これが噂の箱入り娘ですね!?
8歳の誕生日パーティーから、1ヶ月。
アリーシャはあの日からずっと、自室に軟禁されていた。お風呂と御手洗い以外自室から出ることは許されず、それも必ずメイドがついてくる。
けれど、元々インドア派のアリーシャはまったく気にした様子もなく、本に齧りつくように様々な本を読み耽っている。
どうやらこの世界は『ユグドラシル』というらしい。名前の由来は『世界樹』ユグドラシルから名付けられている。
世界樹ユグドラシルは魔法の源であるマナというエネルギーを世界に放ち、全ての生き物に行き渡らせているという。
だから全ての生き物は魔法が使えるのだ。
やがて、生き物は魔法ありきの進化を遂げるようになり、人間の手に余るようになった。
『魔物』の誕生である。
魔物に対抗するため、一部の人々は魔法を極め、肉体的にも変化が訪れる。
肉体強化魔法を極めて、通常の人間よりも二回りも大きくなり、角が生えた『オーガ』
変化魔法を極めて、特定の日には魔物と化してしまう『ウェアウルフ』
生命魔法を極めて、長寿となる代わりに他者の血とマナを欲するようになった『ヴァンパイア』
彼らは異質ながらも魔物を追い払い、活躍していたのだが、次第に思考や行動まで歪みだし、ついに魔物のように人を襲い出した。
人々は、彼らと爬虫類から進化した『ドラゴン』を魔族と呼び、恐れ、対立する。
対立はやがて戦争へと発展し、数百年続いた。
百年前、魔族側から打診で和平交渉が成立。差別は根強いが魔族の商人をちらほら見かけるほどには国交は回復している。
「お嬢様、お食事をお持ちしました」
という言葉とドアを叩く音で我に返る。窓を見ると辺りはすっかり暗くなっていた。
「はーい、どうぞー」
扉を開く音と共に執事が食事の入ったトレーを持ってきた。見覚えがある顔に内心喜ぶ。
アリーシャはこの執事の匂いが好きだった。庭仕事も並行して行っているのか、土の匂いと渋い雑草の匂いが混ざりあったなんとも言えない外の匂い。
いくらインドア派とはいえ、1ヶ月も部屋に缶詰めにされれば、外が恋しくなるというもの。
決して匂いフェチというわけではない。そう、断じてだ。
執事がアリーシャの目の前の机に食事を置く。彼が通りすぎる際に、ほら、外の匂いが……
「あれ?」
外の匂いがしない。今日は風呂に入ってから来たのだろうか?
いや、そうじゃない。そもそも匂いが違う?
では、彼は一体誰だろう?双子の執事なんていただろうか?
アリーシャは訝しげに彼を見る。どこからどう見てもいつも食事を運んでくれる彼にしか見えない。
あまりにじろじろと見ていたものだから、執事が若干顔を引きつりながら、聞いてくる。
「あの、お嬢様?召し上がらないのですか?」
うーん、まったくわからない。これはもう本人に聞くに限る。
「あなた、だあれ?いつもの人じゃないよね?」
執事は一瞬目を見開き、固まったが、すぐに理解できないという顔をする。
「はぁ、何を仰ってるんですか、私はドニですよ?」
「この顔の人はドニっていうんだ。でも、あなたは違うよね。あなたはだあれ?」
「ですから、私はドニです。食べないのでしたら、御下げしますね」
一向に認めない彼は、心なしか早口で言い切ると、再び食事の入ったトレーを手に持とうとする。
「え、ダメ!」
ご飯を持っていかれたら、困る!育ち盛りな幼女になんてことを!鬼!!
持っていこうとすると思わなかったため、慌てて止めようとして机の脚に足を引っかけて彼にぶつかるように倒れ込む。
「え!?」
まさか倒れてくると思わなかったのか、上手く受け止めることが出来ず、アリーシャと共に倒れた。
「いたた……」
「ごめんなさい!大丈夫!?」
やってしまったー!!
私はいつもこれだ!こんなラッキースケベが許されるのは美少女だぞ!!いい加減にしろ!!
謝ったアリーシャの目に飛び込んできたのは金色の髪、そして碧い瞳。顔形は父親そっくりだが、その背格好は小さく、年の頃は自分と変わらないだろうか。
「きれい……」
思わず、口について出てしまった。
それくらい美しかった。美少年とはまさにこの少年のことを言うのだろう。
少年はアリーシャの言うことが理解出来なかったようだが、やがて自分の姿が変わったことに気づいたようだ。いや、戻ったというべきか。
少年が部屋から出ようとするより先に、アリーシャが捲し立てる。
「すごいね!さっきのなに!?もしかして変化の術!?忍者!?忍者なの!?」
「え、いや、その」
「あれって、私も出来る!?変化の術って何にでもなれるの!?人間以外も出来る!?私、ウサギになってみたい!ねぇ、教えて!」
「はぁ!?なんで俺が!!」
「お願い!妹の頼みだよ!?聞いてくれても良いでしょ!?お兄さま!」
「妹?お兄さま?誰が?」
「え?」
「え?」
アリーシャの弾丸のような声が止まって、しばしの沈黙が流れた。おずおずとアリーシャが尋ねる。
「えっと、あなたは私のお兄さまだと思ったんだけど、違うの?」
「……なんでそう思った?」
否定とも肯定とも言わず、しかし、今度は少年が訝しげにアリーシャに見る。
び、美少年にじろじろ見られると何か照れる。ひゃー
「だ、だってあなたはお父さまにそっくりだったから、お兄さまが会いに来てくれたと思ったの」
アリーシャは兄を見たことがなかった。兄は病弱のため、地方で療養中だった。しかし、つい先日、兄が帰ってくるとメイド達が噂をしているのを聞いた。
そして現れた父親そっくりの美少年。兄でないはずがない。そう、思ったのだが。
「そう、か……」
目の前の美少年は困った顔を浮かべ、何も言わない。
急に全身から冷や水を被ったように冷静になる。
母親にあれほど嫌われ、父親は数週間前に一度顔を見せたきり、会いにどころか声すらかけてこない。
そんな娘の所に特に親しくもない兄が来るだろうか。いや、来るはずはない。
何を期待したのだろうか、自分は。
そう思い至ると、恥ずかしさと空しさが襲ってきて居たたまれない。
未だに少年の上に乗っていたので、降りると改めて非礼を詫びる。
「なーんて、そんなわけないか。お父さまとお母さまに嫌われてる娘に跡取りのお兄さまが来るはずないよね」
「っ、それは……」
「早とちりして困らせてごめんなさい。もう大丈夫だから、出てっていいよ?」
自分がいつものように笑えてるかわからない。声が震えているのが腹立たしい。こんなことで何故泣きそうになるのか。
勝手に兄だと誤解して、勝手に傷ついて馬鹿みたいだ。
もしかしたら、この家族ともう一度やり直したり出来るんじゃないかって、そう、思ってしまったから。
出ていって良いと言ったのに少年は出ていく気配はない。
泣きたいから、早く出てってくれないかなぁ
なんてアリーシャは涙を堪えながら、苦々しく思う。さっきまで引き止めておいて、用が済んだらこれなのだから、なかなかイイ性格をしている。
いよいよ泣き出しそうになった瞬間、
「早とちりじゃない」
「え?」
少年がアリーシャの前に立ち、意を決したように語る。
「ごめん、お母さまに会いに行くなって言われてて、バレないように変化魔法使って会いに来た。お母さまに怒られるのが怖くて兄だと名乗れなかっただけなんだ」
「ほんと?」
「ああ、初めまして、俺がエリオット・シアルフィ。お前の兄だよ」
「初めまして、エリオットお兄さま!えっと、私はアリーシャ・シアルフィです!」
「知ってる」
エリオットはふっ、と優しく微笑む。まるで王子さまのような微笑みに実の兄であるはずなのに動悸が収まらない。
「しかし、今まで誰にも変化魔法バレたことなかったんだけどな。なんでわかったんだ?」
「匂いが違うから丸わかりだったよ!お兄さまもまだまだだね!」
「はぁ?匂い?犬か、お前は」
呆れたように笑う姿すら様になっていて、アリーシャは今さらながらとんでもない兄を持ったもんだ、と嬉しいやら、恥ずかしいやら、複雑な気持ちで夜がふけるまで話し合った。




