第103話:準備完了
王都近くから挙げられた、ひとつの大きな花火。それらを見て彼らは動きだした。足踏みがそろった時に決めていた合図だった。東からはイーリアム城、南からはラドリーム城、クラファーム城、西からはエルアーム城。そして北からは、王太子軍。それぞれが王宮へと向かう、最後の戦いへの合図。
「みなに頼みたいことがある」
その花火をじっと見つめながら、ここまで付いて来た臣下を前に、改まって主は口を開く。
「まずはアルクトゥラス領へ寄らせて欲しい。それから向かうイシュタル城への突入に関しては、私の云う通りにして欲しい。それがたとえどんな無謀だと感じても、それだけが唯一、私に残された王宮へ戻る手段なんだ」
・・・・・
イーリアム城一軍将軍ローズ・レイラインは東の金剛石と呼ばれるイーリィ・マケルが王太子に従軍してから、イーリアム城を預かっていた。時折、北のケーリーンから面倒な輩が襲撃に来るものの、おそらく向こうも牽制のつもりなのか、大した手間もなく処理することができた。そんな彼らはただ城でその時を待ち続けていた。待ちに待った書簡が来て数日後、その花火は打ち上げられた。全軍行軍の合図だった。
腕に覚えはあるものの、ローズはやはり緊張していた。王宮の東側、弥生門から侵入するのに苦労する場所はない。
まずイーリアム城が動き出したら法術師の自治町ケーリーンはこれまで通り邪魔をして来るだろう。また森を進んで行った先に待ち受けるのは、法術師派に居るテルムの領主とエントーム城が待ち構えている。そこで少し遠回りになるが、森を南下してアラム領内を通り王宮を目指すこととなった。アラム領は法術師派に挟まれているため当初こそ日和見だったが、領内にあるエルアーム城の城主レイシャン・ダガー・エリングトゥラスの力添えにより通ることが可能となった。
しかしそこで安心はできない。王都イシュタルに入れば神無月地区であり、そこは王都の貴族らによる遊び場であり、最大級のショッピングモールが並んでいる。それを通り過ぎて王宮貴族領内に入ると、東側は法術師の領地で固められているのだ。もともと王宮貴族領内で問題が起きないように、法術師、召喚師、聖職者、人間はだいたい場所が別れている。北は召喚師、西は人間、南は聖職者、そして東側は法術師の領地となっている。目指すべき弥生門はそこを通り過ぎなければ辿り着けない。
弥生門の外に領地を持つのは、王佐ヴァルレン・アゴアードである。完全に安心できる場所だった。そこまでの行軍の道のりが、とんでもなく難しいのである。
「アゴアードの家まで無事に辿り着くことが第一だな……」
ウォレンも旅立ちの前、そう云って頭を悩ませていた。
王宮貴族領内を東から真っ直ぐ突き進むには、シュタイン家を真っ直ぐ、またはその腰巾着であるマンチェロ家を通らねばならない。そんなことは絶対に不可能だった。
ウォレンらが旅立ってからしかし、風向きは次第に変わって行く。法術師の領地を通ることなど不可能だと考えられていたが、その法術師にも動きが出て来る。何よりあのルーク・レグホーンの帰還。レグホーン家はあれ件以来廃れてしまってはいるが、まだ領地はある。そしてそのレグホーン家の領地は、アゴアード家の北に位置するのだ。
そして。
「結論としては、目の前を軍隊が通り過ぎて行くことを看過できないって答えだった」
にやにやと笑いながらおもしろくない報告をするクドーバ・ローゼンに、ローズは小さく溜め息を吐く。
「そうですか」
「頭かったい親父だよねぇ」
ローゼン家はレグホーン家の隣、そしてシュタイン家の隣でもある。弥生門に入ることが通過できるとすれば、ローゼン家からレグホーン家、その道筋しかなかった。それに気付いたウォレンはクドーバが傘下に入った後、彼をイーリアム城へと送りだした。ローゼン家当主であるゼシオ・ローゼンは管理者として王宮に詰めており領内には居ないが、その当主に通行許可を訊くことができるのはクドーバしか居ない。がんじがらめの王宮に侵入することができ、ローゼン家の息子。それだけで充分だった。
だがその彼が持ち帰った答えは、残念ながら望んだものではない。当然だ。ゼシオ・ローゼンは味方してくれるだろうが、現在は王宮に詰めており調整者の居ない法術を取りまとめているのだ。管理者であるゼシオが殺されることはないだろうが、法術を守ることが精いっぱいだろう。
噂ではルナ王后に付いているというエンペルト家は今なら無人であり、ウォレンのためなら使ってくれて構わないとの承諾は得ている。しかしエンペルト家はシュタイン家とマンチェロ家に挟まれており、法術で挟み撃ちなどされたらせっかく四方から戦力を集めるという作戦が無駄になる。
ローズの所為でイーリアム城が、城将イーリィ・マケルが侮られてしまうのだけは避けたい。
「でもさ」
ローズの眉間に皺が寄ったのを見て、クドーバはまた笑う。
「しょーもない息子が勝手にやったら知ったことではないってさ」
「……よろしいのですか」
「ルークが帰って来た時点で、巡検法術師の名は捨てて良いからね。俺はただの裏切り者。軽蔑した?」
「いえ、むしろ心強い。感謝しています」
性格こそ難はあれど、クレナイに近しい戦力を持つクドーバの参戦は、ローズにとってありがたいことだった。
東側準備完了。
・・・・・
西の鉄巨人と呼ばれるファルーン・グランジェは合図が上がってすぐに立ち上がった。一部は城に残しつつ王都を最速で目指しその行程は順調に進んでいた。異変が起きたのは王都イシュタルに入り大河を渡るときであった。
「城将、あれは」
ジーク・ズクーバに云われるまでもなく目に入っていた。大河前には尋常ではない人だかりができており、最初は法術師かと思い警戒したものの、それは単なるやじうまのように民間人が多かったからだ。
西側の王宮貴族は味方か日和見が多く、強いて云うならばトゥラス領内のシュベルトゥラスだけが敵だった。軍隊をそろえておそらく大河を渡らせまいと待ち構えているだろうから、ウォルエイリレンらが王宮に入るより前に制圧する予定だった。合図があれば対シュベルトゥラスの軍を置いて、強行突破する手はずだ。しかしそのシュベルトゥラスも、ルジェストーバ王立学院により制圧されたと云う。学問一徹だったルジェストーバに先を越されて、剣でしか生きられないファルーンは正直おもしろくない。何かしら武勲を立てて王宮に辿り付きたいものだと思う。
「控えよ!」
ジーク・ズクーバが滅多にない真面目な声を張り上げた。大所帯で行軍しているというのに、声でようやく軍隊に気が付いたらしい人々はおもむろに振り返る。
「我らエルアーム城兵らは、ウォルエイリレイン王太子殿下に力添えすべく、王宮へと向かっている。速やかに道を明け渡すべし」
慌てたように人垣が割れて、ようやく大河が見える。その橋に数人の若者が立っているのが見えた。
「待ちくたびれたぞ、ファルーン」
その中の若い一人に気安く声をかけられ、ファルーンは馬上から目をしばたく。
「シュベルの兵力は制圧した。残りはおそらく領内にも居るだろうが、そこは城将の腕の見せどころだ。それぐらいどうにか突破してくれ」
ファルーンはそこでようやく近付いて来た若者の顔を見て声を張り上げた。
「全軍、下馬! 頭を下げよ!」
慌てて馬から降りたがその瞬間に、向き合っていた青年が声を張り上げる。
「その必要はない!」
響き渡る大きな声は、ファルーンに負けないぐらい力強いものだった。
ディルレイン・セントラ・アランダトゥラス。アリカラーナで彼の名を知らない者は居ないと云っても過言ではないだろう。美術品のように美しい顔立ちとそれを際立たせる立ち居振る舞いから絶大なる人気を誇る、セランティオン王立劇団の顔。またその多忙スケジュールの傍ら、警吏としてアリカラーナの社会秩序を守っているとくれば、女性だけでもなく男性からの支持も厚くなる。安寧王の妹リナリーティーシア自慢の長男だ。
彼が王太子軍として活躍しているのは聞いていたが、まさかここに居るとは思いもしない。
「おまえたちが頭を下げる相手は王宮だろう、こんなことで手間取らせるな」
「しかし……」
「立ってくれ、ファルーン。先を急ぎたいんだろう?」
渋々立ち上がると、城将だけが馬を降りて頭を下げているおかしな図で続く会話に終止符が打たれた。しかし今度はなぜか、ディルレインの頭が下げられた。
「ファルーンのおかげで、俺も剣を持ち戦うことができた。本当にありがとう」
「あ、頭なんか下げないでくださいよ。殿下と云い、どうしてこうあんたたちってやつは……」
ファルーンが本気で困って顔をしかめると、相手は笑って頭を上げた。
「迷惑ついでに俺も付いて行くことは許されるか?」
「は?」
「エルアームの兵士になりたいわけではないから、安心しろ。ただ、一緒に戦っても良いかを訊いている」
「それはしかし……」
「危険性については問わないでくれ。俺よりも尊いとされる命を持つ方が危険を顧みず働いているのだ。この国の安全を守るべき警吏の俺がサボるわけにはいかないだろう」
本当にこの王族たちは、自分の命を軽んじることしかできないのだろうか。下に立つ者としては正直扱いづらい。だがやはり、そんな主に付けることが幸せだとも思えるのだ。
「それでは……頼みます」
「ありがとう」
にこりと笑ったディルレインに、周囲に群がっていたやじうまが黄色い声を上げる。まるで何かの舞台に上がったかのようだった。
ディルレインはウォレンらがエルアーム城に着く以前から行動しており、王都へと抗議を行っていたようだ。道が開くまで時間はかかったものの、ウォレンが帰りやすい道のりを作ってくれていたらしい。西から王宮へ入るにはティリアーニ家という面倒な法術師派の王宮貴族が居り、その家を説得することはできなかったものの、メルセイズ家、ヴァカリー家などには頭を下げ道を作ることができた。その後に続くトゥラス領内は、ガーデン、ダカンタトゥラスとウォレンに協力してくれる家敷地が続いている。問題は南にあるルジェストーバから続いているシュベルトゥラスぐらいだ。しかしそのシュベルトゥラスの婿であるダズータ・バルクオリンズ・シュベルトゥラス本人が、ルジェストーバ理事として立ち上がり、シュベルトゥラスを制圧したという。シュベルトゥラス当主は彼の妻であるナナリータであるから、本来ダズータにその権利はなく、明らかな謀反とも云える行動だった。たまたまガーデントゥラス領に居たディルレインは、その報を受け彼らを手伝うことになったという。
結果、シュベルトゥラス領を最近ルジェと組んで制圧し、今は残党処理がだいたい終わり、大河からスムーズに王宮を目指せるよう、この大河まで戻って来たということだった。
「ウォレン従兄は無事辿りついたんだろう?」
「ああ、それこそ目と鼻の先に居たんじゃないっすかね? アセット家からアルクトゥラス領に寄って行くということだったから」
詳細は聞いていないが、ウォレンはアルクトゥラス領に寄るため、北側師走門から王宮へ入るということだった。どういう道順を辿るかは不明だが、また師走門へ辿り着く頃に合図が上がるはずだ。それぞれ色違いの花火を持っており、各自が門近くへ辿り着いたら打ち上げる。それが王太子軍の攻め入る合図だった。法術師にも気付かせることを意図しているため、目立つほうが良いとのジーマンの提案だった。難しい話はよくわからないから、ファルーンは云われたとおり行動している。
「ああ、じゃあ本当に近くに居たのか。残念だ。まぁ良い、それでは行こうか。向こうでまだ暴れてる連中も居るから、そこらはファルーンに頼む」
「任せました」
エルアーム城の者たちは、そうして大河を渡りスムーズな行軍を行うことができ、約束の長月門へも予定よりすんなりと到着することができた。
西側、準備完了。
・・・・・
アルクトゥラス領は師走門の隣に位置し、現在はメイリーシャが戻らないため、前当主シャルンガーの妻アレーナがひとり領内を守っている。
「お待ちしておりました」
ウォレンの顔を見るなりアレーナはそう云って頭を下げ、ぞろぞろと大勢になってしまった王太子軍を出迎えてくれた。本来であれば立ち寄らなくても良い場所だった。アセット家からそのままアガット家へと行くことで、長月門から王宮へ入ることができた。そうしなかったのはウォレンが頼んだことで、その理由はまだ話せることではなかった。そんなウォレンに今まで共にして来た仲間は文句を云うこともなく付いて来てくれた。本当に良い仲間に恵まれている。
アセット家からの行軍で疲れ切っていた仲間は、ようやく身体を休めることができた。
「あの子の屋敷ならどうぞご自由にお入りください」
「え?」
「成長したかと思ったのに、わかり易いわよ。早く行きたいって顔をしているわ」
突如くだけてふんわりと笑う叔母に、ウォレンは敵わない。頭を下げると領内の馬車を借りてローウォルトの屋敷へと急いだ。主の居ない屋敷はしかし手入れが行き届いていて、いつ帰って来ても問題がないほど綺麗だ。アレーナから連絡が来ているのか、屋敷の者たちはウォレンを見ても頭を下げるだけで何も云わなかった。子どもの頃には自分の家であるかのように通ったこともあるローウォルトの屋敷はしかし、肝心のその人が居なかった。
ローウォルト・ディラ・アルクトゥラス。ウォレンの従弟であり弟とも親友とも云える、大切な家族。その彼は今、時期国王候補で王宮に詰めている。彼と最後に会ったのは、王宮を出た5年前。
──逃げろ、ウォレン!
最後までウォレンを守るために剣を振るっていた彼の姿は、今でも目に焼きついている。
──一度連絡を取ってはみたのですが、殿下のことなど知らないと一点張りでした。今は王位継承者候補で居続けるつもりでいらっしゃるそうで……。
ウォレンのことを誰よりも信じてくれているローウォルトは今、そうしてウォレンを拒み続けている。そんな彼のことを、ウォレンは誇りに思う。5年経った今でも、ローウォルトを信頼できる。彼に何かやれと云われたら、意図を尋ねることもなくウォレンは頷くだろう。
ウォレンはローウォルトの書斎へと向かう。剣の腕が一番の彼が寄り付かない場所で、ウォレンも長らく入ることはなかった。その書斎に並んでいる書籍は貴族が読むべきものが並んでおり、演劇が多くあるのはアレーナの趣味だろう。『ゴードンハウス』『サランバルト』様々な有名作品が並ぶなかウォレンは『オウガの町で』を手に取る。久しぶりに手にとったはずの本はしかし、埃さえかぶっておらず、古書のような匂いもしない。
座学になると瞬殺で眠ってしまうローウォルトに、本など無縁だと思っていた。演劇で剣戟が響けば楽しそうに見るものの、それが主軸に戻るとやはり眠ってしまう男だ。教養と呼ばれる演劇の主なストーリーは知っているだろうが、おそらくタイトルまでは覚えてもいない。そんな彼の書斎を覗くことなどこれまでなかった。ここに並ぶ書籍はもったいないことをしていると、本人もぼやいていたぐらいだ。そんなかわいそうな書籍を開くと、表紙裏に499/8と数字が書かれている。ウォレンは確信を強くする。
『オウガの町で』の6章。ミステリが主軸になっている物語は折り返し地点でクライマックスに突入する。しかしウォレンが確認したいのは、持ち主と違ってほとんど頭に入っている物語ではない。ウォレンはその章を目で追いかけながら指でそっとなぞる。
──ヨルンの町は暗かった。
──提示した証拠品と合わない。
──「依頼人はどうしてそんな嘘を?」
──通りの雰囲気はいつもと変わりがない。
──リランの髪はばっさりと切られていた。
そっと目を閉じる。やはり自分のやるべきことは間違っていない。閉じようとした本に釣られて先を読んだのは、その後も言葉が続いていたからだ。
──「信頼だけでやっているわけないだろう!」
──時間はとうに過ぎている。
──「手柄が欲しかったのか?」
──依頼人はどうしてこんなことをしてしまったのだろうか。
──ルアソールの町は今日も平和だった。
ウォレンはそっと溜め息を吐いて書籍を元に戻したが、すぐに動くことができなかった。
──おまえにひとつ、頼みがある。
そう頼んだのはウォレン自身だ。しかしそれが、こんなにも時間かけてしまうことになるとは、その時思いもしなかった。
今まで自分を信じて付いて来た人たちを危険な目に遭わせる可能性があるのならば、それは避けなければならない。だがもし自分の決断が間違っていて危険に晒すことになったら、大切な仲間の命が失われたら。
しかしウォレンに選択肢などない。ここに来たことは間違いではなかった。
・・・・・
「あ~」
ローウォルト・ディラ・アルクトゥラスは時折身体を動かす以外、謁見室の窓から外を眺め、雲の数を数えるぐらいしかやることが思いつかなかった。シュタインからエリンケを守れと命じられてひと月あまり。軟禁とは云えそれなりに自由に歩けていたのだが、それができなくなったが故に、ひたすら謁見室にこもることが多くなってしまった。
部屋で素振りをしているとそのうち煩いと主から声が飛ぶため、長い間はできない。これでは身体が鈍ってしまうと愚痴をこぼしたら、少しの時間であれば鍛錬しても良いと許可をもらったが、それも長い一日のうちほんの少しの時間でしかない。一日中身体を動かしていたいローウォルトのストレスが溜まるのは当然だった。
「あ~」
「煩い!」
その守るべきエリンケ・バルバランは、憮然とした顔で玉座からローウォルトに大声を上げる。
「なんだよ、ぼやくぐらい許してくれよ。やることないんだから……」
「この間まで名作を読んでいただろう! 大人しくしていろ!」
「俺に高尚な文学は不向きらしい。すぐ厭いて実家へ送り返した」
「……そもそも文字を読めること自体が奇跡だな」
欠伸混じりに返せば呆れたように大きな溜め息を吐かれた。書籍を開いていたときは「なんだ風邪か?!」と騒いだくせに、読まなくなったらこれだ。何をしていたところで文句を云われるのだろう。
「機嫌が悪いようだな。バルバランの坊ちゃんは」
「ローウォルト、いつになったら僕の名をちゃんと云えるようになるのだ」
「おまえは大人しく、バルバランを継いだ方が良いんじゃないのか」
「何をいきなり」
「なんとなく、そう思っただけだ」
エリンケもエリンケで、不幸な身の上である。最も不幸なのは、自分の身の上が不幸だと思わず、自分を恥ずかしいと思っていることだ。こうして堂々と玉座に座ることをなんとも思わない、そう育ってしまったのだ。何所かちぐはぐなところがある男だが、嫌うまではなれなかった。
「そういえばローウォルト、おまえの剣の腕はなかなかに良かったな」
「それはどうも、お褒め戴き光栄です」
「僕のガードにしてやっても良いぞ」
「さらに光栄な言葉、どうもありがとう存じます」
抑揚のない、感情の入らないまま云う。かわいそうだとは思っても、上司したいとは思えなかった。
しかしローウォルトは少し前からそんな彼に違和感を覚えている。洗礼主がたった数日で終わってしまったことを不貞腐れているのかと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。エリンケは洗礼主が終わってからというもの、やけに大人しくなっていた。ぼんやりと外を見つめたり、中庭へ出かけることが増えている。彼なりにあの経験を通して何か思うことがあったのかもしれない。エリンケ・バルバランという男は、ローウォルトが思うよりずっと複雑な人間のようだ。
それ以上に何かを感じさせたエリンケはしかし、ローウォルトに何かを気にした様子もなく続ける。
「ルジェの連中はどうなったんだ?」
「さあ、管轄外です。宰法からは、エリンケ様をお守りしろとしか云われていないから」
と云ったところで、その宰法が静かに入って来た。
「王太子殿下はそろそろ入って来る。何も考えていないのか、真っ正面から来るようだ」
「真っ正面から?」
莫迦じゃないのか、とエリンケは一言で一蹴する。
「さあて、と。じゃあそろそろ、部屋の外へ出てますかね」
ローウォルトは笑いながら云ったが、ふとシュタインを見る。
「シュタイン宰法。別にウォレンのこと、憎くはないだろう? だったらウォレンを迎えに行くのは、俺にさせてくれよ」
「え?」
声を上げたのはエリンケである。
「おまえだって、ウォルエイリレンとは……」
「もしもあいつの首を落とすのであれば、それは俺でありたい」
何かを云おうとしているエリンケをぶった切ってローウォルトが言葉を重ねると、シュタインは冷ややかな目で見つめ返して来る。いったい何を考えているのかと怪しむ一方で、必死に頭を回転させているようだ。
ローウォルトは残念ながら頭脳戦には向かない。だがこの宰法はどちらもできる。もちろん剣術は得意と云えないものの法術は一流であるし、頭脳で戦えばローウォルトは敵わないだろう。逆にローウォルトの剣術は、シュタインも欲しいと思えるほどの腕前だった。だからこそ、彼の中では必死な計算が行われているのだ。
「──どうぞ」
「ありがとう」
にやりと笑う余裕すら見せて、ローウォルトは謁見室を出た。外にはシュタイン宰法の手駒が入口を守っているものの、心もとないと思ったのだろう。おもむろに腰元から抜いて構えてみると、使い慣れた剣がなかなか重たく感じた。
これで自分は果たして、斬れるのだろうか。動けるのだろうか。
──さっさと来いよ、ウォレン。
ローウォルトは大きく剣を振り、仮想のウォルエイリレンを斬った。




