断罪
聖ヴァルハラ教国。ロダン卿邸にて。
「あり得ない。刃も毒も魔法すら通用しない生き物がこの世に存在するのか?そんなものどうやって殺せばいい!?本当に我々はあんな化け物に勝てるのか!?」
赤紫色のカソックを着た男、ロダン枢機卿は自室でうろうろと歩き周りながら、呟いている。
「さすがに抜け出したとしても、ここは敵地同然。私の家まで来るのは難しいはず。私が屋敷にいる限り報復は出来ない。その間に準備を整えて次の作戦を」
コンコンッ
ノックがされて、ロダン卿が許可を出すと、メイドさんがコーヒーをお盆に乗せてやってきた。
「私はコーヒーなど頼んでいないぞ!さっさと下がれ!」
「そうですか。わかりました」
メイドさんは残念そうに呟くと、お盆とコーヒーだけ残して消えた。お盆が床に落ちて食器が割れ、コーヒーが溢れる。
ロダン卿が驚いていると、後ろから縄で手足を縛られる。後ろから背中を押され手足を縛られているため、立っていることが出来ず床に倒れ込んだ。
頭を足で踏まれ、驚きが怒りに変わる。
「貴様!何をしている!?その足をどけろ!」
「黙れ」
低い男の声にロダン卿は息を飲む。てっきりあのメイドがこんな裏切りをしたと思ったのに、聞こえてくる声は若い男の声だから。
「人の妹を誘拐、監禁しておいて、ただで済むと思ってるのか?これが暗殺任務だったら、もう10回は殺してるぞ」
「ひぃっ!」
一つ一つの言葉が殺気を孕み、いつ自分の首が落とされてもおかしくない状況に恐怖で顔がひきつり、歯がガチガチと音を立てる。
「シスが無事だったから良かったものの、あのくそオーガが化け物じゃなかったら、シスは今頃……おい!女!殺していいだろ!殺させろ!!」
「キル、いつも言ってるでしょう?ここは女神の教えを守る聖地なのよ。そこで公然と殺しを宣言するなんて。そんなにお仕置きされたいのかしら?」
「こ、この声は……っ!」
扉が開き、聖女ユリシアが部屋へと入ってくる。ロダン卿は目の前の状況が信じられず、固まる。
「ごきげんよう。ロダン卿。バカ犬がごめんなさいね?私の『妹』のことになると、見境ない狂犬になるの。躾はしているんだけど、上手くいかなくて。躾は得意なはずなんだけど」
「はっ!自分の部下の気持ちも統一できないような奴が躾が得意とは笑わせるな。他人事のように言っているがな、シスが奴隷商人の手に渡ったのも、今回誘拐されたのも全部お前の部下の仕業だ。何が聖地!それこそ女神への侮辱だろう!」
「今回ばかりはキルに同意するわ。女神もさぞかし嘆かれていることでしょうね。魔族と戦争をしたいがために女神が選んだ聖女をオーガのせいにして暗殺しようとするなんて、本末転倒じゃない?そうでしょう?ロダン卿?」
ロダン卿の目が大きく見開かれる。が、すぐに心外だと声を上げる。
「何を根拠にそんなデタラメを仰られるのですか!?私は女神のため!ヴァルハラのため!身を粉にして働いて参りました!その言い方はまるで私が貴方を暗殺しようとしたかのようではありませんか!」
「暗殺しようとしたのでしょう?ロダン卿から大金をもらって私を暗殺するように頼まれたと襲撃犯が証言しました」
「そんなの私を陥れるためのオーガ側の嘘です!騙されてはいけません!」
「なぜ、貴方を陥れる必要がオーガにあるのかしら?」
ユリシアがロダン卿へと近づく。そしていつものように穏やかに微笑む。真っ直ぐロダン卿をみる目は一切笑っていない。
「おかしいと思いませんか?魔族はヴァルハラの歴史上、一度もこの国へ足を踏み入れたことはありません。和平が行われた100年前でさえ魔族はヴァルハラには来ませんでした。なのにどうして彼らは真っ直ぐ礼拝堂に来れたのでしょうか?」
「そんなの!オーガたちが信徒を脅して案内させたに決まってるでしょう!」
「人間ならともかく信徒たちには恐怖の対象でしかない魔族に脅されて冷静に案内出来ますか?仮に案内出来たとして平常ではいられないでしょう。他の信徒が気づいて報告に来るはずでは?」
「そ、それは!」
言葉に詰まるロダン卿を尻目にユリシアは続ける。
「最初に言いましたが、オーガ側にロダン卿を陥れる理由はまるでありません。オーガ達の目的は聖女である私の暗殺。私の特徴さえ覚えていれば、後の人間など無視すればいい。逃げるつもりだったとしてもその後自害するつもりだったとしても、わざわざロダン卿の名前を覚える必要などないんですよ。ロダン卿も暗殺対象に入っていたなら可能性はありますが、あのときのオーガ達は貴方には向かっていませんでしたから」
「くっ!」
「というわけで、貴方を聖女暗殺事件の首謀者として、『憤怒』の罪にて裁判を行います。言い訳は牢屋の中でじっくりと、聞かせていただきますね」
廊下に待機していたのか、複数の聖女のお付きが現れてロダン卿を引き連れていった。
「私を誰だと思っている!?」だとか「これは何かの間違いだ!私は嵌められたんだ!」なんて聞こえてくるがそれに応える声はない。
「ふぅ、これで暗殺事件の関係者は全て連れていけたかしら。キルが私の元に来てくれて助かったわ。ロダン卿に安全確保の名目で自室に幽閉されていたから」
「お前のせいでシスの元に戻るのが遅くなった。シスに何かあったら、お前ら全員殺してやるところだった」
「ガンマ王子はさすがだったわねぇ。まさかあの手錠と檻を素手で壊すなんて。薄々そうかもとは思ってはいたけれど、実際に近くで見ていた彼らにはさぞかし恐怖だったでしょうね」
「楽しそうに言うな。悔しいが、あれは俺も正直恐怖した。本当に同じ生き物なのか疑う」
楽しそうに話すユリシアにキルが呆れたように嗜める。ユリシアが不思議そうに訊ねる。
「まさか、ロダン卿の確保まで手伝ってくれるとは思わなかったわ。てっきり2人の間に割って入ると思ってたのに。恋のライバルにシスを奪われていいの?」
「恋のライバル?何を訳のわからないことを。シスは妹だぞ?」
「だってキルってば、いつも結婚結婚ってうるさかったじゃない?」
「ああ」
ユリシアの質問の意図がわからず、首を傾げていたキルがようやく合点がいったという顔で答える。
「世界一可愛く愛しているシスをろくでもない男に渡すくらいなら俺が一生守ってやろうとしただけだ。ガンマはろくでもない男じゃなかった。調べれば調べるほど、あいつがシスをどれほど愛しているのか、シスを理解しようとしているのか、痛いほど伝わってきた」
「そうね、ガンマ王子のシスへの想いは常軌を逸っしているほどに強いわ。羨ましくなるくらい」
「そして極めつけはシスのあの幸せそうな顔だ。もし、あのとき、割って入れば俺がシスの幸せを壊す男になる。『兄』ならあそこで邪魔はしない」
キルの寂しそうな、けれど安心したような顔にユリシアは改めて、この男がシスの『兄』だと理解した。
「キル、貴方はいいお兄ちゃんなのね」
「は?何を今さら?当然だろう、俺だぞ?」
この自信はいったいどこから来るのか。
ユリシアがクスッと小さく笑った後、ふと窓を見る。ロダン邸は三階建てでロダンの自室は三階に建てられているため、ヴァルハラの町並みが一部だが見える。
自分のやったことは、この国の人々の役に立っているのだろうか。
「これで、少しはヴァルハラの内部が綺麗になればいいのだけれど」
「人がそう簡単に変われないように、国だって一人二人摘発したところで綺麗になるわけないだろ」
ユリシアが俯き、静かになる。キルが肩をぽんと軽く叩く。
「でも、お前が居ればいつかは綺麗になるんじゃないか?俺たちはお前がこの国のためにどれだけ頑張ってるか知ってる。だから負けんなよ」
「キル……」
励まされると思っていなかったので、ユリシアは信じられないものを見たようにキルを見る。
「貴方、熱があるんじゃない?」
「は?」
「シスとガンマ王子の邪魔をしないだけならまだしも私を慰めるなんて正気じゃないわ。もしかして、シスとガンマ王子が抱き合っているのを見た衝撃で性格が一変しちゃったの?そうね、きっとそうだわ。今からお医者さまに来てもらって薬を作ってもらいましょう。それがいいわ。えっとこういうときは葱を巻けばいいのかしら?確かシスがそう言っていたような」
「はぁ!?人がせっかく励ましたらそれか!?上等だ!今日こそ目にもの見せてやる!!」
キルとしては元気のないユリシアを励ましたつもりが、正気じゃないと言われて激怒。いつもの喧嘩と相成った。
「くそっ、そんなに元気ならほっとけば良かった!」
「もう、私が悪かったって言っているでしょう?拗ねないの」
「そんなんで許せるか!!」
頃合いを見計らって礼拝堂へとやってきたキルとユリシア。そろそろ二人の話し合いも終わった頃かと礼拝堂へ入ると。
「あ!あんた!聖女さまか!?聖女さまなんだな!?早く俺を捕まえてくれ!このままだとおかしくなる!!」




