第93話:壊れた心
領主がお待ちしておりますと通された場所には、なぜか領主ではない二人の男女が居た。女性がウォレンを認めると、声を上げていきなり抱きついた。
「ウォレン! 元気だった?! 良かったわ、無事で、本当に良かったわ!」
「──いえ、あの」
「心配したなんてものじゃないわ、もう心配し過ぎて眠れないぐらいだったんだから!」
「あの」
「レディアナ、そこらへんで許してやれよ。流石のウォレンも反省するだろう」
「あら、そう」
男の言葉を待っていたかのように、ぱっとウォレンから離れる彼女に苦笑するしかない。
「ご心配をおかけしたようで、申し訳ない、レディアナ叔母上」
「ええ、ええ、本当に心配したわよ。まったく……」
そう云って50代とは思えない微笑みを見せるのは、レディアナ・ローズ・ガーデントゥラス。隣に居るのは元カーム領主のギルドバード・カームである。安寧王7番目の子どもにして自我を貫き通す変わり者の夫婦は、ひとり娘ディーミアムにさえ居場所を知らせずこんな場所に居座って居たのだ。カームに戻ったアクラが居たら、きっと殴り倒していたのではないだろうか。
「こんにちは、殿下。ご機嫌麗しゅう」
騒がしい二人の後ろから頭を下げるのは、金髪碧眼の美女キャサリン・ウィリアムズ。この町の領主である。
アリカラーナは自国の自衛に酷く無頓着だ。無謀な侵入があれば精霊が守ってくれる上、海側は城塞が固めている。万一侵略目的で入って来ても、召喚師が嗅ぎ付け、法術師が攻撃し、聖職者が王の土地を守る。王都まで危険が及ぶ可能性がないのである。そんなアリカラーナは召喚獣でもあれば、他国へ勝手に飛んで行くことだってできる。反対に他国からの客は、関門さえ抜ければ移住することだって許される。だがそれでも、外国人というのは、存外少ないのである。それも領主となっていれば、珍しさはひとしおだ。
キャサリン・ウィリアムズは西はエウロペ大陸の何所かの国の生まれである。彼女自身正確な国名を公表しているが、それがあまりに長過ぎて覚えられなかったのだ。イレグルーアンコースアニイスウイナユーキックンサッワロクーティンパ連合王国。エウロペ大陸は日々戦いに紛糾しているような場で、国がくっついたり離れたりすることが日常茶飯事だ。専門分野であるバルクオリンズ博士は、その国を「料理はまずいが飲料が絶品」だと評し、噛まずに一度で名を云ってみせる。料理に特徴があるのはあらゆる国の郷土料理を混ぜ合わせたからで、それに慣れてしまえばどうってことはないが、独特のそれは他国の者の顔を歪めさせる。
今はどうにか落ち着いているらしい西国の、まだ戦乱の灯火が揺れ動いている時。キャサリン・ウィリアムズはこの国へやって来て、小さな土地の領主の地位に収まった。
「今回はありがとう。恩に着る」
「嫌だわぁ、殿下ったら。私はギルドに負けてやったのよ。その分の見返りはきちんと戴きますわ。と、まあ本当なら、個人的にももっと早くそちらに付きたいところだったのですけれど。部下も煩いので」
「部下?」
「まあその話はまた後ほどにして、個人的にも殿下に向いていたことだけ釈明させてください。云い訳をさせて戴けるのなら、この通り小さな領地、後ろ盾がなければ動くに動けません。自分の身を守るためすぐに動くことができず、申し訳ありませんでした」
確かにラムは小さい。王子に付くと云うことは北東隣のアスルの味方に付き、東隣のテルム、そしてその後ろに控えているケーリーンも敵に回すと云うことである。ちなみに南には王都が控えている、シュタインが手を回せば簡単に潰されてしまう。
そこにレディアナとギルドと云うガーデントゥラスが後ろ盾として来たのである。いくら酔狂のガーデントゥラスだろうと、ウィリアムズとしては両手をあげて迎え入れたいだろう。レディアナというトゥラスと共に、元カーム領主が付くだけで、小さな領主としては百人力だ。
「今回こうして助けてくれただけで、こちらとしては嬉しい。ありがとう。しかしよくぞラムを抑えてくれたな。既テルムに落とされたものと思っていた。おかげですぐ王都へ入れる」
「ギルドの案よ」
「ん、ああ、まあ、報償は金貨より休みを望みます、殿下」
「年中休みだらけじゃないの」
「まぁまぁ。ありがとうございます、お二人共」
相変わらずの叔父叔母に苦笑しながらも、ウォレンは感謝を忘れない。酔狂の二人がいったい何をしているのか、ディーミアムもアクラも知らないようだった。こうしてウォレンのために橋渡しをしてくれたと知ったら、きっとアクラも内心では喜んでくれるだろう。
「大した働きじゃあないな。裏でこっそり動いている奴も居るようだが、それなりにウォレンの力になれれば、俺もちび餓鬼に怒られずに済む」
「そういえば、アクラが心配していたぞ、ギルド。書簡の一つでも送ってあげれば良いものを」
「心配? あのちびが? 冗談もほどほどに」
肩を竦めるギルドも素直ではない。一緒に住んでいただけで性格は似るのだろうか、二人を良く知るレディアナも、ねーっとウォレンに笑いかける。
「心配しているのなら、そう云えば良いのに強情なのよ、二人共」
「ディーミアムを寄越したこと、ついでに怒っていた」
「あら。怒られちゃった? でも帰って来なかったわよ、あの娘。アクラに振られたら速攻で帰って来るだろうと思ったのに」
「強くなったな、ディーミアム」
「そりゃあ私の娘ですもの」
自慢げに、それこそ自分の子どもがかわいくて仕方ないとでも云うように、レディアナは笑顔で答える。ギルドバード・カームとレディアナが結婚するまでの年月は相当に長かった。年相応になっていたレディアナはギルドとでないと結婚しないとカームに通いつめ、根負けしたギルドがアクラを養子にする前に結婚となった。アクラの胸中にはいろいろあるようだが、今では落ち着いているようだからウォレンも特に口にすることはない。
「あとは大河を伝ってルダウン=ハードク家に入れば、後は簡単です。そこまでのお手伝いは致しますよ」
「ああ、ありがたい限りだな」
従弟ローウォルトの妹であるメイリーシャが嫁いだ家である。ローウォルトはともかく、メイリーシャを含むルダウン=ハードク家とは早々に話がついているため、心起きなく王都入りできる。近々セナに様子を見てもらいに先行してもらおうと思っている。
「──ウォレン、話し合いはまた、明日にしましょう。今日はもう休みなさい」
考え込んだウォレンに、レディアナから鋭い声が上がる。
「いやしかし……」
「気になるのでしょう、行って来なさいよ」
そう云われると否定ができない。
ラムにたどり着いて落ち着いたものの、アリスは用意された部屋に引きこもっている。いつもなら挨拶ぐらいはしなければと云うのだが、まるで魂が抜けてしまったかのように、何も話さず表情も変えず、ただただ無反応なのだ。
育ての母の、突然の死。当然と云えば当然だ。
では今日はここでと打ち止めになった会談に、主であるウィリアムズが声を上げた。
「殿下、可能になりましたらアリス・ルアに一目お会いしたいとお申し出ください」
「アリスに? 何かあったか?」
「いえ、少々個人的なお話したいのです」
思わず顔をしかめるウォレンだが、彼女は笑うだけでその先を話そうとしない。ひとまずわかったとしか云いようがないまま辞する。果たしてアリスが人と会うことが可能なのかはわからない。ウォレンは、少しでも早く傷が癒えるのを待つばかりだ。自分で何もできないことが歯痒い。
アリスのために用意された部屋へと向かえば、長月が当たり前のように立っている。ウォレンを見て軽く頭を下げるものの、言葉はない。
「アリス、まだ中か」
「はい」
訊けば答えてはくれるものの、それ以上の情報はない。長月は起きてからアリスにべったりで、以前カルヴァナに仕えて居た時はここまで主に忠実ではなかった。その行動に驚かされているものの、彼に任せておけば安全という気持ちもあった。
小さくノックをするが、返答はない。
「アリス」
呼んでみても返事はない。長月を見ると頭を振るだけだ。
ラナレイの亡骸を弟であるレイ=ルゥに任せて、ウォレンたちは当初の予定通りラムの地を訪れた。アリスはその間まるで人形のようにただ動いているだけだった。いつもウォレンに見せる強気な顔も、笑顔も、慌てた表情も、そのすべてが見られない。もちろん、悲しんでいる顔さえも、涙さえも見せていない。
アリスの育ての親は、ラナレイ・シルバ・カルヴァナ。前宰喚ルゥラ・カルヴァナの長女で、凄腕の召喚師と呼ばれた彼女は、18歳の時当主命令によりアスルの実家にこもってしまった。それ以来彼女を見かけることもなくなっていたが、その真実は、ルークから預かったアリスを育てるためだったようだ。カルヴァナの庇護下にあったとルークも云っていた通り、ルゥラ・カルヴァナはルヴァガに心を砕いていた。三人の子どものうちひとりを、彼女のために充てがったのだ。
アリスはそれも知らないようだった。今となっては、どうでも良いことだろう。彼女が何者であろうが、アリスを育ててくれた母であることに変わりはない。
「入るぞ」
一言声をかけて入ると、真っ暗な部屋にぽつんと座るアリスの姿があった。寝台に申し訳なさそうに座るアリスの姿は、人一倍小さく見えて、ウォレンの声に動く気配もない。少しずつ近付いても、アリスはウォレンを見ようとしなかった。ただぼんやりと虚空を見ているだけだ。
入って来たは良いものの、どう声をかけて良いのかもわからず沈黙が流れる。大切なものを失った悲しみは理解できる。しかしその時どうして欲しいかなど、人それぞれ違う。事情が事情であれば余計だった。ウォレンはそっと、アリスの手を握り締めることしかできない。
「ウォレン」
その時初めてウォレンに気が付いたとでも云うように、アリスは緩慢な動きで彼を見上げる。
「すまない、勝手に入った」
「──ううん」
それだけで興味を失ったかのように、アリスはまたぼんやりと虚空を見つめる。その目には何も映っていないかのようだ。
「少しでも食べたのか」
「今は、要らない」
「そうか」
うまい言葉が思い付かなくて、そんなことしか云えない。握り締める手にぎゅっと力を込めても、アリスの手から力は返って来ない。彼女からは生きているという力さえ感じられない。こんなにも生気のないアリスは、初めてだった。
「……ごめん」
そんなアリスから、ぽつりと言葉が漏れた。
「明日にはちゃんと挨拶に出る」
「そんなこと、どうでも良い」
どうでも良いのにアリスはそんなことばかり気にしている。ウォレンが来たのを催促とでも思ったのだろうか、だとしたら心外である。もっとアリスに頼って欲しい。もっとアリスの力になりたい。それだけなのにうまく伝わらないのは、どうしてだろう。
「無理はするな、泣けるようになったら、出て来てくれ」
「……泣く?」
その言葉の意味さえわからないとでも云うように、アリスは小首を傾げる。
「俺はそうした」
ウォレンは思い出す。ガーニシシャルが死んだ日を。実感がなくて国葬のあと一人で泣いて、俺は悲しかったのかもしれないと思えた。今でもあれが悲しくて出た涙なのかはわからない。ただただ、ガーニシシャルが居ないことに対していろいろな感情が溢れ出て、最終的には涙となってこぼれ落ちた。だがそれ以来、父を思い出して泣くこともない。あれだけが父に対する感情発露の最後だった。
そう、あの一人で泣いていた時、叔父の一人にだけ見つかってしまったんだった。見なかったことにしてくれと頼んだ時あの人はあの時、どうしてくれたんだったっけ。
ウォレンは隣に座るとアリスの握り締めていた手を引っ張り、倒れて来た身体を抱きしめる。想像よりずっと小さな背中で、このまま力を入れたら壊れてしまうのではないかと思えた。普段力んでいるあの姿からは想像ができないほどの、単なるか弱い女性でしかなかった。
「ウォレン?」
「辛いなら思い切り泣け」
そうだ、叔父はそう云ってくれた。
「今俺におまえは見えないから、好きなだけ泣いて良い」
泣いている姿なんて見せられない、そう云ったら叔父は背丈を合わせ抱きしめ顔を見えないようにしてくれた。ウォレンはなぜか、そこまで関わりが強いわけでもなかった叔父になだめられるように嗚咽を漏らして泣いた。絶対に誰にも見られたくない姿を、彼にだけは見せてしまった。
だが叔父とは、その話を一度もしたことがない。
「無理して泣かなくても良い、思っている事全部吐き出せ。聞かなかったことにする」
抱きしめる手に少しだけ力を込めると、握り締めていた手に少しだけ力が戻って来た。それは次第に強くなり、痛いぐらいぎゅっと掴まれる。
「ウォレン……」
「……」
「私の……所為で」
「……」
「私が、止められなかった所為で、ラナさんは……」
疑問には思ったものの、聞かないと云っている手前口は出さなかった。アリスの手がウォレンの手を圧迫するが、止めることもせずただ静かに背中を叩いてやる。そうすることしかウォレンにはできなかった。
・・・・・
夜になってまたしても、アリスが借りた部屋にノックが響いた。アリスはぼんやりと顔を上げ、真っ暗な部屋で身体を起こす。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
アリスがぼんやりしている間にもう一度、控えめなノックが響いて、ようやく寝台から起き上がり扉へと向かった。そこには少し申し訳なさそうな顔をしたルークが立っている。
「ルークさん」
「少しは元気が戻っていればと思ったんだけど」
少し気を遣った口調にアリスはどうぞと中へ促す。そういえばウォレンが居ない。アリスが眠ってしまった間に戻ったのだろうか。申し訳ないことをしてしまった。
入って来たは良いものの居心地悪そうにしていたルークは、唐突に頭を下げた。
「アリス……本当に、すまない」
「……どうしてルークさんが謝るの」
「あんな辛い思いはもうしたくない、そう、思っていたのに……君にあんな辛いことを」
ルークの声が珍しく尻すぼみになっていく。その時になってようやく思い至る。襲撃されたアスルで失った彼の妻。今でも後悔が残ると云うそのことを、きっと彼は思い出したのだ。もちろん、アリスにその頃の記憶はない。
「違うんです。あれは、私の所為なんです」
燃え盛るアスルを思い出して、アリスの手は震える。本当にとんでもないことをしてしまった。最初はラナのことしか頭になかったが、彼女と話すうちにわかってしまった。どうしてアスルが襲撃されたのか、どうしてミナヅキ地区なのか、どうしてこの時なのか。
彼はどうしても、アリスを止めたいと思った。だからアリスが反応することをしようとしたのだ。彼女を苦しめた存在なら、消えてしまっても構わない。そういう思いから行動した。
「私の所為であんなことに……」
ただそれしか云えないアリスの肩を、ルークは強く掴む。
「君のせいだと云うのなら言葉にするんだ。君の母が死んだのは僕のせいだ、そうだとずっと思っていた。でもそうじゃないんだよ。だからアリス」
「だって、私が、止められなかったから」
ラナの死はもちろんショックだった。普段ならハヅキ地区に居るはずで、あんな攻撃に巻き込まれることなんてなかった。だが彼女はミナヅキ地区に居た。きっと何か情報を得たからだ。
──アリス、おまえは俺に勝てない。
召喚師としては彼が人一倍強かった。アリスは劣等生で、どう足掻いたところで彼には勝てない。しかし今は違う。アリスは精霊召喚師として立ったことで、まともな召喚までできるようになってしまった。彼の知らないアリスが出来上がって来ていた。それを認められないでいる。
アスルが襲撃されたのは、ダーク・クウォルトを止められなかった、アリスの責任だ。




