感謝
2
一人とぼとぼと、季節柄なのか既に暗くなった帰り道を歩く。
そのまま部活に参加しようと言う気分にはなれず、荷物だけ取りに行ってから帰な
る事にしたのだ。
出来るだけ早く帰って落ち着きたかった。
落ち着いて考えを纏めたかった。
こんな風に思うのは最初に雨から自分の未来を告げられて以来か…。
あの時俺は、全くそんな未来を信じてなかったし、信じないと決めた。
疑って、抵抗して、覆してやるとも。
それでも状況は変わっていない、むしろ悪くなっている。
まるで現実が、いい加減認めろ。
現実逃避したって無駄だ、と自分を責め立て鼻で笑っているかのように。
「ふざけんなよ…。」
独りごちる。
それはあの日茜に思いや気持ちを無下にされた時のようで、それでいてその時のそれよりも大きな理不尽さに対する訴え。
そしてそれはその理不尽の存在を自分で認め、自らが自らを否定している事と同義だと思い知る。
そしてその言葉を向ける相手が、その理不尽からいつの間にかあまりに不甲斐無い自分へと変わるのだ。
「駄目だ。」
無理矢理振り払う。
一人でいる時。
考えがマイナスになりがちなのは人間の本質が不安や孤独から浮き彫りになっているからなのだろうか?
それとも一人でいる事に慣れようとした過去の感傷がそうさせているのだろうか?
何一つ纏まる気がしない。
これまで纏まっていたのが不思議なくらいに。
とにかく早く帰ろう。
そう思って少し足を速めようとしていた矢先。
「桐人さん!危ない!!!」
「…え?」
聞き慣れた声でさえ認識するのには数秒かかった。
だからその声の主に押し倒され、その主が俺の代わりに(それ)からの攻撃を受けたのだと認識した時には全てが遅かった。
「光!?」
俺に覆い被さっていたのは光。
その背中には鋭いかぎ爪で引き裂かれたような痕があり、そこから吹き出る血が彼女の純白のワンピースを赤く染めていた。
「なんとか…間に合ったのです…。」
「お…お前…間に合ったじゃないだろ…!
戦えない癖に何してんだよ…!?
痛いのは嫌だって言ってただろうが!
敵が来たら逃げるとかほざいてたのはどこのどいつだよ…!?」
そんな俺の文句など、気を失った光の耳にはもう入っていなかった。
「おや…外してしまいましたか。
いや、これはこれで良い獲物ですね。」
「なっ…!?」
途方に暮れる俺の前に現れたのは、漫画や参考書などから飛び出してきたようような程忠実に再現されたような存在。
幻想上の存在の筈のヴァンパイアだった。
「次は外しませんよ?」
そう言ってヴァンパイアは、自らの爪を俺に向けて伸ばして来る。
がそれをバリアが防ぎ、弾く。
「なんと…。
異能者、と言う訳ですか。」
「そう言うこった。」
気を失った光をその場に寝転ばせ、ヴァンパイアを睨む。
「絶対に許さねぇ…。」
言いながら刀を構える。
「ふむ…抵抗しますか。
それも面白い。」
再び伸ばしてきた爪を刀で弾くも、力で押し返される。
「っ…なんて力だ…。」
「無駄ですよ…。」
「くそ…。」
向かってくる爪は素早くて力も強い。
オマケにその遠距離攻撃で近付く事も出来ず、刀で直接切り裂く事も出来ない。
せめてあの爪を止められれば…。
そう思っていたところで、再び弾いた爪が壁に突き刺さる。
「おっと…これはいけません。」
「今だ…!流波斬!」
俺が使える唯一の遠距離攻撃で、刀から衝撃波を放つ技。
確実に当たったであろう感覚は有った。
さっきまでヴァンパイアが居た辺りに砂煙が巻き起こり、壁も壊れている。
「やったか!?」
と、そう思った矢先。
「油断大敵ですよ?」
ヴァンパイアは俺の目の前に現れたのだ。
「っ…!」
そう、現実と言うのはいつだって期待させておいて裏切る物なのだ。
そう思った時にはもう遅かった。
ドラキュラの爪が肩を貫く。
そのあまりの痛みにしゃがみ込む。
声にもならない、とはまさにこの事なのだろう。
その痛みから出た声は言葉として表現できる物ではなかった。
「ふふふ…手間取らせてくれましたね…。」
全く歯が立たない。
そう悟った。
俺が放った攻撃を受けているにも関わらず、その体には一切の傷は無い。
いや、実際にはあったのだろうが一瞬で無くなったのだ。
確かな絶望。
勝てなくても死ぬ事はなかった牧乃先輩との戦いとは違う、先の無い敗北。
怖い。
流れる血。
倒れて動かない光。
助かる見込みは何一つ無い。
俺はこんな小さな命さえ守れないのかよ…?
あまりに情けない。
そんな小さな命に守ってもらったと言うのに。
早く彼女を千里の元に連れて行かなければならないと言うのに。
と、その時。
突然飛んできた札が、ヴァンパイアの首筋を掠めた。
「っ…!?」
それにヴァンパイアは明らかな動揺を示す。
「そこまでよ…。」
その声の主の姿を確認した所で、俺の意識は途絶えた。
「あ…か…ね…。」
「ふぅ…どうにか間に合ったようね。」
「次から次へと…異能力者が何人集まっても…なっ…!」
淀み無く首筋に当てられた札に、ドラキュラは動揺を更に強くする。
「動かないで…。
このまま首を飛ばされたくなかったら大人しく退く事ね。」
「いやはや勇ましい。
そんな紙切れ一枚で一体何が出来ると言うのですか?」
「あら…ただの紙切れだと思って油断していると痛い目を見るわよ…?
こんな紙切れでもあなたの首を飛ばすくらいの切れ味はあるわ…。
今ここで試してみても良いけれど…。」
「ふん…まぁ良いでしょう…。
望み通りここは大人しく退く事にしますが…近い内にまたお会いしましょう。」
「そう…私は二度と会いたくないわね。」
「ふん…。」
ヴァンパイアは一度鼻を鳴らすとそのまま姿を消した。
「間に合ったのは良いけれど…急がなければ…。」
言いながら桐人を背負い、歩き出す。
雨から聞いた話ではここから千里の家は近い。
早くこの二人を連れて行かなければ。
それにしても…彼女は自分の命を投げ打ってまで彼を助けようとした。
恐らく彼も逆の立場ならそうした筈だ。
私は違う。
自分が助かるのならわざわざ自分の命を投げ打ってまで誰かを庇うなんてしない。
あの日の彼のように、丸腰で助かる見込みなんてない状態なら尚更だ。
その場に倒れている光に目を向ける。
彼女は彼によく似ている。
いや、似せようとしているのだろうか。
やっぱり私には理解出来ない。
見て見ぬ振りをしてれば自分は何ら被害を被る事は無いし、こんな怪我をする必要も無かったのに。
人間はそうやって臭い物には蓋をしていざとなれば自分が助かる為に平気で他人を切り捨てる物だと思っていた。
でも彼女はそれをしなかった。
彼のように、力も勝てる見込みも無い癖に飛び出していった。
そんな人間を人は馬鹿だと言って笑うのだ。
自分には出来ないから、安全な場所から自分が被害者にならなければ関係無いと。
何もしない癖に出来た奴を馬鹿にする事で、優位に立とうとする。
自分を正当化しようとする。
そしてそんな誰かをまた正義気取りの誰かが馬鹿にする。
心底くだらないし吐き気さえする。
でも人間はそんな物だと思っていた。
自分より下が居ると思わなければ劣等感は拭えない。
拭えなければプライドが許さない。
だから嫉妬もする、馬鹿にもする。
そしてどれだけ卑屈になろうと結局何よりも自分が可愛いから、それを正当化しようとするのだ。
でも彼女は、そして彼はいつも私が知る人間とは違う事をする。
そうする事で彼自身にメリットなんて無い。
自分が死んだらデメリットでしか無いと言うのにだ。
そんな彼らを、私は馬鹿にしてきた。
私が思う人間のように。
理解出来ない。
どうしてそんな事も分からないのか、と。
同時に私は自分さえも馬鹿にしていた。
自分も所詮、吐き気がする程自分の事しか考えられない人間でしかないのだと。
彼は言った。
大切な人の居ない世界で生きていく方が辛いだからそれを守る為に戦う、と。
言ってしまえば彼もメリットやデメリットで動いてるのは私や私の知る人間と同じだ。
でもその根本が違う。
自分を犠牲にしてまで誰かを守る事は、彼にとってそんな世界を守る為のメリットに基づいた行動なのだ。
きっとそれは答えじゃない。
衝動とか後先を顧みない無謀な振る舞い。
でも彼はそれをデメリットとは言わない。
きっと後悔もしないのだろう。
そんな姿勢が、彼女の心を動かした。
守りたいと、命を懸けてでもと思わせたのだろう。
どちらにしろ私には分からない話だ。
「ここね…。」
千里の家に着く。
二階の窓にはカーテンが閉まっていたが光が漏れており、誰かが居るのは見て取れる。
桐人をその場に降ろし、懐から札を取り出して窓に向けて投げる。
それが窓ガラスに当たってからコツンと音がして、数分程して部屋の主らしき陰が怖ず怖ずと顔を出す。
顔を出した千里はすぐに私と後ろで倒れている桐人の存在に気付く。
「あ、茜さん!?一体何が…!」
「説明は後…安心しなさい…。
とりあえず彼は無事。
だから早く彼に力を。
私はもう一人の犠牲者を連れてくるわ…。」
不本意ではある物の、彼女もあのまま放っておく訳にはいかないだろう。
「は、はい…もう一人…?」
「光よ…。
彼を庇って怪我をしているわ。
それより早く…。」
「は、はい。」
その返事を聞かずに茜は光の倒れている場所に戻り、千里は慌てて階段を駆け下りる。
左右違うサンダルを履いてる事になど気にする余裕も無い程慌ただしく外に出て、息を切らしながらその場にしゃがみ込み両手を組んで祈る。
すると桐人の傷は瞬く間に消え、ゆっくりと目を覚まして辺りを見回す。
「たす…かったのか。」
起き上がりながらそう呟いていると、見知った顔が近付いてくる。
「えぇ、非常に残念な事にね…。」
か俺にそう皮肉を漏らしたのは茜。
そうか…俺は茜に助けられたんだ。
「あぁそうかよ…。
それより光は!?」
「あぁ…彼女なら。」
茜の背中にはさっきのままの光が居て、それをその場に降ろすと、
「彼女にも早く…。」
「は、はい。」
同じように祈ると、光の傷も瞬く間に消える。
が、目を覚ます気配は無い。
「ひ…光?」
まさか手遅れだったんじゃ…。
最悪の想像が脳裏を過る。
「すー…すー…。」
そんなシリアスな雰囲気を一瞬でぶち壊す可愛らしい寝息。
それを聞いて、一気に肩の力が抜ける。
「なんだよそれ…。」
拍子抜け過ぎてため息が漏れる。
「良かっ…た。」
千里もそう言って倒れる。
「さて…あまり時間は無いわ。
あのヴァンパイアがいつまた現れるかも分からない。
死神神社で一度作戦を立てましょう…。
二人は一先ず彼女の家で休ませておけば良いわ…。」
「そうだな。」
言われた通り千里の親に二人を任せて(説明は中々骨が折れたが…。)
並んで歩き出す。
「そう言えば…その、ありがとうな。」
俺がそうお礼を言うと、茜は無言でそっぽを向いた。
相変わらず無愛想な奴…。
そっぽを向きながら茜は思っていたのだ。
ありがとう。
光が彼を守ったのは彼を守りたいと言う強い意思からだ。
そして彼が彼女を傷付けたヴァンパイアに怒りを露わにしたのも彼女の為と定義して良いのだろう。
でも私は違う。
私がこうして彼を助けたのは他ならぬ自分の為だ。
そうしなければ自分の命が危ないから仕方無くそうするだけ。
だから感謝なんて私には必要無い。
されて良い筈だって無いのに。




