第99話:家族と主
ああ、もう。
師走は苛立ちながらエントランスを右往左往している。
アリスが居なくなったとわかったのは、師走が彼女と別れて10箇ほど経った時だ。さっきまで近場に居たから気にしていなかった気配が、ふっと消えたのである。何がと思って慌ててアリスが居た場所に向かうところで、ルーンと鉢合わせたのだ。
「そんな、ついさっき話したばかりで……!」
話を聞いたルーンは顔を真っ青にして師走と共にその場所へ戻ったが、そこには誰も居なかった。ただアリスが居たような痕跡だけは師走に感じられた。それと同時に、召喚獣が居たような気配も。
完璧に師走の失態だった。
アセット家の領地とは云え油断してはいけなかったのだ。人霊が12人も居ながら、情けない話だった。不自然に途切れた気配をおかしく感じたのは師走だけではなかったらしく、すぐに人霊が全員集まってはアリスの探索に当たった。長月は来なかったがおそらく今頃全力で探しているだろう。たまには当番を変われと云い出したのは師走だから、後で殴られるかもしれない。だが長月に殴られるぐらいなら安いものだ。
ただアリスが無事で居てくれたらそれで良い──。
そんなふうに願いながらも四方八方を探していたところへ、ウォレンが庭からエントランスへとやって来た。
──まったくウォレンの所為で。
ふつふつと理不尽な怒りが沸いて来たため、師走はウォレンなど見えなかったことにした。ただ先ほどから飛ばしているのにまだわからないことに、さらに苛ついてしまう。
「どうしたんだ、師走」
「なんでもない」
一目見て師走の様子がおかしいとわかったらしいが、それでも云うつもりはなかった。自分でも冷静でないのはわかっていたが、どうしても優しくしてあげられなかった。
そこへ待ち焦がれていた文月が走って来たものの、その表情はまったく明るくない。
「師走、そっちは?」
「……駄目」
「師走様すみません、こちらにも……と、殿下!」
ウォレンの後ろから走って来たのは、ルーン・ワードソウドである。聖職者の暴動が終わってどうやらようやく合流できた聖職者は、主に会うこともせず捜してくれていたらしい。戻って来たことも知らなかったウォレンは驚いた様子で、しかし次の瞬間には優しく彼を迎え入れる。
「先の一件は本当に申し訳ございませんでした」
「気にしていない、よく戻って来てくれたな」
「すべて殿下のおかげです」
「いや、それより、これはなんの騒ぎなんだ」
「あ、それが実は……」
「ウォレンが心配するようなことじゃないから、気にしないで」
師走が強く云えば、ルーンは驚いたのか目を瞬かせる。主に忠実なルーンを止めた理由は特にないが、ウォレンにだけは教えたくない。それは単なるわがままで冷静さをかいていることも事実だ。しんっと異様な空気が流れたところで、文月が唐突に別の方角を見遣る。
「どうやら敷地内を出ているみたいだ」
「僕が行く」
「待て、師走!」
ウォレンの前を通り過ぎたところで、彼に強く呼び止められる。一応は足を留めるものの、口は開かない。本来ならこんなことしてはならないはずなのに、今はただただ負の感情が師走の中にあって、冷静に対処ができなかった。
「アリス、何所に居るんだ?」
「──何所だって良いじゃない。彼女を守るのは俺らの仕事、ウォレンは戻ってて構わない」
「師走、言葉が過ぎるぞ。さっきから一体どうしたんだ」
流石の文月も師走に対して違和感を覚えたらしい。彼が間を取り持ってくれるものの、師走はやはりウォレンにはそっぽを向く。
しかしウォレンは、そんな師走にさえ真っ直ぐ向かって来る。その瞳は何所か懐かしく、師走を落ち着かない気持ちにさせる。
「師走、文句なら後で幾らでも聞く。だからアリスは何所に居るんだ」
「殿下、アセット家の西の敷地ぎりぎりです」
「文月!」
「正確な場所は?」
「木々の多い、緑道の辺りでしょうか」
「わかった、ありがとう」
「え、あ、殿下?! お待ちください!」
情報を与えてすぐ、ウォレンは踵を返して走って行く。文月もまさかトップがひとりで勝手に行くとは思わなかったのだろう。慌てた様子で師走を見るが、師走としては簡単に教えてしまった文月が莫迦だと思う。真面目な男だがいまいち感情を読み取る複雑なことは苦手だ。
そういうところも、変わらない。500年経っても、変わらない。
「──莫迦だね、本当、ウォレンって」
「……師走? そんなことより、殿下が行ってしまわれたぞ。後を追わなければ」
「平気でしょ、あいつ一人で。もう諦めた」
「いやでも、師走……感じないのか」
「……感じるね。とても強い、召喚師の力を」
一度会ったことのある召喚師の匂いで、それは師走も気がついていた。だがおそらくセナが既に動いている。ウォレン、セナ、アリスがそろっているならば大丈夫だろう。ティリアーニがたとえ口出しして来たとしても、最悪アリスならば返り討ちにできるだけの力を持っている。
「御身が心配です、私も」
「行かない方が良いよ、ルーン」
「ですが……」
「俺とルーンは、少し頭を冷やした方が良さそうだからね」
云われるとルーンは諦めたように少し頷いて、師走と共にそこに立ち尽くした。
・・・・・
「アリス」
目を覚ましたところで懐かしい声をかけられ、今までのことはすべて夢だったのだと思った。アリスはやはり一介の見習い召喚師にしか過ぎず、相変わらず召喚できなくて溜め息を吐きながらも、家族と楽しく過ごして行く日々。それがアリスにとっての人生だったのかもしれない。
しかし目が覚めたのはアスルの小さな家ではなく、綺麗に舗装された緑道だった。木々に覆われていて一見何所だかわからない。
道端ではあるものの、アリスは召喚獣の上に寝かされていた。そんなアリスを見つめる彼の表情は、至って昔と変わらない。それこそアリスが見習い召喚師だったとき、学校でうまくいかなくて悩んでいたとき──。彼は決して暖かくはなかった。ぶっきらぼうでアリスにだって優しい言葉をかけてくれたわけではない。ただそれは、彼なりの親愛の証だった。それはそういった仕草や表情ではなく、感覚でわかるものだった。子どもの頃、アリスにすべてを話してくれたように。
「ダーク……」
「またまた居眠りにしては長過ぎるぞ」
懐かしい話題を出された。そうだ、ダークとアスルで別れたのはあの日、召喚師試験に居眠りして落ちた時だった。その後迎えに来てくれたダークは、まだアリスの知っている優しいダークだった。
アリスが彼を、拒絶するまでは。
ゆっくり起き上がったアリスを、ダークはそっと支えてくれる。しかしその手に何所かしら違和感が残る。
「ダーク、どうしたの」
「どうもこうも、約束しただろう。迎えに行くって」
まるでアリスがおかしいかのように、ダークは当たり前のように答えた。
「迎えに来た、アリス。帰ろう」
「……ダーク、私たちに帰る場所なんてない。アスルには帰れないよ、ダーク」
ラナのことを思い出して、言葉に詰まりそうになる。だがそれでもどうにか云い切ると、ダークの表情が変化した。すっと表情を消してしまったかのような、何も浮かばない無。その顔を見ただけでアリスにはわかった。
アスルを襲撃し、ラナに致命傷を負わせたのはダーク・クウォルトだ。
しかしダークはまるで何事もなかったかのように、アリスの手を握り締める。
「アスルじゃなくなって何所でだって暮らせるだろう」
「ダーク、こんなのおかしいよ。何がしたいの」
ダーク・クウォルトは手の届かない存在になってしまった。楝色の目は変わらないのに、考えていることがまるでわからない。
アリスを迎えに来たら、ウォレンに付いて行くと云う理由で拒絶された。すべてはそこからなのだろう。アリスはダークとずっと一緒に居るはずだった。それがウォレンを理由に断られ、ダークのなかでの均衡が崩れた。シュタインとどのようにして協力したかはわからない。ただ洗礼の禊にまで顔を出して、アリスを連れ戻そうとした。それさえも失敗すると、今度はアリスを苦しめたアスルを攻撃することで、アリスの気を引こうとした。それでアリスが傷付いても構わない、ただアリスを連れ戻す。それだけのために、彼は動いている。
彼の原動力はただそれだけだ。それだけのために、アスルを、ラナを犠牲にした。しかし彼は、なんてことのないようにアリスを見つめる。
「アリス、結婚しよう」
「……えっ?」
血なまぐさい話になることを覚悟していたのに、唐突に出された単語にアリスはぽかんとしてしまう。
「結婚して、一緒に暮らそう。──それを云いに来たんだ」
「何云ってるの、こんなときに……」
「おまえはいつだってそうやって、俺から目を逸らす」
「だってダークは……その、もう、家族だし」
「……家族、ね」
つまらなさそうにそっぽを向く。
「まあ昔はそれでも良かったんだけど、俺は欲張りだからさ。あ、文句なら俺を焚きつけたリンツェルに云ってくれ」
「リンちゃん?」
唐突にアスルの友人の名前を出されても、アリスには困惑しかない。しかしダークはその態度にも呆れた様子で溜め息を吐く。
「……ああ、そうだった。おまえはリンツェルのことも気が付いてなかった」
「なんの話?」
「どうでも良いんだ、リンツェルだってもう。ただ、俺はおまえと結婚したい。というか、おまえが一緒に居ればそれで良い」
ダークの中では順序ができているが、話がとんとんと進み過ぎていて、アリスには付いて行けない。
こんな状況に陥れてしまったのはアリスの所為だ。王宮へ行く約束をしたダークを踏みにじってしまったアリスに原因があることはわかっていた。
「駄目だよ、ダークは王宮に行くんだ」
「そんなのはもう、どうでも良い」
「どうでも良くない。ダーク、それじゃあ変わらないよ」
だから一緒にともう一度説得をしようと思ったところに、ダークは唐突にアリスを抱えたまま後ろに下がった。次の瞬間、キンッと鋭い音が鳴って召喚獣が前に出て来て空気が揺らぐ。召喚獣の前で剣を持っている人を見て、アリスは唖然とする。
そこに立っていたのはウォレンだった。剣を持ったまま召喚獣と対峙しているその桔梗の瞳は、じっとアリスの先のダークを見つめている。その後ろを探っても、人霊の姿は見当たらない。明らかにひとりで来ていることに、アリスは唇を噛み締める。
「まさか、王子一人で来るとはな」
「アリスを離せ」
たった一言だというのに、アリスはその声に思わず背筋が伸び上がりそうなほどの緊張を感じた。以前エリーラが云っていたような覇気が、暗がりの森に響き渡るようだった。しかしダークは、そんなものなどお構いなしだ。
「俺はおまえが嫌いなんだ。おまえにアリスを渡すことだけはしたくない」
「アリスはアリスの意志で俺と居る」
桔梗の瞳がそこでようやく、アリスを見た。
「アリス、戻って来い」
「……お願い、下がって」
アリスが駄目元で叫ぶと、ダークの召喚獣は戸惑ったように辺りを見回した。主と呼び主と、どちらの声を聞くべきか悩んでいるかのようだ。その時召喚のためにか力を抜いた隙を突いて、アリスは一気にウォレンの方へと走った。
「アリス……!」
ダークが慌てたように手を掴もうとするものの、アリスはそのままウォレンに飛びついた。
ダークを説得するべきだと思った。自分の所為であんなことになってしまった彼を、どうにかしてあげたかった。昔の約束も守ってあげたかった。ただアリスの今帰るべき場所は、ウォレンのところだった。身体が自然と、そっちに向かっていた。
「アリス、ありがとう」
アリスを抱きとめたウォレンは、すぐに彼女を後ろへと下がらせた。
「俺はおまえを連れて帰る。おまえが嫌だと云おうが、俺はおまえに云いたいことがあるんだ。だから連れて帰る」
アリスはどうしたら良いのかわからなかった。ただ目の前に立つその背中が、アリスにとってのすべてだった。初めて祠に連れて行かれた時と同じように、アリスはその背中にすがるしかなかった。幼い頃一緒に居た手より、その背中に付いて行きたいと思った。
「助けて、ウォレン……」
アリスにとって、精いっぱいの悲鳴をあげた。




