幸せの定義
3
「とうちゃ~く!」
高らかに木葉が到着を宣言する。
「すっげぇ…。」
船着き場を降りた俺達がまず目にしたのは辺り一面の砂浜と、二階建て四十五坪程の大きな別荘だった。
入り口のすぐ隣はリビングになっていて、そこに取り付けられたガラス戸から海を見ながらの食事が出来る。
二階にはベランダもあり、夜は星空とかも見れそうだ。
「そ…それに関しては悔しいですけど同意します…。」
うお、本当に悔しそうだな…金城さん。
まぁ…それをすっげぇムカつく顔で見てる木葉のせいか…。
光と雫は降りてすぐにソッコーで砂浜を走り回ってるし、蟹井は無言で写真を撮りまくってるし…。
「うぷ…お前らぁ…あんまり羽目を外し過ぎんなよぉ…。」
と言うか…この人本当に引率?
羽目を外し過ぎる暇も無いくらい早々にへばってんじゃねぇか…。
哀れちなっちゃん…いや臨時さん。
一方の茜はこれと言って何を言うでもなく海を眺めていた。
ほんっと、黙ってたらすっごい絵になるんだよなぁ…。
実際普段と違う服装の茜は、海にも砂浜にも広がる青空にもよく似合っていた。
「黙っていてほしいのなら余計な事を言わなければいい話なのだと思うけれど…?」
相変わらずそんな良い雰囲気を一瞬で崩す皮肉。
「口には出してねぇだろうが…。」
「まぁ…どちらにしろあなたのその下卑た眼差しをずっと向けられていればぼやきたくもなるけれど…?」
ほんと、黙ってたらなぁ…。
「それよりお前…海に全く興味無いんじゃなかったのかよ?」
俺がそう皮肉で返すと、プイッと海の方に再び向き直る。
「別に…ただもう後戻りは出来ないと思っただけよ。」
「お前…逃げるつもりだったのかよ…?」
「それも良かったのかもしれないわね…。」
そう言う表情は、普段の鼻で笑う表情ではなく真面目そのものだった。
この時、茜は思っていたのだ。
ここに来るまでに感じていた微かな懐かしさ。
それを感じて、あの日のように何もせずに逃げる事は実に簡単だった。
でもそれが出来なかった。
今日この日に感じたそれは、あの時感じた悪寒では無く、何処か温かみを感じられる物だったから。
言い訳かもしれない。
でもきっとまた私は知る由も無いと言い続けた過去の自分に操られたのだと。
勿論そんな茜の心境など一切知る由もなく、俺はただ首をかしげていた訳だが。
「あなたにはその間抜け顔がお似合いよ…。
絵にはなっていないでしょうけど。」
そう鼻で笑って、茜は背を向けて行ってしまう。
「何だってんだよ…。」
取り残された俺は、そう一人ごちた。
「さ~て、それじゃ~早速荷物を置いて皆で泳ごっか!」
と、ここで木葉がそう先導する。
「「おー!」」
それにそれぞれ異論も無く賛同の声を上げる。
うん、もう引率も部長もこいつで良いんじゃねww
ちなっちゃん、もとい臨時さんは早速別荘で休まされてるし、蟹井は蟹井で未だに写真撮りまくってるし、白石はどうでも良いし…。
「毎回僕の扱い雑すぎじゃないですか!?」
「あ、居たの。」
「だから毎回わざとやってますよねww?」
「蟹井、泳ぐってよ。
着替えに行くぞ。」
「清々しいくらいのスルーっすねww」
「ん、おう。
いやぁ、こんな場所に来れる機会そう無いだろ?
だからつい無心になって写真を撮りまくっちまった。」
「お前写真の趣味とかあったんだな。」
「おうよ、俺のホラーは写真から入ってるからな。」
うん聞きたくなかった。
え、何?ここ何か居ないよね?
考えてみたらこれ木葉の発案だったよな…。
ガチで不安になってきたぞ…。
こないだ言ってたゲストの一人は幽霊とか言い出さないよね?
やめよう…シャレにならん…
ちなみにここの別荘には、なんと別荘の建物の両横に男女それぞれの更衣室が設えられていた。
俺達はひとまず水着に着替える為にそれぞれ更衣室に向かった訳だが。
茜と雨は大変渋っていて、木葉や凪に無理矢理引きずられていた。
手短に着替え、とりあえずパラソルの準備でもしている事にする。
「あぁ、金城さんの水着…楽しみだなぁ…。」
などと呟きながらそわそわする白石はほっとこう。
「いやぁやっぱ夏って良いよなぁ!
早くこの目に焼き付けたいよなぁ!」
駄目だこいつら…。
いやまぁ俺だって興味はありますよ?
そりゃ俺だって健全な男子高校生ですから。
でもこないだもあんな事があったからね?
慎重にもなる訳ですよ。
「お前ら良いから手伝えよ…。」
大きめなブルーシートを砂浜の上に広げ、重しの代わりにとタオルとかを入れたバッグを置いておく。
「よし、じゃあ俺は重りの役として手伝おうじゃないか。」
「おいこら部長…。」
「これ、この辺りに差し込むんすか?
「ん、おう。」
白石の方がよっぽど積極的ジャマイカww
「ここで良いとこを見せておいて…」
と思ったら下心バリバリだったわww
「お~パラソルやってくれたんだ!」
そう言って最初に出てきたのは木葉。
水色ボーダーキャミソールタイプの上着と半ズボンと言う感じの水着姿。
あれだけ普段食いまくってる癖に、お腹回りには全然贅肉らしい膨らみはない。
ついでに言えば上の方の膨らみも…
「おっと、キリキリそれ以上言ったら殴るよ…?
いやいっそ殺すよ?」
真顔でキレられた。
誓って言うが口には出してないぞ!
そして怖ず怖ずと、その後ろから千里が恥かしそうに隠れて顔だけを覗かせる。
「千里っち~自身持ちなよ~…。
私よりは絶対あるんだからさ…。」
最後ちょっと自嘲気味で声に陰を感じたぞw
「う、うん…その…どうかな…?」
そう言ってもじもじと前に出てきた千里はピンクのフリフリ、リボン付きのビキニで、スカートが付いているタイプだ。
普段の地味な印象とは対象的だが、確かに似合っていた。
そして木葉が言うように上半身のそれもほど良い膨らみを持っていた。
「似合ってんじゃん。」
まぁ…最後のは絶対に口に出さないけど…素直な感想を述べる。
それを聞いて千里は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
こないだは割とぞんざいに扱っちまったしなぁ…。
ま、喜んでるし今は良いか…。
「早く泳ぐの!」
「あ、雫ちゃん待ってですー!」
次に出てきたのは雫と光。
二人ともそれぞれ、光はピンク雫は青のUバック水着。
光は一度俺達に気付いて軽くお辞儀をしたもの、雫はこちらに目もくれず海に向かって走り出す。
「こーら、二人ともまずは準備運動からだよ!」
そしてその後ろから歩いてきたのは凪。
その瞬間男性陣の視線が一斉に集中する。
「おいこら白石…。
お前金城さんは良いのかよ…?」
ガン見しながら蟹井が言う。
「良いんですよ…。
これは不可抗力です…!」
いや良くはねぇだろ…。
凪の水着はタンクトッププラスビキニ通称タンキニと言われるタイプの物で、ハワイアンな花柄があしらわれている。
と、そんな解説を落ち着いて出来るのは俺だけで他二人の男子は大きめな膨らみに目を奪われてらっしゃる。
許せ蟹井、白石。
俺は命が惜しい…。
「あら…懸命ね…。
まぁそう思ってる時点で同罪な気もするけれど。」
「っ…その声は…!」
慌ただしく振り返ると、予想通り声の主である茜が立っていた。
その姿はまさに完全防備。
上には水泳用の水色パーカー。
下はハイビスカスがあしらわれたパレオでバッチリガードしてるし。
「あら…?何かご不満かしら…?
生憎私はあんな破廉恥な格好で歩き回るような趣味は無いわ…。
言ったでしょう?あなたの下卑た期待に応えるつもりはないと。」
こ、こんなヒロインがいまだかつて居ただろうか…。
いや居ない、絶対居ない。
居て溜まるか…。
「あぁそうだったな…。
でもそれに関してはお前にそんなの期待してないと答えた筈だぞ…?」
「どうかしらね…。
その場ではそう言えたとしても目の前で見たら途端に掌を返すのではないかしら…?」
「だからねぇっての…。」
「あらそう…それなら良いのだけれど。」
そう言ってそっぽを向く茜。
全く…俺もそれから目を反らし、辺りを見回す。
「え、ちょ…!何!?」
凪が二人の視線に気付いて逃げていた…。
白石はその後にやってきてそれを見た金城さんにつねられてるし…。
蟹井は木葉に水鉄砲(結構デカいやつ)で顔面を攻撃されてるし…。
哀れ…蟹井、あとついでに白石…。
だから言ったのに…。
いや言ってないか…。
御手洗さんは結局またちなっちゃん…じゃなかった臨時さんの看病で居ない。
ちょっと水着姿気になったけども。
いや思っても言わないけど。
ちなみに金城さんは黒ビキニで雨はワンピスタイルの黒水着。
【別に私の解説までしなくても良いのに。
空前絶後のロリコンさんだね。】
解説された雨はそう書かれたホワイトボードで小突いてくる。
「うるせぇ…。
お前はサンシャインか…。
それにこれはそう言う仕様なんだっての…。」
【仕様って…そんなメタな…。】
新しいなその返し。
「と言うかそのホワイトボード海にまで持ってきたのかよ…?」
【これは防水だから良いんだよ。
無かったら話せないし。
まぁ私は別に話せなくても良いけど。】
「うん、必要だな。」
【そう?そこまで言うのならからかう為に使わせてもらおうかな。】
「うん…やっぱいらねぇわ…。」
「茜っち~…そうはいかないよ…?」
と、そこで木葉が途端に目の色を変えてそんな事を言い出す。
「…急に何を言い出すのかしら…?」
それを見て顔を顰める茜。
「そうだよ。
私達だけ恥ずかしい思いするなんてフェアじゃないよね?」
と、そこに凪も参戦(?)する。
「な…凪…あなたまで…?」
その参戦(?)に流石の茜もたじろぐ。
「大丈夫、大人しくしてればすぐ終わるよ。」
にじり寄る木葉。
「痛くない痛くない。」
それに続く凪。
「ち、近寄らないで頂戴!」
おぉう…あの茜が動揺して後退りしてる…。
てかこいつら本気で目が怖いんだけどww
どんだけ恨みがこもってんだよ…。
…しばらくお見苦しい映像が続きそうなので光と雫が遊ぶ姿を見ながらお待ちください。
【そこで迷わずその二人をチョイスする辺りロリコンの極みだね、人にあらず。】
「お前もメタってんじゃねぇか…。
それにさっきから芸人っぽい言い方してんじゃねぇよ…。」
【私はただ目線の先で判断しただけだからメタ発言じゃないよ。】
「あぁそうかよ…。」
改めて二人に目を向けると、仲良さそうに水鉄砲で遊んでいた。
「うえっぷ!しょっぱいの!」
「海水って本当にしょっぱいのですねー…。」
うんうん、和むなぁ。
「ちょ…あ…あなた達!や…やめなさい!」
「ふふふ…良いではないか、良いではないか。」
…ウン…キコエナイ。
「こ…こんな事をしてどうなるか分っているんでしょうね…!?」
「え、聞こえな~い。」
「…おい…助けなくて良いのか…?」
見かねて雨に言うと、
【即効でスルーした人がどの口で言うの?】
「ははは、デスヨネー。」
と言うかこんな姿が見れるなんて…。
さしもの茜でもこの状況では動揺を禁じ得ないらしい。
「いっちょ上がり~。」
木葉がパレオ、凪がパーカーを片手に宣言する。
「あ、あなた達…覚えていなさい…!」
水着姿にさせられた茜は蹲り真っ赤な顔で震えながらそうぼやく。
「っ…。」
その姿に思わずまた見惚れてしまう。
パレオと同じハイビスカス柄のビキニ姿にさせられた茜は、その花言葉のように繊細でとても美しく。
まぁもう一つの新しい恋ってのは流石に無いが…。
白く、きめ細やかな肌。
無駄な肉など一切無い細く華奢な体躯にすらっと長い手足が露わになる。
「や…やっぱり見ているじゃない…。」
すっかりしおらしくなってしまった茜は、赤い顔のまま睨んでくる。
「あ、わ、悪い…。」
「ふん…つくづく下卑た男ね…。」
「でもその…似合ってたから…つい…。」
「似合っていた…ですって…?」
褒めたつもりなのだが、その目は一層険しくなる。
「こんな下着となんら変わらない衣類が…?
あなたはロリコンである前に変態でもあったのかしら…。
…そうね…そうだったわね。」
「勝手に納得してんじゃねぇよ!!
それにただ褒めただけなのになんでそこまで言われなくちゃいけないんだよ!?」
流石にちょっとムッとして言い返す。
「黙りなさい…!そもそもあなたが私にはそう言う期待はしてないと言っておきながら凝視するのがいけないのでしょう…!」
「だから悪かったって言ってんだろ…?」
「別に謝れだなんて言ってないじゃない…。」
何この子こんなに面倒くさかったっけ…?
【まぁ、茜も一応人間だからね。
どれだけ虚勢を張ってもメッキが剥がれれば脆いんだよ。】
と雨がため息を吐きながらホワイトボードを向けてくる。
実際そうだろう。
沢山の苦難を乗り越え、沢山の物を背負い。
沢山の傷を受けて、時に自分に嘘を吐いて。
茜はそうやって自分を守ってきたのだ。
たった一人で。
それがどんなに虚勢であっても間違いないと無理矢理に信じ込んで。
そして今、その茜の虚勢が崩れてきている。
少しずつ本来の姿を取り戻して行っている。
「茜っち実際似合ってんじゃん~。」
無理矢理脱がした張本人がブーブー言ってやがる。
「そうだよ、気にする事ないって。」
同じく脱がした張本人である凪が言う。
「無理矢理脱がしておいてよく言うわね…。
この屈辱…どうしてくれようかしら…。」
「ちっちっちっち。
茜っち~これは物語の仕様だから合法なんだよ~…。」
「どんな合法だよ…。
メタってれば何でも許されると思うなよ?」
【それをあなたが言うの…?】
「馬鹿言え、俺はちゃんと節度を守ってメタってるから良いんだよ。」
【節度を守ったメタって何…?】
「…少なくともこれは駄目だろう…。」
【どっちも駄目な気がするけど。
まぁもう良いや。】
「茜っちはメインヒロインなんだからもっと目立つべきなんだよ~!」
ニマニマと木葉が言うと、
「そんな肩書きはいらないし目立ちたいとも思わないけど…。」
「も~このおませさんめ~。」
「違うと言ってるじゃない…。」
「まぁ…実際似合ってると思うし、そのまま皆の所に行ったらどうだ?」
「絶対に嫌よ…早くそれを返して頂戴…。」
「やだ。」
それを面白がってニヤニヤとする木葉。
本当良い性格してんな…。
「まぁまぁ…折角こんな機会を作ってもらったんだし、茜も輪に入って一緒に楽しもうよ。
その方が絶対楽しいって。」
と、そこに凪がフォローを入れる。
なんだかんだその表情から見るに、さっき襲ったのはただの八つ当たりってだけではないらしい。
やり方には大変問題があるが…。
うん、本当にただの八つ当たりじゃないよな…?
とりあえず茜も一緒に楽しむべき、と言うのには概ね同意だ。
「一緒に楽しむ…ですって?笑わせないで。
そんな馴れ合いは私には必要無い。
私はあなた達のように群れていなくちゃ何も出来ない訳じゃない…!」
「っ…!?」
言われて凪が口ごもる。
「おいおい、そんな言い方ねぇだろ。
凪だってお前の為を思って…。」
「私の為…ですって…?
そんな事を頼んだ覚えはない。
勝手な事を言わないで頂戴…。」
「だからお前!」
「ちょ、キリキリ落ち着いて!」
雰囲気が悪くなったのを察して、木葉が止めに入る。
「そもそも…あなた達はどうしてそこまで私にこだわるの…?
別に私の事なんて放っておけば良いじゃない。
わざわざ私に合わせなくてもあなた達だけで楽しめば良いだけでしょう…?」
「…それは…!お前の事を救いたいって思うからだよ。」
「救いたい…ね。
つまり…あなたから見たら私は救われるべき可哀想な存在。
迷える子羊と。」
「っ…!」
「正義のヒーローや神父にでもなったつもり…?
どうして私があなたに救われなければならないの。
私は救われるべき存在じゃない…。
迷える子羊なんかじゃない!
私は一人で良い。」
「あぁそうかよ!」
その口調は、自然と荒くなる。
良かれと思ってしたつもりだった。
だと言うのにそれをこんなにもはっきりと否定され、必要ないと切り捨てられた事がショックであり腹立たしく思えたのだ。
「なら勝手にしろ!お前なんか知らん!」
思わずそう怒鳴る。
「キリキリ!!落ち着いてってば!!」
「…えぇ、そうさせてもらうわ…。」
それを聞いた茜はそれだけ言うと背を向けて行ってしまう。
「くそ!」
馬鹿らしく思えた。
本気になった自分が、救いたいと思った自分が。
近くにあった木を思いっきり蹴る。
「キリキリ…。」
あいつの為になると思った。
でも光の言う通りだ。
それを幸せと取るかは結局あいつ次第。
なら俺がこれまでしてきた事は?
あいつにも幸せになってほしいと思った俺達の思いはどうなる?
必要ないの一言で簡単に切り捨てられてしまうのか?
「ふざけんなよ…!」
俺がした事は全部無駄だって言うのかよ?
そんなのありかよ…!?
「何かあったのか!?」
騒ぎを聞きつけ、蟹井や他の遊んでいたメンバーが駆け寄ってくる。
楽しくなる筈だった俺達の合宿に、確かな亀裂が入った瞬間だった。
あれほど危惧していた事を、俺は自分自身で起こしてしまったのだ。
あいつの時間を、いや、ここに居る全員の時間を最悪な物へと変えてしまったのだ。
何やってんだよ…?俺は…。




