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夢幻  作者: 遊。
第四巻第三章

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悲劇は刻々と迫る


一方その頃。


茜は、少し離れた所の砂浜に座って一人海を眺めていた。


あの時。


楽しそうな彼らを見て、自分とはあまりに遠い世界に見えてとても居心地が悪かった。


でもそれだけじゃない。


それを見ていると、どこか胸が痛むような気がしてならないのだ。


これも恐らく生前の自分の感傷なのだろう。


そして、最近はそれを意識する機会が増えた気がする。


それは恐らく彼と関わった事による影響だろう。


〈あれで良かったの?〉


そうして一人思考を続けていると、雨がいつもの様にテレパシーで語りかけてくる。


「別に良いわ。


それとも…あなたも私が間違っていると?


救われるべき可哀想な存在だと言うつもりかしら?」


〈そうは言わないけど。


それに私は彼みたいに特別な理由も責任も無い同情でそう思ってる訳じゃないから。〉


「そうだったわね。」


〈ただ状況が状況なだけにこのままじゃ色々困ると思っただけだよ。〉


「…そうは言っても仕方ないじゃない。」


〈茜にしては珍しいよね。


あんなにも取り乱すなんて。〉


確かに私は彼に会うまで、あんな風に特定の誰かに向けて取り乱した事なんてほとんど無かった。


元より他人に全く興味が無かったのだ。


恨まれても、嫌われても、どんな理不尽を向けられてもだからどうしたと思って一々気にも留めなかった。


どうせ他人との関係なんて一度嫌われたらそれで終わりなのだ。


そんなもう二度と関わる事の無いであろう相手の為に取り乱すなんて馬鹿らしい事だとさえ思っていた。


「それなら…あなたは私に彼が言う仲直りとやらをしろと、そう言うのかしら?」


だと言うのに彼は私に謝り、そして許しを求めてきた。


そんな事をされたのは彼が初めてだった。


彼はいつも、私がこれまで見てきたどの人間達とも違う事をする。


〈まぁ、仲直りするって言っても元々の関係が良くないのに直すも何もないよね。〉


「そうね…。」


今よりもっと良くなりたいと彼は言った。


私はどうだろう?


彼とどうなりたいのだろう?


これまで関わって来た人間のようにただの他人と言ってしまえるのなら、こうも考える必要なんて無かったと言うのに。


そう自分の中で何度切り捨てても、彼はいつだって何度も何度も土足で私の心に踏み込んでくるのだ。


〈良くも悪くも彼は茜の運命を変える存在だからね。


茜はどうしたいの?


彼と関わるのをやめてこのまま何も無く未来を受け入れる?


それとも、もう一度彼を信じてみる?〉


「その言い方だとまるで私が前までは彼の事を信じていた様に聞こえるわね…。」


〈違うの?〉


「全く違うわ。


あなたがそう言ったからただ利用しているだけよ。


信用なんて全くしないし当てにすらもしてないわ。」


〈…それは…これからもずっと変わらない?


茜がどうしてもそれが嫌だって言うのなら、彼を必要としない方法を考えてみるよ?〉


そう言われて、すぐに言い返せずに口ごもってしまう。


普段の私ならその願ってもない提案にすぐに返事を返していた筈なのに。


でも何故か、今の私にはそれが出来なかった。


「…あなたは卑怯だわ…。


今になってそんな事を言うなんて。」


だからそう皮肉をぶつけるしか出来なかった。


〈うん、自覚してる。〉


そもそももしそんな方法があるのならこんなにも面倒な事にならなかった。


彼にこうも心をかき乱される事も無かった筈なのに。


これまで通り私は心を無にして人間の心を試していた筈だ。


いつものように何も無い日は静かに粗茶を飲んで居られたのに。


こんな所に無理矢理連れて来られる事も、あんな理不尽な辱めを受ける事も無かったと言うのに……!


〈最後だけヤケに恨みがこもってるね…。〉


「当然じゃない…。


あんな屈辱存在していられる間はずっと忘れないわ…。」


私は彼を知ってしまった。


そして自分と違う世界を知ってしまった。


あれほど避けてきた世界に踏み込んでしまった。


「なのに…あなたは今更そんな事を言うの?」


〈うん、きっともう後戻りは出来ない。


そして今私が言った選択も一度選べばけして元には戻せない。


その上で茜はどうしたい?〉


「少し考えさせてもらえるかしら…。」


〈うん。〉


雨は思っていた。


茜は確実に生前の茜に戻りつつある。


もし今彼女が、そんな方法があるなら早く言えと皮肉交じりに即答していたなら、それは私の杞憂だったのだろう。


でも違った。


それが出来なくなる程に、茜の中で桐人の存在はどんどん大きくなってきている。


やっぱり…彼の存在は危険だ。


事態はもう取り返しの付かない所まで来ている。


私は焦っていた。


ここに来て事態が大きく動き出した事に。


茜が消える未来はもう近くまで迫っている。


だと言うのに、私が今すぐ出来るのはこんな風に選択を促すくらいだ。


私としては、これ以上茜に本来の自分を取り戻してほしくはない。


それはあまりにもリスクが大き過ぎる。


かと言って今更彼を切り捨てたところで彼が素直に引き下がるとも思えない。


私が危惧した通り、しぶとく茜に踏み込もうとするだろう。


かと言ってこれからも彼を信じ続ける道を選べば、茜は確実に元に戻って事態は一気に暗転する。

              

茜はどちらを選ぶだろう?


最終的な結果は同じだ。


どちらにしろ茜は消える。


でも私にはどちらが茜にとって最良かなんて分からない。


いや、最良なのは消えない事なのだが今の茜は頑なにそれを拒んでいる。


ならせめて、茜自身に選択をさせるべきだろう。


そこまで考えてため息。


どうしても納得出来ない。


何故いつも私ではなく彼なのだろう?


こんなにも茜の心をかき乱すのが。


茜を救う事が出来るのが。


ついこないだまで全くの他人であった筈の彼に、どうしてそれをする権利が与えられたのだろうか?


私の方が茜を救いたいと言う思いは強いし、その理由だってはっきりと分かっていると言うのに。


だから私は彼に嫉妬していた。


皮肉だって言いたくもなるし、からかいたくもなる。


むしろそれでも我慢して助けている私を褒めてほしいくらいだ。


だと言うのに彼は私の警告を無視した。


今以上の関係になるなと言う私の警告に、もっと良くなりたいと反旗を翻した。


別にこれは二人に嫌がらせがしたいから言っている訳じゃない。


私個人の解釈ではあるが、これは二人にとって最悪の未来を防ぐ為に必要な事なのだ。


だと言うのに。


頑なに人付き合いを避けてきた茜でさえ、それをすぐに受け入れられないでいる。


そうなると私に出来る事なんて経過報告と後は指を咥えて見てるくらいしか無い。


私も彼のように茜の心を動かす事が出来たなら。


俗に言う喧嘩、と言う物をして思いっきり言いたい事を言い合う事が出来たのなら。


もっと私にも出来る事があったのだろうか?


普通の人のように仲直りして、より深まっていく様な関係を茜と築けたのだろうか?


あの日のように幸せな日々を送る事が出来たのだろうか?


不意にこみ上げてくる懐かしさや寂しさを無理矢理に振り払う。


駄目だ。


確かに最初は、茜とまた出会えた事が純粋に嬉しくてそれを願った。


でも今の茜はあの日の茜じゃない。


そしてその茜に戻ってしまえば、殺される未来を防げたとしても自らまた命を絶つ可能性だって充分にある。


だから私はそんな感情を捨てたのだ。


無理矢理に振り払い、見ないようにした。


あくまであの日の茜とは別人なんだと割り切った上で、彼女を救う事を選んだのだ。


幸運だったのは、茜が私の事を全く覚えていなかった事だろう。


ただ自分の未来を変える為の道具として利用してくれたからこそ、私もそれに合わせる事が出来ていたのだ。


それなのに。


私はそうして全てを捨てて来たと言うのに。


何故彼は何も捨てずに、彼女に踏み込む事が出来るのだろう?


時にぶつかりながらも、何だかんだ助け合う様な関係を築く事が出来たのだろう。


茜だけじゃなく、彼は私の心でさえもかき乱す。


そんな事をしなくても良いのに、と自分よりも高い位置から哀れみの目を向けられているようでやりきれない。


こんな嫉みも妬みも、必要無いと捨ててきた感情の一つの筈なのに。


そうしてそれに耐えて、耐えて結局茜が消えてしまえば。


あの日の茜さえも消えてしまえば。


私には一体何が残ると言うのだろう。


私だって本当は茜との再会を喜びたい。


また幸せな日々を一緒に過ごしたいのに。


それを強く願えば、願ってしまえば。


きっと一番大切な物を失ってしまう。


全て無かった事になってしまう。


結局私はそれが何よりも怖いのだ。


だから彼のように踏み込めないでいる。


心を無にしなければ、今の彼女を救う事だけを考えなければ。


必死に自分に言い聞かせる。


そうする事で自分を保ってきた。


こうしてそれに耐える事なんて、全て無かった事になるのと比べればずっとマシだ。


その先にどんな未来が待っていようと、私は信じたい。


そうすれば報われるだなんて、甘い考えだと言うのは分かっているつもりだ。


でもそんな淡い期待を胸に抱きながらじゃないと進めもしない。


そこに無責任で綺麗事な願いしか無いとしても。


嫌になるほど現実的な未来が目の前に迫っていたとしても。


私はただ進むしか無い。


他ならぬ自分がそれを選んだのだから。

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