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精霊物語─王国の目覚め  作者: 痲時
第17章 約束の別離
28/32

第100話:己と魂


 人霊、アセット卿、セナ、イーリィ、出迎えてくれた者たちは、アリスを責めることもなく、無事であることに安堵してくれた。アセット卿に至っては、邸宅の管理が行き届かなかった非礼をアリスが恐縮するぐらいに詫びられた。

 ──それより。

「ウォレン」

 ウォレンは帰るまで口を利いてくれなかった。アリスの手を引いたまま招き入れる人々にも口を利かず、ただ黙っているだけだ。その後ろ姿があの覇気を思い起こさせ、アリスもあまり強く口に出せなかった。

「──殿下」

 そんなウォレンを恐れもせず、セナがいつになく冷ややかな顔をして呼びかける。

「ヴァルレン王佐の代理として云わせて戴きますが、今後このようなことはなさらないように。ルアを守るために殿下にもしものことがあっては本末転倒です」

「わかっている」

 答えるウォレンの声は短く低い。その声にまたもや圧倒されてしまう。

「四師総帥は殿下を守るために在るのです、それをお忘れなきように」

「──ごめん、元はと云えば、簡単に連れて行かれた私が……」

 一方的に責めるセナにアリスが申し訳なくなって口を開けば、彼はいつもの笑顔を見せる。

「ルア、申し訳ございません。貴女の前で云うことではなかったのですが、そうしないと殿下は云うことを聞いてくださいませんから。今回のことは殿下が一人で助けに向かわれるのを、止められなかった私たちに責が在ります。ルアがお気に止むことではございません」

 アリスはまだ何か云おうとしたが、にっこりと微笑むセナを見て口をつぐんだ。話を総合するに、ウォレンは誰かに伝えることなく、単独行動でアリスを助けに来たらしい。彼は云うことを聞かなかったウォレンに家臣として灸を据えただけだ。

「今日はもう休む」

「かしこまりました、ご用意しましょう」

「いや、良い」

「え、ウォレン、ちょっと……何所へ行くの!」

 手を離してくれないウォレンに、アリスは引っ張られるだけであった。




 ウォレンが手を引き向かったのはアリスのために用意された部屋で、入ってようやくウォレンは手を離してくれる。

「あの、ウォレン」

 振り向いた彼に、アリスは強く抱きしめられた。先ほどからの行動に戸惑いながらも、だんだんと彼の身体が震えているのが伝わって来る。

「ウォレン……?」

「無事で良かった」

 搾り出すような声は、先ほどまで自信満々に戦っていた男とは思えない。

「私は大丈夫だよ」

「本当に、良かった……」

 こんなにも心配してくれたのだと思うと、自分の軽率さに呆れてしまう。

「ウォレン、怒っていないのか」

「怒る? どうして」

「あ、その、さっきは……済まなかった」

「……ああ」

 離れたウォレンはなんのことだとでも云うように、一瞬上向いた。その態度に少しだけ傷付いている勝手な自分が居る。ウォレンにとって、どうでも良いことだったのだろうか。

 ──俺はアリスを臣下だと見ていない。

 アリスにとっては今までの旅路で培って来た努力が、すべて無に消えてしまったかのような衝撃だった。精霊召喚師は主を守るために存在しているというのに、その主から臣下として見られていないなど、自分の存在はいったいなんのためにあったのだろうか。

 ウォレンにとってアリスは、その程度の存在だったのか。

 わかってはいる。召喚師5家とは云え、そのことすら知らずアスルの下町で育った田舎娘が手を出すには、国というものはあまりに大き過ぎた。精霊召喚師だからとみなが守ってくれなければ、ここまでやって来ることはできなかっただろう。自分の無力さは実感している。その中でも最低限できることをやって来た。それはウォレンという主が居たからできたことだ。


 しかしその主に否定されてしまったら、アリスは何をすれば良いのだろうか。

 育ての母も死に、家族である兄は道を外れ、アリスに今残っているものはなんなのだろうか。


「悪い、一大事があったからな。──そうか、俺はアリスに最後あんな態度を取って別れてしまうところだったのか。済まなかった、あれは俺が悪い」

「そんなことない。ただその、私は無力だけど……ウォレンに認めてもらいたかっただけだ」

「勘違いしないで欲しい、精霊召喚師としてアリスの力は充分に認めているよ」

「え?」

「おまえの人生を変えてしまったのは俺だ。そもそも認めるなんて、そんなこと云う権利もない」

 ぽんとアリスの頭を撫でるウォレンの肩から力が抜け、全体を覆っていた空気が変わる。座るよう促され大人しく腰掛けると、瞬間にどっと安堵が湧き上がる。自分でも知らないうちに、変な緊張をしていたようだ。

「俺もまだまだだな。とにかくアリスが無事で良かった」

「ウォレンのおかげだよ、ありがとう。──でも今後はこんな危険なこと、二度としないで欲しい」

 自分が傷付くのは仕方がない。ウォレンはこの国で唯一の存在で、臣下として守らなければならない存在だ。だがそれ以上に、アリスにとって絶対に失いたくない存在となっていた。

 たとえ彼が、何所か遠くへ行ってしまうとしても、それだけは臣下としての意地だ。

「ウォレン、頼りないけど私はおまえの臣下だ。おまえを守るために在る。私を助けるために動いてくれたのは嬉しいが、それではセナの云う通り本末転倒だ。わかってくれないか、ウォレン」

「もちろんわかってはいるが、俺はおまえを守りたい」

 さっきと同じようなやりとりになりつつあることに、アリスは困惑する。

「臣下とかそういう問題の前に、俺の近くに居る限り守りたいんだ。アリスだって大事なものは、守りたいだろう」

「それはそうだけど……」

「せめてこの旅が終わるまでは、守らせてくれないか」

「でも私はウォレンを守らなければいけないんだ」

「なら守ってくれよ」

「え?」

「アリスは俺を守ってくれれば良い、精霊召喚師は本来そのために居る。だけどその代わり、俺はおまえを守る」

「だからそれじゃあ本末転倒だ」

「云っただろう、大事なものは守りたいんだ。それともアリスは、俺が大事じゃないのか?」

「……た、大切に決まってるだろう」

「なら問題ないだろう」

「単なる揚げ足取りじゃないか」

「そのとおりだ。これについては今答えを出すのは難しいからな」

 混乱しているアリスに対して、ウォレンはさっきまでの覇気などすっかり忘れてしまったかのように大きく笑う。その笑顔が眩しいぐらいだ。

「アリス、おまえは難しく考えなくって良いんだ。アリカラーナは民に平和を与えるために居る。だけど俺は、個人として剣士として、近くにある大事なものは自分の手で守りたい。わかってくれないか」

 優しく見つめられると、アリスはもう返す言葉も思いつかない。これ以上アリスの手には余ってしまう人だ。いざとなったらセナに頼み込むしかないだろう。

「……うん、わかったけど、あんまり無理はしないで欲しい」

「わかった、自制しよう」

 ちっとも信用できない約束を取り付けて、終わりのなさそうな話に終止符を打つ。にこにこと嬉しそうなウォレンを見ていると、アリスはそれ以上言葉が継げなくなる。


 そっと近付いて来たウォレンが、アリスの手を取る。

「何所か怪我、していないか?」

 いきなり手を取られて、思わず勢いよく振りほどいてしまった。ぽかんとしているウォレンに、アリスはそっと視線を逸らしてしまう。

「ごめん、その、大丈夫だから」

 臣下で居たいと云いながら、その主に身分違いの恋をするなど、どうしようもない。それなのにあの時の二人を思い出すと、まだやはり胸に痛みが走るのも事実だ。ウォレンが助けに来てくれたとき、震える身体を見た時、いけないことだと思いながらも、嬉しい気持ちがあったことさえ恥ずかしい。意識し出すとどうしたら良いかわからず、思わず戸惑ってしまう。


 そんなアリスを救ってくれたのは、突如大きな音を立てて開けられた扉だった。

「アリス無事?!」

「こーらミナ、夜も遅いんだから静かにしてください」

 なかなか来ないと思っていた人霊の水無月と如月だった。どうやら二人だけらしい。そんな彼らを見て、ウォレンは手を上げる。

「ちょうど良かった、ミナ。傷がないか見てやってくれないか。俺が訊いても素直に答えてくれなさそうだ」

「当たりまえよ! だいたいウォレンが拉致するから遅くなったんでしょ! 男たちはアリスより他優先して使えないし、本当嫌になっちゃう」

「ルア、お怪我はございませんか?」

 ぷりぷりと怒る水無月と優しく問いかけてくれる如月の登場に、アリスはほっとする。

「大丈夫だよ。傷付けられるようなことはされていないから」

 ダークはアリスを傷付けるようなことはしない。恥ずかしい話、それだけは自信を持って云える。だが今後もアリスのことを狙うかと思うと、今後もそんな生ぬるいことを云っていられないかもしれない。


 ──……ダーク、を、……けて。

 養母ラナの最期の言葉を思い出す。本来ならウォレンに云わなければならない。

 あの街を襲撃したのは、ダーク・クウォルトだと。

 本当は違うのではないかという気持ちが捨てられず、違うだろうと問い質したかった。だがその機会も得られないままに、あんな表情を見せられては、希望も捨てざるを得ない。


 如月にされるがまま回復してもらいながら、ぼんやりとそんなことを考えた。

「アリス、ゆっくり休めよ」

「あ、うん、ありがとう」

 どうやら水無月にせっつかれるように出て行けと云われたようだ。一応人霊にとっても忠誠を誓うべき人物のはずだというのに、扱いがとんでもなく雑な時がある。気の置けない関係がたまに羨ましい。


「アリス」

 一度扉を開けたウォレンが、そっと振り返る。

「帰って来てくれてありがとう」

 そっと微笑むウォレンの顔はさっきまで覇気で恐れていた人物とはまるで別人で、その表情にアリスも自然な笑みをこぼした。

「……ウォレンも、迎えに来てくれて、ありがとう」

 アリスの帰るべき場所は、ここだ。


・・・・・


 アセット家周辺を探りあちこち奔走したというのに、なんの収穫も得られないまま、師走がようやくアリスの元へと帰宅したのは、夜も深くなった真夜中だった。アリスを放置してしまったのはおそらく、女性陣がやってくれるだろうという他力本願と、自分の失態をどうにか補填したいという、とても自分勝手な理由だった。

「何やってんの……」

 だから師走は扉の近くに座り込む主の主の姿を見て、呆れる他なかった。

「護衛」

「……あのね、護衛される立場に居るのはウォレンだろ」

「静かにしてくれ、アリスが起きてしまう」

「まったくもう。仕えるべき主をその主に守られちゃ、俺たちの立場がないじゃん」

「大事なものを守るぐらいの立場なら、譲ってくれたって良いだろ」

「本当、頑固だよなぁ……。大丈夫なの、こんなところに居て」

「ついさっき、セナに怒られたばかりだ」

 けろりとそんな顔をして云うのだから、師走も溜め息を吐くしかない。アリスの部屋へ至る道に警備が居たものの、何やら緊張した面持ちだったのはこういうことかと納得した。彼らも散々諭した結果ここにまだ居座っているのだろう。



 実際アリスの部屋に行くまで随分な道のりだった。屋敷の者たちはだいたい寝入っていたものの、人霊は分担して起きており、その中でもアリスに危険があったというのに寝るはずがない長月が、客間へと続く通路の前に立っていた。目が合ってゆっくり頭を振れば、疲れ切っていた師走を労わることもなくぶん殴られた。もちろん言葉はない。

「悪かった」

 ぶん殴られるだろうと覚悟はしていたが、容赦ない。

「悪いと思うなら成果を上げろ」

 当然のことを云われただけで、師走は返す言葉もなかった。

 その後アセット家の警備を通り抜け、弥生にはもう寝てるから近寄らないでと苦言を刺されながらもやっとここまで来たら、同じく間の抜けた騎士が座っている。



 呆れ果てながらも、師走はそっとウォレンの隣に座る。

「ウォレン、もう誰も来ないよ」

「わかっている。絶対何もないから、俺はこうしてここに居る」

「なんで何もないのにここに居るの」

「単なる自己満足だ」

 そう云って笑うウォレンの自嘲は、師走が感じている自己嫌悪にも似ていた。

「さっきは、ごめん」

「ん?」

「突っかかって、ごめん」

「ああ……」

 ──何所だって良いじゃない。彼女を守るのは俺らの仕事、ウォレンは戻ってて構わない。

「アリスと最後に居たのは自分で、彼女を一人にしたのも自分だったから、ウォレンへの言葉は八つ当たりだった。反省してる、ごめん」

「良い、気にしていない」

「でも本当に、アリスを傷付けるようなことを、して欲しくないんだ」

「傷付けるようなこと? ──もしかしてさっき怒鳴ったのを見ていたのか?」

「怒鳴る?」

「ああ違うのか。アリスがあまりにも俺と距離を取るから、つい怒鳴ってしまったんだ」

「……ううん、そのことじゃないけど」

 思わず口をつぐんでしまう。アリスがあの場所から逃げたのは、自分の気持ちに気付いたからだ。おそらく気付いていなかったのはアリスだけで、人霊は薄々勘づいているだろう。だがそれを云うべきではないだろう。アリスが居なくなったきっかけがウォレンであることを認めたくなかった。



「ねえ、ウォレン。ウォレンが守りたいように、俺も、俺たちもアリスを守りたいんだ。そのことだけ、覚えていてくれると嬉しい」

「俺もアリスもおまえたちも、ややこしいことだな。そんなことわかっている。それにしても、おまえがそれだけ肩入れするのは珍しいな」

「……そう、かな。睦月にも云われたんだよね」

 自分でもなぜだかわからない。

 以前の主ルウラ・カルヴァナだって当然師走にとっては大切な主だった。しかし今付き従っているアリスは、今ままで仕えて来た主と気持ちが違う。国の混乱期に目覚めさせてくれたから? 初代アリス・ルヴァガの面影を引いているから? どちらも否定はできない。だがそれだけではない何かが、アリスという精霊召喚師に惹きつけられていた。

「慎重派のおまえが珍しい」

「精霊召喚師は善人だけがなるわけじゃないからね、そりゃあ慎重にもなるよ」

 歴史の中でただ一人、召喚師5家以外から出た魔性の召喚師のことを、ウォレンも歴史を聞きかじって知っているのだろう。今ではその召喚師を知っている人物など、とっくに寿命が来てしまっている。せいぜいそのときのことがわかるのは、アリカラーナの御霊を持つルナと、人霊ぐらいだ。

 精霊が導いたはずの男は、最低な精霊召喚師だった。

 国が滅ぶかと思われたその時、師走は一人孤高を貫いて彼に背いた。しかし人霊とは所詮、精霊召喚師の下僕に過ぎず、彼に命令されたら背くにも力が必要で、それだけで祠に戻されそうだった。


 あの日から師走は、警戒心を忘れていない。

「だけど、アリスは最初からもう違ったんだ。うまく云えないけど」

「召喚師の始祖でも思い出したか?」

「うーん、というより、人間だった頃を思い出したよ」

 もう遠い昔のこと、自分でも薄ぼんやりとしているときのことなのに、最近アリスと一緒に居るとあの頃を思い出してしまう。

「なんでだろうね、もう500年も経って今さらさ。別に後悔しているわけじゃないんだよ。王になりたいなんて、思ったこともないしね」

 初代アリス・ルヴァガは、アリカラーナが大切にしていた同志だ。もちろん王子の頃から信頼している人だったが、ちゃんと関係を築いたのは人霊として仕えるようになってからだ。アリスに似ている部分は確かにあるものの、初代自身に強い思い入れがあるわけではない。


 ただアリスと居ると思い出す。あの時、この国を救うためにどうしたら良いのか考えた日々を。


 あちこちから人の行き来はあるものの、枯れた大地では育つものもなく、上がりきった物価では異国人は金銭を落とすこともなく、ただ中継地に使われるだけの、衰退していくだけの国だった。

 正直師走は、第一王子という立場からこの国の未来を考えなければならなかったのだろうが、もうこれ以上何も見込めないと諦めかけてもいた。神楽や神無月などこの何もない国に惚れ込んでくれた人たちを、少々奇異な目で見ていたかもしれない。だが王アリカラーナはそんな人々を見捨てなかった。そしてついに、禁忌とも云える人柱を立てた計画に手を染めることになる。

 それが果たして悪いことなのか、今となってはわからない。アリカラーナは最初、自分が人柱のひとりになるから、代わりに王位を継ぐよう師走へ頼んで来た。それを断り人霊になったのは、禁忌に近い手を使ってでも国を残したいと思う、国を愛する力がある者の思いを引き継ぐことはできないと怖気づいたのかもしれない。

 ただ人柱となった人霊は全員、自ら志願して人霊になったということだ。誰も強制された者は居ない。みんな人柱になることを了承して、自らその道を選んだ。結果国は安定して「精霊に守られし国」としてヨーシャはアリカラーナとして生まれ変わった。以後国は活気を取り戻し、人口も増えて行き、今では神聖なる国となっている。


 500年経った今、ほころびが出始めているのは、やはり人の命を犠牲にして成り立った国だからなのだろうか。ウォレンがその魂を拒否した気持ちは理解できる。あれだけ理解し合えなかった親の魂を引き継ぐということは、自分が否定されるということだ。当時のウォレンには我慢ならなかっただろう。


「国のために立ってくれて、ありがとう。師走」

 唐突に声をかけられ、はっと現実に戻る。桔梗の瞳に見つめられ、それがいつか見た父の姿を思い起こさせる。アリスといいウォレンといい、こうも初代に似てしまったのは、運命なのだろうか。

「師走、じゃなかったか」

「──いや、俺はずっと、師走だよ」

「そうだったな。おまえたちが居たから、俺は今こうして生きていられる。それには感謝している」

「あーあ……」

 どうしてこの人はいつもこうなのだろう。さっきまでの自己嫌悪や苛立ちが消えて行く。人間だった頃に感じたあの劣等感もすべてが許されるような気がしてしまう。


 父に似たあの桔梗の瞳で見られてしまうと、師走は弱くなる。

「どうしてウォレンって、こんな良い奴なんだろう」

「今頃気が付いたのか」

「ううん、随分前から知っていた。だから俺、こんなに悩んでいるんじゃん」

「おまえでも悩むんだな」

「当たり前じゃん。莫迦な王様と鈍い主がそろっちゃえばさ」

「俺だけじゃなくて良かったよ」

 云って笑う姿は、すっかりウォレンだった。

「なんかものすごい悔しいけど、怒鳴っちゃったお詫びに教えてあげるしかないね。さっき中庭で、ドクトリーヌと話していたでしょう」

「聞いていたのか」

「って云うより見えちゃったの。悪いとは思ったけど、今日使いに出してた召喚獣が戻って来るのに、あそこ召喚の場だからさ。怒った?」

「いいや、別に聞かれて困るような話でもなし、場所を選ばなかった俺たちが悪い」

「アリスと一緒に、そこに居たんだ」

「え?」

 師走に聞かれたというのは気にしなかったくせに、アリスの名前が出た途端にわかり易く戸惑う。

「ウォレンがドクトリーヌといちゃついてたらさ、アリス、泣きそうな顔して何所か行っちゃって。ね、俺の不注意」

「いちゃついた覚えはない」

「本人たちがどうこうじゃなくて、俺たちにはそう見えたってこと。アリスを引き止めることも、もっと早く戻してあげることもできたのに、ほっといてあげたほうが良いかなって思って、それを怠ってしまった。俺の不注意だったんだ」

 本当に泣いたかどうかなんて知らない。ただアリスはあの瞬間、とても傷付いた顔をしていた。そしてそのことに戸惑って何所かへ行ってしまった。そんなアリスを、師走はどうしても止められなかった。ここに居なよと云うことなどできるわけもなく、追いかけることも諦めてしまった。

「だからおまえは余計なことを考えず、アリスの幸せのために動いてくれよ。アリスの幸せのためなら、俺は喜んで協力する」

 教えてあげるのは正直あまりおもしろくなかったのだが、師走が望むのはアリスの幸せだ。そしてウォレンなら、それを叶えてくれると信じることができた。だがそのウォレンは、師走の顔を見たままぽかんと間の抜けた顔をさらしている。

「ウォレン?」

「え、あ、いや……」

 珍しく狼狽えたウォレンは、心底安心したように微笑んだ。

「俺はその、期待しても良いのかと思って……」

「ウォレン、年相応の反応してくれないかな。小等部じゃないんだから」

「煩い」

 軽く小突かれた。


・・・・・


 翌日散歩すると云ったアリスには、当然のごとく長月が付いて来た。

「あのさ、長月、ちょっとだけ離れてもらっても良いか」

「無理だ」

 散歩は口実でルーンのところへ真っ直ぐ行こうと思っていたのだが、長月は何を云っても付いて来そうだった。流石に個人的な用事を聞かれるのは恥ずかしい。どうしようか悩んでいる間に、ルーンの客間へとたどり着いてしまった。

「ほんの少しだけ。ルーンと話がしたいんだ」

「……廊下に居る」

「うん、ありがとう」

 ノックをすると短い返答の後に確認するでもなく扉が開けられた。あの時は自分が動揺していてそれどころではなかったが、間違いなくルーン・ワードソウドだった。恐ろしい別れ方となってしまった彼は、あちこち小さな怪我が見られるものの、大きな傷はなさそうだった。そんな怪我だらけの彼は目を見開いてアリスを出迎える。

「アリス! 怪我は? 大丈夫だった?」

「まったくないよ、もう大丈夫」

「──そっか。良かった」

 震える手で手を伸ばされたので、ぎゅっと握りしめる。

「ごめん、俺が一人にしたから」

「私が一人になりたいって云ったんだよ。ルーンは何も悪くない。そうやって自分の所為にしないで」

「ありがとう」

 招き入れられたアリスに、ルーンは心配そうにアリスを見ながらも、これまでのことを話した。聖職者が元に戻ることができたため、ルフムを落ち着かせてこれでも急いで来てくれたのだと云う。人霊たちの努力もあって聖職者の怪我人もそう多くはなかった。

 怪我人もそう多くないと聞いてほっとする。唐突な戦争が起きたようなものだった。被害を最小限に抑えたいと云ったウォレンの願いが叶ったのだ。


「それで、アリスは朝一番に僕に会いに来てくれたの、それだけじゃあないんでしょ」

 どうやって切り出そうか悩んでいるうちに話が進んでいたので、すっかり忘れてしまっていた。にっこりと微笑みながらアリスをゆっくり促してくれる。

「まぁたぶん、僕にとってはあんまり良くなさそうだけど」

「えっと……私ルーンのことは好きだけど、その。異性としては……その」

 どう答えたら良いものかと一旦言葉を切る。

「好きな人が、居るから」

 自然にぽつりと漏れた。どう伝えようか悩んでいたはずなのに、云う必要もないのに、どうして出て来てしまったのだろう。

「……そっか。じゃあその人と、幸せになれるかな」

「ううん、それは無理、だと思う」

 ウォレンはアリスを大切にしてくれている。しかしそれはあくまで「その他大勢」なのだ。ウォレンにとって大切なのは臣下や国民であって、アリス自身ではない。もちろんウォレンからの好意は伝わっているが、あくまでそれは大切な臣下を、または精霊召喚師を守りたいという、一部分に過ぎない。


 そもそもたかだかアリスが、将来国王になる人と幸せになるなんて夢物語だ。

「でもだからって、ルーンの優しさに甘えるのは、やっぱり違うと思うから」

「俺はそれでも良いんだけどね、そのうち好きになってもらえればさ。でもアリスは、それじゃあ駄目みたいだね」

 貴族同士の結婚はそういうものだ。まずは結婚相手が決まっていて、好き嫌いは関係ない。適齢期になったら親同士の都合で結婚させられる。しかしアリスにはその文化は根付いていない。ルーンも大司教とは云え貴族ではないから、アリスの気持ちをわかってくれている。

「ごめんなさい、ルーンをないがしろにできないよ」

「ううん、ここまで一生懸命考えてくれて嬉しかった。ありがとう、アリス」

「恥ずかしい話、私こういうの初めてで。だから気持ちは嬉しかったよ。ごめんね、ありがとう」

「それじゃあさ、これからも友だちで居てくれる?」

「もちろん。こちらこそお願いします」

 精霊召喚師としてではなく友人として扱ってくれたルーンに、改めて握手をしたのだった。


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