第96話:アリカラーナ
会議は散開となったが、ウォレンが腰を上げなければ誰も動かない。扉を開けようとしたところでいきなり外から開いて、どんと何かにぶつかった。きゃっと声がして振り返れば、そこに居るのは、小柄な女性であった。小さな身体と相まって迷子になった子どものようにすら見えてしまう。ふるふると身体を振るわせている。
「し、失礼致しました! 殿下がいらっしゃっているから、ご用意をと……」
「……カレン?」
「え……?」
一瞬の沈黙が落ちた。その表情を見て、失敗したと思ったウォレンは、そのままかがみこんで女性に視線を合わせる。
「こちらこそ失礼した。だが今、ここは立ち入り禁止にしていたが……」
「……エース?」
ぶつかった女性が、ぽつりと呟いた。その茶色の瞳には目の前に居るウォレンが映っている。そしてその瞳が見つめているのは、彼の瞳。透き通るようなその、桔梗の瞳だ。呼ばれた瞬間にウォレンは動揺し、言葉を捜してようやく出て来たのは、
「覚えていたか──」
自嘲するようなものだった。
まさか覚えていてくれているとは思わなかった。幼い頃に知り合った王都の庶民カレン・ルナンベス。もう二度と会うこともないと思っていた懐かしい友人に、ウォレンは気持ちを切り替える。
「久しぶりだな、カレン。しかしまさか、こんな場所で会うとはおもわ……」
しかしウォレンが差し出した手は、彼女に思い切り引っ叩かれた。侮辱にも当たる振る舞いに周囲に緊張が走ったが、女性のほうが泣いていた。
「……酷いよ、エース。もし今私が気が付かなかったら、そういうふりをしていたら、それで終わりだったの……? ずっと捜していたのに……」
「捜す? 俺を?」
「だって、突然居なくなって……」
「あれは……」
最後にカレンと会ったのは、そう、太子宣下が下される前のことだった。
「最低ね」
言葉もなく立ち尽くすウォレンに、その場を締めるような凛とした声が響く。
「だから私はちゃんと云ったでしょうに、ちゃんと引き際を決めろと」
そうして現れたのは、よく知っている老齢の女性であった。すらりと細い長身の彼女は、登場と共に周囲を威圧するような空気を持ち合わせている。
「それを怠った、貴方に非があります」
ウォレンは今度こそ、絶句している。言葉が継げなかった。ウォレンだけではない、後ろに居た王太子軍にも動揺が見られ、声こそしないものの、何かが蠢く気配はした。
「カレンは充分、私のために動いてくださいました。危険な身を顧みず、感謝しております。できれば私の侍従に欲しいぐらいだわ、ねえ、エンペルト」
「お好きになさってください」
「そんなかわいい娘を泣かせた罪は大きいわよ、ウォレン。私は怒っているのですよ、わかりますか」
「……はい」
何か云わなければと思っていたウォレンはしかし、気圧されるように返事をする。幼い頃と変わらずウォレンはそう答えるしかなかった。そういえば以前も叱られて怒られて、こんな風に言葉が出なかったことがある、と下らないことまで思い出してしまう。
「どうしてこんなにも苦労をして、私から貴方に会いに来なければならないのか、どうして貴方が出て行ったのか、まったくわからないわ。いきなり姿を暗ました貴方に、私は少なからず失望しました」
しかも、と彼女は力強い言葉で続ける。
「一度洗礼主の権利を、エリンケに譲りましたね?」
「申し訳ありません」
「エンペルトが居なければ、私も危ういところでした。貴方はそう易々と、大事なものを取られてしまって良いのですか?」
怒っている時の彼女には下手に歯向かわない方が良いことも知っている。そうして彼女の云っていることは、だいたいにして正しい。だからウォレンも口答えできない。
「貴方には、事ではないのかもしれませんが、私にとっては、とても大切なものなのですよ。──私はそう甘くないのよ、ウォレン」
ウォレンはようやくにして今やらなければならないことを思い出し、そのまま足を付いて頭を下げた。
「御前を離れ身勝手な行動をしたことは、申し訳なく思っております」
「まったくよ」
「ご無事で何よりでした、母上」
そう云って顔を上げれば、ルナ・ビバルディ・イシュタルはにっこりと微笑んだ。
・・・・・
なぜだかわからない。わからないまま、アリスは今、ここに居る。
非常に心苦しい。
今この応接間に居るのは、アリス・ルヴァガ、ウォルエイリレン・エース・イシュタル、クリュード・エンペルト、そして先の王后ルナ・ビバルディ・イシュタル。そしてその王后に呼ばれた師走と神楽が申し訳なさそうに立っている。
唐突に現れた王后に誰もが驚き叩頭したが、そのままの会談に同席を辞した。アリスもそれが当然かと思っていたのだが、なんとウォレンが止めたのだ。
「頼む。おまえには、聞いていて欲しい」
そう云われては断れない。アリスは大人しく、そのまま付いて来た。
「アリス・ルヴァガ宰喚。アスルの話は聞きました。お気の毒です。私も、ラナレイとは良い友人でした」
「お友達、だったのですか。養母が、王后陛下の」
思わぬ人から名前を出されて、アリスは少したじろぐ。ラナはカルヴァナ家の長女だ。王宮人の知り合いが居るのも当たり前なのかもしれないが、未だ養母ラナとラナレイ・カルヴァナという偉大な召喚師が結びつかず驚いてしまう。
そんなアリスに、ルナはにこりと微笑む。御年70とは思えぬ、若々しい笑みだった。
「語弊があるかもしれませんわね。私は少なくとも、友人だと思っておりました。元々私のヒルトニア家というのは単なる下級貴族に過ぎませんから」
ルナはアリスの返答を待たず、軽い余談だったとでも云うように、先ほどとは雰囲気を変えウォレンに向き直る。
「それでウォレン、貴方はなぜ、ここにアリス・ルアをお招きしているのかしら」
「アリスにも聞いてもらいたいからです」
「──良い目をしておりますね、良いでしょう」
親子の会話とはこんなものなのか、アリスにはわからない事情で二人は納得し合ってしまう。
王后ルナ・ビバルディ・イシュタルは謀反の前に行方をくらましていた。それが彼女を疎んだトゥラスの所為にされていたが、彼女は自身から出て行ったのだと云う。
「アリス・ルア、お呼び立てしたからには、貴女にもわかるように説明しなければなりませんね。国民は知らぬことですし、細かいことは端折ります。師走、神楽、いらっしゃいな」
「はい、王后陛下」
「貴方たちが居た方が話が進み易いのよ。私だって口伝の口伝をずっと続けた先に居る一人に過ぎないのだから、知っている本人から聞いた方が、ずっと本当らしく聞こえるでしょう?」
「ですが……」
「よもや隠している必要はありませんよ。そもそもウォレンはそれを崩したくて出て行ったのですから」
それに、とルナは続ける。
「シュタインは知っていて、この子を追い出したのでしょう」
「ヨーシャの存在を知るのは、王族のみですよ」
「あの人はだから、シュタインだったのでしょう、話せる相手が。──私にとっては本当に、情けないことです」
今まで自信に満ち溢れていた彼女の表情が、一瞬にして曇る。しかしそれもほんの少しの間で、次に師走を見る目は生き生きと輝いていた。
「いけませんか、師走」
「悪くは……ありません。ただ、私の口から云うのは躊躇われます」
「それが約束なのでしたね、貴方とアリカラーナの」
「……はい」
借りてきた猫のように師走が大人しい。
「500年前このアリカラーナという土地は、不毛の大地でした。もう滅びるしかないというところを、王であったアリカラーナ・ファウスト・イシュタルがどうにか立て直そうとしたのです。アリカラーナが国を立て直して、不毛なる大地だったヨーシャ国はアリカラーナ国に変わりました」
「ローズサウンドという世界の中で、アリカラーナ……その時は一応ヨーシャの王国だったが、国名というより、基点としての名前だったな。東西南北、何所かへ行く時の駐留地。だが元々得られる物がないこの国では、物品すら通常価格の倍以上した。得る物はほとんどないここで、小休憩を取った後に、あらゆる国へ旅立った。そう云う場所だったんだよ、このヨーシャという国は」
神楽に補足されても、そうなんだとしか納得できない。アリカラーナという国が精霊が現れてから発展したことは学校でも習っている。ただ細かい話までは当然知らない。
何かをためらっていた師走がしかし、そこで決意したかのようにアリスを真っ直ぐ見つめる。
「アリス、僕は当時の王アリカラーナ・ファウスト・イシュタルの長男で、神楽は西国で当時巨大なる領地を誇っていたレージング王朝の王の長男。俺たち人霊は元々人間だった者たちの集まりで、決して人の形をした精霊ではないんだ」
「人、間?」
「ああ、その頃はもちろん、術師とか居なかったから。本当に純粋なる人間」
唐突に打ち明けられた事実に、アリスは考えがまとまらない。要するに師走たちは、500年前ヨーシャと呼ばれていた国で実際に生きて来た人間だったというのか。
神楽はしかし、流暢に話し出す。
「この間会ったキャサリン・ウィリアムズを覚えているか? あいつは俺を見て移住を決めたと云っていた。親父とはまあ似ていたからなぁ、おそらくずぅっと昔の肖像画か何かが残っていたんだろう。レージング様と叩頭された時には何事かと思って、素知らぬふりをしていたがな。人霊が実は人間だったということは、隠さなければならないという取り決めもない。素直に教えてやったら、逗留を決め込んで今じゃあ領主になっちまったんだ」
そんな大昔のことが、西国ではまだ語り継がれているのか。
「まあそんなわけで実は王子の俺様は、アリカラーナがこの国を存続するために博打に出るって云うから参戦してやったんだ。それには12人の永続的に生きる人間と……」
「永遠の魂が必要だったのです」
神楽の語りをルナが引き継ぐ。
「アリカラーナという存在が神がかって敬虔なるものになった背景には、秘密を守るためもありました。アリカラーナを受け継ぐというのは、初代アリカラーナの魂を引き継ぐということです。そのためにアリカラーナは引き継ぎを行なうのです。王は代替わりの際に、その人の魂を引き継いでいるのです」
「引き継ぎ……というのはあの、聖職者の主になるということですか」
「それも一つですが、根本的には違います。人霊の要となる魂を引き継ぐ作業です」
アリスは思わずウォレンを見る。しかしウォレンはただ小さく頷いただけだった。
「ガーニシシャルとウォルエイリレンの間には、溝ができてしまいました。ウォルエイリレンはガーニシシャルを受け入れられなかった。ガーニシシャルは苦肉の策で、崩御される前に私を呼び出しました。そこで引き継ぎをされたのです。アリカラーナの魂は今、私に引き継がれているのです」
引き継ぎをしなければ、王の魂は滅んで、この国が滅びる。
つまりは──。
「誰がどんなに足掻こうと、アリカラーナは今、私なのですよ」




