初めての……(ガンマside)
奴隷商人の館から逃げ出して一週間ほどが経った。俺たち以外に人の気配はないが、警戒は怠らないようにしなければ。
背中に回り、後ろから熊を絞めながら、そんなことを考える。熊も暴れるが馴れているため、押さえ込むのは容易だ。
やがて完全に仕留めたことを確信してから熊の片足を掴み、彼女ーーシスーーが待つねぐらへと戻る。
今まで一人だったから知らなかったが、誰かが待っているというのは本当に良いものだ。それだけで気分が上がるし、シスの好物を持って帰った時の笑顔を想像すると、心が穏やかになるとでも言えばいいのか、満たされた気持ちになる。
シスの強さが知りたくて、ねぐらへと連れて来たのだが、そんなことどうでも良くなるくらいシスとの日々が楽しい。
シスは俺の知らないことをこれでもかというほど話してくれる。それは人間の文化だったり、獲物の調理法だったり、かと思えば天気を予知する方法なんかも知っていた。
その全てが興味深く面白かった。以前の俺ならどれも興味がなく、聞く耳はもたなかっただろう。
人間のことなんて知りたくないし、狩った獲物は全て焼いて食えば良い。腹に入れば一緒だと思ってた。天気だって雨が降ればねぐらから出なければ良いだけ。気にも留めてなかった。
でも、シスが話すだけで、人間が凄く面白い生物だと知って、焼く以外の肉の味がこんなに美味しいんだと知って、天気を予知することがいかに便利なのか知った。
一度知ると他のことも知りたくなって、どんどん話をしてほしいとせがんだ。シスは自分が知る限りの話をたくさんしてくれたが、それだけではなく、俺の話も聞いてくれた。
オーガがどんな種族なのか、どうやって暮らしているのか、オーガの国はどんなところなのか。
俺は自分が幼いころに故郷を出たためそんなに知らないことを先に説明して、俺も俺の知りうる限りのオーガの話をした。
オーガは常に己を鍛えている種族であること、荒れ果てた大地で己を鍛えながら暮らしていること、国自体は小さいが、それでも皆、楽しそうに暮らしていたこと。
一人でいることが多かった俺は長々と話すことに馴れていない。だから、途中で詰まったり、どう伝えていいかわからず、黙ってしまうこともあった。けれどシスは目を輝かせて楽しそうに聞いてくれた。
それで俺は自分の国の文化が他人に認められることの喜びを知った。他人が認めてくれるんだということも。
シスの背中が見えてくる。野草などを集め、鍋に水を入れて準備をしているところのようだ。何故かその姿が妙に胸の辺りを擽る。
俺に気づいたのか、振り返って笑顔で手を振ってくれた。思わず、笑みが溢れる。らしくないとわかってはいるのだが、我慢できない。
ああ、可愛い。強さ以外で女性に魅力を感じるなんて思いもみなかった。
いや、シスは強さだけを見ても一級品だ。戦闘経験がないからか、せっかくの豪腕を活かせておらず、攻撃が標的にまったく当たらない。
だが、それを打ち消すように敵からの攻撃を全て受け止められるずば抜けた動体視力を持っていた。俺が本気で放った拳も蹴りも全て片手で受け止められるほどだ。
訓練と戦闘経験を積めば、恐らくオーガの国の連中でも太刀打ち出来ないほどの強さを持つことだろう。
これだけでも女性として完璧なのに、シスは豊富な知識も持ち合わせて、さらに他者を理解しようとする器の広さも見せた。
完璧を通り越して、女神という存在がこの世にいるならシスがそうなのではないかと疑ってしまうくらいだ。それくらい俺はシスに惚れ込んでいる。
俺の理想がこれでもかと詰め込まれた女性を目の前に惚れない方がおかしい。
番いたい。俺の子どもを産んでほしい。きっとシスに似て最強の子どもになることだろう。
だから俺は必死にシスにアプローチをするのだが、気づいてもらえない。
今日も熊を狩って俺の強さをアピールしたのだが、熊を狩ったことに対する賛美はもらえても、シスは俺と番いたいとは思ってもらえなかったようだ。
この森には熊以上に強い獲物は魔物も含めていない。その熊でもダメか……。
アプローチの仕方が悪いのはわかっている。
シスは人間なのだから、人間のアプローチをするべきなのだと。でも俺は人間のアプローチの仕方を知らない。
シスに聞けばいいだけの話だが、それがどうしても出来ず、オーガのアプローチの仕方を続けている。
しかし、いくら人間の子どもとはいえ、こんなに伝わらないものなのか?
命の恩人とはいっても無償で獲物を与え続けたり、鍛えたりなんてするわけないだろう。
「あー、早く私も狩りに一緒に行きたいな。ガンマくんみたいに獲物を仕留めたい」
「シスは力は強いが、まったく当たらないからな」
はぁ、思考は俺たち寄りなんだがな。なぜかアプローチだけはまったく通じない。狩りに対して強い憧れがあるのにどうして熊を狩ってきた俺に惚れないんだ?
どうやってシスを口説き落とすかに夢中になって話半分に聞き流していると、オーガの国の話になった。
こうなったら直接言うしかない。
俺と一緒に国にきて欲しい。嫁にきて欲しい、と。
意を決してシスに話しかける。
「オーガの国に行きたいなら」
シスは俺の声に反応して夜空から俺へと視線を移した。見ていた夜空がそのまま写り込んだかのような紺色の瞳。人間がいう『美しい』というのはきっとこういう時に使うんだろうな。
「俺と一緒に、来ればいい」
俺のお嫁さんになってほしい。そう続ける前にシスが口を開く。彼女の目が今までにないくらい輝いている。もしかして、ついに通じた、のか?
「え!?いいの!?」
シスがぐいっと身体を近づけてくる。思いがけない積極性にたじろぐ。
ま、待ってくれ。アプローチしておいてなんだが、お互いまだそういうのは早いと思うんだ。こういうのはきちんと手順を踏んで……
「冒険者になったら行きたいって思ってたんだよね!でも、一応敵国だったわけじゃん?人間って多分嫌われてるよね?だから案内してくれる人が欲しかったの!誘ってくれるなんて凄い嬉しい!ありがとう!」
「は?」
「え?」
冒険者になったら?案内してくれる人?
ちょっと、待て、待ってくれ。これでもまだ通じてないのか!?どうしてだ!?男が女性を故郷を連れていきたいと言ってるんだぞ!!旅行の案内人とかそんな話にはならないだろう!?
「そうじゃない!俺は!シスと!」
吐き出すように告げた言葉は、最後まで紡ぐことが出来なかった。これだけ言ってもシスは不思議そうにこちらを見てくるだけなのだ。
ここまでくれば、シスが俺に対して何の感情も抱いていないと気付かざるを得ない。
薄々気づいてはいた、シスが俺を男性として見ていないのではないかと。けれどアプローチしていれば、いつかきっと見てくれるかもしれないと、気付かない振りをしていただけだ。
シスが俺を男性として見れないのは俺の強さを知らないからでも、俺が子どもだからでもない。種族が違うからではないか。
俺たちが獣と仲良くなることはあっても、獣と番うことはない。シスの俺に対する感情はきっとそれに似たものかもしれない。さしずめ俺は便利な猟犬と言ったところか。
いっそシスの気持ちを無視して連れ去ってしまおうか。いや、それではあの奴隷商人と何も変わらない。あいつらと同じになるのだけはごめんだ。
ーーーシスのことは諦めよう。
そもそもこんなに魅力的なんだ。番いたいという男は山ほどいるはず。そんなシスがわざわざ俺という異種族を選ぶわけがない。
初めての失恋に喪失感で心が埋め尽くされる。シスが心配して声をかけてくれるのはわかっているんだが、うまく返事が出来ない。
心の動揺が身体にも現れていたらしく、スープを溢してしまった。
「あつっ!」
「大丈夫!?すぐに服を脱いで!」
「これくらい問題ない」
「ダメ!早く治さないと!良いから脱いで!」
簡単に言ってくれるな。シスは猟犬の裸なんてなんとも思わないかも知れないが、こっちは好きな女の子の前なんだぞ。
なんて心の中で恨み言をぼやいてみても伝わるはずもない。仕方なく言う通り、上着を脱いで患部を見せる。
シスがそっと患部に触れ、治癒魔法を唱える。火傷の痛みは消え、元通りになる。見た目上は。
なぜなら、シスが触れた部分が熱くて堪らない。火傷は治ったはずだ。でも熱い。心が高鳴ってうるさい。本当に胸の辺りから鳴っているのかと思うほど、全身からドクドクと音が聞こえてくる。
ダメだ。いったん心を落ちつかせよう。
「素振りしてくる」
「え、スープは?」
「すぐ戻るから、置いておいてくれ」
「あ、うん」
突然のこと過ぎて、呆然としているシスを置いて茂みの中へと入って彼女から見えないようにする。
まだシスが触れた部分が熱い。こんなのは知らない。
シスならこの状況もわかるかも知れないが、引き起こした本人に聞けるわけがない。
とりあえず落ち着こう。精神統一すれば直に楽になるだろう。
適当に木の枝を折って振り回すと、熱は徐々に引いていく。安心する反面熱がなくなってしまったことが酷く惜しく感じてしまう。
「はぁ、わけがわからない」
木の枝を投げ捨て、呆れ果てる。
己の感情すらまともに制御出来ないなんて情けない。これでは強さを手に入れるなんて到底叶わない。
自己嫌悪に浸っていると、人の気配が突如として現れた。
今までどうして気付かなかったのか、その気配はまるでいきなりそこに現れたかのように唐突に出てきた。場所は……シスの真後ろ。
「っ!!シスっ!!」
シスの元へと戻ると、そこには笑っている仮面をつけた黒服の人間がシスの後ろで拘束していた。
奴隷商人の増援か!?
足元に転がっていた熊の骨を掴み、黒服へと投げつける。しかし、黒服が先に気付き、避けられてしまった。背格好はシスより少し高いくらい。体つきから少年であることがわかる。そして何処かの組織で訓練されてきた手練れであることも。
やはり、奴隷商人の雇った冒険者か。
「誰だ、お前は。シスに何をした?」
「あ?魔族風情が俺とシスの邪魔してんじゃねぇぞ」
黒服は俺の問いには答えず、代わりに殺気で威嚇してくる。敵とみて間違いなさそうだ。
シスは俺が守る。




