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精霊物語─王国の目覚め  作者: 痲時
第13章 みなぞこ
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第74話:あそぶ


 法術師の管理者ゼシオ・ローゼンの息子であり、グレアル・シュタインの間諜として国中を歩いている巡検法術師、クドーバ・ローゼン。 彼がこの国には珍しい異国人アカギ・スズガを拾ったのは、本当に偶然のことだった。


 ただ彼がおそらく新人の精霊召喚師であろうとされるアリス・ルヴァガの肖像を、あまりにも長い間凝視していたから、知り合いなのかと思って声をかけたのだ。

「会いたいんだよね、どうしても」

 知り合いではないものの会いたいと云うスズガが気になったのは、まるでアティアーズ家のように綺麗な紅色で構成されていたからなのだろうか。珍しいその色につい反応して立ち止まり声をかけたが、これが成功か失敗かはわからない。

「会えるぞ、そのうち、この近くを通るから」

 まったくの当てずっぽうというわけではない。王太子軍は着実に人霊を起こしながら、人を増やし、王宮を目指しているという。近いうち、ここらを通るのは間違いがないのだ。


「会ってみるか?」


 などと適当なことを云ったのも、特に意味はない。楽しそうだったからだ。そしておそらく、自分が緊張を隠す為の防御の意味もあったかもしれない。




「お、なんか軍隊がそろってるぞ」

 アリカラーナは西に広大な領地を要するストンベルスでクドーバを待っていたのは、 美しく編成された軍人の部隊であった。「気が狂ってしまった」と云う聖職者も混じっている。ストンベルスはシュタインに付いて行くことを早い段階で決めているから、要するにシュタイン側なのだろうが、軍隊が警戒している方角は北である。


 彼らの敵であるウォルエイリレンは、ルフムで襲撃を受けた後クラファームまで逃れ、現在は大河越えをしているはずで、方角で云うならば南だ。いったい何に警戒しているのだろうと思えば、スズガがあっさりと解決させる。

「あ、ついにストンベルスが攻めるんだね」

「攻める? 何所を」

「隣のテリス。ちょうど間にある城主の意見がまとまらないから、結構白熱してるみたいだよ」

 スズガの云うテリスはストンベルスの北隣にあり、双方の領地をまたぐ形で建っているのが、城塞アリムである。法術師に付いたストンベルスと、王太子に付いたテリスで、正しく板挟みの状態だ。



「業を煮やして軍隊を動かす、か。ははぁ」

 聖職者が使えない分、圧倒的に王太子軍は不利だ。しかし驚いたことに、聖職者に離反され精霊召喚師ルウラ・カルヴァナが出て来ても王太子を支持し続ける人が多く、それが民衆から沸いて来ているという噂がある。いったい何所から付いた火種なのか、あの王太子らしくてクドーバはつい笑ってしまった。



 綺麗に整列された軍隊が、どうやら怪しい二人組を見つけたらしい。即座に駆け寄って来たのは、まだ若い20代ぐらいの男性兵だった。

「貴殿らは敵か?」

「どの立場で敵って云うんだよ」

「シュタイン宰法に徒なす者だ」

 よりによってクドーバ・ローゼンにそのようなことを云うかと、思わず笑ってしまう。シュタインを裏切った後、目を抉ったことで忠誠を誓った。そして未だ、巡検法術師として各地を歩いている。

「シュタイン宰法直々の部下だって云うのなら、見逃すってのか」

「──どういうことだ」

 目を顰めた兵を横目に、そういえば謎のアカギ・スズカという青年も居たことを思い出す。外見はひとまず紅、非常に珍しいのだが、アリカラーナの者ではないことがすぐにわかる。

「ああ、だがしかし、こいつは直属の部下ではないからなぁ」

「見るからに余所者だな。敵だ」

 兵がそう云った途端、クドーバは決めた。

「──よし、そういう判断しかできないおまえらの敵になってやる!」

 クドーバはまた、いい加減な奴でもあった。


・・・・・


 アクラ・ロスタリューはしばらく家を留守にしていた。カーム南側のシワス地区にあるエルアーム城のほうが、ミナヅキ地区にある邸宅よりウォルエイリレンが来た時早く迎えられるからだ。すぐに連絡が行き来できるようにはしているが、カーム領主宅に朗報はない。


 むしろ、凶報ばかりである。


 アクラは珍しく静まり返ったエルアーム城の一室で考える。

 この間ウォルエイリレンからの使いということで、人霊の皐月が来た。どうやら人霊集めも順調にこちらへ向かっているらしくほっとしたが、それも束の間のことであった。


 聖職者が王太子に反旗を翻した。


 アクラも実のところ、自分の力が弱っているのを感じていた。それはおそらく、己の血の力によるのだろう。通常の彼らとは違う、別の力がある。そしてアクラはウォルエイリレン以外に仕えるつもりがまったくと云って良いほどない。そのアクラの強い反抗心が血に反応して、どうにかなっているようだ。と云うのが、勝手に分析をした現状の結果である。自分のことながら、よくわかっていない。




 珍しくファルーンが大人しいのは、聖職者が反旗を翻したためである。このエルアーム城にも問題が上がった。つまりアリカラーナ全土の聖職者が対ウォルエイリレンを決め込んでいるのである。ファルーンは渋ったが、アクラはすぐに彼らを一つの部屋に集めて閉じ込めた。城主よりも自分の意見を優先したのは、至極当然のことであった。このことは朴念仁のファルーンよりも、ずっとアクラ向きなのである。


 しかしそのことを誰も知らないという問題があった。

 もちろん、アクラはウォルエイリレンのためならなんでもする。だから今までずっと秘していたことを、白日の下にさらすことも仕方がないと思ってすぐに行動を起こした。



 しかし──。

 アクラは思わず苦笑する。


 領主。この地位が、この場がまさか、惜しくなるとは思いもしなかった。

 真実を話せば、領主で居られなくなる可能性がある。ウォルエイリレンのためだから仕方ないとは思っても、その地位が剥奪されることが想像以上に悔しいのである。最初はやる気などなかったくせに、養父が守り抜いて自分にくれたそれを、簡単に手放すことがどうしても惜しかった。


 まさか自分などにこのような事態が起きるとは思いもしなかった。



「失礼します!」

 頭を悩ませていたアクラのもとに、ファルーンの部下であるラドリームの兵が入って来る。

「あの、ロスタリュー領将に今朝の書簡が」

「今日? もうさっき見たけど」

 毎朝領主宅に届く書簡を、ここに回してもらうようにしていた。しかしそれなら目を通したはずだ。相変わらずの凶報と、どうでも良いご機嫌伺いの書簡にうんざりしていたところでもある。アクラが生返事を返せば少し申し訳なさそうにしながらも、部下は一通の上等な書簡を差し出した。

「遅れて一通、届いたのです。速達でした」

「誰から?」

「……あ、その、ロスタリュー第一子卿から、です」

 アクラは思わず目を細めて、なんの罪もない兵を睨みつけてしまう。

「あ、その……」

「ごめん、なんでもないんだ。受け取るよ」

 立派な羊皮紙にあるのは、確かにロスタリュー家リューセインド・バジクの名。最後に会ったのはいつだったろうか、あの人には迷惑ばかりかけている気がするものの、このタイミングで書簡が送られてくることを、アクラはいろいろ勘ぐってしまう。


 だが話は、それだけでは終わらなかった。


 書簡を出すよりもさらに云い辛そうに、兵がおずおずと申し出る。

「あのそれと……、ロスタリュー卿がいらっしゃっているのですが」

「は?」

「待つことは嫌いでな、入らせてもらった」

 アクラの理解が追いつく前に入って来たのは、王宮貴族の聖職者ロスタリュー家当主デュグリ・ジリアン。相も変わらず傲岸不遜な態度で、自分が優秀な聖職者であることを疑わない態度だ。このような田舎領主など、歯牙にも掛けていないということがよくわかる。

「ロスタリュー卿」

 黙り込んでいたファルーンが、城主らしく流石に立ち上がって礼をする。だが勝手な入場を咎めなくて良いのだろうかと、無防備な城主に少し苛立つ。そもそも速達より来客を先に教えるべきでないのかと、彼の部下にも無駄な苛立ちが後から募る。

「時間もないし、ここに居ることをあまり知られたくない」

「……知られたくないのなら来なければ良いのに」

 アクラの呟きは聞かれなかったことにされたらしい。顔色も変えずアクラを見る厳しい顔つきは、優し過ぎる息子と似ていない。




 ロスタリュー家は王宮貴族の聖職者である。

 前当主シュゼイリ・ケジールが引退したのはたった3年前、その時75歳の高齢だと云うのに、どうしてもと地位を退かず、無理して身体を壊し倒れた。結果寝たきり老人になってしまったので、仕方なしに実権を長男のデュグリに渡したのである。アクラに書簡を送って来たリューセインドは、このデュグリの長男である。幼い頃から何かとアクラの世話を見てくれた実に親切な人だ。デュグリとはどうにもそりが合わないものの、リューセインドのことは慕っていた時期もある。


 だがもう遠い昔のことだ。


 育ての親ギルドバード・カームによって後継者に認められた時、自分はカームを名乗れるのだと思っていたが、その彼がトゥラスへ婿に入ってしまったために、アクラは彼の息子になることをやめた。「ガーデントゥラス」を名乗ることだけはしたくなかった。

 その結果名乗る名前を失ったアクラは、ロスタリューを名乗った。今までただのアクラだったのを、カーム領主として立つ時、アクラ・ロスタリューと名乗った時は騒ぎとなった。


 アクラの正体に気が付いたらしいロスタリュー家は、こうして厄介ごとがあるとアクラに忠告をしてくる。シュゼイリはアクラ・ロスタリューと王宮貴族ロスタリューは別物であると断言しているが、デュグリはノーコメントを貫き通し、周囲は宙ぶらりんであるアクラが何者なのかわかっていない。



 シュゼイリはいつだって中立に居ようとするから、アクラの存在は邪魔なだけだろう。


「それで、なんの御用です。わざわざ御当主自らこんな田舎までお越しになるとは」

「貴殿の考えていることはわかる、だが止めてもらいたい」

案の定、忠告である。それも、アクラの誇りを傷つけるような行為を促す。

「わかっているだろう、今後を円滑に進めるために止めて欲しい。王太子とは縁を切れ」

「僕は法術師と馴れ合いなんてしたくないね」

「だから意見がそぐわないのだ、おまえとは」

「……シュゼイリは、なんと云っているの?」

「私と同意見だ。ただでさえロスタリューを名乗られて厄介なんだ、これ以上歴史あるロスタリュー家を引っ掻き回すのは勘弁してくれたまえ」

 果たして本当にシュゼイリが同意見かどうかはわからないが、ロスタリュー家でもそれなりの騒ぎになっているらしい。監視できる身内は良いが、目の上の瘤となるのがアクラだ。身内でも他人でもない、繋がりは姓だけという厄介な関係。




 ならばやってやろうと、アクラは微笑みすらする。

「引っ掻き回すよ」

「貴様……!」

「仕方ないじゃない、僕には名乗るべき姓がなかった。ロスタリューを名乗るしかなかった。それは莫迦な契約なんてして勝手に死んだ聖職者だ。しきたりにこだわるトゥラスだ。僕の意見は変わらない」

 本当に莫迦だと思った。聖職者もトゥラスも、この国自身が莫迦なのだと思った。だがその根底を覆してくれたのは、今玉座に向かっているウォルエイリレンである。




 アクラはかぶりを振って、席を立った。がたんと音がして、黙り込んでいたファルーンが顔を上げる。

「アクラ?」

「ちょっと出て来るね」

「おい、どうしたんだ! 殿下がもうすぐ来るんだろう?」

「この莫迦なご貴族様の言葉でもう決めたよ。僕の後継ぎを見つけに行かないとさ。断絶させたら、流石にギルドさんに怒られるし」

 ファルーンが目をぱちくりさせてアクラを見ていたものの、アクラは気にせず扉へと向かう。

「アクラ……!」

 デュグリが今にもつかみかからんばかりに近寄ったが、さっと身をかわした。未練を残すこともなく、アクラはさっさと出て行こうとした。






 だがアクラが扉を開けるよりも先に、反対側からそれは開かれた。

「その必要はありません」

 いきなり場に合わない声が飛んで来る。開かれた先には、困った顔をしているジーク・ロウマンと毅然と立つ少女の姿があった。幼い顔立ちに少しばかりふっくらとした顔は愛嬌があって、まん丸い瞳と合わせれば、この城塞というものとはまるで不釣り合いであった。あまり背の高くないアクラからしても視線を下に意識するほど小さく、いかにも少女らしいあどけなさの残るかわいらしい彼女には、この血の気の多い質素な城は似合わない。


 アクラは領主と向かい合いながらも堂々と立っている少女を見て、そのまま言葉を失う。

「お久しぶり、お元気だった?」

 場違いににこやかに笑われて、アクラは久しぶりに感情が昂るのを感じた。少し前まで学院を休学したと聞き身を案じていたものの、まさか危ないことにはならないだろうと高を括っていた。その結果がこれかと思うと、今まで押さえ込んで来たいろいろなものが湧き出て来るのも無理はなかった。

「お、おい、アクラ」

 後ろでなぜか、ファルーンが焦っている。アクラはふつふつと沸き上がる怒りが爆発しそうになりつつ、なんでそんな面倒なことをと気を抜いて、仕舞いに出て来た言葉はとてもシンプルなものだった。

「帰れ、ディーミアム」

 さっと少女の顔に朱が走る。怒りでそうなる。かと思いきや、彼女はにっこりと微笑んだままである。

「嫌」

 微笑んだまま、ぬけぬけとそんなことを云う。

「ディーミアム」

「失礼だけどね、アクラ。私お話をしに来たわけではないわ」

 そこできっと真面目な顔になって、見たことのない表情に戸惑ったアクラは言葉を閉ざしてしまう。

「カーム領主ロスタリュー卿の、お手伝いがしたく参りました」

「駄目だ。大体どうやってここまで来た、早く帰りなさい」

 しかしディーミアムは聞く気がないのかアクラを通り過ぎると、部屋の奥でぽかんと座っているファルーンに微笑みかけた。



「いきなりの訪問に加えてお騒がせして申し訳ございません、クランジェ城将」

「はぁ……」

「いつもアクラがお世話になってます」

 ぺこりと頭を下げるそれは、既に板についている。茫然としているファルーンをそのままに、肩を怒らせているデュグリへと向き直った。

「ご無沙汰をしております、ロスタリュー卿」

「ご無沙汰ですな、子卿。こんな辺境まで、何用ですかな?」

「あら、それは御当主こそ」

 にっこりと笑うその顔は、彼女の母にそっくりだ。満面の笑みで明るさを宿しながらも、相手にこれ以上踏み入れさせない喰えない笑顔である。

「アクラ・ロスタリューは王宮貴族ロスタリュー家と関係あらず。介入に従う理由はございません、お引き取りお願い致します」

「それは父の、前当主の言です。私は何も漏らしてはおりません。だがアクラ・ロスタリューの身勝手は、ロスタリューを名乗っているだけで、ロスタリューの傷となるのです」

「前当主の言が嘘だと、ロスタリュー卿は云い切るつもりなのでしょうか」

「そうは云ってないでしょう」

「では、この場はお引き取り願います。ただでさえ、正式な訪問ではありませんよね?」

「子卿も」

「ええ、ですが私とカーム領主との間柄、ご存知でございましょう?」

「カーム領主を訪ねるのはご自由ですが、領将と私の話の邪魔をする権利はございませんな」

「では今度私がお邪魔させて戴きたく存じます、正式に」

「そもそも、子卿が関わる理由など……」

「ございます」

 和やかに話していたディーミアムは、デュグリの言葉を強い言葉で遮り、目つき鋭く続ける。

「これはトゥラスの問題でもあるのですよ、忘れているわけではございませんよね?」

 まだ少女と云える見かけながら、一人の貴族を押しのけるほどの強さはあったようだ。



「……この場は幼い子卿の顔を立てて下がろう。だがなアクラ、忘れるな。 貴殿がロスタリューを名乗ったことが、すべての原因なのだと」

「──他に名乗る名があれば、名乗りたくもなかったよ」

 投げ捨てるようにアクラは云う。本音だった。勝手にして良いのなら、放っておいてくれるのなら、アクラはそれこそカームを名乗っただろう。運命とは皮肉にできていると、今回のことでまた実感した。


 デュグリは細く厳しい眼光で佇む少女を見ると、

「一言付け加えておくが、私は認めないからな」

「貴方に指図される覚えはないんだけど」

「いい加減ごめんだ、トゥラスに関わるな」

 流石にむっとしたのか進み出ようとするディーミアムを押しとどめて、

「それだけは同意見だね」

 と楽しそうに笑ってやった。ディーミアムはふと翳りを見せて、デュグリは相変わらずつまらなさそうな顔をしている。

「失礼する」

 失礼したと思った様子もなくその場を去った。嵐のような入退場に、身勝手さが知れる。




 まさかロスタリュー家当主がわざわざ釘を刺しに来るとは思いもしなかったが、そんなどうでも良い家よりも、もっと大変なことがアクラにはある。

「良かった、帰ってくれて」

 ほっと隣で息を吐く少女。それこそ、一番の問題だ。


 ディーミアム・バラ・ガーデントゥラス。カーム前領主ギルドバード・カームと、定成王7番目の子どもである第2王女レディアナの一人娘。生まれた頃から嫌々ながら面倒を見て来た、妹のようなその存在を、アクラは無視できない。

「なんなの? トゥラスが元凶、みたいな云い方して、失礼しちゃう! でも突然の訪問には驚いたわ。まさか御当主が動くとは思いもしなかったもの!」

 さっきまで大貴族を威圧したとは思えない、見た目通りの幼さで早口にまくし立てる。

「忘れて帰りなさい、何をしにここまで来たの」

「アクラがこだわることじゃないでしょう?」

 しかし数年前とは違う。アクラはそこでようやく知る。


 彼女がずっと、成長していることに。彼女がずっと、大人になったことに。


「悪いけれどディーミアム、君の話に付き合っている場合じゃないんだ。これでも忙しい」

「確かに悪いのはアクラだわ。私はさっき申し上げました。お話をしに来たのではないと」

 大して背の高くないアクラを必死に見上げながらも、ディーミアムの目は相変わらず強かった。

「お手伝いに参ったの」

「全部、聞いて来たのか」

「ええ、私を洗礼主儀式のトゥラス公認者としてお使いください」

「……あの、莫迦っ」

「あら、提案したのはお母様よ」

「だから莫迦って云ってるんじゃないか、何を考えているんだ、あの考えなし夫婦は! 何所まで根性腐れば気が済むんだよ。酔狂の名は伊達じゃないなんて、褒められてる場合じゃない」

 酔狂を冠するガーデントゥラス夫婦は、数年一緒に暮らした養父とは云えやはり何を考えているかわからない。対するディーミアムの母に当たるレディアナも変わりものである。 娘をわざわざ危険にさらすようなこと、普通の親なら避けるはずだ。

 ディーミアムが現状でここに来たら、命を投げ出す行為をするとわかっていながら、彼女は娘をここに向かわせたのだ。ギルドバードに心底惚れ込んで告白し続け、約20年かけてようやく結婚できたというのに、その娘を放置するとはどういう神経をしているのだろう。


 しかしその娘は、危機感の欠片もなくケラケラと笑う。

「あはは、相変わらずの口の悪さね」

「ディーミアム、駄目だよ、帰りなさい。君にやらせるわけにはいかない」

「どうして? 充分間に合うでしょう?」

「──こればかりは駄目だ」

 洗礼主の儀式の公認者。それはもともと術師ではないトゥラスには、多大なる負担をかけてしまう。

 皐月より現状の連絡が入った時、アクラは既にこの儀式をやることを決めていた。洗礼主としての権利をシュタインによってエリンケに移されてしまったが、それをウォルエイリレンのもとへと戻す作業である。その儀式には、法術師、召喚士、聖職者、そしてトゥラスが必要不可欠だ。

 普段の儀式ならば今まで王を守って来た術師たちが、次期王を守るものたちに譲る気持ちで譲渡するのだが、今回は勝手に奪ったシュタインから奪還する作業だ。どれだけの苦労が要るかもわからない。 シュタインも勝手に奪うという強硬な手段故に、儀式は慎重に執り行っただろう。力というものの使い方を知らないトゥラスには、一番負担がかかりやすいのである。下手をすれば、命に係わる事態にもなりかねない。




 それをディーミアムにやらせるなど、アクラとしては断固反対だが、当の本人はあっけらかんとしている。

「でもアクラ一人でやったところでたかが知れているって、お父様が云ってたわ。幾ら血があろうとも今のアクラじゃ兼任は無理だって。できれば伯父様方を呼べれば良かったのですけれど、生憎とそんな簡単に連絡がつけられない状態でしょう? だから私が、一番楽だったの」

「……殿下が帰るまでにやるべきことがある。送るから帰りなさい」

「帰れないわよ。王宮には近寄れないもの」

「ディーミアム」

 聞き分けのない妹を諭すかのような気分になる。あのレディアナの娘だけあって、相当に頑固で相当にしつこいのである。それはもう、幼い頃からの付き合いでわかっていた。


 だがそれは、ディーミアムにしても同じである。

「アクラっていっつもそう。大切なものは全部蚊帳の外に置いて、守った気でいるの。それこそ莫迦みたい」

 アクラが今まで歩いて来た道筋を知っている彼女は、アクラの口癖を平然と使う。

「お父様もお母様も領地には居ないわ、隠れて調べものをしているの。だからどっちにしたって今さら私は帰ることなんてできない。そしてアクラ、領主は変える必要なんてない」

「たとえ莫迦げていても、どうしようもないことだよ。それにさっきのロスタリュー爺の話、聞いてなかった?」

「私たちには関係ないもの」

「僕にはあるんだけどね」

「ああ、もう、私が大人になったのに、アクラはちっとも変わらないのね!」

「僕は僕のままだよ、そう云ったはずだ」

 実際会うのは、かれこれ何年ぶりになるだろうか。ギルドバードがアクラへちょっかいをかけにと云いながら、実際は仕事をサポートをしに来てくれるついでに、ディーミアムはちょこちょこやって来ていた。自然と幼い頃から面倒を見ている妹のようなものになったが、ディーミアムはひたすらにアクラを慕った。


 疎遠になったのは、自然にではない。ディーミアムが自ら来なくなった。アクラはと云えば、必要がないのならトゥラスの領地に足を踏み入れるのはごめんなので、彼女が来なければつながりも失せる。その程度の関係ではないのだが、この数年アクラがトゥラスの領地に行かなかったことを考えると、所詮その程度なのかもしれない。



 会わないうちに14歳まで成長してしまった養父の実の娘は、増々母親にそっくりになっている。

「いろいろ覚悟していたけれど、ここまでとは思わなかったもの。あのね、アクラ。私は周りの意見ぐらい知っているの。貴方の本音を聞きたいのよ」

「アリカラーナもトゥラスも術師も、みんな嫌いだ。だからもう、僕の前に現れるなと」

 そう告げたのは、何年前だろうか。これではいけない、このままではいけない、冷静にならなければいけない。そう思って子どもの頃から見て来たディーミアムを突き放した。

 初めて云った時、ディーミアムは泣きそうな顔をして、でも泣かなかった。それでも通い詰めて来る彼女に、アクラは冷徹な言葉しか投げつけなかった。


 そうして彼女は来なくなった。

「──ウォレン従兄様は認めたのに、私のことだけは認めてくれないのね」

 あの頃よりも大人になった彼女は、実に痛いところを突いて来る。

「ウォレン従兄様には忠誠を誓うのに、私のことは認めてくれないのね」

 自分でも大いなる矛盾だとはわかっていながら、どうしてもできなかった。アリカラーナが嫌い、トゥラスが嫌いと云いながら、ウォルエイリレンにだけは忠誠を誓った。だがディーミアムをそうと認めることだけが、どうしてもできなかった。



 アリカラーナは嫌いだ、トゥラスも嫌いだ、王族も、聖職者も、召喚師も、法術師だって、みんな嫌いだ。莫迦な契約をして生きているこの国は、もっと嫌いだ。それでもアクラは、ウォルエイリレンにだけは頭を垂れる。


 その理由を説明する術を持たないアクラが黙っていると、ディーミアムは静かに微笑んだ。

「良いの、そう云うだろうと思っていたから。――長期戦、覚悟しているもの」

「ディーミアム……」

「私を誰だと思っているの? 偏屈で頑固なギルドバード・カームを負かせた、レディアナの娘なのよ。私はいつまででも諦めないわ」

 そう云ってアクラを見る眼光は、数年前と少しも変わらない、母親譲りの目であった。


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