第95話:決められない距離
翌日メイリーシャは話し足りなかったとでも云うように、まるでここ数年の穴を埋めるかのように、ウォレンにあれやこれやと話を浴びせて来た。
「聞いてくださる、お従兄様。リーが休学していることについて、バックロウが教師として進言したところ、それはアルクトゥラスの言として聞き入れて良いのかと云われたそうなの」
「ほお」
「病弱な田舎のお嬢なんて、甘く見られているばっかりじゃあ悔しいわ。私にだってトゥラスとしての誇りぐらいあるんですからね。メイリーシャ・レイ・アルクトゥラスを莫迦にした罪は重いのよ」
そこで悠然と微笑んで見せ、いつからそんな顔ができるようになったのだろうと、まるで娘を見守って来たかのような気分に陥る。目を離せばすぐ倒れていたメイリーシャも、気が付けば妙齢の女性になり結婚している。それもすべて、このルダウン=ハードク家のおかげだ。
「だからパーティ会場の外から攻め込んでみたのよ。 場外ならあんまり気を使っていないのですもの、あの人たち。何せ会場から出られないんですから」
「しかし場外と云えど王都の敷地は王のものだ、不在だと云うのに買うなんてできるのか」
「まぁそこらへんはあんまり触れて欲しくないんだけれどねぇ」
「バックロウ……」
「後ろめたいことは何もしていないからご安心を。招待状のないパーティに潜入するのに、わざわざ盗みに入るような阿呆ではないさ」
ありがたいが芝居気あふれる夫婦の会話はいまいちわかり難い。メイリーシャが真似するのでバックロウもいい加減やめてくれないだろうか。
「ここの下級貴族たちは痺れを切らしていたのよ。相手にされないしね」
「よく承知したな」
「私自身がアルクトゥラスとして赴いたのですもの」
「それでどんな見返りを用意したんだ?」
「何もしていないわ」
「何も?」
「ここは王都だからもちろん、アリカラーナのものよ。でも今はご不在ですから、権利はもちろん、定成王のご遺言通りお従兄様にあるわけ。けれど一部の土地に関してなら、トゥラスが口出しすることが許されているわ。私はルダウン=ハードク家の意思としてアルクトゥラスを代表し、この土地を買い取ったのよ」
「姿形のないものから買い取ったのか。それでは批判も来ないな」
要するに、アリカラーナの土地を合法的なやり方で買い取ったのだ。貴族たちは知らぬ間に土地の保有者が代わり驚いたことだろう。しかし、とメイリーシャは続ける。
「だからここは今、ルダウン=ハードク家のもの。今までアリカラーナが貸して、貴族たちが税を納めていたわね。でも今は私たちの土地を、下級貴族たちに貸している状態になったから、彼らは税額がかなり減ったのよ。ここの貴族たちは苦しんでいたわ。税を納めるのさえ手一杯で、なんとか貴族としての手綱に捕まっているんですもの。だから税が少なくなっただけでも、すごく楽になるのよ。 それに私たちが使うのは一部だけですからね。税を支払う代わりに通りなどを自由に使うことを許可して戴いたら、 今までより条件がずっと良いからってすぐ呑んでくれたわ」
「それでその手続きはまったく王宮を通さずに、俺の御璽もなしに済んだのか?」
メイリーシャはそこで初めてひるんだが、すぐに笑顔を取り戻す。
「問題はありませんわ。きちんと許可は得ているもの」
「誰の」
「そんなことどうでも良いじゃあないの。そのうちわかりますわ」
「ちゃっかり悪知恵だけはつけてくれたな、メイリーシャ」
「あら、ちゃんとお役に立っているでしょう?」
「ああ、ああ、ロートも感動するぐらいにな」
ここまでどんどん爆弾のように言葉を打ち上げていたメイリーシャは、そこですっと黙る。久しぶりにあったのなら絶対出るだろうローウォルトの名前が今まで出て来なかったのは、メイリーシャが避けていたからだ。親友とも云えるローウォルトがウォレンと対立していることに、おそらく彼女が一番心を痛めているだろう。しかしウォレンはそれでも、彼の名を出さないことなどしたくなかった。彼には後ろめたい気持ちがある。だがまだ彼を親友だと、絶対的な臣下だと信じているからこそ、敢えてすべて否定しない。その存在を受け入れるのだ。
「ルダウン=ハードク卿、並びにアルクトゥラス卿は俺に付いてくれるのか」
「ええ」
「ロートではなく」
「もちろん」
メイリーシャは微笑む。
「だってロートだけ何かしていて私がお従兄様のお力になれないなんて悔しいもの。シャルンガーの娘として、いいえ、アルクトゥラス家として、全力でお従兄様が王座奪還のために力をお貸しするわ」
そう云って力強く頷いたのは、既に病弱で寝たきりの稚い子どもではなかった。正しくシャルンガーに継ぐ、立派なアルクトゥラス卿の姿なのだった。
・・・・・
夜も更けた頃ウォレンが屋上へ行くと、久しぶりにその姿を見つけた。
「アリス。またそのような薄着で。風邪を引く」
「ウォレンもね」
なんでもない会話に、思わず笑ってしまう。なんだか久しぶりの会話だった。
「じゃあ私は戻るよ」
しかしアリスはやはり、そこで戻ろうとしてしまう。そこが今までと、あの求婚例を見せた夜から違うところだ。こうして屋上で会うのは、あの夜以来だった。
「少しだけ話さないか」
「でも……」
「少しだけだ、付き合ってくれないか」
下出に出て頼んでみると、少し逡巡していたアリスは、小さく溜め息を吐きながらも戻って来てくれた。そのことに少しほっとする。嫌で避けられているわけではないのだと納得することができるからだ。
アリスが遠のいてしまう。それがとてつもなく、怖い。
ガーニシシャルの追いかけても届かない背中を思い出し、ウォレンは苦笑する。未だ父の存在が怖いというのにアリカラーナを目指すなど、ルナに知られたら笑われるだろう。
「アリスには思わぬところに友人が居るな」
「え、ああ、シェイドのことか。同じ頃学校に通っていて、私の友人というより……」
そこで少し口ごもったが、小さく頭を振る。
「成績優秀だったから、仕官先も選べた。だから新米なのに領主のお抱え召喚師になれたんだろうね。それだけの実力を持っていたんだ」
「アリス、俺とまだ友で居てくれないか」
「ウォレン……」
「あと少しだけなんだ、アリスと話せないのはやはり淋しい」
素直に頼み込めば、アリスは少し逡巡している。やはりそうだった。距離を置かれている理由は、単純に主だからということ。このまま馴れ合いがずっと続くわけではない。そう、初代アリカラーナのように、初代精霊召喚師のように、いつかは決別の日がやって来る。だがウォレンはそんな気はさらさなかった。アリスという存在が、ウォレンにとってどれだけ支えになっているか、彼女にもいつしか知って欲しい。だからもう少しだけ、友で居る時間が欲しかった。
「ウォレンは……ずるいな。せっかく私が努力しているのに」
「ああ、セナにも叱られた」
ウォレンは昨日を思い出す。セナに無理矢理連れ出されたあと、珍しく長々と説教されたのだ。ウォレンが今どう考えていようと、臣下で居ようとするアリスの気持ちを踏みにじってはいけない。それはわかっている。わかってはいるがあまりにも露骨過ぎて、ウォレンには堪えられない。大事な人が居なくなってしまうような不安。
ダーク・クウォルトも、こんな気持ちなのだろうか。
ふと思い出して、しかし頭を振る。その男のことは、あれ以来出ていない。アリスも避けている。
「でも俺は、即位してもアリスとの絆は切れないと信じている。だから今、臣下だからとかそういう理由でまったく関われなくなるのは、とても……、嫌だ」
うまい言葉が出て来なくて、まるで子どものようだとウォレンは苦笑する。王太子と云えど、一人の女性の前では所詮こんなものなのだ。
「私もその、嫌だけど……」
「適度で良いんだ、アリス。とりあえず、即位まではもう少し俺のわがままに付き合ってくれないか。頻繁でなくて良い、ただたまにこうして話してくれたらそれで良いんだ」
「……うん、しょうがないな」
アリスは少し困ったように、しかし少しだけほっとしたかのように笑った。アリスがこうしてウォレンに笑顔を見せるのは久しぶりのような気がした。今のウォレンには、それだけで満足だった。
もし俺たちが一緒に──。
そこまで言葉が出かけたが、それを制した。
・・・・・
王都とは思えない森の中を馬車で移動し1石ほどで辿り着いたのは、目的地としていた王宮貴族領内ルダウン=ハードク家だった。医療の名家だが王都の外れにあり変わり者が多いとして、少し軽く見られている面がある。王弟シャルンガーの娘メイリーシャは当初病弱を理由にこの家に来たが、そのメイリーシャが長男を婿にもらってしまったことにより散々な批難を浴びた。もともとそのつもりだったのではないか、もともと王族に名を戻したかっただけではないか。
しかし当主スタンダーも息子のバックロウも、そんな下らない世論など気にも止めない。もともと王都から離れて暮らしている所為か、地位や名誉など彼らから遠ざかっていたのを、メイリーシャを救うため、ガーニシシャルが呼び出したのだ。スタンダーは医者としてメイリーシャにしてやれることをし、見事お転婆娘を育て上げてしまったのである。
普段からローウォルトと共に居ることの多かったウォレンには、懐かしい場所だった。ウォレンにとって妹そのものであったメイリーシャに会うため、ローウォルトとよく足を運んだことがある。
「お待ちしておりました、殿下」
深々と頭を下げて出迎えてくれたのは、一足先に帰宅していたハルガンである。メイリーシャの侍従として付いてから、彼女の元を離れるのは数えるほどではないだろうか。子ども頃のメイリーシャは少し目を離しただけで、気付けば高熱が出て倒れたり、呼吸がし難くなったり、体調不良のオンパレードだった。持ち直したメイリーシャの世話もなくなったが、相変わらず侍従としては一人前である。
通された部屋には次期当主ルジンダ・ルダウン=ハードクが待ち構えていた。
「お待ちしておりました、殿下。従兄さんも従姉さんも、おかえりなさい」
従兄バックロウとは似ても似つかないほど丁寧に頭を下げた彼は、王宮貴族であるもののルジェストーバに通わなかった。その所為か本来なら付き合いなどないのだが、メイリーシャとの関わりで昔から彼のことはよく知っている。いつも控えめで大人しい、リレインみたいな優しい男だ。
ルダウン=ハードク家の次期当主はバックロウだったが、彼が婿入りして継承権を蹴り、バックロウの叔父に当たるビネイルが継ぐはずだった。しかしその彼までもが継承権を蹴ったので、それが巡り巡ってルジンダのもとにやって来た。最初は自分勝手な周りに振り回されているかのように見えたが、彼は彼なりにルダウン=ハードク家を守るつもりで次期当主になることを決めたようだ。
「すまない、世話をかけるな」
「とんでもございません、従兄さんに比べたらこれぐらいなんでもないですよ」
「ちょっと待てルジンダ、どういうつもりだい? まるで私が龍神に逆らったスクロウみたいじゃあないか」
「従兄さん、ややこしいこと云わないで」
相変わらず仲の良い従兄弟である。
「親父は庭か?」
「ええ、すみません。当主はこの時間はいつも裏庭に居るんです」
「構わないさ、俺が勝手に立ち入っているんだからな」
バックロウもだいぶ自由な男だが、それに輪をかけてその父でありルダウン=ハードク家当主スタンダーはマイペースな男だった。彼にとってはこの土地こそが守るべきものであり、それ以外は眼中にないようだ。メイリーシャの療養に一役買ったこの大自然を守ることがこそが、彼の中での使命だった。そのことは重々承知している。
さて、とイーリィは地図を広げた。
「この先はどうされますか」
「ルダウン=ハードク家に入りさえすればあとは安全だからな、一応アセット家に向かう話を通してある」
「隣がティリアーニですから油断はできませんけど……」
「まぁ警戒はするが、アセット家が居るのに手を出して来るようなことはしないだろう。一番の難関だった王都の入口を助けてくれたから、メイたちには感謝している」
一応は反逆の王太子を捕まえるためという筋は通るものの、王宮貴族領内で争いごとは好まれない。ましてやルダウン=ハードク家やアセット家の辺りは、術師ではない領地が多い。彼らの手も伸びにくいだろう。そのまま道なりに沿って行けばトゥラス領になり、そのまま行けば協力してくれているディーミアムたちのガーデントゥラスの領なので安心して通ることができる。そのまま東に進んでダカンタトゥラスの領に入っても良いが、破壊のダカンタの動きが見えないため、北上してアルクトゥラス領内へ入る。
そうしてようやく師走門から王宮に入ることができる。その時に東西南に指示を出してようやく、法術師を止める段階に入るのだ。
一通りのルートを全員で確認し、ウォレンは周囲を見る。
「できる限り体力を温存しつつ、師走門から目指そうと思っている」
「その、ダカンタトゥラス卿と連絡は?」
遠慮がちに問われてウォレンがセナを見ると、彼は肩を竦める。
「私に振らないでくださいよ」
「いやおまえの部下だろう」
「部下ですけどもうあの人はダカンタトゥラス卿のものですから。王宮に何度か入った形跡以外わかりませんので、おそらく領地には居ないと思います。こちらを避けているようですので放置しています」
本来ならダカンタトゥラス領から入った方が移動距離も少ないのだが、入るには勇気の居る土地だ。スティーク・ド=レス・ダカンタトゥラスは自由奔放であり、クレナイの部下を持つ者として危険視されている。
「まぁでも、西からはファルーンたちが来て、東からはイーリィの部下が来てくれる。南は聖職者となれば、俺たちは北から入るのが良いだろう。アルクトゥラス領で合図を送る」
地図をなぞって行く。ルダウン=ハードク家から森を抜けてアセット家で休息、アガット家に挨拶が必要ならばしていこう。ガーデントゥラスで少し休息し、今は使われていないハーレントゥラスとダカンタトゥラスの間を通り、アルクトゥラス家へと入る。
目指すべき王宮は、もう目の前だった。




