第83話:洗礼の禊
長月祠を出たところで長月に促され、自信はなかったが獣霊を召喚した。
「アリスならできるから、呼んで」
そう云われて呼び出せたのは、琉尾という名のやけに尾っぽの長い獣であった。
「これなら全員乗れる。アリスが一番」
長月の指示のもと乗ってみると、アリカラーナの風景が何も見えないぐらいスピードが速い。スピードは睦月、如月、弥生が得意としていたが、彼女たちも今は手が離せない。それに匹敵するスピードだと、長月は途切れ途切れに相変わらず無愛想のまま答えた。
そうしてみんなとの約束どおり、長月祠から一気にシリムの城塞に着くことができた。道中危険もなく渡れたのは、召喚獣の素早さのおかげだろう。城主はウォレンが辿り着いたことを確認すると、ほっとしたらしい。隣に居るのはおそらく領主か、その隣でアクラが悠然と微笑んでいる。
「準備が終わりました、殿下。絶対条件で、勝ちます」
「心配をかけて済まなかった。ありがとう」
いつもの調子でウォレンが云えば、城主と領主は笑う。
「助かりました、しかし。──何せこんな小さな領地だというのに、隣が王都なものでね。それも河のこちらともなれば住んでいるのは一般庶民だ。風当たりが強くて、ちょうど参っていたところだったのです」
「風当たり?」
「誰が何をしようと興味がないようですよ、彼らは」
「……そうか」
ウォレンは何か考え込んだようだが、口には出さなかった。
・・・・・
長月祠に行ったウォレン、セナ、アリス、水無月、葉月以外はすぐにカームを出発して、北隣にあるロームを目指した。とても小さな領地だがシリム城塞があり、その城主から快い返事をもらえたのだった。西隣のストンベルスは危険が伴うため通らず、ロームから北上しキアラミーム、テリスを通ることで、神無月祠と霜月祠に寄れるというルートだ。二人を起こしたらいよいよ王都へと入るため、王都に近いカームにも幾らか人数を厚く置いて来ている。一緒に残りの祠を目指すイーリィたちは、少しでも北上した土地に着いているべきだとし、洗礼の儀式をシリム城塞で行うことになったのだ。
「お待ちしておりました、殿下」
イーリィたちは儀式用に用意された小部屋で待っていた。儀式と云うが外見は大して変化がない。至ってシンプルな城の部屋だ。その場に居たトゥラスだからと呼ばれたディーミアムも、嫌な顔一つしていない。
「アクラの役に立てるのならなんだってやるわよ。あ、もちろんウォレンお従兄様のためにもね!」
付け加えられるようにされたところで怒る気も起きないが、アクラに至っては完璧に無視だ。
態度は別にしてもアクラにとってディーミアムは大切な存在である。そんな彼女をトゥラスとして洗礼の儀に出すことへ、多少の違和感はあった。トゥラスは術師ではないから立会い人のようなもので、術師のように特段何をするわけでもない。命の危険まではないが、そういう場にディーミアムを出すのが意外だったのだ。しかし後々話を聞けば、ディーミアムが押し切った形であることがわかった。
「だって他にトゥラスは居るの? 呼び出している時間はある? ここに居るんだから私を使いなさい、アクラ。──カージナカル卿、これはガーデントゥラス子卿として命令させて戴きます」
にっこりと発言したらしいから、外見からはわからないが、レディアナの娘らしく頑固で押しの強い娘であった。
肝が座っているディーミアムとは別に、がちがちに震えているのがいきなりの大役を振られたジーマンことジーク・ローマンである。「なんで僕がぁ」と弱音を吐きながらもちゃんと法術師の場所に立っている辺り、避けて通れないことはわかっているのだろう。もしくは後ろに控えているルークが重みを加えたか。
「ああ、僕は儀式が始まる時にはちゃんと外に出るから」
「そんなぁ、居てくださいよぉ! 負けちゃったらどうするんですかぁ」
この期に及んで弱音を吐きまくるジークの気持ちもわからないではない。しかしアクラはジークならできると踏んで呼び立てたのだ。彼ならできるとアクラが信じたのだから、ウォレンたちも信じる他ない。
アリスはと云えば、緊張を隠して強気で居るしかない。何がどうなるかはわからないが云われたとおりにやるだけだ。さっき召喚獣を呼べたことも少しは自信に繋がっているのか、心は凪いでいた。
──まさかの自体が起きてもおそらくは。
アリスの思考を止めるように、では儀式の準備に入りますとアクラが声を上げる。
「ウォレン様は真ん中に来てください。ルアはジーマンの隣です」
アクラの指示通り、ウォレンを時計回りにディーミアム、ジーマン、アリス、アクラの4人で囲む。精霊を含む外野が扉の方へ行くと、それなりの緊張感が走った。
「ディーミアムが儀式の開始を宣言したところで、力を使う時みたいに集中してください。おそらくそのうちそれを邪魔するような抵抗する力が来ると思うので、負けないよう押し返してください」
「そんなぁ」
「必ず、ウォレン様を勝たせる。──正式な場所に力を戻す。ジーマン、アリス・ルア、二人ならできると思ったから任命しました。危険が伴いますが、よろしくお願いします」
アクラの真剣な台詞に、ジーマンも流石に口を閉ざした。それ以上何も云えなくなってしまうぐらい、力の入った言葉だった。
そうだ。ウォレンを信じる。だからこそ成功させる。それだけのことだ。
「みなさんの準備が良ければ始めさせて戴きます。いかがですか」
「僕はいつでも良いよ」
「私も」
「あーもう! やりますよやります!」
やけっぱちに答えたのは少しでも強がりたいのか、ジーマンの緊張はアリスにもわかる。正直なところウォレンを信じるとは云ったものの、自分の召喚師としての力はあんまり信用できていない。少しはできてきたと思うものの、胸を張れるレベルではない。だがそれでも、やるしかない。
「ではこれより、洗礼の禊を始めさせて戴きます。術師の皆様、アリカラーナに洗礼を」
ディーミアムの凛とした声で、儀式は始まった。緊張は走るがそれと云った変化がないまま、アリスは召喚するときと同じように強く念じる。念じて行くうちに、周囲に緊張感とは別の、張り詰めた雰囲気が漂い出した。何か異物同士が争うような、そんな空気に変化するのを肌で感じるのと同時に、アリスの力に横から邪魔をする空気が流れ出す。これが抵抗する力か、とアリスは冷静に判断した。
それを確認してすぐに、ぱんっと隣で音が響いた。それと同時にアクラ小さく頷いたのを見て、アクラと相手の戦いが終わったのがわかった。ジークが驚いた顔をしたが、慌てて集中し直している。アリスはと云えば、向かって来る力がどうにも不安定で、掴み損ねていた。邪魔をするような空気は来るものの、全面から邪魔をして来るわけではない。これをどう扱って良いのか悩んでいた。
──ス。
そんなアリスに、小さな声が聞こえて来る。辺りを見回すが誰もこちらを見てはいなかった。その状態でまた、声が響く。
──アリス。
どくん、どくん、と心臓が高鳴るのが、自分でもわかった。
まさか、そんな、想像はしたが、まさか──。
アリスは集中力を失って倒れそうになるのを必死に堪えた。
──アリス。
「どうして……」
聞き覚えのある声に、思わず呟いてしまう。
──壊したかった。
返って来る声も、静かである。
──壊したかった。あいつが思い描いた未来を、壊したかったんだ。
初めて聞いた、彼の本音であった。今まで彼は、具体的な恨みつらみを云ったことがなかった。その初めて聞く辛そうな声に、アリスは思わず力を弱めてしまう。
その途端不安定な力だったはずのものが強く流れ込んで来て、力強く押し倒される。
「ルア!」
アクラの声が聞こえたが、アリスは見なかった。
──だから、終わりだ、アリス。おまえは俺に勝てないだろう。
確かに突然来たにしては、力の強い子どもだった。成績も優秀だったし、無事召喚師の免許も取得した。アリスはまるで、何もできなかった劣等生だというのに。
しかし、アリスは弱気になった自分を思い直す。
ちらと視界に映ったウォレンは、じっとアリスを見ているだけだった。最後まで心配していた割には、倒れたアリスを見て動き出す気配もない。その桔梗の瞳を見て、アリスは力を強くする。
「大丈夫、私は勝てる」
──アリス。
「私は勝てる。私を知らないおまえは勝てない」
──アリスのことは、俺が一番に知っている。
アリスは言葉に何も返さないで、力に集中した。相手はどんどんと押して来る。ただひたすらに弱いものを押して来ていた。
今まで道を思い出して、アリスはそっと目を閉じる。
レイシュの民家でウォレンと出会い、師走と出会い、一人で人霊を叩き起こし、なんとかイーリアム城に着いた。仲間を得て出た旅は楽しかったが、過酷でもあった。
そんな日々の中で、アリスはウォレンに絶対忠誠を誓った。
ウォレンを信じている。だから絶対に、負けない。その約束を守らなければならない。
力は堪った。後はこれを、捨てるだけ。
アリスは堪った力を放り投げた。相手の顔を思い出さずに、ただただウォレンを信じる、それだけの気持ちであった。
周囲でざわつきが生じた。
衝撃の後に、静寂。アリスはそこでようやく、目を開けた。
目を開けた先に、ダークが居た。薄い映像となったダークが、アリスの前で呆然と立ち尽くしていた。そんなダークに、アリスは静かに云う。
「今の私を、おまえは知らないんだ」
それと同時にダークは消え、代わりにウォレンが思い切り剣を床に差した。
「本日を持って、私ウォルエイリレンが洗礼主と名乗る」
洗礼の儀式が、無事に終わった。




