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あらし 1


 素晴らしい朝であった。

 部屋の窓を開けるとすがすがしい風がカーテンを揺らし、小鳥が2羽やってきって歌うように鳴いた。その歌を聞きながらいつもよりほんの少し遅めの朝食をとり、活気づき始めた街の賑わいを背に出勤。もしかしたらなにかいいことがあるかもしれない。そんな予感さえしそうな、素晴らしい朝であった。


 少なくとも隊舎の正門をくぐるまで、ニーナはそうであってくれと願っていた。


「ずいぶん遅いんですのね」


 門をくぐってすぐに飛び込んできた光景に、ニーナは気が遠くなるのを感じた。

 行く手を塞ぐように仁王立ちするのは、さわやかな淡いグリーンのワンピースに身を包み、さわやかとは程遠い、どす黒い表情をしたアリシアだ。その横では従者のトトが真っ青な顔をして、腰を90度に折り頭を下げている。

 地獄のような光景だ。

 もしかしたら夢の可能性もあるな、と思いっきり頬を抓ってはみたが、普通に痛い。残念なことに、現実であった。


「……えーと、アリシアさん。今日は遅番でして」

「気安く名前を呼ばないでちょうだい! この泥棒猫!」

「どっ……!?」


 アリシアが叫ぶように言った。「すっ、すみません!」と、トトはついにその場に膝をつき、地面に頭を擦りつけた。

 人生で初めて言われたタイプの悪口にもはや感動さえ覚えつつ、ニーナは小さく咳払いする。


「失礼しました、ルーエン様。えっと……どうしてこちらに……」


 隊舎は基本的に部外者の立ち入りが厳しく禁止されている。さらには男所帯で、彼女のように若く温室の花のような可憐な少女には不釣り合いだ。めったにないが、血生臭い光景を目にすることだってある。

 ニーナの問いは心の底からの心配からくるものだったが、アリシアはなにを勘違いしたのか、勝ち誇ったような笑みを浮かべ「トト」と従者の名前を呼んだ。


「あれを出しなさい」

「……お嬢様」

「早く出すのよ!」


 金切り声に、渋々と言った感じで、トトは上着のポケットから二枚の通行証を取り出した。一部の場所を除いたほとんどすべてのエリアを自由に行き来できることが許可されたものだ。一般的な来客に気軽に渡されるようなものではない。


「泥棒猫、お父様が毎年いくら王立騎士団に寄付をしているかご存じ?」

「き、寄付? 申し訳ありません。存じ上げませんが……」

「でしょうね。あんたみたいな田舎の貧乏領主の娘の、ガサツな平隊員には到底想像できない金額よ」


 ガサツは関係ないでしょう。という言葉を、ニーナはぐっと飲み込んだ。


「つまり、ルーエン家の娘である私はVIP待遇なのよ!」


 おーっほっほ! と、体を逸らせながら高笑いをするアリシアの横で、トトが何度も「すみません、すみません」と頭を地面に打ち付けている。

 地獄。もはや素晴らしい朝は消え去り、いいことがあってほしいという願いは砕け散った。正門の向こうを通り過ぎる街の人々や、他の隊員の視線が痛い。一刻も早くここから逃げ出したかった。ニーナは背中を丸め、こっそりと通路の隅へと向かった。


「そ、そうですか。おめでとうございます。では、私はこれで……」

「待ちなさい!」


 が、そうはさせまいと、アリシアが再びニーナの前に立ちふさがった。怒りに燃える美しい瞳が自分を見上げ、思わず張り付けた笑顔が引きつった。


「わたくし、昨日も言いましたけれど、あなたとカイト様の交際を認めていませんの」

「はぁ……」

「昨晩お話したんですが、カイト様は、今あなたと別れるつもりはないとおっしゃりましたわ」


 アリシアは忌々し気に言った。


「ですが、わたくし分かりませんの。あなたがカイト様の隣に立つにふさわしいなにかを持っているようには見えませんもの。だから」

「……だから?」

「わたくし、貴女がカイト様にふさわしい人間かどうか、見極めさせていただきますわ!」


 いいことがあってほしいという願いはとうに砕け散り、今は悪い予感がびしびしとしている。この先、何を言われるかはなんとなく予想がついたが、是非ともそうなっては欲しくない。

 ニーナはごくりと唾を飲んだ。どうか予想よ外れてくれ!


「わたくし、ここにいる間はあなたの側を離れませんから」


 予感は的中。

 誰だ、彼女に通行証渡したやつ! ニーナは心の中で叫んだ。




***


「ルーエンって、聞いたことある家の名前だと思ってたけど、思い出した。フォントニアで一番でかい商会の名前だ」


 医務室に届け物をしようと詰所を出る直前、ディオが思い出したように言った。ニーナは足を止め、胸元に「じゃあこれもついでに」と押し付けられた、ついでの量を越えた荷物を抱え振り返る。


「あー……なるほど。寄付ってそういうことか」


 ニーナはアリシアの朝の言葉を思い出しだ。VIP待遇だの従者だのの立場も納得できる。

 フォントニア最大の商会で国内物流の基盤を担うルーエン家は、古くからディンスター家とは親交が深い。また、仕事の面で騎士団とも密接な関わりがあり、その関係で長年に渡り巨額の寄付を続けている。

 そんな話をディオから聞きつつ、ニーナは心の中で頭を抱えた。これはますます彼女の言う“婚約者”は、信憑性が高くなる。このままでは彼女の言う通り、本当に“泥棒猫”だ。


「どうしよう……」

「まあ、確かにあれはお前じゃ太刀打ちできない」

「そっちで落ち込んでるんじゃない」

「ま、でも安心しろよ。昨日、隊長が“婚約者”とまで宣言してたじゃないか~。お前も隅に置けないよな~」

「ディオ、一回黙って」


 この能天気に付き合っていてはだめだ。ニーナは詰所のドアを開け、そしてゆっくりと閉めた。


「ちょっと泥棒猫! なに逃げてるのよ!?」


 すぐさま、アリシアの甲高い怒り声がドアに突き刺さる。「お、お嬢様!」と諫めるトトの声もするが、アリシアに効果はなさそうだ。

 深呼吸を一つ。ニーナは改めてドアを開けた。


「……失礼、まさか人がいるとは思っておらず驚きまして。朝、応接間にご案内しましたが」

「ふんっ! わたくし、あなたの側を離れないと言ったでしょう!? あなたがこの部屋に入ってからずーっとここにいましたの」

「2時間前から!? ずっと!?」


 もちろん、とアリシアはふんぞり返った。ニーナは倒れそうになるのをこらえ、膝を折りアリシアに視線を合わせた。そんな気遣いさえ不快だと言わんばかりにアリシアの眉間には皺が寄ったが、ここは大人の対応。ニーナは誇り高き騎士団の隊員らしい笑みを作り、「おっしゃってくだされば、もっと早くこの部屋を出ましたし、椅子のご用意だって……」と申し訳なさげに言った。


「結構よ! 敵の施しは受けませんわ」

「敵って……」

「それにわたくし、あなたの普段の生活が見たいんですの。気を使っていただかなくてかまいません」

「そうは言われましても……」

「さあ、これからどこへ行くんですの。行けるところまではついて行きますわ」


 ほとほと困った。朝方の「側にいる」と言う言葉が、まさか本当だとは。様子見くらいはされるだろうと思ってはいたが、ここまで熱烈に監視されるとは思ってもみなかった。挙句、ただの監視ならまだしも、女の子を長時間廊下に立たせっぱなしにしたりするわけにもいかない。これからはもっと周囲に気を配らねばならないだろう。

 ニーナは今にも崩れそうな自分の笑顔に喝を入れ、アリシアを連れて医務室へと向かうことにした。




「も、申し訳ありません」


 アリシアがお手洗いに行ったタイミングを見計らって、トトが話しかけてきた。トトは昨日会った時よりも、少々げっそりしたように見える。彼の苦労をひしひしと感じつつ、ニーナは「いえ……」と苦い笑みを返した。


「ぼ、僕がついていながら、ご、ご迷惑をおかけして、も、申し訳ありません」

「大丈夫ですよ。原因は私にもあると言いますか……」

「え?」

「あ、いえ。なんでもありません」


 トトは自分の体を抱くように、ますます体を丸めて小さくなった。


「ア、アリシア様は、カイト様のことを、昔から本当によく慕っていましたので……カイト様に恋人ができたという噂を聞いて、ど、どうしても、我慢できなかったみたいで……」

「すみません……」

「いっ、いいえ! すみません! あなたを責めるつもりはないんです!」


 トトの視線が、申し訳なさげに足元に落ちる。


「ご両親にもここに来ることは反対されていて、半ば家出のようにこちらに出てきているんです。ぼ、僕も止めたんですがダメで……一人でこちらに向かわせるわけにもいかず……あげくあなたに暴言の数々まで……うっ、胃が……」

「大丈夫ですか? 水をもってきますよ」

「だ、大丈夫です。慣れてるんで」


 とはいえ、真っ青な顔で胃を抑えるトトを放置しておくわけにもいかず、ニーナはトトを壁際に置かれた椅子に案内した。腰を下ろさせると、多少だが顔色がましになったような気がする。


「……おそらく何日もしないうちに、迎えがくるはずです。それまで、ご迷惑をおかけすると思いますが、どうか、何卒、宜しくお願い致します」

「いえ。そんなにかしこまらないでください」

「本当にすみません」


 深々と頭を下げたトトを見て、ニーナは複雑だった。

 確かに迷惑をかけられていることは否定できないが、元々の原因は自分で、そしてそれを増長させたのは昨日のカイトの嘘だ。

 最初に嘘をついたときは、こんな風に、誰かの気持ちまで乱すつもりはなかった。ただ、その場を凌ぐためだけのもので、内々で全てを終わらせるつもりだった。自分で言いふらしたわけではないとはいえ、こんな風に他人が取り乱しているのを目の当たりにすると、いろいろと耐えられない。

 カイトの「後で説明は必ず」の言葉を信じて、声がかかるまでは待つつもりだったが、もう無理だ。ニーナは隙を見て、カイトの執務室を訪ねた。


「どうした……と、聞きたいが、話の内容は察しがつく。昨日は悪かったな」

「いえ……元言えば私のせいなので……」


 執務机の横ではなく、来客用のテーブルに案内され、ニーナはソファに腰を下ろした。


「その……昨日も言いましたが、やはり婚約者さんがいらっしゃるなら、今すぐにだって、私との関係についての誤解を解くべきではないでしょうか……」

「だから、何度も言っているが、彼女とは婚約していない。あれはただの彼女の願望だ。俺の父や彼女の父からそんな話は出たことはないし、寝耳に水だ。まさかあんな風に訪ねてくるなんて……」


 カイトはどかりとソファに座ると、いらいらした様子で前髪をくしゃりと乱した。疲れているのか、吐き出された息は重い。


「彼女は故郷の、フォントニアの古い馴染みだ。ディンスター家とルーエン家は昔から付き合いがあって、彼女のことは、それこそ赤ん坊の時から知っている」

「でも彼女は、隊長が好きなのでは……」

「そうかもしれないな。だが、俺は彼女にそんな感情を一切抱いていない」


 これ以上を聞くことは許さないと暗に示すような、ぴしゃりとした言い方だった。事実、ニーナはそれ以上二人についての話を聞く気がなくなってしまった。


「ともかく、だ。お前はアリシアのことを気にしなくていい。今まで通り“恋人”として……いや、すまない。そういえば昨日“婚約者”だと言ったんだったな」

「その件ついても、婚約者というのは話が大きくなりすぎじゃないでしょうか?」

「“恋人”だろうが“婚約者”だろうが、お前の父親のパーティーに出たらどうせ別れるんだ。一緒だろ」


 その通りだが、あまりにけろりとした物言いに、「それは……まあ、そうですが……」と口ごもる。


「ともかく、お前は今まで通り堂々としてればいい」

「そうは言われましても……」

「アリシアには通行証が出されてはいるが、仕事の迷惑になるなと強く言い聞かせてある。なにかあったらすぐ俺に言ってくれ」

「それは別にいいんですが……あんな風に隊長を慕っている女の子まで騙すなんて……罪悪感が」

「罪悪感なんて、お前が感じる必要はない」


 ため息交じりにそう言って、長い足を組み、カイトは背もたれに体を預けた。


「……安心しろ。俺もお前を利用しているだけだ」

「り、利用ですか?」


 そんなことは初耳だ。ニーナは戸惑いがちに、次の言葉を待った。

 カイトはしばらくニーナの目を見た後、思わせぶりにゆるく微笑む。


「……お前がいると、他の女に誘われなくて済むんでな。気が楽だ。仕事に集中できる」

「また仕事ですか……」


 いつか聞いたような言葉に、体の力が抜けた。もっと重大な告白が来るかと思うような間はやめていただきたい。


「仕事熱心なんでな」

「そりゃあ、仕事も大切でしょうけど……正直、私は不思議です」

「何がだ」

「隊長は死ぬほどモテるでしょうし、家柄的にも結婚を避けられないでしょう。私としては嘘に付き合っていただいてありがたいですが、こんなことに付き合っている場合じゃないんじゃ……」


 少々踏み入った話なのは分かっていたが、どうしても聞いておきたかった。アリシアの出現から、どうにも心が落ち着かない。もちろん、偽物の恋人になって心に平穏が訪れたことはないのだが。

 カイトはわずかに眉根を寄せた。不快にさせただろうかとニーナは不安になったが、それでも今の言葉を「すみません」と引っ込める気もない。この先の回答次第では、騎士団を辞める覚悟だってするつもりだった。

 しばらくの間、カイトは背もたれに半身を預けるようにして、窓の外を見ていた。朝は晴れていたのに、いつの間にか空には薄い雲が覆っている。

 沈黙を破ったのは、カイトの息を零すような、小さな笑い声だった。


「……随分と、俺に興味があるんだな」

「……まあ。一応、婚約者らしいので」


 そう返すと、再びの沈黙。

 先ほどよりも短い無音の中、カイトの視線がゆっくりとニーナを捕らえた。


「ニーナ」


 うわ。

 そう声に出さなかった自分を、ニーナは褒めたかった。

 べっとりと張り付くような声で名前を呼ばれるときは、たいていろくなことは起こらない。


「来い」


 いつぞやと同じく、長い指がペットでも呼ぶような気軽さで自分を呼んだ。いや、本当にペットだと思われているのかもしれない。実際、自分はこの人の駒の一つである。行きたくないと心の中で思っても、躾けられた体は従順だ。上司の命令に、体が反応した。

 ニーナは立ち上がり、両手を後ろで組んでカイトの横に立った。


「……なんでしょう」

「嫌な顔、してるな」

「……嫌な予感がしていますので」

「奇遇だな。俺もしている」


 カイトはおかしそうに言った。


「それってどういう」

「悪いな。そろそろ頃合いだ」

「は?」


 と声を出した瞬間、突然腕を強く引かれた。予想していなかったカイトの行動にふんばりも利かず、ニーナはそのまま姿勢を崩してしまった。まさか上司の上に倒れこむわけにもいかず、ぶつかる寸前でソファの背になんとか腕をついた。

 が、これが悪かった。

 片足はソファに乗り上げ、かろうじて踏ん張った両腕の間で、カイトが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。ニーナでも、この姿勢が大変よろしくないことは分かる。これじゃあまるで、襲っているみたいだ。


「な、なんですか、これ」


 激しい動揺で裏返った質問に、答えは帰ってこなかった。なぜこんなことをしたのか、意味が分からない。

 と、思っていたが、答えはすぐに判明した。足音が二つ。びっくりするようなスピードで執務室に近づいてきたからだ。


「嫌な予感がしますわーーっ!」


 ばーん! と盛大な音を立てて、ノックもなしに執務室のドアが開け放たれた。少なくとも騎士団の隊員は、こんな風に悪魔の根城のドアを開けたりはしない。


「アアア、アリシア様。だめですよ、こんな風にドアを開けては……」

「五月蠅いですわ、トト。わたくし、嫌な予感が……って、なっ、なにしてらっしゃるんですの!?」


 ニーナは自分の下の男を見た。カイトはいたずらに成功した子供のように、必死に笑いを堪えている。


「っ、はめましたね!?」

「泥棒猫ーっ!」


 あっという間にアリシアが飛んできて、ニーナの服の裾を引っ張った。よろよろと立ち上がったニーナの腹部に、顔を真っ赤にしたアリシアのパンチが飛んでくる。


「い、いたた。ルーエン様、誤解です!」

「何が誤解なんですの! あなたカイト様の、うっ、うっ、上に……!」


 ぽかぽかと当たるパンチは痛くないが、この誤解は痛すぎる。なんとか誤解を解こうとしても、アリシアは聞く耳を持たない。トトの「叩いてはいけません」という声も、もちろん届いていない。


「不潔!」

「ふっ!? ……た、隊長!」

「っあはは」

「あははじゃないですよ、もう!」

「わたしがいない隙に、こんな……! わたくし、もうこれからは絶対にあなたから目を離しませんわ! お手洗いも、ついてきてくださいな!」

「えっ、そ、それは無理ですよ」

「無理じゃありません。わたくし、VIPですのよ!」


 怒り狂うアリシアに引きずられるようにして、ニーナは執務室を出た。結局、さっきの話からはうまく逃げられてしまった。また近いうちに話さなければと思うが、この調子だとアリシアが帰るまでは難しいかもしれない。ついため息をつくと、「ため息をつきたいのはこっちだわ!」とアリシアに手を握られた。なんて柔らかくて小さなだろうかと思いつつ、ニーナはアリシアに引きずられるままに歩いた。



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