第90話:霜月の目覚め
それは霜月の情景。
木枯らしが吹き出し木々は色付きを終え、来たるべく寒さに人々が右往左往する。そんな月はしかし、彼らに季節の移り変わりを感じさせる時間でもある。
予想しない程の速さだった。だけどみんなが消えて行っても、俺だけは、俺だけは絶対に守り抜いてやらないと。そうルウラと約束したから。
なのにどうして、この身体は云うことを聞かないのか。
──早く、行け。
抵抗したいのに、もどかしく動けないこの身体に、小さく見える背中が立ち止まってしまった。止まったら負けだと叫びたいのに、声は出ない。
──カグラ……!
莫迦……早く、行けよ。
・・・・・
その紫はとても印象的で、放って置くにはもったいなかった。
「ここで何をしているんだ?」
声をかけたのは、それだけの理由である。
男は声を聞いても顔を上げることもせず、ただぼうっとその荒れ果てた荒野を眺めるばかりだった。そしてぽつりと、こう漏らしたのだ。
「──この国を、どうにかできないものかと考えていた」
「国?」
既に国とも云えない、荒廃した土地だ。ここを国と表現するものも少なくなって来ていた。元々、 西国は国というものにあまり執着がない。執着がないと云うと語弊があるかもしれないが、とにかく国というものはいつしか滅びるもので、あまり重んじていないというのが現状だ。現在レージング王国が大国で一番強大なる国と恐れられているが、それもいつまでの命かはわからない。
「ここは基点だ。このローズサウンドを動かす、基点となる大地。それだけではいけないのか?」
「ここで生まれてここで生きて来た者として、それなりの誇りがある。この国をこのまま滅びさせてはいけない気がするんだ。私は諦めたくない」
「へぇ……」
生真面目な男だった。そしてそういう男は苦手だった。だが気が付けば、手を出してしまっていた。
「おもしろそうなことを考えてるなぁ」
そこで初めて、男は彼を見た。
「君は、西国の人か」
「ああ、まあね」
「では反対だろう。基点となるここが国として成り立てば、おそらく他国への行き来にここを使えなくなる。今まであらゆる国へ行けていたのは、この国があまりに何もないからだ」
「でもここ、俺は嫌いじゃないぜ」
云って踏みしめる。固く渇いた大地を。
本当に何もない土地だった。一応は王が居て王宮があって、そういう意味では国であるが、しかし本当に何もない場所だ。欲しいと思うものはない、奪いたいと思うものもない、だから西国が手を出すことなく、ここをあらゆる国へ行く時の駐留地として使っているのだ。それに対してこの国の王は不満の声すら漏らさなかった。だから彼らも、それ以上は何も求めていなかった。
それでも彼がこの国に足を運んでしまうのは、静かだからかもしれない。この静かさ、そして何もない不思議な居心地の良さは、争いばかりある西国では有り得ない。
「知ってるか、あっちの方。夕方に来るとすごく綺麗なんだ」
「ああ、もちろん知っている」
「後あそこにある大木も綺麗だよな。ナノクニから取り寄せたのか?」
「私が生まれた時からあったな、あれは」
「ああいうもんを育てていられると思うと、それは素直にすげぇと思う」
西国は誕生と消滅が一緒にやって来る。誕生したらいつ滅びるか、それをどうしたって考えてしまう。
「俺で良ければ、手伝うけど?」
「え?」
「人手が居るんじゃないか?」
「でも国に戻らなくて良いのか?」
「あー、たぶん駄目だろうけど、あんまり俺、自分の国に興味ないんだ」
このまま順調に行けばいつしか座るであろう玉座というものを、自分がきっと破壊する。それを避けたかったのもある。だったら最初から崩壊させてしまったほうが、後腐れがなくて良い。
「西国の力を借りられるとなれば大きいが……良いのか?」
「別に。戻るつもりもあんまりないからな。──俺はレギウス。レギウス・バルト・レージングだ」
「レージングの王家か?」
「え、ああ。これでも第一位の王子だ」
「国を捨てるつもりか」
「俺が居なくたって別に誰かしらが王になる。そういう国だ」
生真面目男は顔を顰めた。西のこういった風習は、なかなか他の大陸だと理解してもらえない。そんなことはわかっていた。
「納得してくれんかな、俺はここの方が好きだし」
「まあ良い。取りあえず手伝ってくれるという君の言葉を信じる」
「ありがとう」
「私はアリカラーナ・ファウスト・イシュタル。よろしく、レギウス」
「──あんた、国王だったのか」
始まりは、こんな些細な会話からだった。
・・・・・
目の前に現れたのは全体を茶色にまとった、少し軽薄そうな背の高い青年だった。
「──アリス?」
「またか」
何度目かになる驚きに、アリスも思わず苦笑が漏れてしまう。しかしそれですべてを察したらしく、起きた青年、霜月は小さくあくびをしてから、ああ、と小さく頷く。
「びっくりした、他にも云われたの?」
「まあね」
「幾ら俺たちでも、忘れられない人って居るんだよ。特に最初となればね」
伸びをする彼にまるで緊張感はない。新しい主を見て人霊の反応は様々だが、彼は一段と軽かった。しかしアリスは、彼らとの関係を軽いものにはしたくない。かと云って、初代に頼るつもりもない。
「気持ちはわからないでもないんだけど……後でみんなにももう一度云おうとは思うが、私は今この時代に生きているアリス・ルヴァガだ。容姿や力が似ていようと、初代精霊召喚師ではまったくない。だからこの時代のアリス・ルヴァガとしてまた接して欲しい」
身体のあちこちを伸ばし終えた霜月は、今までの動作がすべて芝居だったかのように、大仰に頭を下げアリスの手を取る。
「──誓約します。霜月を司る人霊として、貴女に仕える所存です」
「……ああ、よろしく」
その手に落とされたのは、彼と同じ茶の輝きを放つ石。アリスの手にこれまで落とされた石の、最後の一粒だった。
祠を出た二人を出迎えたのは、ウォレンと長月だ。行くと云って聞かない長月は、最近アリスの意見も人霊の意見も構わず、とにかくアリスに仕えている。ウォレンは霜月を見ると、小さく笑う。
「久しぶりだな、神楽」
「そうか? 俺は寝ていただけだから、寝て起きたら目の前におまえが居るだけのような気がする」
「人霊たちにしてみれば、そんな一瞬のことなのだな」
自嘲気味に嗤ったウォレンの前で、突然霜月がその場に膝を折った。
「申し訳ありませんでした」
ウォレンは少し驚いたようだったが、すぐに表情を引っ込めて霜月を見つめていた。
「ルウラ・ルアの命令を守ることができず殿下を放り出してしまったこと、主と主の主を守れなかったことをずっと後悔していた。殿下の御身、ご無事で何よりでした」
「……ああ、ありがとう。おまえのおかげだ」
戴冠式の日、ウォレンと最後まで一緒に居たのは霜月だったと聞いている。彼が一番起こしたかったのはおそらく、霜月なのだろう。
アリスは人霊たちにもらった石を眺める。最初は一つ、二つとひとりで集めていた石が、ようやく全部そろった。ウォレンと共に集めた、大切な信頼の数だった。
「ようやく全員そろったな、アリス」
「……ああ、ウォレンも、お疲れ様」
「おかげで打つ手ができた、こちらこそありがとうアリス」
そう云って頭を下げるウォレンにアリスは戸惑ってしまう。最近ウォレンと一緒に居ることに緊張してしまう。それと同時に王都が近付いている事実に、身の上を思い知らされている。
アリスはウォレンの、臣下なのだから。
ずしりと心が重たくなったのを、アリスは気がつかないふりをした。




