第86話:かぞく
クドーバが探し当てた部屋に入ると、ルーク・レグホーンは当たり前のようにそこに居た。まるでずっと昔からそこに居たかのように、最後別れた時のように毅然とした態度でそこに居た。突然の闖入者にもちろん驚いた表情を見せたものの、すぐに誰だかを思い出してくれたようだ。
「……クドーバ、どうして君がここに」
「流れだよ、流れ。適当に流れていたら、ここに居た。それだけだ」
「君らしいなぁ」
そう云って微笑んだ顔に皺が刻まれ、ある程度の年数は経ったのかもしれないと納得する。そもそもルーク・レグホーンの顔なんて、ちゃんと見たことなど一度もない。ルークが王宮を追われた夜、初めて話したぐらいだ。
その時に、クドーバはすべてを決めたのだ。このルーク・レグホーンという男に、人生を賭けてみようかと。
「そういうおまえはどうしてここに居るんだ?」
「もちろん、シュタインを止めるためだよ。あれは使用してはならない」
淡々と語るルークに躊躇う様子はまるでない。ただ己がやらなければならないことを自覚しているだけなのだろう。
「僕は成果そのものに対して悔いたことなんて一度もない。術師がそろって居てもまかりならないことを補うために僕は禁忌魔法を作った。それは本当に僕の成果であり今後役に立つと信じている。ただ取り扱いを決めないまま放置して出てしまったことを、僕は悔いている」
ルーク・レグホーンは禁忌魔法を作ったことで、反逆の罪として王宮を追い出された。しかしそれは少し事実と喰い違っている。禁忌魔法の存在そのものは法術師の中で大きな議論となったが、それができたこと自体はそこまで悪いものではなかったのだ。ただそれを有効打と見たシュタインが、ルークを追い出すための口実として使用した。当時ルヴァガ家の娘と結婚して旗色の悪いルークは、他の法術師や召喚師からも煙たがられ、死刑判決間近まで来ていたのだ。
だから禁忌魔法に対して何も決定しないまま、彼は王宮を去るしかなかった。その脱出の手伝いをしたのが、クドーバである。
「……おまえらしいな」
「生きて王宮を出られて、君には感謝しているよ」
「しぶとく生きて居るとは思いもしなかったが」
「しぶといよ、僕は。二人分生きなければならないからね。リィスと、リーシュカのために」
「……なぁ、リーシュカも、居ないのか?」
ルークは誰もが疑問に思っている事実を語る気はないらしく、小さく肩を竦めるだけだった。クドーバも実はそこまで興味があるわけではない。久しぶりに会う友人への、軽い質問だった。
「なんだか、旧来の友人のような会話だね」
「あ、俺も思った。腐れ縁みたいな会話してるなって」
実際会話をかわしたことなどほとんどない二人は、しかし既に固い絆で結ばれていた。あの時と同じだ。ルークが逃げて来た先でそれを止める命令を受け待っていたクドーバ。彼に気付いたルークは歩みを止めた。
──死ぬ前に、二人を助けに行きたいだけなんだ。ローゼン子卿、通してくれないだろうか。
守人ローゼンの息子ぐらいにしか思っていなかったクドーバに、ルークは莫迦正直に云った。まるで少し前の自分を見ているかのようだった。妻を救いたいが故に奔走する自分は、しかし途中で諦めてしまった。だからこそつまらない法術師の中でくすぶっていた。そんなクドーバに、彼は眩しかった。
──ちゃんと守ってやれよ。あっちに召喚獣を用意しておいた。
だからそんな風に、道を作ってやっていたのだ。その理由を、20年経った今も、ルークはやはり尋ねようとしない。やっぱりこの男に付いて来て良かったのだと思えた。
──私クドーバ・ローゼンは、守人調整者ルーク・レグホーンに忠誠を誓う。さぁ行け。
「で、あんたは約束、守ってくれるのか」
「……当たり前だ」
「そっか」
長年引っかかっていた場所に、ようやく戻れる。本当ならいつ狂ってしまってもおかしくはなかったのだが、この男が居たからクドーバは狂わずに済んだ。この男なら、シュタインによって大事なものを失いながらも、必ずこの場所に戻って来ると信じられた。理不尽なものには理不尽だと云い返せる強さを持つこの男を、世の中が間違っていると正せるこの男を、クドーバはずっと待っていた。この男が居なかったら、クドーバは法術師に絶望し、トップに刃を向けたまま死んでいただろう。
だがその反逆の芽を生ませなかったのは、この男のおかげなのだ。
「残り少ない生涯、おまえに預ける。よろしく頼む、ルーク」
「そんな簡単に決めて、本当に良いのか」
「簡単じゃあねぇよ。割と長かった」
もちろん、ルークにしたらクドーバは変人だろう。会話すらしたことのない男に、20年経っても忠誠を続けるというのは不可思議な行為である。加えてルークは、クドーバの事情を何も知らない。婚約者が先の戦で大勢の法術師を殺した召喚師の娘であったことが発覚し、婚約を取り潰されたという顛末までだったら、ほとんどのものが知っているだろう。
だがその後、婚約者が捕縛されていたことや、釈放された後に結婚したことや、長年の牢獄生活が原因で妻が死んだことなど、ルークは何も知らないはずだ。そういった事情を知らずに、ルークは頷く。
「わかったよ」
正しいことを貫き通して結婚し、狙われた妻たちを守るために脱走したこの男が居なければ、きっとクドーバはシュタインを殺していただろう。それほどまでに憎い相手だった。
「それで、君は殿下と話をしたのかい」
「ああ、もちろん。ある程度の話はね。そうそう、アリス・ルアとはいったい何者なんだ、ルーク」
「……アリス?」
表情の変わり難い男が珍しく、少しだけ眉をしかめる。それだけアリス・ルヴァガという存在が、彼の中で大きなものなのだとわかる。リーシュカ・ルヴァガそっくりの、彼の宝であるルヴァガ姉妹にそっくりの、新しい精霊召喚師。
「あの殿下がいたくご執着みたいだから、結構驚いたんだが」
「ああ……、そうみたいなんだよね。僕も驚いたよ」
「流石だな、殿下をまるっきり変えてしまったわけか。いつかのリィス・ルヴァガのように」
「クドーバ」
「はいはい、失礼しました」
からかわれたことに対するお説教かと思えば、ルークはかぶりを振ってじっとクドーバを見つめる。その瞳は王宮を出た時と変わらない、力強いものだった。
「──シュタインを止めたい、協力してくれるか」
「ああ、もちろんだ」
・・・・・
恐縮ですがとルークに頼まれ、彼らは夜その部屋に集められた。ウォレン、アリス、ルーク、セナ、師走の5人だけだった。アカギ・スズガに関してはひとまず客人として留まることを許可し、セナに担当を与えた。彼はアリスに会えたことでひとまず満足したらしい。
「まさかあんな外から爆弾を持って来られるとは思いもしませんでしたよ」
ルークは力なく笑うが、その冗談に誰も笑うことができない。
「やることがリィスらしいね、あの人は本当に──」
アカギ・スズガが持って来た「リィスからの依頼」に、ルークは諦めがついたように「私事ですが必要があればお話します」と少数を呼んだのだ。あくまで関係者だけに留めたのは、まだ公にするつもりがないからだろう。
しかし改めて聞くとなると、ウォレンは王太子と云えど部外者である。ここに居て良いのか少し悩みながら、ルークを見遣る。
「ルークさん、良いのか?」
「ええ、ずっと黙っているのも疲れますからね。アリスには簡単にしか教えていませんから、いつか話さなければならないことでした。それに」
ちらとアリスを見てから、ウォレンを見遣るルークはほんの少し意地の悪い笑みを浮かべる。
「今後の殿下も、それを望んでいますよね」
「……まぁ」
ルークから云われると居心地悪くなるものの、確かにアリスについては知りたいと思っていた。それは事実だ。
ルークは軽く頷く。
「説明も何もなく、簡単な話ですよ。アリスは僕の娘です。僕とリーシュカの、大切な娘だ」
「リーシュカさん?」
「ええ、私の妻は姉のリィスではなく、妹のリーシュカです」
「リィス・ルヴァガが貴方と結婚し、リーシュカ・ルヴァガは国外へ出たとなっていたはずだ」
それが今まで世の中に周知されていた事実だ。リーシュカは国外に出たと聞いていたから、アリスの安否を気にする者は彼女しか居ないと思っていた。しかしスズガの口から出た名前はリィスである。そこがそもそもの混乱のもとであった。ルークはウォレンの混乱を理解してくれているようで、小さく頷く。
「おそらくアリス・ルヴァガとだけ聞いたら、すぐあの時の子どもだとみなさん断定できたでしょう。でもそのアリスはリーシュカに驚くほど似ていた。それだけのことで、国外に出たリーシュカの娘ではないかと勘違いするようになり、断定を避けるようになってしまった」
「そうか……」
アリスが国外に出たリーシュカにそっくりだったことが、確かに困惑の原因であった。それさえなければ、ルーク・レグホーンとリィス・ルヴァガの子どもだと断定していただろう。しかしルークが驚くと云うほどに、アリスはリーシュカに似ていた。
最初から話しましょう、とルークは姿勢を正す。
「リィスは昔から、アリカラーナの外に出たがっていました。しかしリィスは類まれなる力を持っていて、陛下から許しが出ず外に出ることはできなかった。そんな折、仕事で少し失敗をしてしまったリィスを助けるために、リーシュカが交換を申し出たんです」
──私はアリカラーナに居るから、姉さん、外に出て。
リーシュカ・ルヴァガは表向き国外へ逃げたことになり、リィス・ルヴァガの名前でルークはリーシュカと結婚した。当時はそうすることしかできなかった。
「リィス・ルヴァガという名前は結構な悪名として広がってしまいました。一方で、私とリーシュカの婚約は、誰も本気で聞いてくれなかった。だから相手がルヴァガの娘であることしか、誰も認識していませんでした。悪名と共に法術師と結婚するどうしようもない娘として、リィス・ルヴァガの名前は悪いものになっていきました。それでもリーシュカは、外に出したリィスを守るために、名前を変えませんでした」
結婚後まもなくアリスを授かったが、当然誰もがその子どもを危険視呼ばわりする。召喚師と法術師の子どもなど、生まれてはならない。そんな批難を淡々と語るルークに、アリスは少しだけ顔をしかめたが、発言することはなかった。彼女はこの部屋に来てから、一言も発していない。まだ自分のことだと飲み込めていないのかもしれない。
「これ以上王宮には居られないと、リーシュカは身重のままアスルに移住しました。
私はと云えば、当時禁忌魔法と呼ばれるものを作り出し、その件で揉めていました。僕が当初緊急魔法と呼んでいたものです。普段使ってはならないものですが、国に著しい影響を与える緊急の場合のみ使用するべきだとして私は提出しました。納得してくれる者も、反対する者も居ました。緊急魔法自体にはその時、問題がなかったんです」
まだその時は、とルークは主張する。
「緊急魔法の使用を巡って対立する中、シュタイン卿はそれを使用する必要性が出たようです。私が召喚師と結婚したことで旗色が悪いところに、禁忌魔法という危険なものを作り出した男として法術師から追放しようとしました。そうして表向き、あの魔法は使用してはならないものだということで、禁忌魔法と名付けられたのです」
「その時からシュタインは、今回のように禁忌魔法を使おうと目をつけていたのか?」
「それはわかりません。ただ現状、そうして利用されています」
悔しそうにするルークの気持ちはよくわかる。死してなお使われているカルヴァナを思い出させ、無力感が強く感じられた。
「私はこのまま法術師をやめることはできないと、王宮から逃亡しました。アスルへ逃げてリーシュカたちと合流し、カルヴァナ家の世話になったのです。既にお尋ね者になっていて、周囲でも私たちに加担したものたちが次々と捕縛されていましたが、どうしてこんなにも否定されなければならないのか、私たちは納得できなかった。申し訳なさはありましたが、術師同士でいがみ合うのをやめて欲しかった」
法術師と召喚師の諍いであった術師戦争はあくまで休戦という形で456年に終わっている。今からもう50年近く前のことで、ルークが王宮に居た時にも時はだいぶ流れていた。しかし彼ら術師間にはまだまだ深い溝があった頃だったのだ。あくまで休戦という形で終わっていることから、まだすんなりと争いが止められていなかったのだろう。
ルークはアリスに視線を向けると、壮絶な話をしているとは思えないぐらい、にこやかに微笑んだ。
「アリスが生まれて、なおさらその思いが強くなりました。確かにアリスは、生まれてすぐ法術が仕えるほどの力の持ち主でした。でも僕とリーシュカの大切な子どもが、どうして世の中から否定されなければならないのかわらからなかった。アリスの存在だけは、守らなければいけなかった。誰に認めてもらわなくても構わない、ただ彼女が術師同士の的になることだけは、避けなければならない。それがリーシュカと僕の、願いでした」
子どもの存在を、無事を認めて欲しい。術師とか関係なく、ただそう願う親の気持ちだった。
「法術師も召喚師も、僕たちの子どもがどうしているかを気にしていました。ただそれは、法術師の子どもとしての力と、精霊召喚師としての力でした。僕たちはアリスを立てるのなら、法術師と召喚師が協力して欲しかった。それなのに彼らは、自分たちの益になることだけを考えていた。だからリーシュカは、隠れているしかできなかった。僕も表立って出ることはまだできなかった」
アスルが攻撃されたのは、そんな折だったという。
「攻撃されたのは唐突のことでした。アスルをまるごと破壊するかのような攻撃で、その時にリーシュカは亡くなりました。当時私を護衛してくれたのが、時期アティアーズ当主とされていたセナです。おかげで私とアリスは生き延びることができた」
「レグホーン卿、そこまで云わなくても良いでしょう」
いつものように影のごとく存在感を消していたセナが、あくまで下手に発言した。しかしルークはセナを逃さないとでも云うように、その強い瞳で彼を引き止める。
「僕は全部話すと決めたんだよ、セナ。君のおかげで、僕とアリスは助かったんだ」
「……いえ、ルアが助かったのはおそらく、ご自身の力です。あの時の私はまだ未熟な子どもで、クレナイとして初めての仕事だったのに、対象を守ることができずリーシュカ・ルヴァガを死亡させてしまった。そう認識しています」
セナにしては珍しく、感情のこもった声で悔しそうに語った。当時のセナと云えば8歳である。その時にクレナイとして請け負った仕事が、リーシュカたちの護衛だったと云う。
「私は留守にしていて戻って来たらアスルは破壊されていた。戻って来た私を待っていたのは、死にかけの妻と、泣き喚く娘、そしてカルヴァナ家の方々でした」
「ではあのアスルの崩壊というのは……」
20年近く前、犯罪者が居るとのことでアスルの一部地区が戦火になったことはウォレンも知っている。それはルークからすれば、一方的な攻撃でしかなかったのだ。
「シュタインがアスルを攻撃したのは、表から見れば問題のない行為です。犯罪者が居て出て来ないために攻撃した。本当の狙いはおそらく、僕ら家族全員を殺害するつもりだったのでしょう。ただ運悪く僕が居ない時で、リーシュカだけが犠牲になった」
アスルを攻撃したのは見せしめだったのかもしれない、とルークは云う。ルークが逃げ続ける限り、誰かが犠牲になるという、シュタインからの脅し。
「私が居る限りシュタインはおそらくずっと追って来る、アリスにまで危険が及ぶ可能性がある。アスルにも僕らを歓迎しない人たちが居るからこそ、これ以上の危険は避けたかった。アリスをアスルに残し、私は身を隠すしかありませんでした。カルヴァナ宰喚にすべてを託して」
「ではすべて、カルヴァナが守ってくれていたんだな」
「ええ、彼には甚大な恩があります。──あんなことをされるなんて、許されることでは……」
これまで淡々と話していたルークの声すら尻すぼみになる。
これ以上法術師を勝手にしてはおけないと、自害をしたカルヴァナ。彼のおかげでアリスという新たな精霊召喚師が現れ、打開する策が生まれた。そんなカルヴァナの遺体が、法術師の禁忌魔法によって使われている。ウォレンは時折彼の存在を思い出す度に、なんとも云えない悔しさと悲しさが湧き上がって来る。どんだけ悔しい思いで居るのだろうと、彼の無念を考えてしまう。
それで、とルークは今度、セナに話をふりかける。
「リィスはとんでもないところに居るようだね、セナ」
少しだけ苦い笑みをこぼしたセナは小さく頷く。
「リィス・ルヴァガさんはアリス・ルアが生まれた頃、東雲国のアカギ国王とご結婚されました。奥様を亡くし意気消沈していたキングをを支えてくださったのです。そのキングと前妻の子が先ほどのスズガです。リィスさんはスズガにとって、義理の母になります」
「まさかリィスが国王と結婚なんてね」
「想像もしませんよね」
ルークの感想にセナも微笑む。
「リィスさんはアリス・ルアの存在が気にかかっていたのでしょう。私がお会いしたお時には特になにもおっしゃっていませんでしたが、ここ数年私も向こうと連絡が取れていなかったので、こうした手段に出たのだと思います」
セナはお騒がせして申し訳ありませんと莫迦丁寧に頭を下げる。アティアーズ家で幽閉されていたことをまだ悔やんでいるのが口調から窺えた。おそらく彼にとっては最大の屈辱であっただろうことをわざわざ話すのは、こうした混乱を持ち込んだのがアカギ家のものだったからだ。セナにとってアカギ家は家族同然である。むしろ生家であるアティアーズよりも懇意なのではないだろうか。
「アリス・ルア、混乱されるのも無理はないと思いますが、リィスさんは貴女に会いたがっていました」
話の中心だと云うのに黙って聞き役に徹していたアリスが、え、と小さく声を出す。
「できることなら、貴女の安否を心配している方が居ることを知っておいて欲しいと思います」
「偉そうには云えないけど、アリスにも家族が居ることを知っておいて欲しい」
困惑した顔を隠せないアリスに、ずっと黙っていたことを謝罪した上で、二人はそんな風に話を締めたのだった。




