お兄さまの『婚約者』(エスリンside)
突如倒れたシスさまを元気になったサーシャと入れ替えるようにして、ベッドへと寝かせました。
原因はおそらく流行り病でしょう。サーシャの側にいたので移ってしまったのね。私たちはとっくに薬を飲んでいたので忘れていましたが、シスさまは薬を飲んでいません。
流行り病と言ってもこの地域でしか発症しておらず、お母さまの薬と初期段階で押さえたことで被害は広がっていませんでしたから。
サーシャのことはあったが、外で子どもたちといるよう言っておいたのでまさか来るとは思いませんでしたし。
シスさまは院長さんに任せて、部屋を出て、人気のない空き部屋でギルを呼びます。
「ギル、いる?」
「はい、ギルはここに」
物陰から恭しくお辞儀をしたギルが現れました。ギルは本当にどこにでもいるのね。
「ギル、さっきの一連のやり取りは見ていまして?」
「はい、私も驚いております」
「ギルの考えを聞かせて。あれはシスさまの仕業なの?」
いくらなんでもさっきまで死にかけていたサーシャがあんなに元気になるなんてあり得ないことです。
確かにシスさまはお母さまと同じ『来訪者』なのだからあり得ないことが出来てもおかしくはないのだけれど。
「シスさまの仕業であるともそうでないとも言えます」
「どういうこと?」
「サーシャが病気から立ち直ることが出来たのはお嬢さまが飲ませた薬の効果です。あれほど元気なのは幸運にもサーシャに新薬の効果が効きやすい体質だったからでしょう」
ギルの言葉が信じられない。効きやすい体質?そんなわけありませんわ。むしろ逆のはず。
「それはあり得ない。だって薬を飲ませてしばらくたっても何の変化もなかったのよ?徐々に治っていくならまだしも、まるで魔法で治ったかのようにいきなり回復したわ」
「ええ、確かに、シスさまが来る前は明らかに薬が身体に合っていないように感じられました。あのままであれば、今夜が峠だったことでしょう」
「いったいどういうことなの?シスさまはいったい何をしたの?」
「シスさまは自分が好意を抱く人間の願いを叶える能力を持っています。おそらくサーシャの願いを叶え、『サーシャの体質』を薬に合わない身体から薬に合う身体へと変えたのだと思われます」
ギルが説明すればするほど、理解が出来ず混乱してしまいます。
身体を変える?そんなこと人間に出来るわけないわ。
「そんなこと出来るわけないでしょう。それは女神の領域になるのではないの?」
「ええ、身体の作り替えなど女神も同然の所業です」
お母さまも『来訪者』であるから、女神のような能力を持っておられます。そのおかげでムスペル領は農業が発展し、荒野から農業の最先端にまで生まれ変わりました。
でも、これはお母さまの能力とは似て非なるもの。これが本当にシスさまの力なら、女神のような、ではなく、女神そのもの、だということになるのだから。
「もちろん、そんな強大な力ですから、そもそも制御が出来ません。シスさまは願われたらその願い全てを叶えてしまうのです。そしてその代償として叶えた分の不幸がシスさまを襲います」
「だから流行り病にかかったというの?」
「でなければ、たかが数分いただけでまるで入れ替わるように流行り病にかかったことの説明がつきません。シスさまは不運にもこの病にかかりやすい体質になってしまったのですね」
「シスさまは、そのことを知っているの?教えて差し上げた方がいいんじゃ」
「知っていますよ。シスさまはご自分の能力を理解しております。お坊っちゃまはこの能力を利用するためにシスさまと婚約なされたのですから」
「知っている!?嘘だわ!!」
信じられない。不幸が訪れるとわかっていて願いを叶えたというの?
だってあんなに死にかけたサーシャの願いを叶えようとするなら、ああなるのは目に見えている。一歩間違えたら、死んでいたかもしれないのに!
「お嬢さま。お嬢さまはシスさまを誤解しておられます。確かにシスさまは醜女ですし、淑女としてのマナーもなく、お嬢さまの足元にも及びませんが」
「流石に私もそこまで思ってないわ!」
「お優しい方なのですよ。でなければ、今日初めて会った少女を助けようなどと思わないでしょう。だからこそお坊っちゃまもシスさまを婚約者に、と望まれていらっしゃいます」
「……………」
シスさまのことがわからなくなる。飄々とした態度で偉そうにお兄さまを見下していたシスさまとサーシャを女神のように穏やかな慈愛ある目で見ていたシスさま。
どちらが本当のシスさまなのかしら。
「どちらも本当のシスさまですよ」
ギルが私の考えを見透かし、微笑む。考えを見透かされ、ドキリとしてしまう。
「いくら女神そのものな能力を持っていたとしてもシスさまは人間です。優しいだけの人間など存在しませんよ。飄々とした態度も慈愛のような態度も全てひっくるめてシスさまなのです」
「私の物差しでシスさまを測ろうというのがそもそも間違いだったのかしら」
「シスさまを測るにはお嬢さまはいささか子どもだった、というだけですよ」
「まぁ、なら最初からそう言ってくれればいいのに、ギルは意地悪だわ」
「お嬢さまはお坊っちゃまのため、熱くなられておりました。ですからシスさまと実際に交流したほうが納得しやすいのではと思いましたので」
私が恨みがましくギルを睨んでみるものの、ギルは表情を崩さず、涼しい顔をしています。ギルには一生勝てる気がしないわ。
それにしても、シスさまの認識が変わってしまった今、私の判断でお兄さまから、遠ざけていいのかしら。でも、シスさまのお付きの仮面の男は本当に危険だし。
ん?何か忘れているような?
「あ、そうよ。シスさまが流行り病にかかるならあの方も薬を飲ませなきゃ危ないわ!」
空き部屋を出て、仮面の男を探そうとしてお兄さまと鉢合う。
「お兄さま!」
「エスリン!なんでシスが流行り病で倒れてるんだ!?さっきまで元気だっただろ!?」
私に掴みかかり、焦った様子でシスさまの安否を確認するお兄さま。自慢ではありませんが、お兄さまは非常におモテになられます。
お父さまそっくりのお顔にお母さまそっくりの明るい性格がご令嬢の方々から慕われているからです。
でもお兄さまが誰かを口説くのはお父さまに命令されるときだけ。お兄さま自身は令嬢の方々と深く関わることはありません。
ですから、家族以外の女性にここまで必死なお兄さまは初めてみました。
冷静になってみれば、シスさまよりお兄さまのほうが婚約破棄について必死になって止めていたことが思い起こされます。
お兄さまはお父さまの指示で仕方なくシスさまに告白なさったと思ったから、お兄さまを助けないとって熱くなってしまったけれど、もしかしてお兄さまは……。
「おい、女!シスは治るんだろうな!?」
仮面の男に声をかけられ、ハッと我に返る。そうだった、考え事をしている暇はない。この方に薬を飲まさなくては。
「シスさまは薬を飲んで容態が安定しています。それより貴方も薬を飲んでください。放置すれば死にますよ」
「なら、さっさと寄越せ」
仮面の男は舌打ちしてから、手を出す。この男は本当に無礼だわ。シスさまはどうしてこんな男をお付きにしているのかしら。
薬を渡すと、仮面の男は躊躇うことなく飲み込みました。飲み込んだのを確認してからお兄さまが、
「俺の大事な妹を女呼ばわりすんな。お前がそんなだからシスが苦労するんだろ!」
「シス以外は男と女しかいない。女を女と呼んでなにが悪い?」
「悪いに決まってんだろ!じゃあ俺がシスを女って呼んでいいのかよ!?」
「いいわけあるか、女神と呼べ」
「そういうこと言ってんじゃねぇんだよ!!」
人当たりの良いお兄さまが声を荒げるなんてシスさまたち以外では見たことありませんでした。だからこそ、なんてひどい人たちなのかしらと憤慨したものだけど、もしかしたら逆?
お兄さまが心を許しているからこそなのかもしれない。
「あのアルファさま、エスリンさま、シスさまが目を覚ましたのですが」
「え!?もうですか?」
いくら抗生物質が効いたとはいえ、容態が急変していたのにもう起き上がれるの?
なんて私が驚いている間にお兄さまは医務室へと駆け込み、仮面の男は姿を消していました。
もしかして、シスさまが起き上がれたのはお兄さまが願ったから?
真相はわかりません。でも、どちらにしてもあんなお兄さまの姿を見せられて邪魔するほど無神経な妹ではないつもりです。
今回はシスさまに譲ってあげますが、お兄さまを邪険にし続けるようであれば、今度こそ婚約破棄させなくては。
なんて心に誓いながら、私も医務室へと戻っていきます。




