第102話:理想と現実
シュタインはその騒動を、じっと見ていた。
ルジェストーバ王立学院。
王都イシュタルの中央に位置するトゥラス領内に学院が設置されたのは、今から300年ほど前のことだったと云う。時の王は名をルジェストーバ、贈り名は学理王と云った。その名の通り、勉学に非常に通じた王であったのだ。その勉学に打ち込むために自身が感じた不満を払拭するため、教育にも熱心に力を注ぎ込んだ。今までイシュタル城へ呼んでいた学ある面々を教師として雇い入れ、ルジェストーバという王立学院を作り上げたのである。それには若いうちからの縁作りも目的のうちだったらしいが、後から取って付けた理由も加わり、それが真実なのかはわかってはいない。とにかく以来イシュタルもトゥラスもその親類も、名のある貴族らはこのルジェストーバに入学することが当たり前となっているのだが──。
今では理事長であるダズータ・バルクオリンズ・シュベルトゥラスがすべてを取り仕切っているため、彼の目に止まらなかった者は教師となれない。だからシュタインは向こうの素性を詳しくは知らない。ルジェストーバは地位が無関係になる、いわゆる治外法権。自治町だ。それを認めているが故に、出生不明の者が教師になっても、王宮ですら特別な事情がない限りはその者を詳しく調べることはできない。
文武両道、そう謳う学校はしかし、教員である。学者である。剣術の道をまったく知らない者が多いことは、流石のシュタインも知っている。彼らは日和見を決め込んでいるセラネートゥラス領を堂々と通り抜けて王宮へとやって来た。
「しかし、思ったより騒がしいこととなったな」
にやりと、シュタインは笑う。
「出番だぞ、カルヴァナ」
・・・・・
「どういうことですか、セラネートゥラス卿!」
「誰も味方する、などとは云っていない」
怒り狂う法術師に、バラスターは涼しい顔で云った。
「干渉しない、それだけだ」
「あれだけの人数で王宮に向かっておきながらおかしいと思わなかったなんて道理、通る分けありません!」
ひたすらに声を上げ続ける法術師に、バラスターはいささか飽いていた。そもそも自分は王宮の人間と関わりたくはない。だからこそ今回の騒動に何を云われても日和見を決め込んでいた。だというのに弟たちはそれを知っていながらあれこれ来るのだから、本当に王族なんてものに良いことはない。この法術師の相手も最初は面倒で世話役にやらせていたのだが、これだけ騒ぎ立てるものだから自分が出るハメになった。
「弟に敷地を通っても良いかと訊かれたから構わないと答えただけだ。問題があるのか?」
「だからと云ってあんな大人数、全員通す前にお知らせくださることもできたでしょう」
「それを私にする義務はない。残念ながら、ここは私の領地だ」
本当に残念なことに、まだ捨てることができない領地だ。早いところ代替わりして王都を出ること。それだけがバラスターに残された楽しみだった。
「どちらにしろここは王宮とルジェの間の領地だ。休みの期間は人がよく通る。その度に領地を通られたと怒っていたら身が持たないだろう。私はその度に、王宮へ通報しなければならないのか? 関所を設けてくれるのか?」
面倒くさくなって問い詰めたバラスターに、法術師は返す言葉を失った。
・・・・・
呼び出しとは初めてのような気がする。いささかな緊張を覚えながら、ウォレンはその部屋へと入った。借り物ではあるが厳重に守られている一室。
「あら、来たわね」
呑気にも窓から夜空を眺めていたらしいその人は、優雅さを称えている。我が母親ながら、本当に年齢を詐称しているのではないかと思えてしまうほどに、美しく若々しい。
「お待たせ致しました、母上」
「今夜も星がとても綺麗よ。まさかこれが、アリカラーナの終末だとも思えないぐらいに」
平気な顔で不吉ことを云う。
「最後に確認して置きたかっただけよ。私からしたら、今さらとも云えるけれど。──ウォルエイリレン、貴方はあの人を、ガーニシシャルを継ぐのね?」
「その訊き方は、非常にずるいですね」
本当にずるいとしか云いようがなかった。ルナが持っているのは間違いなくガーニシシャルだが、 それは今までのアリカラーナの魂だ。アリカラーナを継ぐのかと云われたら、頷くこともできたと云うのに、そんな訊かれ方をしてしまっては、ウォレンはそうやって素直に返すしかない。
ルナと一緒に居た時間は、ウォレンにしたら長い。母親だと、きちんと云い切ることができる。自分の身内なのだと、一番に近しい、自分の母なのだと。
「だってそう訊くしかないでしょう。もう時間はないのだから」
「私は玉座に即きますよ。私を信じて待っていてくれた人々のためにも、死んで行った者のためにも」
「話を逸らさないで欲しいわね。あなたもシュタインと同じになるつもりなら、私はあんたから洗礼主の権利を奪うわ」
「シュタイン……?」
「この魂を継がずとも、アリカラーナはもとの形でやっていける。──そんなこと夢みたいなことを考えていた。そうでしょう?」
図星だ。アリカラーナのもとの世界、ヨーシャはとても美しかった。だからきっと、精霊に頼らずこの国はまた新しくやっていける。そう思えてしまった。
「あんたが考えているほど、現実は甘くない。人霊も、きっと拒否するわ」
「それはわかっていますよ」
わかってはいる。だが考えてしまうのだ。こうして何かに頼らないと生きていけないこの国は、いつしか崩壊を迎えてしまうのではないかと。神など、絶対的な存在など、要らないのだ。
「それとも、あんたはただ、犠牲を恐れているだけなのかしら」
ウォレンの心中はすべて、見透かされている。この人は本当に、母親なのだとわかる。だからこそ、ウォレンも切り出さなければならない。
「ならば貴女は、誰なのですか」
ウォレンが切り出しても、ルナは顔色一つ変えない。王后ルナ・ビバルディ・イシュタル。名君ガーニシシャルが生涯にただひとりと決めたその女性は、確かな強さを持っていた。
「アリカラーナの魂を引き継げる、ルナ・ビバルディ・イシュタルとは誰なのですか」
それは4年前ヨーシャで知った現実、ルナがアリカラーナの魂を継いだ時から思っていた。アリカラーナの魂は、前アリカラーナの血縁ではないと引き継ぐことができない。血が濃くなければそれは新しい魂の滅びへと繋がってしまう。しかしアリカラーナはこの4年、問題なく栄えていた。環境へ支障が出たのは人霊を召喚せず、禁忌魔法を使ったためである。人霊が眠ったのは強制送還されたからであり、人霊を縛る楔としてのアリカラーナは存在した。ガーニシシャルからルナが魂を引き継いだからだ。
「だって私は、あの人の妻ですから」
それがなんの証明にもなっていないことなど、ルナもわかってはいるのだろう。だがそれでも、彼の妻であることが彼女の誇りなのだ。だからこそ、魂を引き継いだ。
たとえ強い血縁を求めていたとしても、夫婦とは他人がなるものである。それだけの濃い血縁関係など、在りはしない。特に健康な男児を求めていたアリカラーナ王国にとっては。
ヴァルレン・アゴアードの息子グレイヴァインのように従兄妹同士の夫婦ならまだしも、ルナは戸籍上ヒルトニア家の娘となっているのである。なんの問題もなくガーニシシャルの魂を引き継げたルナは、ヒルトニア家の娘は、いったい何者なのか。
「答える義務はありません。知りたいのであれば、貴方がこの魂を引き継いで答えを見つけなさい」
きっぱりとした答えに、唇を噛み締める。
やはりその方法しか、ないのだろうか。 玉座に戻ると云うのは、つまり、その魂を自分に引き入れると云うこと。それにはまだ、正直迷いがある。果たしてそれが正しいことなのか、ウォレンにはまだ答えが出せていない。
「安心してください。500年続いた魂、引き継いでみせます」
ただ、とウォレンは続ける。
「自分の子どもにもこの運命を引き継がせることは、正直迷います」
これはウォレンだけの問題ではない。この運命がウォレンの子どもにも、そのまた子どもにも、子孫永遠に降りかかるかと思うとぞっとしてしまう。自分が味わったあの恐怖をひたすら子孫にも続けていくなど、想像するだけで耐え難い。ウォレンはただひとりの息子だったから余計に苦悩した。いつかそういう子どもだって出て来るだろう。この辛い思いをずっと受け継いで行くことなど、ウォレンにはできそうにない。
「……ただいたずらに時間を潰したわけではないようですね」
ウォレンのその弱小とも云えるべき悩みに、しかしルナは優しく微笑んだ。鼻で笑われると思っていただけに、少し驚かされた。
「貴方は立派に、あの人の息子だわ。私は安心致しました」
「どういう意味です?」
「そのままの意味ですよ。貴方がまさか自分の子どものことを考えるなんて、想像もしなかったわ」
それは自分だって同じだ。いつか結婚して子どもを得るだろうことは、王子として当たり前の考えだが、それは現実味がなく、淡々とした人生の上でのことだと思っていた。結婚と同じく記号みたいなもの。父の愛情を得られず勝手に苦しんだ自分が、果たして自分の子どもに愛情を注げるのか、そもそも愛情とはなんなのか、まるで感情が壊れた人間のようにわからなくなっていた。ガーニシシャルに早く子どもを云われた頃からだったかもしれない。王だって、所詮は子どもを残すだけの道具だ。
だが大切な人のために、未来は明るくなるのだと知ることができた。すべてはこの旅のおかげだった。
「先ほどシュタインも同じとおっしゃいましたが……」
「やっぱり気が付いていなかったのね。でも私、そんなにも懇切丁寧に解説役を務める気はないのよ」
呆れた調子で返されて、この人には敵わないと思い知らされる。しかしどういうことなのだろう。シュタインはウォレンを追い出して新たな王としてエリンケを立てようとしている。魂の引き継ぎもさせようとしているというのに、ウォレンと同じとはどういうことだろうか。
──この魂を継がずとも、アリカラーナはもとの形でやっていける。
シュタインがそんなことを考えているはずはない。誰よりもアリカラーナを、ガーニシシャルを大切いしていた人だ。そんな彼は、ガーニシシャルを守ることしか考えていないはず。
世が開ければ王宮へ帰る。そこですべて、わかることだ。
「母上はここに居てください。すべてが終わったら、迎えに参りますので」
「ええ、もちろん。事が無事収まることを祈っているわ」
そう云って笑う母の真意は、まるでわからなかった。




