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「という事だが、どう思う?」
いつの間にやら、人々の後ろ。広間の入り口に女性が立っていた。
大人というには背は低く、その黒い髪は背の中ごろまで届くほど長く、蔓でできたような不思議な裾の長い緑と茶色をした服を身に纏い、足にはなにも履いていなかった。闇に溶け込むようなその姿に唯一、銀の首輪が妖しく煌めいていた。
「ひぃいっ」ざっと人垣が二つに割れ、声の主のいるところまで道ができる。
その道を、ゆっくりと台座に足を運ぶその身は、揺らめくように、時折、透けて見えた。
「ば、ばけもの」女性が前を通りすぎた後をざわめきが追いかける。
「どうやら、本当だったようだな」
とさり、と台座から男が飛び降りた。腰に実用的な幅広の剣を履き、装飾品といえそうなものは両手に嵌めた金の腕輪のみ。短く刈り込まれた金髪と青空のような澄んだ青い瞳が窓から差し込む陽光を受けて輝く様はそれらしいと見えなくもない。が、実用的な旅装服らしきものを身に纏っただけのその姿は、押しかけていた人々が想像していた”千年の時を超えて我が王国を守る栄えある勇者”とはかけ離れていた。
正直がっかりしたような呆けた空気が漂った。しかし、しなやかな筋肉に包まれた体が動く様はいっそ優美で、そしてその端正な顔にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
「勇者様、そいつです!」「勇者様、早くしてください!」「今こそ裁きの鉄槌を!」「早く!」人々は魔女の視界に入らぬよう後ろへと飛び下がり、怒りの思いの丈を叫んだ。
「どうか、私たちの怒りと悲しみを晴らしてください、勇者様!」
その声を切欠に、勇者が、魔女と忌み嫌われた女性へと走り寄る。
二つの影がぶつかり合った瞬間、弾きあうような激しい金属音と破裂するような爆音が響いた。周囲が息をつめて見つめる中、長い髪がゆらりと崩れ落ちようとするのを、勇者が支えた。
石の床に、焦げひしゃげた金属がたわんで転がる音がする。
「ついに、ついにこの時が」
はらはらと、涙が、女性から流れ落ちていく。
その涙はとても美しく、周囲に煌めいて散った。
「ついに君を抱きしめることができた」
「声が…でる。私の名前は、サヨコ。小杉小夜子っていうの」
「コスギサヨコ。可愛い名前だ。俺は、エドワード・ファン・フィッツロイ」
「えどわーど・ふぁん・ふぃっつろい。う、覚えとく。がんばる」
「ぷっ。エドだけ覚えててくれればいいよ。俺たち解放されるんだな」
「長かった。もう無理かと思ったわ」
「千年、か。俺たちが召喚された理由も、契約内容も忘れ去られるまで、こんなに掛かってしまった」
「本当に、元の世界に、時間に戻れるかしら」
「違っててもここじゃなければ構わないさ」
「そうね。一緒にいられるなら、それで十分」
「絶対に探しだすから」
「ふふ。迷子はその場で待っているべきかしら。二人で探しあっていたらいつまでも会えないっていうわよね」
「あの時の寺の境内に、メッセージを残しておく。もし母国に戻ったとしても、日本に辿り着いたら毎日残すから」
「やっぱりあれ貴方だったのね。大丈夫? あなたの国じゃないんじゃない?」
「観光で行ってただけだったからね。あ、日本語しゃべれないんだよ、俺」
「え、どこの言葉を覚えればいいの」
「オランダ。うちはフリジア語だけど」
「うわっ。英語じゃだめかしら」
「大丈夫」
「わかった。どっちも頑張っておくわ」
「ありがとう」
「…エド、ありがとう。あなたがいたから、頑張れたの」
「それは俺もだ」
「「愛してる」」
眩しいほどに光量を増していった煌めきの中へとふたりの姿は消え、
広間には、あっけにとられた人々と、
二人が嵌めていた銀の首輪と金の腕輪と思われる残骸だけが残されていた。