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前半

家に来客があることを察して、ニートであるYは自室に引き払っていたのだが、しばらくすると、意外なことに母から「ちょっとY、おりてらっしゃい」と声をかけられた。言われるままやってくると、居間には見知らぬ男がいた。

「Y、この人、S山さん。」

「どうもYさん、はじめまして!」

「へ?は、はあ…」

Yはなぜ急にそんな男を紹介されたのかがわからず、口をぽかんと開けて母とS山の顔を交互に見ていたが、母がいやに優しい口調で「ほら、あなたも座りなさい」と言うので、その言葉に従った。

『なんか、うさんくさい顔の男だな…』

それがS山という男に対する第一印象だった。笑いすぎなくらいにんまりとした口に、眼鏡の奥に光る目は元から細いせいか、スマイルのつもりなのだろうが笑っているようには見えない。

「ねえY、あなた今度ちょっと山にでも行って、少し新鮮な空気を吸って来たらどう?」

「は…?山?」

Yは話が見えず、ぱちくりと目をしばたたかせる。

「あなたもうここのところ、全然遠くに出掛けたりしていないでしょう?ほら、お金のことは心配しないでいいから」

Yは大学卒業後ニート生活に甘んじており、ずっと家でフラフラしている。そんな生活をしていれば、普通、旅行など望むべくもないのだから、母のこの申し出は「寝耳に水」どころか「棚からぼたもち」であってもおかしくない。

だがYは警戒した。

お小遣いどころか、本も買ってくれない母親がこんなことを言い出すなんて、何か裏があるに違いない…、そう思ったのだ。

「いやいい、行かない」

「まあそうおっしゃらずに、どうか話だけでも聞いて頂けませんか?」

S山がわざとらしい笑顔をじっとYに向けた。山、そして旅行…、それらにこのうさんくさい男がどう関係してくるのか話が飲み込めなかったが、とりあえず自分はこの男が生理的に嫌だということだけは理解した。

S山はかまわず、いくつかのパンフレットをテーブルに広げ、Yに一つを手渡した。

山、川、海、そしてレジャーで遊ぶ人々…。写真を見ただけでは一見ただの旅行パンフレットだが、そうではない。

嫌でも目に入る、『ニート』だの『救済』だのという文字…。さらには『キャンプの参加者の93%が、収入を得ることに成功しています』と書いてある。

Yは母の行動に納得がいった。と同時に、『ニートの娘をどうにかしたいと思うのは仕方ないとして、なにもこんなうさんくさい男の手を借りなくてもいいのに…』と少し恨めしく思った。

「わたくしどものキャンプでは、決して手荒なことはしないというのが、一番のモットーなんです。

世の中には、力づくでひきこもりのお子さんを外に連れ出して、挙句、家族間の絆が、取り返しのつかないほど破壊されてしまう例も少なくありません。

ですがわたくしどもは暴力には絶対に反対。痛みや恐怖で人にいうことをきかせたって、結局はその人のためになりません。

眼の前のことだけを見るのではない。一人一人の将来を考えて、導くことがわたくしどもの使命なのです」

『わたくしどもの使命…?』やたらと怪しげな言葉に、Yは目を細めた。

「では乱暴な手段を使わずに、なぜニートやひきこもりの方々をお助けできるのか…、その理由は単純です。わたくしども『ひまわりキャンプ』のスタッフはみな、同じ境遇の出身なのです。

実を申しまして、わたくしもほんの半年前までは、そうでした。

ですからスタッフ一同、皆さんの繊細な心を理解し、寄り添ってサポート致しますし、何事も無理強いはしません。実際、スタッフは優しい人ばかりです」

母は既にこの話を聞いているらしく、うんうん、とうなずいている。

「皆さんがよくおっしゃることですが、スタッフも元ニートなので、人目を気にしたり、構える必要がありません。

一度ニートを経験すると、バイトに応募するのでも『ニートしていたんですか?理由は?その間何をしていたんですか?』などと聞かれるのが嫌だ、と二の足を踏んでしまうものです。ですがわたくしどもの間で、そういったことは決してありません。

むしろ我々がより重視しているのは、『孤独』への対策です。ニートをしていると、気が引けて昔の友人とは疎遠になってしまうし、仕事上の付き合いといったものもありませんから、孤独に陥ってしまいがちです。

ですが我々のキャンプではみなさんお友達になられますし、中にはメンバー同士で結婚した方もいます。

かといって、面倒な人間関係に巻き込まれることもありません。キャンプ後に自主的なイベントを開催する人もいますが、参加する・しないは完全に任意なのです。

ニートのみなさんが、それぞれが心地よい温度感を保ちつつ、みんなが幸せでいる輪を広めたい。それがわたくしどもの思いなのです」

Yはまた目を細めた。今度は『みんなが幸せでいる輪』ときた。

「それに『キャンプに行った後のことはどうなるのか』など、先のことを心配なさることはありませんし、無理に就職させられる、などということもありません。

それどころか、一度会員になれば、年会費などもなく、アフターフォローが充実していますし、悩みがあれば、いつでも先輩に相談できます。

たった五日間のキャンプに参加するだけでいいんです。

キャンプに参加したあと、また元の生活に戻ることも完全に自由です。その場合でもキャンプで得た経験は、必ず役に立ちます」

母は頼もしそうにS山を見て、Yの反応を窺った。

「お母さまは既にいいとおっしゃっているのだから、あなたは荷物をまとめるだけでいい。

Yさんも、このままでは良くない、と心のどこかで思っていらっしゃるはずです。だったらわたくしどもに、ほんの少し、後押しさせて欲しいのです」

「ねえY、物は試しと思って、ちょっと行ってみたら…?」

「いや、でも、やっぱり…」

「こら、あんまり駄々をこねるんじゃありません。たったの四泊五日じゃないの。」

それからちょっと怖い顔をして言った。

「それともキャンプが嫌なら――あんまりこんなこと言いたくないけど――、あなたを家から追い出すことだって出来るのよ…」


一週間後、YはS山の運転する車に揺られ、山道を走っていた。Yは母親に『家を出るか、キャンプに行くか選べ』と言われて、こうする他なかった。だから不機嫌そうに、ずっと窓の外ばかり眺めていた。

車にはYとS山の他に、男子と女子の参加者が一人ずつ乗っている。それぞれ名前はO太とU美だ。

U美は同性のよしみと思ったのか、最初はYと友達になりたいアピールを視線に込めて送っていたが、Yはそれらを全部無視していたので、U美もやがて諦めた。そしてO太も愛想笑いこそ浮かべてはいるが、引きこもり達に重苦しい空気を変えることなど出来るはずもなく、簡単な自己紹介をして以降、三人とも気まずそうに黙りこくっている。

そして沈黙をごまかすかのようにラジオが小さな音量で流れ、S山だけがわざとらしい笑みを浮かべては、「空調は大丈夫ですか?」「トイレとかあったら、気軽におっしゃってくださいね」などと一人でしゃべっている。

「泊まるのは、会の所有しているコテージで、お風呂は温泉なんですよ…!」

またS山がわざとらしい能天気を装って言うと、

「そそそそうなんですか…」

O太はどもりながらも精一杯返事をし、

「コホン…、私、温泉って久しぶりです」

とU美は極端に小さい声でぼそぼそ言った(『コホン』という咳払いだけは普通以上の大きさに聞こえるのに)。

一方、Yは寝たフリをして、無視を決め込んだ。

これからさき五日間のことを考えると、憂鬱だ。ケータイやPCなど、通信機器の持ち込みは禁止。携帯型ゲーム機もダメ。知らない人たち同士で――しかも一緒にされたくないような人たちに囲まれて――、他に逃げ場もなく、どう過ごせというのだろう…。

『どうせみんなニートか、元ニートなんだ…』

雑談をするコミュ力などあるはずもなく、誰かが場の空気をなんとかしようとすればするほど空回るのを、Yは白けた気持ちで見ていた。

そうしているうちに、目的地は段々と近づいていた。

「ほら、見えてきましたよ、あの山の辺りです」


夕方、到着したそのコテージは、意外にも、小綺麗な別荘風の建物だった。というのもYは、味気ない簡素な建物を想像していたからだ。立ち込める山の空気を胸一杯に吸ったYは、『こんな建物で寝起きするとは、合宿も案外悪くないかもしれない…』と不覚にも思ってしまった。

「いらっしゃい…!よく来たわね!道中何事もなかった?」

そう言って出迎えたのは、YやU美より少し年上で、背は低いが可愛らしい顔をした女性だった。

「私はT中。五日間、女部屋で一緒に生活するから、よろしくね。何かわからないことがあったら、なんでも聞いてね!…ではまず、部屋に案内します。荷物を部屋に運びましょう…!」

このT中という人物は、S山のようなうさんくささがなく、元ニートとは思えない気配りと、はきはきした声の持ち主だったので、Yは少し安心した。

だがふと見ると、U美は蚊の鳴くような声で「はい」と言って、少しはにかんでいる。

その様子を見て、Yはふと『ずいぶん簡単に心を許すんだな』と客観的になって、一気に冷めた気分を取り戻した。そして内心でU美を小馬鹿にした。


「部屋はこっちよ」

参加者が寝泊まりする部屋は二階にあった。自分の荷物を運ぶ途中、Yは廊下の奥にもう一つ階段があることに気付いた。じっと見ているとT中が声を掛けた。

「三階はほとんど物置きよ。普段は使わないの」

「へえ、そうなんですか…」

「じゃあ、部屋に荷物を置いたら、一階に来てね。すぐに夕飯よ!」

一階に集まると、S山が例のうさんくさい笑顔で言った。

「とりあえず今夜は難しいことは考えず、親睦を深めましょう。飲み物と軽食を好きに食べて、その後で、ちょっとしたレクリエーションをします!」

「サンドイッチにから揚げに、お菓子もあるわ。ほら、遠慮しないで…!お腹空いたでしょう?どんどん食べてね!」

T中は遠慮がちな三人に食べ物を勧め、S山はどこからかボードゲームを持って来て広げた。

「これをやると、みんな一気に会話が弾みますからねー!」

靴、帽子、犬などの駒…。S山の言う『レクリエーション』とは、どうやらモノポリーのことらしい。

「おおお!ぼぼぼく、モノポリーすすす好きなんですよ」

一同でモノポリーが始まると、O太はゲームの類が好きらしく、あまりにも熱くなっているので、Yは内心引いていた。

「ぼぼぼくのててて鉄道全部とT中さんのその土地の権利書…、こ、交換するのは…どどうですか?」

『T中さんと話すときちょっと嬉しそうにしてるし、いつもよりどもってる…。よっぽど女の人と接するのに慣れていないんだな…』

一方のU美は、

「コホン…、あの、ここを抵当に出します…」

と相変わらず咳払い以外を聞き取れないくらいの小さな声で話し、しかも「え?」と聞き返そうものなら、おどおどと泣きそうな顔をすることから、U美が口を利きそうなときには、みんなが気を使って黙る、という暗黙のルールも出来上がっていた。

Yは適当にゲームに参加しながらも、『この二人と一緒にされたくない…』とばかり思っていた。そしてそのうちダイスのいたずらで破産した。

最終的にT中とO太の一騎打ちとなったが、そこはO太がゲーム慣れしているらしく、先を読んでいたためO太の価値となった。O太は勝ったことでやたらと嬉しそうで、それを見るとYは余計にイライラとした。

こうしてモノポリーを終えると、T中はみんなに言った。

「えー、キャンプの間は毎日早朝に、湖畔に移動してヨガをやります。気分がすごくリフレッシュしますよ!今日はもう早いところ片付けをして、明日頑張って早起きしましょう!」

その夜はお開きになった。


夜中、Yは目を覚ました。

『なにか、遠くから聞こえるような…』

それは女の人の声だった。耳をこらすと、こんなことを言っていた。

「あなたは救われます…。私たちとともに…。一緒に手と手を取り合いましょう…。人生を取り戻すのです…」

しかも同じような調子で延々と繰り返している。どうやらその声は、どこかのプレーヤーからリピート再生されているようだった。

『宗教かよ…、気色悪い…』

Yは音の出所を探して、廊下に出た。そしてプレーヤーを見つけると、えいと乱暴にコードを引き抜いて、再び寝に戻った。


二日めの朝四時、眠い目をこすりながら、一行は湖畔に移動した。早朝の湖畔は静かで人もおらず、かすかに靄がかっており、確かに心地よかった。ただ、S山がもう少し黙ってくれていたら、もっと気分がよかったかもしれない。

「私たちは『どう生きるべき』とか、『どうあるべき』とか、そういった考えを一度捨て去らなくてはなりません…、はいドッグポーズ」

S山の言葉に合わせて、ヨガのポーズをとる。Oはのっそりと不器用に身体を動かし、Uは細い身体がもろそうにプルプルと震えていた。

「先入観にとらわれているままでは、いつまでたっても自由な人生は手に入らないのです…、はいチャトランガ」


ヨガから帰ると「アジェンダ」に従って「セッション」に移行した。S山はこれらの気取った用語を得意満面で使うので、Yは余計に鳥肌が立つ気がした。

「私たちは、世間で一般的とされる労働だの働き方だのに迎合するのを、よしとしません。

一方、世間では、労働に身心を麻痺させるべきだと言います。果たしてどちらが正しいのでしょうか…?」

S山のいやに朗々としたスピーチは続く。

「私たちは私たちのままでいいのです。しかしながら、ありのままの私たちで居続けるために必要な事というのを、誰も教えてはくれません」

Yの話は妙に抽象的で、全然頭に入らなかった。そしてS山が『私たち』という言葉を使うたび、少しいらっとした。

『あと四日の辛抱…。いや、最後の日は帰るだけだから、実質あと三日か…』

「…ということになるでしょうが、それについてはどう思いますか…?どうです、Yさん?」

「へ…?」

話を聞いていなかったYは面食らった。S山はまるで授業をしている教師みたいに、Yに質問をしたのだ。

Yが答えに窮していると、S山はあくまでYは自分の話を聞いていなかったのではなく、考える時間が必要なのだなという顔を作って、もう一度ゆっくり尋ねた。

「私たちが、私たちで居続けるためには、何が必要でしょうか?」

『「私たちが、私たちで居続ける」…?何を言っているんだ、こいつ…?』と思いながらも、ヘラヘラと答えた。

「え、金、じゃないですか?知らないけど」

我ながら、小憎らしい態度だなと思った。

そしてS山が怒りださないか、少し心配した――、と同時に少し期待もした。目の前の人が怒りだすのは、不快ではあるが、ある意味では面白い見物でもあるのだ。

しかし意外にもS山は、満足そうな顔をしていた。どうやらYは、S山の予期している月並みな答えを言ってしまったようだった。

「ええ、そうです。まさにその通りです」

S山が『狙い通り』といった表情をしているのが、無性に腹が立った。

「ですが私たちは、一度レールを外れてしまった以上、職を得て収入を得る機会を制限されている、というのが厳しい現実です。

この現状の中で、我々はどのようにすれば生き延びることができるでしょうか…?」

O太とU美は、じっとS山の目を見て、話を聞いている。

「大切なのは仲間です。あなた方はひまわりキャンプの一員になりました。ですから私たちは、いわば兄弟です。助けあうことができます。

『助け合って何になるの?』と思うかもしれません。仲間は力になります!私たちは今までにも、不安がっている参加者さんをたくさん見て来ました。

だからこそ断言できます。必ず皆さんは力を一つにして、前を向くことができると!」


二日目の「セッション」は、こんな調子でS山の熱弁が繰り返され、終了した。Yは話のほとんどを聞き流していたので、結局何を目的にしたセッションだったのか、Yにはよくわからなかった。だが、

『…あれ?』

ふと目をやると、S山の話をきちんと聞いていたO太とU美の目が少しずつ変わり始めたのに気付いた。まるでS山の目の光が乗り移ったかのような、熱に浮かされたような目をし始めたのだ。

「ぼぼぼ僕、ちょっと希望がわいてきました…」

「コホン、実は私も…」

Yは怪訝に思って、二人の顔をまじまじと見た。

『二人とも、何があったんだ…』

Yは二人とはろくに口を利かず、夕飯のカレーを平らげた。


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