表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊物語─王国の目覚め  作者: 痲時
第13章 みなぞこ
4/32

第76話:葉月の目覚め


 それは葉月の風景。


 照り付ける日差しからめぐみを感じられる季節は終わり、その暑さには殺意すら感じられる。時には人が死に至るこの季節は、もともと人が離れ易い国には致命的だった。

 ──私は嫌いな季節などない。確かに暑いが。

 そんなはずはないんだと、僕は否定した。彼女の意思を否定してしまった。

 ──私が好きなんだから、おまえが否定するところではないだろう。


 なんて懐かしい記憶なんだろう。もう既に、思い出すことすらなかったというのに、あまりにもその記憶は生々しく、つい数年前のことのように感じてしまう。




 ──私はこの季節が好きでね。

 そう云って笑う主の顔が、ぼんやりと浮かび上がる。

 ──妻が生まれた月だからさ。

 照れたように笑ったその優しい顔が、僕はとても好きだった。とても穏やかな気持ちで居られた。


 ルウラ。僕は君に、恩を返せていただろうか。


・・・・・


 小さく溜め息を吐いて、疲れた顔を見せるアリスを見かけたのは、陛下の思い付きが軌道に乗った頃。もう引き返せない強い決断に臣下も腹をくくり、誰もが陛下のために力になりたいと申し出ていた。


 僕はまだ、弱く悩むばかりだったけれど。

「お疲れ、アリス」

「ハーレイ」

 僕の存在を認めると、彼女はすぐに笑顔を見せた。アリスはそうだ。絶対に弱みを見せないから、みんなが心配するのにわかっていないんだ。だから陛下だって──。

「そんなところで何をしているんだい」

「そういうおまえこそ……」

 そこまで云って、僕が来た方角に気づいたらしい。小さく溜め息を吐かれた。僕も一緒に吐いたら怒られてしまうとわかっているから、なるべく笑顔を見せるようにする。

「喧嘩を見て来たところだよ」

「野次馬か」

「好きで見たわけじゃあないもの。見えちゃっただけ」

 幼馴染二人の、小さな内容の大きな喧嘩。あの二人は意地を張っている。だからこそ、どちらかが諦めない限りわかり合えない。そう知っていてそれが羨ましいと思ってしまう自分もまた、莫迦莫迦しいぐらいに醜い。


 だって僕は、二人が折れるように手出しをしないのだから。

 アリシアが少しでも、僕を思ってくれたらそれで良いから。



「おまえはそれで良いんだな」

 すべてをわかり切ったように、アリスは穏やかに笑う。別にアリスに語ったことはない。ヴェントがどれだけアリシアのことが好きだとか、アリシアがどれだけ鈍いかとか、愚痴り始めたらきりがないのだけど、そんな話をアリスにしたことはない。

 それでもアリスには見えているから、僕は笑って頷いただけだ。

「……私はあいつのために、何かしたい。でも、何もできない」

 憂いを見せるアリスは、ずいぶんと珍しい。そっと自分の手を開いて見る様は、無力な自分を悔いているようにしか見えない。事実、その通りなのだろう。


 でも僕は知っている。アリスが僕らのことをわかるように。僕は陛下に教えてもらったわけではない、それでも僕は、アリスの気持ちも陛下の気持ちもわかった。

「私も入ると云ったんだが、断られてしまった」

「それは……」

 当然だろう、という言葉が出て来なかった。この人は本当に、陛下の気持ちをわかっていない。

 本当なら、陛下が君のことを大切にしているからだよと云いたかった。だけど云えなかった。唇が張り付いてしまったように動かない。


 それできっと、君は傷付いてしまうのだろうから。


「僕が君の代わりに入るから、大丈夫だよ、アリス」

 僕はその時、決めた。ヴェントでもアリシアのためでもなく、この国で一番大事に思える陛下とアリスのために。


・・・・・


「やあ、アリス」

 目を開けた瞬間、手を振って現れたのが葉月である。前回の文月との差が激しくて、思わず笑ってしまった。

「あれ、なんか可笑しいことしたかな?」

「いいや、すまない。──初めまして、葉月。アリス・ルヴァガだ」

「……ああそうだね、初めましてだった。よろしく、アリス」

 そうやってやはりにこやかに手を差し出す葉月は、何所かしらの雰囲気が師走に似ている。この人懐こそうな雰囲気と笑顔は、たいていは周りの人間を幸せにするだろう。しかしその笑顔が、師走と同じく頭から来ているわけではないと、アリスにも伝わっている。


「私は貴方が信じたアリス・ルヴァガとは違う」

 目の前に差し出されている白い手を一瞥してから、アリスは葉月の目を真っ直ぐと見る。綺麗な琥珀色をした、それこそ人霊と呼ぶにふさわしいほど、神秘的な瞳をしている。柔らかい印象を持つ青年は手をそのままに、笑顔を消してふいにアリスをじっと見つめる。自然とかち合う瞳同士に、緊張が走る。しかしアリスは、負けじとその綺麗な瞳を見つめたままにした。



「アリス・ルヴァガが目指したものも知らない。ただ私は、私が信じて付いて行くウォレンを、少しでも助けて、彼の作る国を見たい。彼の作る国で役に立ちたいと思う。そのために、私は貴方たちの力を借りたい」

 自分は無力だとアリスは思う。精霊召喚師と云っても、できることなどないのだ。人霊が居なければ法術に頼ることでしか、自分の身すら守れない。だからこそ、人霊にお願いしたい。

「そのために力を貸してくれるだろうか」

 アリスがそう云ってまた手を差し出すと、ふと、葉月の目元が緩んだ。


「もちろんだよ、アリス」

 また微笑んだ彼が、アリスの手をしっかりと握ってくる。冷たい祠の中なのに、暖かなその手は、しっかりとした生を感じられた。




 ぎゅっと握り締められた手の中に、そっと差し入れられたのは、綺麗に透き通る緑色の石である。

「アリス・ルヴァガは僕に力を貸してくれなんて云ってくれなかった。君とは違う」

「そんなこと云って、アリスにべーったりだったくせに」

 ずっと黙って後ろに居た水無月が声を出したのは、そんな時だ。この声に、流石の葉月も苦笑を漏らす。

「こらミナ、そんなことを云ったら僕がナガに殺されるよ」

「だって本当のことだもん」

 ぷいとそっぽを向く水無月は、本当に子どものように奔放である。そしてそんな彼女を諌める彼は、大人のように達観しているようでいて、彼女を見る目がとても優しい。

「なら僕だって本当のことだよ。アリスは最後の最後まで、僕に反対していたんだから」

「それなら私だってそうだよ」

「ね、優し過ぎるアリスなんて、辛いだけだったはずだよ」

 だから、と葉月は水無月に向けていた優しい笑顔をアリスにも向けてくれた。


「僕の力で良いのなら、最大限に使い切って欲しい」



・・・・・



「また困った王太子だね」

 葉月がそう云って苦笑顔を向ける先に居るのは、ウォレンと師走だった。葉月祠から召喚獣で陸地にまで戻って来たアリスを待っているのは、その2人と水無月、文月の4名だけだ。


 テルトスを行軍する危険は犯せない。


 たとえ人間の自治区とは云え、王太子帰還に何も名言しないテルトスに対し、イーリィはそう反論した。一応敵対する意志を見せてはいないものの、ただでさえ聖職者に離反された身である。そんな中を主が全軍連れて行軍するわけにはいかないというのは、正しい主張と云えた。よって王太子軍は大河を横断し、そのままアクラ・ロスタリューの統治下にあるカームに入り、 エルアーム城へ身を置く予定であった。ウォレンがごねるまでは。


 ──俺はアリスと共に祠へ行く、これは決定事項だ。


 そう押し切られてしまって、アリスは反論しなかった。いや、反論できなかった、と云うべきか。明らかに間違っているのはウォレンだと云うのに、その口調には逆らえない何かがある。あれが王たる人の持つ力なのか、人を従わせる底辺からの声に、アリスは少なからず畏怖を覚えた。




 そんなウォレンに近寄った葉月は、にこっと笑顔を見せたかと思うと、いきなり手を振り上げた。アリスが気が付いた時には、その手は拳に変わっており、ウォレンの頭を殴っていた。

 そう、拳で、盛大に。

「え?」

「ちょっと、葉月!」

 何が起こったのかわからずぼけっとしてしまうアリスは、葉月に駆け寄る水無月のようにすぐ動けなかった。一拍遅れて、痛そうに頭をさするウォレンに慌てて駆け寄る。

「いってぇー……手加減しておけよ、葉月」

「殴られるだけの理由をわかっているなら良いんだけどね」

 葉月の笑顔は先ほどと変わらない。そう、笑顔のままウォレンを殴り、何喰わぬ顔でいる。穏やかな印象を受けたのだが、あまりに唐突なことにアリスも驚くしかない。

「まったくこの国の王族ってものは、昔から根本的なものが何も変わらないみたいだね、師走?」

 なぜかトゲトゲしい言葉を投げつける葉月に、師走は肩をすくめた。

「そんなこと俺に云われても」

「わかっていてすっとぼけるなんて、ますます似ているね。──まったく甘いんだから」

 大きく溜め息を吐く葉月に、師走は視線を合わせようとしない。近寄ろうともしない。



「まったく、どうして止めなかったんだい、文月」

「そこで俺に当たるな、俺だってさっき目覚めたばかりだ」

 いきなり当てられた文月は、ふいとそっぽを向く。もともと真面目な石頭と揶揄される文月は、アリスにこそ強く当たることはないが、仲間内にはそれなりに厳しいようだった。

「迎えに来なかったから来ないで失望するくせに、相変わらず勝手なやつだ」

「あのねぇ、勝手に僕の気持ちを分析しないでくれるかな」

「はいはい、そこまで! ストッープ!」

 文月と葉月の険悪したムードに飛び込んだのは、云わずもがな水無月である。

「ウォレンがここまで来ちゃったことが危ないって思うなら、早くここから離れることが1番じゃないの?」

 そこまで云われてようやく、葉月の怒りが何所に向いているかアリスは納得する。目覚めたばかりでそう簡単に状況がわかるはずもないのに、葉月は数少ないアリスたちを見て現状をすぐに理解したのだ。そうして勘違いさせてしまったことに、アリスの罪悪感は増してしまう。

「葉月、ウォレンがここまで来たのは、私の所為なんだ。私が、頼りない所為で……」

「アリス、俺のわがままを勝手に変えないでくれないか」

 今まで痛そうに頭をさすりながらもだんまりを決めていた当の主は、そこでようやく口を開く。その言は祠に行くと云った時と同じ、逆らえないような底力がある、畏怖の対象となるものだった。

「俺は人霊を一緒に起こしたかった、自分のために行動しただけだ。それが君主として自覚の足りない自分勝手な行動だと、葉月なら叱るだろうとわかっていたさ」

 それを承知でウォレンはここに居る、そう続きそうな言葉に、葉月は小さく溜め息を吐いた。


「これだからこの国の王族って人たちは、本当にどうしようもないね」

 そう云って笑う顔がとても穏やかで、厭味にも聞こえない。


「おかえり、ウォレン。無事で何よりだよ」

 葉月の柔らかなその声が、そのどうしようもない人たちをどう思っているか、すべてを物語っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ