事故物件 弐
そして、いつしか幹博は壁の黒い染みを見るたびに、その染みが人の形のように見えるような気がしてならなかった。
薄気味悪さを押し殺すように、これは気のせいだと自分に言い聞かせては、無理やり納得させていた。
あの黒い染みは大きな大人の男のようであり、それを見るたびに幹博は自分の父親のことを思い出してしまうのだ。
幹博の父親は幹博に対して暴力を振るうことが度々あった。
幹博が小学生の頃には特に酷かった。
父親は自分の足の親指の爪が剥がれるほどの力で、幹博を蹴り上げていた。
母親もそれを止めることができなかった。
母親は幹博を愛していなかったわけではなかった。
ただ、カーテンも開けられない生活を送るほど、精神的に病んでいた。
夫によって心が壊れ始めていたのだ。
それでも、父親としての子育てを放棄している夫の代わりに、懸命に子育てをした。
それが、時には行き過ぎる躾となってしまうこともあったが、誰に頼ることなく女一人で子育てをしたのだ。
幹博の父親は小学生の息子とキャッチボールもすることもなく、縄跳びを教えるわけでもなく、水泳を教えることなども一切なかった。
父親は息子と一緒に遊んだことがないのであった。
自転車の補助輪が取れるように練習を一緒にしてくれたのも、縄跳びを教えてくれたのも、鉄棒の逆上がりを公園で教えてくれたのも全て母親であった。
幹博が物心つくころには父親は定職に就いていたが、それまでは職を転々としていた。
父親は母親と結婚してひと月後に会社を解雇された。
父親は”生意気”であり、“上司の言うことを聞かない”ということで解雇されたり、自ら会社に退社したりを繰り返していた。
父親は会社を風邪で休んだが、家にじっとしていられない性格でパチンコ店へ行ったことが、当時勤めていた会社の社長の耳に届き、会社を解雇されたこともあった。
出産間直な妻を働かせて、妻の実家に世話になっていたのだが、夫としての責任感もなく飲み屋にツケをして飲み歩いて妻の実家には帰らず、自分の実家に帰っていたり遊び友達の家にいびりたっていた。
出産費として預金していたお金も、父親は飲み屋の女友達に貸してしまい、そのお金は結局返ってこなかった。
母親は役所で手続きをして、何とか幹博を出産することができた。
出産の時も父親は立ち会わなかった。
それでも、母親は妻として懸命に尽くした。
離婚ということが、その当時はそんなに社会的に認められていない時代だったということもあった。
ましてや母親は嫁として違う家に嫁いだ身であるため、世間体を気にして実家にも帰られない。
親戚からも白い目で見られ、ご近所からも噂されるというような時代だったために離婚に踏み切れなかった。
幹博が中学生になる頃には、父親の暴力も益々激しくなり、殴る蹴るなど激しいものであった。
幹博はこれが当たり前の出来事であり、他の家庭でも行われていることだと思っていたために、殴られることも蹴られることにも疑問を感じなかった。
自分が”悪い子”であるから、父親の機嫌を損ねて殴られ続けるのだとさえ思っていたのだ。
このような生活も幹博が高校へ進学することになると変化が起きた。
「いつ俺は楽になるんだ! 金がかかるのは誰が使っているからだ?」
酒を飲んで酔っ払う父親は毎晩のように幹博へ怒鳴っていた。
幹博は高校へ進学したが、母方の祖父が亡くなって入ってきた遺産が学費に当てられていた。
幹博も鞄の中に退学届けを入れながらいつも学校へ通っていた。
家庭が金銭的に苦しいのは、父親の給与が年間百万円ほど下がったためであるが、父親はそれを一切認めようとせず、いつも誰かのせいにしては、焼酎を浴びるように飲み、煙草を毎日二箱空にしていた。
父親が勤めていた会社を辞めて、自営業を始めると年間の勤務日数は百日程となり、休日は土曜、日曜、祝日、ゴールデンウィーク、連休、お盆休み、年末年始の他に冬季の十一月までしか仕事はなく、春の六月からの仕事で、給与は七月末日まで入ってこないということで親会社と契約をした。
父親の会社は事実上、孫受けであり、一年間の冬季の半年は仕事がなく、春から秋までの間には勤務日数が百日程度ということで売上が二百数十万円ほどで仕事をすることになった。
自営業であるため、その年収の半分は経費となるため、年収百万円くらいとなるため、母親は父親と別居することを決意したのだった。
無計画で、事後報告をする夫をもう支えきれないと判断したためである。
父親は母親にも幹博にも日頃から電話もメールもくれたことがない。
別居を始めてからもそれは変わらず、連絡は一切なかった。
父親は仕事がなく家にいた時でさえ、母親が脳幹梗塞で倒れて入院しても病院へ見舞いにきたこともなかった。
父親は常に酔っ払っているため、緊急で病院へ運ばれる時も、幹博に救急車を呼ばせて病院へ付き添わせていた。
父親がお酒を飲んでいない時がないほど、常に酔っ払っているため病弱な母親の緊急病院への付き添いは幹博が行っていた。
幹博も父親には愛想が尽きていた。
誰の言うことも聞かない父親を諌めることは誰にもできないのだ。
以前勤めていた会社の社長の言うことさえ聞かないで、自分勝手に仕事をしていた父親は会社でも嫌われていた。
「俺は一匹狼なんだ」
それが幹博の父親の口癖であった。
壁の黒い染みを見るたびに、父親を思い出しいつも不快感が込み上げて来るのだった。
父親に対して嫌悪感しか感じなくなった。
同じ空気を吸うことにも抵抗を感じていた。
もうここには父親は居ないのだと幹博は何度も繰り返し自分に言い聞かせていた。
そして心の安静を保とうとしたのだ。