですが…あなたとその子はどう言った関係なんですか…?兄弟のようには見えませんでしたが…。」

「え…あ…えぇっと…。」

迷っていたところに更に返答に困る質問を投げかけられて言葉を失う。

「今一緒に居られる方も同年代の子供のようですが…まさかあなた…。」

「それは絶対にないです!」

どう言う思いで声をかけてきたのかよく分かったわwwww

関係性に関しては返答に困るにしてもそれだけは意地でも否定させてもらう。

「はぁ…なら良いのですが…。

てっきりそう言った目的で写真を凝視していたのかと…。」

「それも絶対にないですから!」

「この写真に写っている方はあなたの関係者なのですかー?」

ここでその間に入ってきたのは光だ。

「私の…娘です…。」

それにその人は沈痛な面持ちで答える。

「そうですか…。」

その答えを聞き、光はしばし考え込む。

「急にすいません。

ですが随分熱心に張り紙を見ていたようなので…。」

「端的に言えば私も桐人さんもこの子の事を知っています。」

「あ!おい…そんなあっさりと…。」

「ほ、本当なんですか!?」

俺の制止は間に合う筈もなく、それを聞いたその人は聞きながら勢いよく光に詰め寄る。

「おい…どうするんだよ?(小声)」

「本当の事ですよー?」

そう言って目配せをしてくる。

逃げ場を塞がれた…!

光のその言葉にその人は目をこちらに向けてくる。

「えっと…そいつの言ってる事は一応あってます。

でもちょっと複雑と言うか…。

普通じゃない話だから信じれないかもしれないですけど…。」

「それでもいいです!教えてください!」

そう言い寄ってくる彼女の声は、悲痛な物であり、必死さが強く伝わってきた。

「ではこうしませんか?私達が知っている事を包み隠さずお話する代わりに、彼女が失踪した経緯、それまでの彼女がどんな人だったのかを私達に話していただけませんか?」

光がそう言ってにこりと微笑む。

「分かりました。

全てお話します。」

それにその人は素直に応じる。

「家に案内します。

付いてきてください。」

そう言って俺達が彼女に案内されたのは、そこから徒歩数キロ先にある古びた一軒家だった。

「あまり綺麗な所ではありませんが…どうぞ。」

「あ、どうも…。」

ドアを開くと玄関の石畳には彼女の物らしいサンダルが一足のみ。

他は見当たらず、すっきりしている。

「主人は早くに家を出ていってしまって…。

今はここに一人で暮らしています。」

「そうだったんですね。」

なんと言って良いのかも分からず、軽い返しになってしまう。

「そこのテーブルでお待ちください今、飲み物を用意しますね。

コーヒーで良いですか?」

「あ、はい…。

でも俺苦いの駄目で…。」

遠慮がちにそう言うと、彼女はくすりと一度笑う。

「ミルクと砂糖、多めにしておきますね。」

「私はブラックで大丈夫ですー。」

「うぇっ!?お前、ブラック飲めんの?」

「はいーどちらでも大丈夫ですよー。」

言いながらニコニコと余裕な表情を浮かべる光。

「お、お前って実は大人だよな…。」

「実は、と言うのは激しく余計なのですー。

私の場合はその時の気分によって飲み分けてるのですー。」

「気分…?」

「はいー、甘みを味わいたい時もあれば苦みを味わいたくなる時も大人にはあるのですー。」

「お前が言っても全く説得力ねぇけどな…。」

「はい、どうぞ。」

そんなやりとりをしている間に、三つのマグカップが乗ったお盆を持ってその人が戻ってくる。

「あ、ありがとうございます。」

「大した物はないけどお茶菓子も良かったらつまんで。」

「あ、はい。」

お盆をテーブルに置き、コーヒーをそれぞれ俺達の前に並べるとクッキーの入った缶を差し出しながら自分も対面の席に腰を落とす。

「お待たせしました。

では…えっと、何からお話しましょうか。」「あ、とりあえず自己紹介からしませんか…?一応俺は海真桐人って言います。

で、こっちが今家にフランスからホームステイで来てる光。」

一応ややこしくなるからこの場でもこいつの説明はこれで良いだろう…。

「申し遅れましたが私は天草時雨、と言います。

先ほど話した通り、旦那は早くに家を出た為以前までは雫と二人で暮らしていました。

ですが…元旦那からの仕送りなどある筈もない以上、私が自分で稼ぐしかなく家には小さな娘を一人で留守番をさせがちでした。」

「それで、ある日帰宅したら彼女は家に居なかったのですか?」

そう問いかける光の表情はいつものふわふわな感じじゃなく真面目な時のそれだった。

それに時雨さんは沈痛な面持ちで口ごもる。

「喧嘩を、してしまったんです…。

その前日の夜に。」

「喧嘩…ですか?」

それに思わず聞き返す。

「普段のあの子は私が帰ればいつも笑顔で出迎えてくれました。

遅くなっても起きて待っているんです。

そして今日の事を毎日嬉しそうに話してくれていました。

私にとってそれが何よりの楽しみで、そうして毎日笑顔で迎えてくれる事が何よりの癒やしで、幸せでした。」

「ならなんで喧嘩なんか…。」

「そうですよね。

そう思っていたのに、どうして私は喧嘩なんてしてしまったのでしょう。」

そう言って涙ぐむ時雨さん。

それから察するに本当に後悔しているようだった。

そうして彼女の表情を見ながら話を聞いていると、これから俺達がその見返りとして話さなければいけない今の雫の話をする事があまりにも酷な事だと思えてくる。

それでもその事実を知らずにいるよりは良いと思っていたのにだ。

「余裕が…なかったんです。

あの時の私には。

今でこそ仕事も安定してきて収入も以前に比べると随分増えました。

でもその時はそうじゃなかった。

自分の生活の為、そして雫の生活の為に私は毎日必死になっていたんです。

その日は仕事で大きなミスをしてしまい。

上司にきつく叱られて帰ったのです。

後になって思えばなんて大人げなかったんだろうと思う。

でも私は彼女にやつ当たりをしてしまったんです。

いつものように、笑顔で迎えてくれた雫に。」

「お母さんお帰りなさいなの!今日は学校で…」

いつものように私の顔を見て嬉しそうに今日の話をしようとする雫を、私は軽くあしらった。

「あのね、今日お母さんは疲れてるの。

その話は明日にして?」

「お母さん疲れてるの!?大丈夫なの!?何かあったの!?」

一人になりたかったのに、そう言って雫は無邪気にそう問い詰めてきた。

いつもなら喜んでその心配してくれる気持ちに感謝しただろう。

でもその日はそれが出来なかった。

「うるさいわね…お母さんは忙しいの!後にして!」

実際こうして疲れて帰ってなお、後始末のた目の仕事を持ち帰っていてこれからしなければならなかった。

だからすぐにでも自室にこもって続きにとりかからないといけなかった。

それもあってそう言う私の声は少し荒くなっていた。

すると雫は一度肩を震わせて一瞬黙った後大声で泣き始めた。

「あぁ…もう…今本当に忙しいのよ…。

だから泣かないでよ…。

また明日聞いてあげるから今日は邪魔しないで…。」

そう言っても雫は泣き止もうとはしませんでした。

仕方なく私は雫をベッドに連れて行き寝かしつけました。

でもそのまま一緒に寝るわけにもいかず、結局徹夜で仕事を終わらせたのは良かったのですが…。

それまでの無理が祟ったのでしょう。

翌朝高熱を出して寝込んでしまったのです。そんな私を見て雫はまた泣いていました。

思えば雫は普段私の前では泣こうとはしませんでした。

でも居なくなった後学校で話を聞いてからあの子は学校でいじめられていて本当は友達がいなかった事を知りました。

あの子がいつも楽しそうに話していた友達の話は私を安心させるための嘘だったのです。

「なるほど。」

そこまで話を聞いて雫があの時泣いた理由が分かった気がした。

雫は凪の事を本当の母親のように思っていた。だからそんな凪が病に倒れたのを見てその時の記憶と重なったんだ。

そしてその時何も出来ずただ泣いていた記憶が無意識に蘇り、涙となった。

「雫はしばらく泣いていましたがそれを見て困って泣いている私を見て一言ごめんなさいとだけ言って出ていった。

それから雫はもう戻ってこなかったのです。」

「おそらくその時でしょうね…。

残念ですが雫さんは既に自殺して亡くなっています。」

事実を述べる事を躊躇っていた俺の代わりに光が淡々とした口調でそう告げる。

「っ…!?」

それに口ごもる母親。

「おそらく彼女が自殺した原因はあなたの邪魔をしたくなかったから。

あなたのために何も出来ない自分に嫌気がさしたからでしょうね…。」

「 そんな…。」

言葉も無いようだった。

実際雫が家に帰ってきて彼女は深く反省しているようだしそう言われて言い返す言葉も無いのは仕方ないのかもしれない。

もし雫の母親が今なお反省もせずのうのうと暮らしていたなら、居なくなった雫が悪いと決めつけ、全ての責任を雫に押しつけてこれまでと変わらずに今を生きていたのなら…。きっと雫は浮かばれなかった。

とは言え残酷だが時雨さんが反省したところで、実の娘が自殺したと言う事実が変わるわけじゃない。

「あ、あなたは本当に何者なんですか…?」

話を聞いてもまだ実感がないのかもしれない。まぁただ海外からホームステイで来たってだけのいたいけな幼女が急にそんな事を言っても信じられるわけないよなぁ…。

認めたくないが故ならそちらを疑うのはまぁ普通の反応か…。

「すいません、先程の桐人さんの説明には少し語弊があります。

私が来たのは海外ではなく天界からです。」

いや…しれっと言ってるけどそれちっとも少しの語弊ってレベルの話じゃないからねwww?

「何を言って…。」

「本当の事です。

あなたの娘さん、雫ちゃんは確かに自殺し、私が居る天界に来ました。」

くそうww真面目な口調で言ってるからツッコミ出来ん…!

「本当…何ですか…?」

「残念ながら本当ですよ。

こいつ普段はポヤンとしてて馬鹿っぽいけど真面目になったら本当に別人になったでしょ?」

「桐人さん?一言も二言も余計ですよ?」

「普段の馬鹿っぽさはともかくとしてこいつは実際にそれを知った上であなたに話してる。それは信じて良いと思います。」

「じゃああなたも彼女から雫の事を聞いただけと…?それなら以前あなたが一緒にウィニーに行っていた少女は別人なのですか!?」

強くすがりついてくる。

「それは違います…。

ここからはちょっと信じられない話かもしれませんが…。」

まぁ実際光の素性も同じくらい信じられない話な訳だが…まぁそれはそれとして…。

「彼女、転生してるんです。

ちょっと条件付きで。」

「転…生…?」

「本来死んだ人間の魂は天界に運ばれ天国に行くか地獄に落ちるのかを選別されます。

ですが彼女の魂は私の主である死神様が特例として選び、そのままの姿で生き返らせたのです。

ただし桐人さんの言うとおり条件付きではありますが。」

「条件って…。

なら私にも会わせてください!お願いします!」

「今の彼女はあなたの事を全く覚えていません。」

「っ…!?」

「一度自殺した人間を再び蘇らせれば、同じ事を繰り返す可能性が高い。

だからその要因となりうる全ての記憶を転生の際に消しました。

そして彼女が再び自殺するような事があれば彼女の存在その物が無かった事になる。

あなたが今こうして悔やんでいる事も悲しみも思いでも全て無くなってしまいます。」

「そんな…。」

「そして今…彼女の生前の記憶は少しずつ元に戻りつつあります。

記憶を消す、と言ってもそれは記憶を無かった事にするのではなくただ意識から無意識に移して記憶と遠ざけているだけに過ぎませんから。

今あなたに会って全てを知れば彼女はまた自殺をするかもしれない。

それでもあなたは彼女と会いたいと思うのですか?」

そうはっきりとした口調で問いかける光を見て思った。

あぁ、光が一番聞きたかったのはこれなんだと。

俺としては、確かに雫が時雨さんと会って仲直りしてくれればそれが一番良いと思う。

でもそれはあくまで俺自身の理想論だ。

光の言う通りそれで記憶が戻ってまた自殺する可能性だって充分にある。

時雨さんはこの話を聞いてどう思うのだろうか?そしてその上でどんな選択をするのだろうか?

落ち着いて彼女の答えを光と共に待ってみようと思う。

実際彼女はしばらく迷っているようだった。

でもそれはもうさっきまでの俺達を信じるか否かの迷いではなく、転生した実の娘と会うか否かの迷いなのだと言う事がなんとなく分かった。

「時雨さん、部外者の俺がこんな事言うのもおかしいかもしれませんが…。俺はやっぱり会うべきだと思います。」

確かにリスクが大きいのは間違いない。

でもたとえ俺個人の理想論だとしても、

このまま終わるなんて悲し過ぎるじゃないか。本来なら死んだ後に会う事なんて出来ないしそれが常識のはずだった。

でもそんな常識を覆してせっかくこうしてまた会えるチャンスが出来たんだ。

このまま終わって言い訳がない。

「桐人さん、お気持ちは分かりますがそれを決めるのは私達ではありません。」

「でも…!」

「わ…私は…。」

言いよどむ時雨さんの次の言葉を遮るかのように、ここで唐突にスマホが着信音が鳴り響く。

「あ、すいません…。」

慌ててスマホの画面を見ると木葉からだった。「あ、キリキリ!大変だよ!雫っちが…居なくなったの!?」

「何だって!?」


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