幼なじみは逞しい
3
家に帰り、ベットに倒れる。
出迎えた母さんへの返事も素っ気無く、心配そうにされたが、それは光がフォローしてくれた。
帰り道も、そして今も。
俺の頭を忙しく同じ事柄がぐるぐると回り続ける。
茜の裏切り、木葉の戦線離脱、雨の言葉、そして康一の言葉。
信じていた正義を完膚無きまでに打ち砕かれた絶望。
そんな俺に、何も言えずに千里はもどかしそうな表情で隣を歩いている。
それを見て感じる自分の情けなさも有る。
こうして倒れてみてもそれは今なお続いている。
全て上手くいってると思っていたんだ。
こんな風になるなんて思いもしなかったんだ。
合宿を経て茜との関係もちょっとは良くなったと思ったし、それによる変化だって悪い物だと思ってなかった。
それなのになんでこうなったんだろう。
どうしてこうなってしまったんだろう。
そんな風に疑問に思ってしまうのは、未だ自分の間違いを認めきれずにいるからだ。
でも雨にそれが本当に正義なのか、自己満足じゃなくて?と言われて何も言い返せなかった。
俺がした事は本当に正義だったのか。
それともただの自己満足だったのか。
今となってはもう分からない。
あんなに信じていた筈の正義が、今ではもう分からない。
「似ていますね、お父様が書いた絵本に。」
そう言いながら片手にお盆を持って入って来たのは光。
お盆に置かれた二つのカップから立ちこめる湯気が、甘酸っぱい蜂蜜レモンの香りを鼻に送ってくる。
お盆を置いてから、カップの一つを俺に差し出してくる。
「お母様からです。
食欲無くてもこれぐらいはお腹に入れとけと言ってました。
それとお腹が空いたらいつでも食べに来ても良いとも。」
「そう…か。」
それを受け取り一口飲む。
それで身も心も温まる。
思い返せば、風邪を引いた時とか熱出して寝込んだ時にはこうしてよく蜂蜜レモンを作ってもらっていたっけ。
「桐人さんもこのお話、読んだんですよね?」
「いや…正確には全部読んでない。
冒頭と最終的にどうなったかってのだけを聞かされただけだよ。
納得いかなかったし意地になって結局読まなかった。
でも…今思えば親父はあえてそうしたんだと思う。
それを許せなかった俺にそれがいかに難しいかを教える為に。」
「そうですね。
私もそう思います。」
「お前は全部読んだのか?」
「はい。
だからこそ似てるなって思いました。」
「そっか…。」
「主人公の誠太郎は最初こそそれが正義だと信じて鬼と戦う為に鬼ヶ島に行きます。
でも鬼は人間を襲うつもりなんて一切無く、むしろ仲良くしたいとさえ思っていました。
だから鬼ヶ島に来た誠太郎を鬼は精一杯もてなします。
だから誠太郎はすっかり鬼と仲良くなり、いつかまた会おうと約束までしました。
だから誠太郎は思いました。
鬼は悪くない、むしろ悪いのはそれを悪者だと思って退治しろと言う村人達だと。
だから誠太郎は村に帰ってそれを村長に伝えます。
しかし村長を始め、そこに住む誰もがその言葉を信じませんでした。
あんなに信頼していた誠太郎を裏切り者と言い、村から追い出したのです。
誠太郎は嘆きました。
どうして誰も信じてくれないのか。
私は正義を信じただけなのに、と。
それからしばらくして鬼は誠太郎とまた会う約束を果たす為、村にやってきます。
それを見た村人達は鬼を恐れて逃げ惑い、中には村の為にと必死に追い出そうとする者も居て、けして鬼の話を聞こうとはしませんでした。
それでも鬼はただもう一度誠太郎に会いたい一心で誠太郎は何処にいるのかと問います。
そんな思いも虚しく、村長は誠太郎は鬼と手を組んでいたのだと勘違い。
やっぱり追い出して正解だったと思い、その旨を鬼に教えてやりました。
すると鬼はそれを聞いて怒りました。
どうしてそんな事をしたのかと。
でもそれは村人の自分を見た時の反応を見ればすぐに分かりました。
自分が恐れられていて、だからそれに味方をした彼は追い出されたのだと。
こうして鬼は村人の自分に対する扱いと誠太郎に対する負い目からもう人間と仲良くするのをやめ、追い出された誠太郎は何も信じられなくなり、正義という概念さえ忘れてしまいました。
その後は遠く離れた山奥で一人寂しく暮らしましたとさ。
と、とても悲しい結末でこの物語は幕を閉じています。」
「そう…だったのか。」
あの時の俺はそんな経緯も知らず、弱虫だとかそんなのヒーローなんかじゃないと否定して馬鹿にしていた。
少ない情報でそれは悪だと決め付けるのは正義じゃなくてただのエゴだと今では分かる。
いつか木葉が言ったっけ。
正義は一つじゃないよ。
十人十色な自己概念、と。
「なぁ…光。
俺やっぱ間違ってたのかな?」
「桐人さんはそう思うのですか?」
「分からない…。
雨に言われたんだ。
それは本当に正義なのか、それともただの自己満足なのかって。
そう言われて俺、何も言えなかった。
あんなにそれが正義だって信じてた筈なのにそう言われて分からなくなった。」
「雨ちゃんからしてみれば予想通りの結果ですからね。
恐らく雨ちゃんはどうせ口で言っても聞かないなら実際に見せた方が早いと思っていたのでしょう。」
「だよな…。」
実際俺は雨の話を一切信じようとはしなかった。
目の前の現状から遠すぎて実感が湧かなかったって言うのもある。
実際それが本当に当たると言う根拠も兆候も無かったのだ。
だから真剣に考えようとしてなかったと言うのもある。
だから信じなければ、そんな未来は来ない、とどこかで信じ込んでいた。
それだって別に根拠が有る訳でもないのに。
「こうなった今でも、私は桐人さんが間違っていたとは思わないですよ。」
「ありがたいけど今はそんな風に考えられねぇよ…。」
「一つずつ状況を整理して考えてみましょう。
茜ちゃんは失踪して帰ってきたと思ったら敵側に付いていました。
これは何故だと思いますか?」
「そんな事俺に聞かれても…。」
「本当にそうですか?
桐人さんはその答えを知るヒントを以前見ている筈です。」
「ヒント…?俺が?」
「はい、思い出してみてください。
あなたが日向誠の事を知った日の事を。」
「俺が…日向誠の事を…?
…あ…。」
そう言われて、一番に思い当たる事実があったじゃないか。
あの日あいつは、泣いたのだ。
日向誠が、神社の巫女には手を出すなと言っていたと聞いて。
「分かりましたか?」
「日向誠が神社の巫女には手を出すなって言ったのは、生前の茜の事を知っているからで、茜が日向誠側に付いたのはそれを思い出したから…って事か?」
「そうですね、そう考えればこの状況も腑に落ちると思いませんか?」
「た…確かに。」
「後は木葉さんですね。
彼女は純粋に茜さんと戦いたくないと思っています。
そしてそれは日向誠の事を差し引けば桐人さんも同じ。
違いますか?」
「…そうだよ。
あいつが茜を大事に思ってて、だから戦いたくないって気持ちは分かってるし俺だって本当は戦いたくなんかねぇよ。
でもそう言う訳にはいかねぇだろ…。
日向誠は世界征服を企んでるんだぞ?」
「桐人さん、そう言う時は一度事実を切り離して考えてみる事です。」
「切り離して?」
「はい、日向誠を止める事、茜ちゃんと戦う事、これは必ずしも切り離せない事柄でしょうか?
例えば日向誠を止め、茜ちゃんとも戦わないで済む方法は無いのでしょうか?」
「っ…!?」
「木葉さんが許せないのはあくまで日向誠と戦う事ではなく茜さんと戦う事です。
その方法が有れば木葉さんもきっと納得してくれると思いますよ?」
「でもそんなの…。」
「桐人さん、あなたにとって戦いとはただの殺し合いなのですか?」
「…違う!」
「そうですよね。
なら茜ちゃんと戦うのも日向誠と戦うのもそうですよね?」
「っ…。」
「木葉さんは茜さんと戦いたくない、茜さんは日向誠と戦いたくない。
なら二人と戦わないで済めばそれが一番だと思いませんか?」
「だから…それは理論上の話だろ?
そんな方法有るのかよ…?」
「そこでさっきの質問です。
それに桐人さんははっきり違うと言いました。
では桐人さんにとって戦いとは何ですか?」
「それは…。」
「桐人さんはこれまで、何を思って戦って来たんですか?」
言われて考える。
正義の為、大切な物を守る為。
でもそれが本当に正義かどうも分からない今、自信を持ってそう思って戦ってきた、とは言えないのだ。
「確かに俺はさ、今まで大切な物を守る為に戦ってきた。
それが正義だって信じてた。
でも違った。
こないだのドラキュラの事だってそうだ。
体を張って助けてくれたお前を助ける為に、自分の身を守る為に戦った。
でもあいつは言ったんだ。
私がしてるのは食事と一緒だって。
実際それだって正論だ。
俺達だって食事って行為で沢山の犠牲を払ってるのは同じなのに。」
「確かにそうですね。
生物の命とはそれだけ沢山の犠牲のもとに成り立っています。」
「だよな…。
今まで生きてきてさ、そんな事ちゃんと考えた事も無かった。
それだって別に正しい事だって訳でもないのにさ。」
「そうかもしれません。
でもだからこそ私達は頂きます、ごちそう様でしたと手を合わせているでしょう?
犠牲を払わなければ生きていけない人間でもそれくらいは出来ます。
まぁこれは正解ではありませんが。」
「ま、確かに正解ではないな。
それがあれば許される訳じゃないし、それだって言ってしまえばただの自己満足だ。」
「そうですね。」
「…思い返してみれば俺がしてきた事それぞれ自分の為だって言えば当てはまってしまう事ばっかりなんだよな。
大切な物を守りたいって気持ちも結局自分が大切な物の無い世界で生きてくのが辛いからで…。
世界征服を防ごうとしたのだって結局自分の為って言われたら否定出来ない。
だから自己満足なのかって聞かれて何処か腑に落ちた。」
「ふむ、つまり桐人さんは自己満足は悪だと思っているのですね。」
「いや…だってそうだろ…。
そんなの自分勝手以外の何物でもないじゃないか。」
「桐人さん、自己満足と正義の違いとはなんでしょう?」
「いや…それが分かんねぇから悩んでんだろうが…。」
「私は自己満足も正義も似たような物だと思いますよ?」
「…は?そんな訳。」
「実際、人間の行動に自己満足が多少見え隠れするのは仕方ない部分もあります。
要するにそれが独りよがりにならなければ良いのではないでしょうか。」
「っ…。」
「茜ちゃんを守りたい、日向誠を守りたい、大切な物を守りたい。
そう思う事はいけない事でしょうか?
殺し合いじゃなく全てが上手くいく事を願う事はそんなにおかしな事でしょうか?
そのどれもに、元を辿れば自己満足が有ったとしても、それを共に信じ、共感出来る仲間が居るのなら完璧な正解じゃなくても間違いではないと思うのです。」
「…でも。」
「桐人さん自信はそれが自己満足と言われて納得出来るのですか?」
「それは…。」
と、ここで家 のチャイムが居る。
「ふふ、多分そんな仲間は私だけではないでしょう?」
「あらー!千里ちゃんじゃない!」
玄関から母さんの声が聞こえる。
「え…千里?」
「行ってあげたらどうですか?どうして来たのか分かってるんですよね?」
「うっ…。」
確かに分かってる。
「前にもさ、俺が引き籠もって学校にも行かなかった時あいつが毎日のように迎えに来てくれてたんだ。」
「そうだったんですか。」
「だから今俺がこうして普通に学校に行ってるのはあいつのおかげなんだ。
だから感謝してる。
でも同時に後悔もしてる。
してもしきれないくらい。」
「後悔する事は悪い事ではありません。
それを知った上で今どうするか考えるきっかけになります。
その時後悔したのなら、今はそれを繰り替えさない事です。」
「そう…だな。」
「桐人君!その…。」
と、そこでそう言って入ってきた千里の手にはシンプルなピンクの枕。
そしてその格好は可愛らしい熊さん模様のパジャマ姿。
拍子抜けして固まってる俺を見て、
「ち…違うのこれはその…!」
今の自分の格好に今更気付いたらしく慌てて真っ赤な顔で否定する千里。
大方俺の事が心配で居ても立っても居られずに来たのだろう。
それにしても…。
「その枕はなんだ…?」
「えっと…これは…。」
「こんばんは、千里さん。」
「うひゃいっ!?」
光の突然の挨拶に変な声を上げる千里。
「ひ、光ちゃん…。
こ…こんばんは…。」
「はい、とりあえずそこでそのまま立って居ないで中に入ってはどうですか?」
ニコニコと光が促す。
「う、うん…ありがとう…。」
言われて千里は一歩ずつ俺の部屋(すっかり光の部屋と混同されてるが…間違いなく俺の部屋だ。)に足を踏み入れる。
そしてまじまじと部屋を見回す千里。
いくら幼馴染みとは言え女子に自分の部屋をまじまじ見られんのは流石に抵抗がある…まぁ今更か…光には毎日見られてる訳だし。
「何だか…変わったね。」
「最近はこいつも居るしな…。
掃除も毎日こいつがやってくれてるみたいだし。」
光が来て主に変わった事と言えばまず一つに以前より綺麗になった事だろう。
最初に母さんが容赦無く口には出せない大事な物を捨てたりと横暴な掃除をして以降、その綺麗さを今は光が保ってくれている。
他にも光の為に絵本なんかが入った本棚が増えたりちょっとした私物なんかもあったりして今は面影も無い。
「ほ、本当に一緒の部屋で寝てるんだ…。」
どこか落胆したような、なんとも言えない表情を浮かべる千里。
「はい!おはようからおやすみまで桐人さんの提供でです!」
「そ…そうなんだ…。」
一瞬頭を抱えてふらつく千里。
「あ、おい…!大丈夫か!?」
慌てて抱き留めようとするも、千里はそれを拒む。
「良い…良いの…そう言うのじゃないから…本当だから…。」
「それ絶対そう言うのであるやつだよな!?
とりあえずベットで休めって!」
「べ、べっど…!?」
「やれやれ…桐人さんの鈍感っぷりには困ったものですー。」
「は?お前何言って…。」
そう聞き返そうとする俺の背中を、光は急に勢い良く突き飛ばす。
それでバランスを崩した俺は、
「きゃっ…。」
千里もろともベットに倒れる。
「お前急に何して…っ!?」
今の絵面はマズい、第三者から見たら俺が千里をベットに押し倒したみたいになってる。
千里は顔を真っ赤にして目を反らしてるし、そんな顔されたらこっちまで意識して…。
「あ、千里ちゃん。
蜂蜜レモン作ったんだけど…」
…そしてこう言う他の人には絶対見られたくない!って状況で誰かがたまたま入ってくるって定番過ぎんだろう…。
当然の如くこの後たっぷり母さんにお説教されましたとさ。




