名もなき雑草と神問いの国
私は深い深い真っ暗な森の中にいた。
木々は鬱蒼と生い茂り苔むして、高く高く夜空を覆っていた。所々、木々の形に縁どられた天窓のような夜空から今宵の月が、箱の底を覗くように顔を見せていた。
しかし今は、分厚い雲たちが夜空を縦横無尽に空中滑走して、月影も星影も消えた暗闇の夜となってしまい、私を怯えさせた。
「お父さん、お父さん、こわいよ」
風に吹かれた枯れた葉っぱがカサカサ揺れて音をたてる。
「サナ、大丈夫だよ。まわりは全て俺だから、おまえを危険な目にあわせないよ」
「でも、こわいよ。風の音が囁きのようで、今日お父さんが食べちゃった魔王が呪詛を吐いているようだよ」
私の父は養父だ。
私はこの異世界に高位貴族の末娘として転生したものの、魔力量が少ないというだけで、家の恥と殺処分されかけた。ダッシュで逃亡したが5歳の私は無力だった。そこを養父に拾われたのだ。10日前に。
養父は雑草であった。
もとは固有スキル吸収があるだけの雑草だったが、数万年もの永き刻を生きて大陸全土に根を伸ばした。
誰も知らないが、大陸全土は全て養父であり、養父の胃袋だった。
固有スキル吸収を使ってスキルを増やしに増やし、そこのミントのような草もドグダミのような草もあっちもこっちも全て変形した養父。王宮の庭にも都市の路地にも田舎の畑にも辺境の森にも、地中深く根で繋がった養父がいる。
全にして個、個にして全とはまさに養父をあらわす言葉。
魔力量が少ないという理由で、父母が私を殺処分しようとしたことからもわかるように、ここは甘い世界ではない。
必要なのは地球の倫理や道徳ではなく、強さである。
法律もあるにはあるが、権力の強さ財力の強さ果ては縁故の強さで、善悪の基準が容易くかわる。都市内であってもそうなのに都市外においては、日本では考えられない光景が闇から闇に隠蔽されておしまい。
そんな強さの究極にいるのが養父だ。
養父は力そのもの。
魔王や勇者すら養父のエサであった。
「よしよし、サナ。俺は魔王なんぞよりも強いことは知っているだろう?神様と呼ばれたこともあるんだよ」
「神様?」
「俺が名乗ったんじゃないよ。人間が勝手にそう呼んだんだーーその時の話をしてやろう。綺麗なお姫さまの話だから、怖さもなくなるさ」
かつてその国は小さく貧しく飢餓の恐怖におびえる国だった。
ある時その国の姫が命を捧げて神に祈った。
「どうか民に国にご慈悲を…!」
姫の死とともに20センチほどの水晶球があらわれた。
水晶球は言った。
「問え、答えをやろう。ただし一人につき一問だ」
その国の王は新たに命を捧げた。
寒冷地でも実る植物の名前を。
土壌を改良する方法を。
河川堤防の作り方を。
日照りは?
嵐は?
時期はいつ?
その度に命は失われた。
それでも問いかけは続いた。
飢えがなくなっても。
作物や穀物が豊かに実るようになっても。
清らかな水で常に喉を潤せるようになっても。
はじめは食がなく、その日を食べていけたならばと思っていたのに、飢えが満たされると豊かさを人々は求めた。そして豊かになると、次に自分の欲求を満たすために水晶球を使った。
姫が死んで百年。
王と王妃がいた。
二人は仲睦まじくお互いを支え思いやっていた。
ひとりの姫が生まれるまでは。
姫の髪と目の色は、王とも王妃ともまったく違う色だった。
王妃は不貞を疑われ猜疑の目を向けられた。あれほど愛しあった王さえ王妃を疑った。
「信じて下さい。私はあなたを裏切っておりません!」
血を吐くように訴えても王の目は冷たい。
とうとう王妃は、身の潔白を証明するために水晶球に命を捧げた。
水晶球は言った。
「姫は王の子である」
姫は正式に王女として認められた。父王の憎悪とともに。
おまえさえ生まれてこなければ王妃は死ななかった、と。
姫の名前はフェリシアといった。
フェリシアは、王宮のはずれにある離宮に押し込められて育った。父王がフェリシアを厭うたからだ。
それでもフェリシアは幸福だった。
優しい乳母がいて、仲のよい乳姉妹のセアラがいて、セアラの兄であるセリスがいた。
しかし、フェリシアとセアラが10歳セリスが13歳の時。
「セアラが俺の子か神に問え」
と、乳母の夫が仲間を連れて離宮に怒涛のごとき勢いで入り込んできた。
抵抗するセリスを切り捨て、セアラとフェリシアを人質に乳母に神問いを強要した。
神問いはすなわち乳母の死を意味する。
この国では婚姻の誓いは絶対だ。離婚は認められない。
しかし人間は誓いを破る、破れる思い上がりをもつ生き物だった。
乳母の夫は浮気相手との再婚を目論んでいた。
乳母を自分の手で殺せば罪に問われる。故に合法的に乳母を排除する方法として神問いを利用したのだ。
フェリシアの母の死以来、妻が邪魔になった夫たちは貞節の証として神問いを要求することが多々おきていた。拒否すれば不貞の妻と責められ罵られ、身の置き所が無くなるまで蔑まれ、迫害された妻たちは最後には自ら神問いにすがることが常だった。
そして乳母は死んだ。
セリスが一命を取り止めたことだけが救いとなった。
ーー5年後。
「セリス、セリス。セアラがいないわ」
「神殿に行きました。セアラの友人が神問いをすることになって…」
セリスは顔を歪めて唾棄した。
「親に売られたのです。貴族が狩りをする予定日の天候をきくために」
「そんなことのために!?」
フェリシアは唇をかんだ。
「王族も貴族も傲慢だわ。人の命も神問いもどうして蔑ろにできるの?侵すべからざるものとして尊び敬意を表する気持ちはないの!?」
「神を自分の都合よく利用しようとする人間に尊厳を求めてもムダです。身分の低い人間を同じ人間だなんて思ってもいない奴らですよ?」
「神様にずっと助けられて救われてきたのに…。その恩を簡単に忘れて私利私欲の道具として水晶球を扱って…。あげくは人殺しの道具にーー何が貞節の証よ!女性に死ねと強要して!」
母親を失った、フェリシアもセアラもセリスも神問いの犠牲者だ。
しかし、そんな者はこの王国に五万といる。
豊饒の大国となり平和を謳歌する綺羅綺羅しい水面の下では、民衆の脅えと恨みが水底のへどろのようにドロドロと堆積して濁っていた。
「フェリシア様、セアラに何かご用があったのですか?」
セリスの、
フェリシアの、
お互いの指と指がからまる。
ささやかなふれあい。
それだけでも幸せ。
愛し愛されることの、その貴重さ。
二人は恋人同士であった。
フェリシアは肩にかけたスカーフをかきあわせ、しばし逡巡し意を決して口を開いた。
「セリスとセアラに話があってーー先ほど王に呼ばれたの。隣国へ、8番目の妃として嫁ぐようにと命令されたわ」
フェリシアは王女であり、セリスはその護衛騎士。
いずれフェリシアが政略に使われることはわかっていた。
セリスの金色の目が暗く沈む。だが、その底にはぎらぎらとした炎が蛇のようにうねっていた。
「フェリシア様、セアラと3人で逃げましょう。国を捨てましょう」
フェリシアは、安らぎをもたらすと言われている翡翠色の瞳をくもらせた。
「追われることになるわ。私はセリスといっしょならば死んでもかまわない。でもセアラを巻き添えにはできないわ」
「国に残してもセアラはつらい目にあうでしょう。それにセアラもきっと残されるよりも逃亡を望むと思います」
「私はセリスといっしょならばどこまででも行くわ。セアラの意志を確認して3人で相談しましょう」
「セアラを連れてかえってきます」
しかしセリスはひとりで戻ってきた。
夕方の薄暗い闇が迫った風をきりセリスが離宮に駆けこんできたのだ、血まみれで。
「セアラが殺されましたっ!!」
今日の神問いをするのは少年であった。
セアラの恋人。
最後に言葉をかわしたい、と二人で水晶球の前に立った。
そして一瞬で。
満身の力で15歳の恋人たちは台座から水晶球を突き飛ばし。
大理石の床に落ちた水晶球は粉々の破片となって散らばった。
二人は抱きあったまま、その場で兵士に斬り殺された。
覚悟の上での計画だった。
セアラと少年はお互いを見つめあい、最後までお互いだけをその目にうつして死んだ。
フェリシアは溢れそうになった涙をグッとこらえた。
泣いている時間はない。
すぐに罪人の身内として、セリスを捕らえるために兵士たちが離宮になだれ込んでくることだろう。
フェリシアとセリスはお互いの手を決して離さず必死で走った。
走って、
走って、
追われて、
追われて、
追いつめられて、
何処も彼処も手からも足からもたらたらと血を流して。
二人は崖の上から、まるで二人で一人の人間のように隙間もないほど抱きあって身を投げた。
命をなくすならば他人の手ではなく、お互いの手によって死にたい、と。
からめた指を強く強く離れぬように。
心も体も寄り添って。
真っ暗な闇に溶けるように。
深い深い谷底に吸いこまれていく。
フェリシアの肩にかけていたスカーフが、ひらひらと空を泳ぐ魚のように風にのって漂いどこかへと流れていった。
「お父さん!怖さはなくなったけど、今度は悲しくて涙が止まらないよ!」
ぴえぴえ泣く私に、養父は草を伸ばしてよしよしとあやすように頭を撫でてくれた。
今世は父母に抱いてもらったことも頭を撫でてもらったこともなかった。
気持ちいい。
もっと撫でて、お父さん。
「お父さん、水晶球はお父さんが変形したものでしょう?どうして命を要求したの?お父さん、生きているものは必要以外食べないのに。死体で十分って言って」
「えー、俺は要求していないよ。最初に姫が死んで俺が現れたから、王が勘違いをして命を捧げるようになったんだよ。俺はさ、あの国があまりにも飢えで苦しんでいたからかわいそうになって、一人につき一問ずつ質問に答えて知恵を授けてやろうと思っただけなのに~」
「でも王の勘違いを正さなかったんでしょう?」
「うーん、なんかさ、人間の業の深さがどんどん剥き出しになっていって、どこまでいくのかな~と興味深くなって」
私はため息をついた。
「確かにひどい国だったね。お父さんのおかげの平和も繁栄も当たり前になっちゃって、当たり前だけじゃ幸福ではないと、もっともっと、と」
「そー、満足を覚えないんだよ、ひとつを叶えれば、さらに次と。飢えが満たされれば、もっと美味しいものを食べたいもっと良い暮らしがしたい。蓄えがあってももっと欲しい。お金が欲しい、富が欲しい、女が欲しい、きりがない。向上心をもつのはいいよ。それが自分の力ならばね。でも他人に頼ってもっともっと、て。あげくはセアラやセリスの浅はかな父親のように頼るだけではなく利用しようとする、自分たちが神と呼ぶ存在をだよーー人間は足るを知ることはないのかね?」
「それでその後はどうなったの?お父さんのことだから、その国が無事のはずないよね?」
「ハハハッ。セアラとセリスの父親は、生きたまま局部からゆっくり腐っていって何年も苦しんで死んだよ。浮気者にふさわしいだろ?妻を殺した他の貴族たちも。王族や貴族たちは、住みかのない文無しにしてやったよ」
「…まさか…?」
「そー、王の城ごと貴族たちの屋敷ごとバクッと丸々食べてやった。俺やさしいからちゃ~んと10分後に食うよって警告してやってさ~。慌てて着の身着のまま家屋敷から逃げ出した王公貴族たちに民衆がさ~」
ケラケラ笑う養父に、警告したのは優しさではなく生かして苦しめるためだと思った。そして民衆に復讐のチャンスを与えるため。
「サナ、明日は南の方へ行こうか?常春の作物のよく育つ豊かな国があるんだ。フェリシアとセリス、セアラと少年の子孫が治める国があるんだよ」
「え!?」
「死にたてホヤホヤのセアラと少年を床ごとパックンと食べて、こっそり蘇生させたんだ。フェリシアとセリスも谷に落ちる途中で助けた。4人の傷を全部なおして南の国へ送ったんだ~城もつけて~」
「お父さん、すごいっ!!」
「にゃははは、もっと言って~」
「このもっとはいいもっとだね!お父さん、万能!すごいっ!!」
私のお父さんは、この怖い世界で一番強くて一番やさしい。
ざわざわ。
ざわざわ。
風が遠い海鳴りのように草や葉を揺らすけど、もうこわくない。
養父の作ってくれた草のベッドは、草なのに柔らかくてふかふか。
「お父さん、明日もお話してくれる?」
「いいよ~、次は妖精の国なんてどうかな?」
「お父さん、子守唄を歌って?」
「いいよ~、俺の美声をうならしてやろう」
私の名前はサナ。
お父さんは雑草。
転生して5年目にはじめて、頭を撫でてもらって子守唄を歌ってもらえました。
お父さん、
お父さん、
背中もポンポンして?
前作「お父さんは無敵」をご覧になっていなくても、本編は独立した作品としてお楽しみいただけると思いますが、もし至らない点がありましたらご容赦下さい。
お読みくださり、ありがとうございました。