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夢幻  作者: 遊。
第八巻凪編後編

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一つしかない中で見つけたもう一つの物

 私が生まれた時から、いや、実際には生まれるよりずっと前から決まっていた事がある。

「お前は将来、私の跡を継いで優秀な医者になるのだ。」

父はいつも私にそう言っていた。

元々気弱で父の言う事に逆らえなかった母もそれを黙認していたし、私自身ずっとそれを言われ続けていたからこそ特に疑問を持つ事も無く普通だとさえ思っていた。

幼稚園から通う学校まで最初から決まっていて、子供の頃から玩具で遊んでいる時間より勉強している時間の方が多かった。

と言うか玩具だってほとんど買い与えられた事はなく、誕生日のプレゼントだって分厚い分厚い辞書や参考書、少し物の良い文房具とか。

同年代の子がしてるみたいにおしゃれをしようにも可愛い服とかアクセも与えられず服も最低限の物だけ。

予備校の帰りに見かけたクラスメートの可愛い私服に目を惹かれた事もある自分も着てみたいと思った事も。

小学校の時作文で将来の夢を書いてくる宿題があった時には自分と違ってクラスメート達がそれぞれ将来なりたいものや希望をあげて嬉しそうに楽しそうにしてるのをに対して、自分は将来医者にならなくちゃいけない、親にそう言われているからとだけしか書けなかった。

実際それで周りにどう思われてもそれ以外の事は書けなかった。

この頃にはもうそれが私にとっての普通だったし、どうして医者になりたいのかと聞かれても父親にずっとそう言われ続けていたから以外に理由なんて無い。

周りがどんなにきらびやかな夢を願おうとも、可愛い服やアクセで着飾ろうとも、憧れこそあれそれを口に出せば父からはそんな物は必要ない、無駄だと言われ続たからか、早い段階で自分から何かを願う、と言う事を諦めてしまっていた。

でも、そんな私が限界を感じ始めたのは、父に決められた医療学校への受験が始まった高校三年生の時。

これまで予備校にも通い、高校での成績もそれなりに良かった物の、その受験が差し掛かり始めたのを境に、段々勉強に追いつけなくなってしまった。

そしてそれはすぐに父の耳にも入る。

「なんだこの成績は。

これで私の跡を継げるとでも思っているのか?」

「で、でもこれでもクラスでは上の方で…。」

「無駄口を叩くな!お前はただ将来跡を継ぐ事だけを考えていれば良いんだ。」

これもずっと言われ続けてきた事だ。

一度こう凄まれてしまえば、私に言い返す言葉などない。

「はい、お父様。」

素直にそう言うだけしか出来なくなる。

でもそうは言っても日に日に見えてくるのは自分の学力の限界だった。

元より生まれつき飛び抜けて頭が良かった訳じゃない。

父が選んだ偏差値が高い学校に入るための勉強だって毎日死に物狂いでした。

それだって随分な背伸びだったし、毎日追いつく為に人間関係や寝る間さえ惜しんで勉強に励んだ。

でもお母さんは時折お父さんがいないところで私に謝るばかり。

お父さんはこれだけ私が頑張っても更に上を求めたり出来ない事を馬鹿にするだけで私を褒めた事など一度も無かった。

お父さんからすれば それは全部当たり前の事で、出来ない事こそが間違いなのだ。

これまではなんとかなっていたのに、また点数の下がったテストを見て私は焦っていた。

このままでは駄目になってしまう。

これまであんなに色んな事を我慢して頑張ったのに。

それだけは嫌だ。

じゃないと私は…

考えないようにしていた。

自分には、父親の跡を継いで医者になると言う生きる意味があった。

勉強していく内に少しずつそれに近づけている事がただ嬉しかった。

それなのにそれが出来なくなったら、私には何もない。

与えられてもこなかったし、願ってもこなかった。

そう思うと、唐突に言いようのない恐怖に襲われる。

そしてそれはある日成績が随分下がった成績表を見せた時の父親の一言だった。

「お前は俺の娘だと言うのに無能だな。

母さんにでも似たのか?」

「っ…!?」

無能、と言う言葉が深く突き刺さるそして確かに私同様お母さんはとても学力が高いと言う訳でもなかった。

でもそんな風に言うなんて。

「あまり私を失望させてくれるな。」

何も言い返す言葉はなかった。

そんな選択肢だって与えられてこなかったのだから。

それからは毎日不安ばかりが募り、夜もまともに寝られない日が増えた。

体も心も、既に疲れ切っていた。

ある日の学校の帰り道。

そのまま帰る気にはどうしてもならず、私は通学路の河川敷に寝そべった。

こうして何もせずに寝そべっているだけなんていつ以来だろう。

家で寝る時以外はこんな事をした記憶が無い。でも一度その場に寝そべってしまうと、まるでねずみ取りに引っかかったネズミみたいに身動きすら出来なくなる。

既に溜まった疲労と不安は、再び立ち上がる地言う選択肢を私から奪った。

ふつふつと湧き上がる罪悪感と、早く帰らなければと言う焦り。

でも背中に伝わる地面の感触や、微かな風の音、鳥の囀り、眼前に広がる青空や、名前も知らない可愛らしい花に囲まれたこの場所の居心地は、今まで居たどんな場所よりも居心地が良かった。

このままずっとこうしていたいこれまで願う事なんてしてこなかったのに、心も体もそれを願って言う事を聞こうとしない。

まぶたを閉じて、このまま眠ってしまおうか。いっそそのまま目が覚めなければ良いのかもしれない。

しばらくそうしていると、ぱしゃっと言う小さな機械音が頭上からした。

思わずはっと目を開く。

「あ…邪魔しちゃってごめんね。

河川敷に寝転がっている君の姿があまりにも絵になっていたからつい、ね。」

言いながら照れくさそうにさっき私を映したのであろうカメラを見せてくる。

それに私は真顔でスマホをポケットから取り出して警察に電話をしようとする。

「わぁ!?ごめんごめん!?通報だけは許してください!お願いします!」

大慌てで引き留められ、仕方なく私はスマホを引っ込める。

「あなた…何なんですか…?」

「あ、僕の名前は天草浮葉。

この近くの花屋でバイトをしてる大学生だよ。」

「どうも。」

これまであまり人と友好的に話すと言う事をしてこなかった私は、どうしても言葉選びが素っ気ない物になってしまう。

まぁそうなる理由はいきなり寝姿を写真に撮られたからと言うのもあるが。

「君、いつもうちの花屋で足を止めて花を見てる子だよね。」

「え。」

そう、確かに私は学校終わりに予備校に行く前などの少しの時間を利用してその道中にある花屋でしばしば足を止め店前に並べられた花を眺めるのが日課になっていた。

家に帰っても勉強ばかりの私に唯一癒やしを与えてくれる時間は、そうして足を止めて花を見る時間にしては数分と言う短い時間だけだった。

「その、ごめんなさい。

買うつもり…とかでもないのに。」

通報しようとした相手に謝るのは少し癪だったが、一応こっちも迷惑をかけたのなら筋は通した方が良いだろうと思った。

「あぁ、いやいや。

いつも熱心に眺めてたから、覚えてただけだし、迷惑だなんて思ってないよ。」

そう優しく笑ってくれる。

さっきまで憎たらしさすらあったのに、何故か少し安心した。

「それで、今日はどうしたんだい?」

「別に、ただ気分が悪いだけ。」

「そっか。」

短く返し、彼は隣に腰を下ろす。

気分的にはほっといて欲しかったのだが、彼は私をそのまま放っておくことはしないつもりらしい。

「ここ、良い場所だよね。

僕もたまに来るんだ。」

「知らない、だって今日初めて来たし。」

「でも寝転がったまま起き上がれなくなるくらいには居心地が良かった訳だ。」

「べ、別にそんなんじゃ…!」

ムキになって起き上がると、クスクスと笑われた。

「たまにこうしてさ、カメラを持って散歩に出かけるんだ。

花屋でバイトしてるし花も勿論好きだけど、同じくらい自然を感じられる場所を歩き回ったり写真を撮るのも好きだからさ。」

「女の子の寝姿を撮るのも?」

「いや、だからそれはごめんって。」

苦笑い。

これだけ素っ気なくしているのに、彼はずっとヘラヘラしている。

それが私には初めての事だった。

大体のクラスメートは、私がこんな態度を取れば感じ悪いと距離を置くようになった。

それだって別に好きでしていた訳じゃない。何よりも勉強に重きを置かせたかった父が、人間関係も最低限に留めておけと釘を刺していたからだ。

多分それは他人と深く関わる事によって、自分と他人を比較するようになるのを防ぐため。例えばそれによって対抗心から今よりもっと学力が上がるのなら父親にとっても御の字だろうが、自分にないものに触れて憧れを抱く事、それによって目的を見失う可能性を、父は私の元から目ざとく奪った。

だからか、私は、人と必要以上に関わる事を良しとはしてこなかった。

なのに、目の前に居るこの人は、素っ気ない上に通報までしようとしてきた私に対して一切笑顔を崩そうとはしない。

「なんでそんなに笑っていられるの?

私、こんなに素っ気なくしてるし、初対面で通報しようとまでしたのに。」

「通報は…まぁ、勝手に撮った僕も悪いし。それにさ、こうして笑ってるのは君が面白かったからで。」

「馬鹿にしてる?」

「してないしてない!」

本当に色んな表情をする。

普段から無愛想で、泣いた事ならあれど笑った事なんてもう長い事無い。

今彼は慌てている様子ながらもどこか嬉しそうに見えた。

「さっき花屋で君を見かけたって話したでしょ。

結構前から、ずっと見てた。

うちの店に来る前は陰鬱な表情をしてるのにさ、来た途端にちょっと表情が和らぐんだ。分かり易くてちょっと笑っちゃった。」

「やっぱり馬鹿にしてる…。」

「違うって、だからさ、迷惑なんかじゃないよ。

うち店の花を見て元気になってくれる人が居れば、こんなに幸せな事はない。」

「ふーん…。」

そこから沈黙。

でも居心地の悪さは不思議と無かった。

「確かに、花も好き、自然も好き。

見てる時間は嫌な事考えないで居られるから。でもずっとそうしてる訳にはいけないし、本当だったらもう帰ってまた勉強しなきゃいけない。」

「なるほど、それが君が疲れた顔をしていた理由、と言う訳だ。」

言われて何も言い返せなかった。

確かに色々疲れてはいた物の、こんな見ず知らずの人に一発で悟られる程顔に出ていたとは。」

「自覚無かった?さっきまでの君、僕が声をかけなかったらそのまま目を覚まさなくなるなりそうな勢いだったよ。」

確かにそうなれば良いとは思ったかもしれないけど…。

「だから声をかけたの?」

「まぁそれも一つの理由ではあるね。」

「お節介…。」

「よく言われるよ。

じゃあさ、僕はお節介だからさ、差し支えなければ何があったのか教えてくれないかな。」

「それ、自分で言う?普通。」

と、言いつつ私は気付いた。

いつの間にか私は久々に笑っていた事に。

「やっと笑ってくれたね。」

「あっ…。」

「その方が似合うよ、絶対。」

「はぁ!?」

不意にそんな事を言われ、思わず睨み付ける。「あ、照れてる。」

「そ、そんな訳ないでしょ!?」

本当にこの人は私のペースをかき乱す。

それに苛立ちつつ、自分にもそんな様々な表情があったんだと言う事に気付く。

「あまり褒められた事、無いんだ?」

「っ…だってあんまり人と話したりしないし…。」

「親からも?」

「あの人にとっては出来て当たり前の事をさせてるだけだから。」

「それが勉強なんだ。」

「そう、将来跡を継いで病院の医院長になる為に毎日勉強してる。

でも最近勉強にも追いつけなくなってさ。

私、元々すごく頭良いって訳でもないからさ、これまでだってずっと勉強してたけど流石に今回はきついかもしれない。

今までの勉強だけじゃ、多分全然足りない。

なのに今日だってこうしてサボってさ、どうすんだってね。」

思いの外すんなりと口から自分の気持ちが出て驚く。

でも言い切ってしまうと、どこか吹っ切れてる自分もいて、言い切った跡に肩をすくめる。「なるほど、ね。

それって君がやりたくてやってる事なの?」

言われて何を言ってるんだろうと思った。

「やりたいとかやりたくないとかじゃないよ。ただやる以外の選択肢を与えられてこなかっただけ。」

「ふーん。」

「おかしいって思う?

でも仕方ないじゃない。

これまでその目的と必要最低限の物しか与えられて来なかったんだもん。」

「そっか。」

話を聞いて、一瞬考え込む姿を見せる。

「じゃぁさ、えーっと…あった、はい。」

かと思えば、そう言って持っていた手提げ鞄を漁ってから一枚の小さな紙切れのような物を取り出して渡してくる。

「何、これ?」

見覚えのない物を急に手渡されて、ひらひらと振ってみる。

「やっぱり、栞も見た事無いんだ。」

「しお、り?」

「そ、栞。

本とかに目印として挟む物だよ。

散歩して道ばたで見つけた花とかをさ、こうして持ち帰って栞にしたりしてるんだ。

手頃なサイズに切った紙と花びらをラミネート加工して作るんだ。

「ふーん、よく分からない。」

「はは、分かんなくて良いよ。」

「これ、なんて花なの?」

「それ?カキツバタだよ。

今の君にぴったりだなって。」

「私に?」

「うん、カキツバタの花言葉は、幸運は必ず来る、だよ。」

「…え。

あ、あんた、本当に私の話聞いてた!?」

「ちゃんと聞いてたよ。

だから言ってるんだよ。」

「そんな、訳、だって、私は今まで…。」

「頑張ってきたんだよね。

誰も褒めてくれない、認めてもくれない、色んな事を我慢して、寝る間も惜しんでずっとずっと。」

「っ……。」

「それだけ頑張っている君がさ、幸せになれない訳がないよ、ね?」

「え、あ…。」

その言葉を聞いた途端、視界が霞んだ。

それは自分が泣いているからだと気付くまでにはたっぷり十秒くらいはかかった。

「わ、私、泣いて…。」

「君はさ、自分が他の人と違うみたいに思ってる。

でもさ、一緒だよ。

実際ちゃんと笑って、そして今だって涙を流してる。」

「私、私頑張ったかなぁ…?」

「うん、頑張った。」

「すごいかなぁ…?」

「うん、すごく頑張って偉いよ。」

その言葉を聞いて、私は久しぶりに声を上げて泣いた。

その間彼はずっと横で優しく笑ってくれていた。

嫌な顔一つ見せずにずっと。

「馬鹿みたいだって思った。

何でこんな事しなくちゃいけないんだろう、こんな事に何の意味があるんだろう、って本当はずっと思ってた。

言われ続けてきた目的以外には何も無くて、それが無かったら私には何も無い、だから必死に我慢した、必要ない物だと思われたくなんかなかった。」

「君は必要ない物なんかじゃないよ。」

「っ…!?」

そんな言葉を言われたのは初めてだった。

実際、父親は私を必要としていたのだろう。

でもそれは私が必要なんじゃない、自分の跡を継ぐ存在が必要なだけ。

でも彼はそんな物が無くても必要ない物なんかじゃないと言ってくれた。

ただ一人の人間の言葉なのに、何故か全てを許されたような気がした。

「あ、そろそろさ、君の名前…教えてもらっても良いかな…。

今更だけどさ…、なんか…聞くタイミング逃しちゃってたから。」

「本当に今更じゃん…。」

「あはは…。」

「凪…川崎…凪。」

「そっか、凪。」

「い、いきなり馴れ馴れし過ぎ。」

「またいつでもおいで。

ここで待ってるから。」

「…考えとく。」

そう言いつつも答えは決まっていた。

さっきまであんなに重かった足が、やっと起き上がる。

またここに来よう。

心からそう思えていた。

その日は家に帰ってから散々説教をされたももの、それから度々この河川敷に足を運んで彼と話をするようになった。

とは言え説教もあって流石に毎日、となると厳しかったが、少しの時間でも彼と過ごす時間はそれからの私にとってかけがえの無い時間だった。

話す内容は大体彼が花屋の店員と言うのもあり、大体は花や自然の話が多かった。

彼がいつも持ち歩いている植物図鑑は、年期が入った物のようで長く読み込まれてるのがすぐに分かるほど汚れや折れ目が目に付く。沢山の付箋が付けられていて、そのページの花は彼のお気に入りの花らしい。

「疲れたときはこのペチュニアとかおすすめだよ。

花言葉は心の安らぎ、あとあなたと一緒なら心が和らぐとかだよ。」

「え、何口説いてんの?」

「ははは、そうじゃないよ。」

「そうじゃないんだ。」

そんなやりとりをしながら私は確かに感じていた。

こうしている時間は今までに無い物で、確かに心が和らぐ物。

自分にもそんな事を思う事が出来ると言う事は意外だった物の、そんな生活にも徐々に慣れていった。

そうしてそれに気付くと自分がこれまでいかに人が言う普通じゃなかったのかを思い知らされる。

それならこれからは、ずっとずっととは言わないでもせめて少しの間くらいはそんな人が言う普通の日常に手を伸ばす事を神様は許してくれるだろうか。

彼を信じ、自分の幸せを探すために生きる事が許されるのだろうか。

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