お引っ越しします!
図書館での一件から、数ヶ月。依然として自室から出ることは許されず、そもそも出るつもりもなく、読書に明け暮れる日々を送っていたアリーシャだったが、ある日、公爵の部屋へと呼び出される。
「失礼します。お呼びですか、お父さま」
スカートの両端を持ち、恭しく一礼する。そして公爵の方を見ると、公爵の他に公爵夫人とその息子、エリオット。そして一人の少女がいた。
亜麻色の髪と翡翠の瞳。背中まで伸びた髪は日に当たると宝石のようにキラキラと輝く。まるで公爵夫人を、子どもにしたような姿の少女。生き写しとはこのことか。
「うわぁ、可愛い。お兄さま!お兄さま!!美少女、美少女がいる!!」
「アリーシャ、行儀が悪い」
あまりの可愛さに隣に控えるお兄さまの服の袖を引っ張る。お兄さまは咳払いして、諌める。
諜報部隊だからか、お兄さまの顔には仮面をつけている。
叱られてしまったので、興奮を抑えてじっとすることにした。
仲良くできたらいいなぁ、なんて期待を込めて少女も見るも、すごい勢いで睨まれた。仲良くするのは無理そうだ。
公爵夫人がお兄さまに向けて、ヒステリックに叫ぶ。
「それをアリーシャと呼ばないでちょうだい!!アリーシャはこの子よ!!」
「は?」
公爵夫人の言葉に、不快感を隠そうともせず、声を出すお兄さま。
おいおい、お兄さまは一応公爵の部下でしょ、その態度はまずいって。
「先日、奴隷市場で売られているこの子を見つけたの。この子は間違いなく私のアリーシャよ。母親の私が言うのだから間違いないわ」
「なにを仰ってるんですか。確かに、その少女は奥様に非常によく似ております。ですが、助産婦が奥様から取り上げたのはこの子です」
「違うわ!!こんな醜い子が私の子であるはずがない!!助産婦がそれとアリーシャを入れ換えたのよ!!ええ、きっとそうよ!!」
「そんな馬鹿な。そんなことして助産婦にいったいどんな得があるというんですか」
お兄さまは冷静に夫人を説得してくれているが、夫人の言うことの方が正しいのでは、と思ってしまうほど、夫人と少女は瓜二つだった。
「使用人のくせに、お母さまに口答えするな!!じゃあ、なんでアリーシャとお母さまが瓜二つなんだよ!この姿こそ、僕の妹である絶対的証拠だろ!!」
「お言葉ですが、亜麻色の髪も、翡翠の瞳も、この国では珍しいものではありません。他人の空似という言葉もございます」
「他人の空似でここまで似るわけない!!この子こそ!僕の妹だ!!偽者をそこまで庇うなんてお前もグルか!!」
「なんで、そうなるんですか」
あ、ついにお兄さまが頭を抱えだした。公爵たちの前だから平然としているけど、私はわかるぞ。
何せ、お兄さまの妹だからな!
「そういうわけだ。アリーシャを我が家に迎え入れるにあたって、お前を知る使用人は全て解雇させた。あとはお前がこの家から居なくなれば、解決するんだ」
お兄さまそっくりの笑みで、とんでもないことを言ってくる。え?もしかして、私の異世界転生人生、これで終わり?マジで?
「いくら公爵様でもこの子に手を出させません」
「お、お兄さまっ」
隣に控えていたお兄さまが、一歩前に出て威嚇する。
ちょ、ちょ!あかんって!!お兄さま、使用人でしょうが!!
お兄さまを止めようと慌てて服を引っ張るが、譲ってくれない。
「何を勘違いしている。私だって仮にも八年間も育てた娘を始末しようなんて思ってないよ」
「良かったぁ」
「こいつがこんなに懐いていなければ、わからなかったけど」
「ん?」
なんか不穏な言葉が聞こえてきた気がするが、気のせいだと信じたい。やっぱ怖い!!
お兄さまは警戒態勢のまま、公爵様に問いかける。
「では、どうするつもりですか」
「聖ヴァルハラ教国のアースガルズ修道院へ行ってもらう」
「入ったら二度と出られないと言われるあの!?」
「ヴァルハラ?あーす、がるず修道院?」
地名のようだが、どこかまったくわからない。よくわからないけど、結局怖いところのようだ。
「死にに行くようなものではないですか!この子はまだ8歳ですよ!」
「8歳だとしてもシアルフィ家を騙した罪は重い。せめて『来訪者』として利益をもたらしてくれていれば、もう少し扱いも違ったんだが、どうやら何の役にも立たないようだし」
「だからって、これは流石に!」
「なら、『始末』するしかないな。この娘が私の目の届かないところへ行かれるのは少々都合が悪い」
「っ!」
『始末』という言葉に反応したお兄さまがさらに警戒を強める。一触即発の空気に慌てて割って入る。
「い、行きます!その修道院!それでいいですよね!?」
心臓に悪いから、喧嘩腰にならないでよー。それで死んじゃいそうだよ……。
「懸命な判断だ。そういうところは確かに『来訪者』らしいのだが」
「本当に良いのか?あそこは本当に酷いところなんだぞ」
「うん、いいよ。偽者らしいから仕方ないし」
本当はまったく仕方なくないけど、このままお兄さまが公爵と喧嘩になった方がヤバいだろうし。
「せめての情けだ。部屋にあるものはなんでも持って行きなさい。お前が使っていたものは全て処分するつもりだからね」
「なんでも持っていいの?本当に?」
「ああ」
なんて太っ腹なんだ。なら遠慮なく貰っていくことにしよう。
「じゃあ、お兄さまちょうだい!お兄さま持っていく!」
「「は?」」
お兄さまの腕を掴んで告げると、公爵とお兄さま双方から間抜けな声が出る。あれ?そんなにおかしいこと言ったか?
「だって、部屋にあるものはなんでも持っていって良いって言ったでしょう?私は『公爵さまの部屋』にある『お兄さま』を持っていきたい」
「待て、部屋とはそうじゃなくて、だな」
「ここは部屋とは言わないの?」
「いや、部屋だが」
「わーい、お兄さまと一緒だー」
服なんていらない、ぬいぐるみもいらない、本……は、ちょっと魅力的だけど、もう読み終わってるからいらない。
私はお兄さまがついて来てくれるならどこへだって行けると思うから。
しばらく、呆気にとられていたお兄さまはやがて堪え切れず、腹を抱えて笑い出す。
おかしい、これも様になってる。仮面越しでもイケメンとか、あんたは何なら似合わないんだ。あ、笑いすぎて面がズレてる。
「ふふ、ははっ、そ、そうだな。確かに『部屋にあるもの』だな。ふふふっ、人はダメとは言ってないもんな。あはははっ!!」
「『死神』!私を愚弄するか!」
「いいえ。8歳の少女に言い負かされたからって、八つ当たりしないでください」
顔を真っ赤にした公爵がお兄さまを叱りつけるが、お兄さまは飄々としている。
というかお兄さまのコードネーム?二つ名?って『死神』なんだ。子どもに随分仰々しい名前つけるんだな中二病か?
「はー、笑った。俺はもちろん構わないが、本当にそれでいいのか?俺はお前が俺を選ばなくても、ついていくつもりだったんだぞ?」
ようやく落ち着いたお兄さまがこちらを向いて確認してくる。仮面越しなのに、真っ直ぐこちらを見ているのはなんだかくすぐったい。
でも、なんと言われようと、何度聞かれても、答えは同じ。
「うん、いいよ。お兄さまだけで良い。あとは何もいらない」
「そうか、わかった。じゃあ早速、馬車の手配をするか。こういうのは早い方がいい」
「おー」
何故か、めちゃくちゃ嬉しそうに準備をしだすお兄さま。
え、まだ心の準備は出来てないんだけど。なんでそんなノリノリなんですか。いや、別にいいけど。
「待て!私はまだ許可してないぞ!」
「あなた、良いじゃないの。使用人一人くらいでそれが消えてくれるなら安いものよ」
「そいつ、生意気だから嫌いだったんだ!追い出しちゃおうよ!」
「くっ……」
公爵はまだ抵抗していたようだが、夫人や息子からも説得されて、渋々許すことにしたようだ。
まぁ、許そうが許すまいが、お兄さまを持っていくことは確定していたわけだけど。
これで8年間、お世話になっていた我が家とはお別れか。そう思うと、なんか感慨深いものがーーーやっぱ、特にないわ。
修道院か、いったいどんな場所なんだろう。緊張するなぁ。