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精霊物語─王国の目覚め  作者: 痲時
第14章 忠臣の儀
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第84話:壊れない贈物


 楽に終わるはずだ、と見栄を切った。


 幼い頃から見栄を切るのはしょっちゅうであった。それは優秀な兄を二人も持った所為なのか、とにかくいつも、見栄を切った。しかしそれはたいてい冗談としてとらえられ、仕方のない子ですねぇと笑われた。そのことが悔しくて、剣の道を始めた。それも既に兄二人がやっていたことではあったが、どうにか自分も立派な子どもとして認めて欲しかったのだ。上の兄はどうやら剣を途中で断念したが、下の兄はいつだって剣では一番だった。


 俺はいつしか、シャルンガー兄上を越える。というのが、最初のでかい見栄である。


 しかしその壁はでか過ぎて、レイシャンには越えられなかった。




 三壁と呼ばれる安寧王の長男、次男、三男だが、実際のところ、それはかなりの努力から生まれた、大きな大きな代償の上に成り立ったものである。そのことを誰も知らないと、レイシャンは思う。結局シャルンガーに勝てたのはたった一度きりで、それ以降記録が更新されることはなかった。レイシャンはアリカラーナになる兄と、おそらくガードになる兄を見て、自分も何かしてみたいと深々思ったのである。


 今まで見栄を切るために何かをしていた。だがしかし、自分の意志で何かをしたい。そんな風に思えるようになったのである。

 三壁と呼ばれるだけあって、どうやらまとめて見るらしく、上の兄も下の兄も根が真面目だったから、レイシャンもそう思われている節がある。だがしかし、レイシャンはまるっきり普通であったのだ。ちょっと兄よりも認めて欲しい、例に漏れずわがままな3番目の子ども。

 それから遊びをすっぱり止めて、ラドリーム城にこもった。ラドリーム城に行ったのはほんの偶然で、そこの城主はよぼよぼのじいさんであった。こんな人がこの城塞を守ることができるのかと、幼いレイシャンですら不安に思ったほどである。しかし彼は、多くの人に慕われ、支持されていた。そしてレイシャンも、少なからずそんな彼に惹かれて、そして彼も認めてくれ、こうして城主となったのだ。





 城主となった日から、レイシャンは城を守ることばかりを考えて来た。だから今回久しぶりに、それ以外の守るのを思うと、新鮮な気持ちで少々気が高ぶった。

「卯月様、大丈夫ですか」

「……そろそろ、まずいかもしれない」

 卯月は正直に答えた後、だがしかしまた力を集め始める。

「守りだけだと、きついよね」

「ウォレンも無茶を云うよな」

 聖職者の動きはばらばらであった。その中で今トップに立つリューシャンは、一人だけ地面に座ってずっと目をつぶっていた。彼だけが、攻撃を仕掛けて来なかった。

「来た」

 その彼が突然呟いて、立ち上がった。何事かと彼を見つめていたが、それよりも先に、立ち向かって来ていた聖職者が突然動きを留めたのだ。


 レイシャンには何が起きたのかわからないままに、聖職者は突然攻撃をやめた。卯月も警戒していたものの、少しずつ守りを緩めている。


「エリングトゥラス卿!」

 その緩まった守りに、聖職者の中から向かって来たのはルーンである。最初は警戒した卯月だが、表情を見て大丈夫だと悟ったのか、特に何もしなかった。

「──殿下は何所に?!」

「洗礼を済ませるために、先へ行ったんだ。しかしおまえ、もう大丈夫なのか?」

「じゃあ無事、洗礼が済んだのですね」

 清々しい笑顔で、彼は云う。自我を失っていた彼のほうがすべてを知っているようで、レイシャンとしては説明を求めたい。

「バックボーン宰聖」

 しかし説明してもらいたいリューシャン・バックボーンは、呆然としているばかりだ。

「バックボーン宰聖、どうなさった」

「──エリングトゥラス卿。失礼ながら、私はもう宰聖ではない」

「え?」

「枢機卿のままで、お願いしたい」

 ずっと自我を保っていたリューシャンも、既に元に戻ったようではあるが、以前よりも呆然として虚空を見ている。そんな養父を、ルーンは訝しげに見つめる。

「何を云っているんです、リューシャン。まだ何所かおかしいのでは?」

「ルーン……そうか、おまえはそのすごさを知らないのだったな」

 ぼんやりと空を見ていたリューシャンは、まるで憐れむように、しかし何所かほっとしたようにルーンを見つめる。


「カージナカル卿が、目覚めました」

 その名にレイシャンも、ひゅっと咽を鳴らしてしまった。


・・・・・


 先日アクラを呼び出したのと同じ時間、城は違うが中庭に同じく呼び出されたウォレンは、なんの迷いもなく向かった。洗礼の儀式である禊を終えてから各地の様子を確認するのにばたばたとしていて、あまり話す時間はなかったのだ。

 前回とは逆にアクラが先に待っていて、ウォレンを見つけるなり頭を下げて来た。

「──ウォレン様、申し訳ありません、呼び出したりして」

「構わない、おまえも疲れているのに」

「ウォレン様よりは疲れていませんよ」

「……疲れているように、見えるか?」

 そういう風に見られているのは問題だ。しかしアクラは自分で云っておきながら疑問を持ったらしく、少し考え込む。

「疲れていると云うより、そうですね。戸惑い……ですか」

「大当たりだ、流石だな」

 云われた通り、ウォレンは戸惑っていた。太子宣下をされたときにアリカラーナという存在を知り、ウォレンはその生き様を否定した。否定しながらもガーニシシャルと繋がれるその存在に焦がれてもいた。どっちつかずのままにガーニシシャルは死去し、ウォレンがその存在を継ぐことになった。アリカラーナにならなくて済む。それが法術師の謀反のときに、頭を過ぎらなかったかと云えば嘘になる。確認したいことがあって脱走したのも事実だが、アリカラーナになることを恐れていたのも事実である。


 だからこうして自然とアリカラーナになる洗礼を受けられたことには動揺している。

「俺が戸惑っているのは、洗礼主になったことに対してではなく、洗礼主になることをあっさりと認めた自分に戸惑っているんだ」

「……ウォレン様はやはり、陛下を継がないのですか」

「もちろんそれも考えた。だがそれ以外でこの国が存続できる方法は見つけられなかった。アリカラーナになると決めたからには、継がなければならないだろう。そうだな。考えるとその度に悩んだが、やはり聖職者をあのままにはしておけないから、おまえにも助力を頼んだ。そう思ったら洗礼主になるのは手段で、躊躇いもなかったな」

 ウォレンはアクラの正体を、出会ったばかりのときに教えてもらった。なぜ話してくれたのかはわからないが、彼なりにウォレンを信じてくれた結果だと思う。そんな彼の望みは、拾ってくれたギルドの土地カームを守り、静かに暮らすことで、決してカージナカルとして叩頭されることではない。


 そんな彼を引きずり出してしまった。

 そう思うと、自然と頭が下がった。

「──ありがとう。おまえが居てくれなかったら、聖職者を助けることなど不可能だった。本当に感謝している」

「やめてくださいよ、ウォレン様。まぁ、恩返しをたくさん戴きませんとね」

「おまえは何を望むんだ?」

「そうですねぇ、考えておきますよ」

 どうやら冗談で云ったらしく、困った風に力なく笑った。アクラはそういう男だ。もちろん今後彼の前に現れる騒動に対して助力はするが、それ以外にもできることはしてあげたい。



「それで、話とはいったいなんだ」

「──あの、少し悩んだのですが、やはりお伝えしておきます。アリス・ルアはやはり、術師同士の御子で未だ法術も使えます」

 わかっていたことだからおどろきはなかった。どちらかと云えば、アクラがなぜ気が付いたのか、そちらのほうが重要だ。

「セナから聞いて、彼女が初代精霊召喚師と同じく、増大な力を持ってして人霊以外をも呼び出せることは知っております」

「なぜ、そう思った」

 ルヴァガと云えばある程度予想は付く。だがそれで法術が使えることまでは確実にわからないだろう。あくまでも予想だ。ウォレンもアリスからそのことについては詳しくは聞いていない。おそらくあの時のルヴァガの子どもだが、本当にルーク・レグホーンの子どもだと決定づけてはいなかった。

 あくまでの予想を、アクラがウォレンを呼び出してまで伝える必要はない。確信を持って伝えようとしたのだ。


「……さっきの、禊でのことです」

 その答えに、ウォレンは目を細める。ウォレンはただ、立っていることしかできない歯がゆい儀式だった。信じると云った手前、踏ん張るジーマンにも、吹き飛ばされるアリスに、何もしてやれなかった。ただそこに立ち、みんなを信じることしかでかなかった。

 無事に禊は終わったが、もうこのようなことはしたくない。

「ルアなら絶対に勝てるであろうとは思っておりました。だから正直、油断もしていたのです。ルアは簡単に勝てるというのに、最初からまったく攻撃する気がなかった。何をしているのまったくわからないまま、いきなりあの強大な攻撃です。その時見えたんです。倒れたのは召喚師と法術師でした」

「あれは確か、他の術士は干渉できないんではなかったか?」

「はい、ジーマンはマンチェロと互角に戦っていました。いきなりルアが力を放出した途端、マンチェロが倒れたのです。その隣に居た召喚師も共に。それはつまり、ルアが両方に力を加えられるからに違いありません」

「──アリスは、気付いているだろうか」

「……わかりません。今回ご自身がしたことに、気付いている様子はありませんでしたが、おそらく法術を使える自覚はあるでしょう」


 アリスの法術の力はもちろんだが、最初まったく攻撃する気がなかったというのも気にかかった。

「アクラ、その召喚師、誰だかわかったか?」

「あれは全員影しか見えませんよ。気で何の術師か見通すだけですから、僕がやる前に云ったのはあくまで予想です」

「──そうか」

「どうか、なさいましたか」

「アリスは相手と、話していた気がするんだ」

「……確かに、何か発してはおりましたね」

「俺の思い過ごしだったら、良いんだがな……」

 ダーク・クウォルト。やはり出て来たのかもしれない。


・・・・・


 今日も星が綺麗だ、と空を見上げるのが習慣になったのは、いつからだったろうか。 おそらくウォレンと再会して、共に夜空の下で話し始めてからだ。真似をしているわけではなかったが、気が付くと、外の空気と空の星を求めて屋上へ登っている。


 今日は特に、外の景色が恋しかった。


 高いところから眺める、ここからの景色が。


 このロームの領地から王宮は、とてもよく見える。

 それだけに王宮が近い場所のように感じられる。王都下町から大河の向こうに見える、無人のハーレントゥラスの領。流石に暦門やイシュタル門は見えないが、先にある強固な門を想像して、その中にあるサファイア城とイシュタル城を見つめて、アリスはほうと溜め息を吐く。


 あんなにも近い。近い距離に、ダークは行ってしまった。


 ──また、来る。

 ダークはそう云って、アリスの元から消えてしまった。彼が来ると云うからには、必ずここに来るはずなのだ。それがなぜ、あんな場所に居るのだろうか。


 ダークはもう、アリスを見捨てたのだろうか。アリスから見捨てたと云うのに、そんなことを思って少し淋しくなる自分が嫌だった。



 扉の開く音がして振り返ると、多忙そうだったウォレンが現れた。禊の後ウォレンに変わったところは見られないが、各地で不可思議な行動をしていた聖職者たちが元に戻ったという。残して来た卯月からも連絡が入り、時期に戻ると知らせて来た。つまりウォレンは無事に洗礼主というものになったのだ。


 その洗礼主は外へ来ることが目的ではなかったようだ。アリスを見つけるなりやっぱりここかと声をかけて来た。

「疲れた顔をしているな」

「……少しだけ」

 アリスにしては珍しく、正直に答えた。それだけダークのことが気になって仕方がなかったのだ。迎えに来てくれると約束し、実際来てくれたダーク。それを追い払ったアリス、また来ると云ったダークは、敵側からアリスを誘いに来た。

 一緒に来い、と。

 そのことがどうして重たい。そしてウォレンを見ていると、その気持ちはますます募る。当然そんなことなど知らないウォレンは頷いて話を続ける。

「無理はしなくて良い。疲れているのなら、また今度で良い。──だが、アリス。俺のために、少しだけ時間を割いてくれないか?」

 真剣でやや慎重な口調に、アリスは小首を傾げる。

「どうかした? 私はまた、何かやらかしたか」

「そうじゃない。ただ、おまえに訊きたいことがあったんだ。時間を取れるか」

「今ウォレンの都合が良いなら」

「ありがとう」

 ウォレンはまたしても狭間に座る。危ないと思ってはらはらしていた頃が既に懐かしい。今では止めることもなく自然とそれを受け入れてしまう。



「アリス、俺に何か、アリス自身のことで、黙っていたことがあるか?」

 ひゅっと咽が鳴った。

 それと同時に、黙っていたことを思い出す。


 ──どうしても、知られたくなかった。

 騙すつもりはなかった。ただ、知られて欲しくもなかった。だが黙っていたのはどちらにしろ同じで、アリスに云い訳する権利などない。

「……ある、よ」

 アリスはそれだけを、息と共に吐き出した。ウォレンと対面して、緊張したのは随分と久しぶりだった。

「そうか」

 しかしウォレンは、それだけ云って、問いただそうとはしなかった。すっと視線を逸らして、そのまま真っ直ぐに、遠い王宮を見る。それからかぶりを振ってまたすぐに目を逸らす。 アリスを見る桔梗の瞳が、揺れ動いている。その瞳が揺らいでいることに、 アリスは内心で驚き、そして釘付けになる。


 いつでも強い目をしていたウォレンの瞳が、こうもわかりやすく動揺している。


「邪魔して悪かった。今日はありがとう、ゆっくり休むと良い」

 ウォレンはしかし、いつもと変わらぬ口調でアリスを労ると、そのまま背を向け扉へ向かった。 アリスはウォレンの目があったところを見たまま、ようやくにして口を開く。

「私は、法術師と、召喚師の、娘だ」

 ぴたりと、ウォレンの足が止まった。振り向こうとする彼の目を見ていられず、アリスは行き場をなくした視線を、そのまま下に落とす。

「召喚師学校に入るため、もう法術を使わないことを約束して召喚師の勉強をしたが、魔力だけ凄く強く根強いていた所為で、教官にばれてケーリーンの連中にも伝わった。アスルに居られたのは、一度法術師に引きずり込まれた時に養母が追い出してくれたからで……」

 思い付くままに話していたアリスはそこでようやく、顔を上げる。思ったとおり、ウォレンはじっとアリスを見つめていた。あの桔梗の瞳で、じっとアリスを見ている。

「──何か、考えていたわけではないんだ。ただ、ウォレンには、知られたくなかった。理由はない」

 セナに云われた時、直感でそう思った。

「ずっと召喚師学校に通っていられた。それでも召喚できなかったから、だから精霊召喚師になれたのは凄く、なんて云うか、うまく云えないけど、嬉しいというか、その……充実、してる」

 嬉しいとか、誇らしいとか、そういった気持ちとはかけ離れていることだけは確かだ。だから今さら、召喚師でなくなってしまうことは嫌だった。



 ウォレンはこつこつと音を鳴らしてアリスのもとに戻って来る。目の前に感じるその存在は、次期アリカラーナ。

「アリス」

 怖かった。だがウォレンは、

「話してくれて、ありがとう」

 そう云って微笑んで、アリスに向かって右手を出した。大きくてそれでいて少しばかり堅い、剣士特有の手。初めて会った時も、そういえばこの手を見つめた気がした。その後その手に少しだけ触れた。だがその後「エース」は触れなかった。


 アリスはそっと、その手を握った。するとウォレンのほころびが、また深くなる。

「事情が、変わってしまったな。慎重だった今までの自分に安堵したと云うべきか」

「ウォレン?」

「……ああ、悪い」

 ぶつぶつと呟くウォレンは、自然な笑顔を返す。

「良ければアリスの話を、もっと聞きたい」

「私の話? 特に話せることなんてないけど……」

「そんなことはない。俺は昔のおまえをよく知らないから知りたい」

「そんなことを云ったら、私だって知らない」

「どうせセナから聞いているだろう」

「どうせエリーラから聞いているでしょう」

 さっきまでの恐怖は何所へやら、気が付けば旧友のような会話を繰り広げている。


「──俺はアリスから、聞きたいんだ」

「じゃあ、ウォレンも話してくれるの?」

「……俺も特に、話すような楽しい話はないんだがな」

「それで良いんだよ。辛いことがあったなら、そっちの方が人には話し難いだろう。だけどそういう話こそ、他人に聞いてもらいたかったりする」

「……そうかもしれないな」

 ウォレンは長居すると決めたのか、いつものように上着を外すと、下に敷いてアリスを手招く。ウォレン自身はまた狭間に座り、またぼんやりと星を見る。すっかりお決まりになってしまっているこの体勢もそろそろ改めなければと思うが、今日ばかりは甘えさえてもらって、アリスは大人しく絹の上に腰を下ろす。

「ちょっと気になる話もあったな。ケーリーンに引きずり込まれた、というのは」

「あれは……バーバロが」

「バーバロ……、トルンダ・バーバロか」

「バッカスと一緒に乗り込んで来て、法術師になれと云われたことがある。その時に少し、もめたんだ。養母が助けてくれなかったら私はきっと……」

「だから大河に飛び込んだのか、忘れたとは云わせないぞ」

 からかうように云うと、ウォレンはくつくつ笑う。しかしその顔には何所かしら不安が見て取れる。

「あれは俺も、生きた心地がしなかった」

「──ごめん」

「謝る必要はもうないさ。今はバーバロも、ケツルム城の城主だったな」

「昔は違ったのか?」

「ケツルム城はどうにかしないとならないとは思っていたが、それよりも先手を打って、必ずバーバロ家が手出しをして来る。トルンダは50近くなって父から城を譲り受けたが、それ以前は王宮法術師だった。アリスにはだから、興味があったんだろうな」

「どういうこと?」

「アリス、おまえは、魔力が強いんだったな」

「──特に練習することもなく、平気で魔法を使えた」

「そうか……やはり、そうなのか」

 ウォレンは納得したように頷いたが、その後に続く言葉はなかった。ウォレンは知っているのだろうか。アリスがルークの娘だということを。しかし法術を使えたとしても触れて来ないということは、それよりも複雑な事情があるのだろう。



 アリスはこの城塞よりも高くそびえるイシュタル城を見つめる。その中にあるひとつの城を目指していたダークは、今何所に居るのだろう。


 あんなに近くに居るのに、会えないのだろうか。

 ダークがどうやって強固なイシュタル門に入ったのかは、わからないまま。



「まぁひとまず、お疲れだったな、アリス。またゆっくり話そう。聖職者たちも戻って来てくれるから、慌ただしくなるぞ」

 聖職者と聞いて思い返すのはやはりルーンの存在だ。短い時間ではあったが一緒に行動することが多かったルーンは、突如ウォレンに襲いかかった。彼かそんなことを自分の意思でしていないことぐらいわかっている。だからこそ、聖職者の帰還は嬉しいことだが、同時に思い出さなければならない。


 ──あのね、アリス。俺は君のことが好きだ、一人の女性として。

 ルーンに云われたその言葉を。

 ばたばたとしていてというより、本人が居なかった分、考えることもなくここまで来てしまった。あれは本当に現実だったのかなどと思ってしまうが、流石になかったことにするのは失礼だ。


 しかしアリスはまだ自分がそういう対象にあるなどと、考えられない。帰ろうとするウォレンに、そういえばとついでに訊いてみたくなる。


「そうだ、ウォレン。求婚された時に、受ける場合って、どうするんだ」

 既に狭間から降り扉に向かいかけていたウォレンは、驚いたように足を止め、振り返った目は大きく見開かれている。

「ま……まさかあいつに求婚されたのか?」

 その動揺っぷりに、アリスのほうが驚いてしまう。すっかりウォレンは知っているものだと思っていたが、そういえばきちんとは話していなかっただろうか。

「だってウォレン、訊いて来ただろう。ルーンのこと」

「ルーンだって? いや、ルーンにしろ求婚とは聞いてない! なんだあいつは貴族みたいな真似をして! しかもアリスはそれを受けたいのか!」

「ち、違うよ! 断る方法しか、聞かされなかったから、気になって」

 突如怒り出し意図せぬ方向に話が進んでしまって、慌ててしまう。そんなアリスにウォレンは突如近付くと、そっと頬に手を添えて来る。さっきまで険しかった表情がふと和らぎ、そっと身を屈められる。


「ウォ、レン?」

 突然の至近距離に驚いているうちに、ウォレンの顔が近付いて額に口づけられた。

「こうするんだ」

「──な」

 ウォレンの顔が眼前に来て、そこでようやく、驚きから恥ずかしさが沸き上がって来る。

「ウォレ、今、な……!」

 ウォレンはアリスに構うことなく、そこに跪いてアリスの手を取り口づける。

「最愛なる貴女が、笑顔の元暮らせるよう誓約致します」

 アリスは突然のことに、何も云えなくなってしまう。

「求婚者は女性の手を取りその手に忠誠を誓い、女性は託すと云う意味で額に口づける。その後は男が女の手を取って、今度はお互いに忠誠を誓う」

 言葉は聞いていたものの、理解できるほど頭は回らなかった。

 わざわざ行動を起こしたウォレンを見て、胸がざわつくばかりだ。その桔梗の瞳はアリスの思考を固めてしまうほどに惹き付けて来る。ウォレンは動かないアリスを見て、笑いながら立ち上がる。

「まあ毎回こんな儀式をやっていたのでは女性が不憫だからな。それはあくまで、お互いがよく知っている場合にのみやる儀式だ。つまり友人から恋人へ、恋人から夫婦への儀式と云うことだな。縁談ではまずやらない」

「そ、う」

 懇切丁寧に教えてくれるのはありがたいものの、アリスはまだ緊張やら恥ずかしいやらでそれしか返答できない。

「アリス?」

 動かないアリスを流石に不審に思ったのか、ウォレンが手を伸ばす。それにびくりと反応してしまう。

「アリス……」

「あ、ごめん」

 云いながら、俯いてしまう。きっと今、顔が真っ赤だろう。見られたくなかった。部下の分際で、主に対してこんなにも意識してしまっていることが恥ずかしい。

「アリス」

「ちょ、待って、見ないで。恥ずかしいから、その」

「今の、効いたのか?」

「……だいぶ」

「そうか、男としてそれは誇らしいな」

 ウォレンはにこりと微笑んだ。その笑顔にまた、アリスはほだされる。どうにもこの無意識の笑顔が、アリスは弱い。ルーンに求婚された時、 突然のことに驚いたものの、ここまで心をかき乱されはしなかった。


 ざわりとするものの正体を、アリスはこの時気付かないふりをした。


「アリス、覚えているか。王宮に着いたら、渡したいものがあると云ったことを」

「え、ああ、うん」

 そういえば、そんな約束をした。

「覚えていてくれ、必ず、渡すから」

「あの、云っておくけど私、高価なものとかもらっても逆に困っちゃうから……」

「大丈夫だ、壊れないものだから」

 慌てるアリスにウォレンは何が可笑しいのか、くつくつと笑う。

「俺がアリスを信頼している限り、絶対に壊れないものだから。必ずおまえに渡すよう、俺は努力をする」

「うん……」

 アリスは漠然としたその誓いを、取りあえず受け止める。

「楽しみに、待ってるよ」


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