第82話:長月の目覚め
それは、とある長月の情景。
残暑が少しずつ引き始め爽やかな風が吹き出す頃。過ごし易くなる季節は、たまに来る嵐以外は人々を幸せにさせていた。
──おまえは私の救いだよ、ありがとう。
そう云って微笑んでくれた人を、忘れたことなどない。絶対に手放さない。絶対に裏切らない。絶対に共に居る。そう誓った。最期の最期まで一緒に居ることで忠誠を誓った。そのつもりだった。だが本当に、彼女は幸せだったのだろうか。ふとした瞬間に、そんな不安を覚える。
──ありがとう、長月。
そう云ってくれた彼女に、果たして刀以外の役目ができていたのだろうか。彼女が向けてくれた笑顔は本当に本物だったのだろうか。居なくなってからの景色があまりにもつまらなく、そんなことさえ考えてしまう。何をしてあげられただろうか。
「目覚めなさい、長月」
・・・・・
羽織袴で帯刀、いつもと同じだと云うのに、何所か違和感があるのは、手に持つ花束か。
似合わないだろうと思いながらも、日々通っては活け続ける。もう良いと彼女は云うが、彼には止めることができなかった。まるで何かの習慣のように、取りつかれたようにそれをする。それを止めてしまったら、何かが終わってしまいそうな気がしていた。
「また来たのか、アキト」
彼女は苦笑したが、文句も云わず歓迎してくれた。
「アリスは王の意思に反対なのか」
「──うん、賛成ではないかな」
でも、と彼女は続ける。
「反対でもない」
「アリスの云うことは、たまにわからない」
「そうだろうね……、私もわかってはいるんだ」
わかってはいるのだが、と彼女は言葉に詰まりながら云う。
「おまえは知らないかもしれないが、ここはもともと、緑にあふれた美しいところだったのだ」
「おまえは知っているのか」
「私が子どもの頃の話だからな、少しだけだが、覚えている」
まだ20年ぐらい前の話だろう。だとしたらその美しい緑は、たったそれだけの期間で消えてしまったのか。荒廃としか云いようのない国に変わり果ててしまったのか。
「だからこの景色を守りたいと思う気持ちはわかる。だけど……そのために13も」
普段は力強い声が震えている。
「12人では」
「アリカラーナも居れたら、13人だよ。そんなの……でも、それでも私は、何も思いつかない。アリカラーナが考えた方法以外、この国を救う方法がわからないんだ」
「アリスは結局、最終的にどちらを選ぶ」
「え?」
「アリスはどちらを選ぶんだ」
「どちらも、選びたくない……」
私は欲張りだからと笑う彼女は、ずっと微笑んでいる。どうして微笑むのだろう。辛いと云うのに、どうして彼女は微笑んでいられるのだろう。彼にとって彼女は、不可思議な者だった。だからこそ彼女のためならば、なんでもしたいと純粋に願う。姿の見えぬ国のため、帝のため、そんな大義名分を掲げるよりも、目の前に立つ彼女のためならなんだってできる気がした。
「俺は武士だ」
「知ってるよ」
「帝に逆らう、武士だ」
武士は帝に逆らい、新たな政治を行った。帝は放擲され監視されながらも、生かし続けられる。何かが違うと、彼は感じていた。正しいとか正しくないとか、そういうことではない。ただ違うとそう思う。だからこそ今、ここに居る。何をしているかはわからないが、彼女のわけのわからない話を聞いていると、そうした感情は消え失せて行く。
ここに居ることを、俺は望んでいる。
「私はでも、アリカラーナを信じるよ」
彼女の言葉を受け止めて、俺は部屋を出た。似合わない花は置いて行き、彼は彼にできることを。その帰り道でどうして、この男に会うのだろうか。彼も気遣うような表情をしてくる。
「アキト、アリスはどうしている」
「変わりはない」
「そうか……」
アリスはこの男を信じると云った。俺は別にこの男に思うところはないが、アリスが信じるのなら信じたいと思う。
「──私は何か、あいつのためにできないのだろうか」
「王はアリスを信用するか」
「もちろんだ。私はどうしても守りたいから、この方法で国を救う。その覚悟ができた。あいつがたとえ反対しても、私があいつを信じることは変わらない」
王とアリスの絆は深い。それぐらい知っている。嫌なほど知っている。彼女は王のためなら、自分の命を捨てようとすらするだろう。それは深い信頼から来る絆だ。本当に、悔しいぐらいだ。
「なら、俺がおまえの代わりに志願しよう」
「え……?」
「俺が、おまえの代わりとなろう」
それで彼女の役に立てると云うのなら。犠牲と云う名の13人ではなく、この国を生かす楔になろう。
それでアリスの役に、立てるのなら。
・・・・・
目を覚ましたのは黒髪黒目の、漆黒の青年だった。まるで幼馴染を思い起こせそうな彼、は真っ直ぐにアリスを見つめると、
「──アリス」
と声を漏らした。思わず、と云った風に。
「よろしく、長月。精霊召喚師アリス・ルヴァガだ」
そう云って手を差し出したアリスを、長月はまだぼんやりと見ている。驚いているようにも見えるし、新しい主を品定めしているようにも見える。
堅物と聞いていた分少し緊張はしていたものの、こうして返答がもらえないとさらなる緊張が高まる。人霊と云えど人格がある。主に逆らうことはできずとも、性格上合わないことだってあるだろう。それを取りまとめる中で問題が起こらない程度の関係は築きたい。
「えっと、長月の知っているアリスとは違うかもしれない。同じだけの絆を築けるとも思っていない。ただもしできるのなら、無力な私に力を貸して欲しい。この国を一緒に守って欲しい。お願いします」
軽く頭を下げてから見た長月の表情は特に変わらない。しかしふと、口元が小さく緩んだのをアリスは感じた。
「それがアリスの願いか?」
「……私の願い? 願いは……長月たち人霊と良い関係を築きたい」
「やっぱり、アリスはアリスだ」
長月はゆるりとかぶりを振った。
そうして彼が出して来たのは、黒い石。かと思えばそれは、若干青みがかって光るサファイアだった。まるで長月そのもののような色をしている。
「アリスが望むなら」
そう云って微笑む長月に、後ろに控えていた水無月が「えええええ!」と声を上げた。
「ねぇ、長月が笑った! 長月が笑ったよ?! 何これ、本物?」
「……そういえば、そうだった。大昔過ぎてちょっと忘れていたね」
「どういうこと、葉月?」
連れて来た二人が騒ぎ出す理由もわからず、アリスはただ尋ねる。長月は仲間である二人に煩さそうに批難の視線を向けるものの、口を開くつもりはないようだ。
「長月って、アリスのこと大好きだったんだよね」
「アリスって……初代の精霊召喚師のこと?」
「それとこれとは関係ない。アリスはアリスだ」
さっき笑った表情は何所に消えてしまったのか、厳しい表情で葉月を見る。葉月は小さく肩を竦めるに留めたが、ウォレンも少し驚いたようにしていることから、どうやら長月の一連の行動は珍しかったようだ。
「初代とは比べ物にはならないだろうが、これからよろしく、長月」
「アリスのためなら」
そう云って頭を下げる姿に、アリスは心強く思った。気が付けばこれで10人。残る人霊は、あと2人だった。




