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精霊物語─王国の目覚め  作者: 痲時
第16章 家族
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第92話:銀髪の眠り


 アリスはミナヅキ地区には数えるほどしか行ったことがない。アエデロン・ルカナンが収める精霊城のある町に、当時劣等生だったアリスは呼ばれる必要もなかった。ただルヴァガであるが故に、何度か呼ばれたものの、人としての扱いは受けていない。だから記憶にも残らない。


 精霊城は召喚師が誇る美しい白亜の城だったが、今のそこは、焦げ臭さとあちこちで小さく立ち上る煙で見る影もなくなっている。そんな城の城門より先に入ると、そこになぜか、知っている人が倒れていた。隣で文月が途方に暮れた顔をしている。

「ラナさん!?」

「……アリ、ス?」

 驚いて近付いて見ると、呼ばれた当人もぼんやりとした顔でアリスを見つめる。驚いたのはラナもだったようだ。アリスの養母ラナ・シリア。彼女はしかし、最後に会った時とは比べ物にならないぐらい、弱り果てていた。白かった身体は煤で汚れ、身体中が傷だらけで、呼吸をするのも苦しそうだ。ただ銀の髪だけが最後の生命であるかのように輝いている。

「アリス・ルア、申し訳ない」

 文月が悔しそうに唇を噛むが、彼にかまっていられなかった。

「どうしてラナさんが……ねえ、誰、誰なの?! こんなことしたのは誰!」

 ラナは力なく首を振ると、

「会える、なんて、夢みたい。私、ずっと、貴女に、黙っていたことがあるの……」

「ラナさん、もう良いから話さないで……! 安全な場所へ……文月! 長月」

 文月は相変わらず悔しそうにアリスを見て、一緒に付いて来た長月はと云えば、困った顔をしてアリスを見つめる。アリスに従順な長月が明らかな戸惑いを見せたのは、起こしてから初めてのことだった。

「長月頼む、ラナさんを……」

「無理だ」

「長月!」

「……アリス、君にだって見えているだろう」

 長月が戸惑うように事実をぶつけて来る。アリスもそれは知っていたが、見えていないふりをした。初めて権力を振りかざして人霊の力でどうにかしようと思った。


 ラナを縛り付けている大気霊の姿が見えている。ラナはもう残り少ない自分の力で、この場所に自分を張り付けている。抱え起こすことはできるが、それ以上は動かすことができない。

「すまない、ルア。来る前に手は尽くしたんだが……」

「召喚獣が手離すことを嫌がっている。できればしたくない」

 無念そうに頭を振る文月に続いて、長月もぽつりと呟く。

 人霊の力で大気霊を下がらせることは可能だ。しかし長月は、召喚した主を裏切るその行為をしたくないと云う。普段のアリスならその気持ちは理解できただろう。しかし今はなんとしてもラナを助けたかった。

「死ぬのならここで死にたいのよ、アリス」

「なんなの……死ぬ、とか。冗談やめてよ、ラナさん」

 抱え上げたラナの背中には、長い刺し傷が見られた。前からは見えなかったが抱え上げた瞬間に、血の匂いが漂いアリスの手が赤く染まる。その傷がとんでもなく深いことが見てとれた。

 いったいどうしてこんなことになっているのだろうか。ミナヅキ地区が破壊されたと聞いて来てみたら、居るはずのない養母が死にかけているなんて、どうしてこんなことに。




 召喚獣を呼び出し身体の治癒を行ったものの、ラナの顔色はどんどん悪くなる一方である。そんなアリスのもとに、足音がばたばたと近付いて来た。アリスを追って来たのは、ウォレンとレイ=ルゥである。彼らはアリスが抱き上げている女性を見つめて驚いた声を上げる。

「……ラナレイ!?」

「姉貴!」

「でん、か? ルゥも……居たのね」

 弱々しくアリスの腕から抜け出したラナは、その場で頭を下げようとする。いったい何所にそんな体力があったのかと思うほど、それは実にスムーズだったが、ウォレンは慌ててそれを止めさせる。

「ラナレイ、止めろ。動かないほうが良い」

「最期に、お顔を、拝見できて、光栄、です、殿下。……ご立派に、なられて……」

「なら首謀者の名を云うんだ、ラナレイ。知っているのだろう」

「殿下、アリスをお願い致します……」

 しかしラナは、叩頭した相手の言葉をまるで聞こえていないかのように、自分の言葉を紡ぐ。

「憚られることですが……、私の自慢の、子です」

 そんなラナの声を潰すかのように、アリスの横へと割り込んで来たのはレイ=ルゥだ。

「姉貴、莫迦野郎! そんなことより、何があったんだよ!」

「殿下を、しっかりお守りするのよ、ルウ。ガトー、と、アルーシャを、大事に、なさい」

「そんなこと……わかってる。わかってるから、姉貴……」

「殿下に、ルアに、人霊に、弟に。こんなに、たくさんの人に、看取って、もらえるなんて、幸せ、ね……」

 最初に駆けつけた時より、ずっと饒舌になったラナはしかし、それと同時に息苦しそうに咳をする。何よりも抱き上げているアリスがわかっていた。だんだんとラナの力が抜けて行くことに、ここに縛り付けている大気霊が弱っていることに。

「でも殿下、恐れながら、申し上げますが、父は、幸せな死に方だったのだと、私は思います……。殿下が、責任を感じること、では、ありません。父は、父の判断で、最期を、決めた、ので。私、も……です」

 最後に頭を上げたラナは、20年一緒に居た娘を見つめる。

「アリス、ずっと黙っていて、ごめんね……」

「ラナさん、……帰ろう」

「……ダーク、を、……けて──」

 ラナは静かに微笑んで、そのまま動かなくなった。

「ラナ、さん?」

 嘘だ。これは何かの間違いなのだ。どうしてこんなことが。

「ラナさん!」

 微笑んだ顔は、動かない。抱えていた身体は、ずるずると重力に逆らえず落ちる。



 ──アリス。

 ずっとアリスを守ってくれた養母ラナは、召喚師の町で息絶えた。


・・・・・


 燃え盛るアスルを見て、ルークは言葉を失う。この光景は見たことがある。20年前、大切なものを失った時と同じだ。


 そして亡骸に跪くその光景は正しく、20年前の自分だ。

 ──ごめん、ね。ルーク……。

 ──リーシュカ!

 いったい誰が彼女にこんなことをしたのだ。いったい彼女が何をしたというのだ。彼女をこんな目に遭わせたものを、消し去らなければ気が済まない。ルークの心は黒いものに覆われていた。


 そんな彼の心がすべて覆われなかったのは、ぎゃあぎゃあと泣く娘の姿があったからだ。



 死ぬ間際に話せる方が幸せなのかもしれない。しかしそれは、ルークへ自責の念を強くした。弱々しく力尽きようとする姿を見つめていると、何かを責めずには居られない。

「……すまない」

 助けられない自分が不甲斐なくて許せなくて。

 アリスの生存を確認できて、奇跡だと思った。一緒に逃げることも考えたが、追われているルークと共に居ても、彼女は幸せになれないだろう。

 だから一時の別れだ。


 次に会う時には、お互い幸せで居たい。


 そう願ったのに、20年経った今、ルークは娘に自分と同じことをさせている。

「ラナさん……どうして」

 会ってから取り乱すことのほとんどなかったアリスが、声を上げて泣きながらすがりつく。その姿は20年前の自分を思い起こさせ、あの時の絶望的な気持ちを娘に味合わせてしまったことに、また後悔の念が沸き起こる。


「済まない、リーシュカ……。僕はアリスを、守り切れていないようだ」

 ルークは悔しさに、そっと唇を噛み締めた。もうこんなことは、終わりにしなければ。



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