第二部 魔国統一編 昔の記憶
「たしか、俺が奈落に落っこちてからの話だったな」
俺はフレイヤ、そしてルシアンに目を向ける。
「私も、茸王様が魔界にいらしてすぐの話は聞いた事無いですわ。あとの9つの指も興味あると思いますので、今から念話のリンクを作って、かの者達にも聞かせてやりますわ。多分、アイツあたりが一字一句漏らさず書き記してくれるはずですわ」
アイツって誰だ? もしかして、俺の言葉を集めているストーカー気質の奴がいるのか? 十指の中に。まあ、全員俺に心酔しているから、心当たりが有り過ぎる。
「あーあ、あんたたちのせいでお酒が抜けちゃったわ。どぶろく1つもってきて」
フレイヤはそこらにいた店員さんに『どぶろく』なるものを頼む。『どぶろく』ってなんだ?
「どぶって、確か汚れた水を流す溝の事だよな」
「アシュー、気持ち悪い事言わないで。どぶろくはどぶろく。どぶとは関係ないわ。あ、もしかしてアシュー、どぶろくって知らないの?」
フレイヤの下にドロリとした白い液体が入った碗がとどく。これが『どぶろく』?
「さすが、下賤の者の飲み物、見た目がまるでザー、ムグッ」
フレイヤがルシアンの口を塞ぐ。なんだか仲良いな。
「あんた、それ以上言ったら、ぶっ飛ばすわよ」
「ムグ、ムグッ、ぷっふぁーっ! あんた何するのよ。ザーネンゲンの濁り酒みたいって言おうとしただけなのに」
「ザーネンゲンの濁り酒か聞いた事はあるな。それで、フレイヤ、お前はルシアンがなんて言おうとしたと思ったんだ?」
「ザー、ザー、ザーサイ?」
「なんで、ルシアンがザーサイって言ったらぶっ飛ばされる事になるんだ?」
「もう、過ぎた事はどうだっていいじゃない。ルシアン、ごめんねぇー、悪かったですぅ。はい、これで謝ったから。早くアシューの話してよ!」
謝るというか、煽ってるな。
「このメス豚、懲らしめてやってもいいですか?」
ルシアンが細い目でフレイヤを見る。
「メス豚ってなによ、このホルスタイン!」
「ホルスタイン! この私を乳牛扱い。許せませんわ」
「まあ、待て待て。それくらいにしとけ。ガキじゃあるまいし、仲良くしろ。俺の話聞きたいんだろ」
だが、そうは言ったものの、奈落に落ちたばっかりの頃の事って、かなり時間が経ってるから思い出せない事も多々ある。まあ、こういう時はアレだな。
「魔道王アシュー・フェニックスの名に於いて命ず。出でよ『昔の事を思い出す茸』」
俺の手の上に黒く長細いキノコが現れる。『昔の事を思い出す茸』は人肌よりも暖かくほのかに湯気を立てている。
「ゲッなにソレ。犬の糞? そんなもの手に乗っけてアシュー頭大丈夫?」
フレイヤが俺の手のひらの上の『昔の事を思い出す茸』をまじまじと眺める。
「相変わらず失礼な奴だな。これのどこが犬の糞に見える?」
「色、形、どっからどう見ても犬の糞じゃないの」
「お前がそう思うから、そう見えるのだ。お前の汚れた心がこれを犬の糞にみせてるんだ。これはキノコだ。素晴らしい効能をもった、黒くて固い俺の自慢のキノコだ!」
「そうですわ。黒くて固い立派なキノコですわ」
ルシアンの相づちに俺は頷く。
「ちょっと、あんたたち、犬の糞みたいなの持って、黒くて固いキノコって連呼しないで! 周りのみんなあたしたちの方見てるじゃないの」
なんだ、そう言えば、俺達は注目の的だ。
「やはり、王たる者、望むも望まざるも、どこでも耳目を集めてしまうものなのか……」
俺の風格と言うかオーラ的なものがにじみ出ているのだろう。
「んな訳あろかい! お前らが下品な言葉ぶり巻きまくってるからじゃい!」
「俺がいつ下品な事言った?」
「ふふふっ、そうですわよね。どこが下品なのかしら?」
「ルシアン、あんた分かってて言ってるわよね!」
「さあ、何のことかしら?」
「それくらいにしとけ。それより『昔の事を思い出す茸』の素晴らしさを説明してやる。フレイヤは知らないと思うが、人間というものは見たもの聞いたものをほぼ記憶しているのだが、時間が経つとほぼ全て忘れてしまうように出来ている。このキノコを食べると、古い記憶にリンク出来るようになり、思い出したい事柄をまるで今体験したかのように鮮明に思い出す事が出来る」
「うわ、凄いわね。思い出したい事をいつでも思い出せるってわけ。それならそれを食べたら、どんなテストでも出題範囲に目を通してたら満点とれるって訳ね。それで、副作用とか無いの?」
「そうだな、俺は何とも無いが、普通の人間だと、効果が切れた時にしばらく記憶能力がなくなって、口が痺れて話しにくくなるくらいかな。試しにフレイヤ、少し食べてみるか?」
「そないなもん食うかボケェ! それって完全に毒キノコじゃないかワレぇ!」
「茸王様に対して暴言の数々。もう許せませんわ。わたくしめが押さえておきますので、こやつの口に『昔の事を思い出す茸』をぶち込んで下さい。少しは賢くなるかもしれませんわ」
「そうだな、それでは、フレイヤの口に俺の自慢のキノコをぶち込んでやるか」
俺はルシアンに羽交い締めにされたフレイヤの口に『昔の事を思い出す茸』を近づける。
「やれー!」
「ぶち込んでやれ!」
辺りから声が飛んでくる。
「アシュー、止めて止めて!」
フレイヤが涙目になっている。
トントンッ。
俺の肩を誰かが叩く。
「申し訳ございませんが、当店では食べ物の持ち込みは禁止されております。どうしてもと言うなら、持ち込み料をいただいておりますが……」
ウェイトレスのお姉さんが引き攣った顔で俺を見ている。何を恐れているんだ? 俺は基本的に人畜無害なのに。その目の先は俺の『昔の事を思い出す茸』。これはただのキノコだというのに。
持ち込み料、それは道理だな。俺は提示された料金を払う。そして、『昔の事を思い出す茸』を見つめる。いかん、フレイヤが犬の糞、犬の糞いいやがるから、俺にもそう見えてきた。気のせいだ。
俺はフレイヤの口に突っ込む素振りをしたあと『昔の事を思い出す茸』を自分の口に入れる。ほろ苦い味がする。思い出はいつもほろ苦いものだ……




