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まだ青い 2


 隊舎からほど近い場所にある第2訓練場では、木製の模造刀を片手にしたニーナがちょうど、自分より幾分か若い見習いの少年と対峙しているところだった。少年の顔にはまだ、幼さが色濃く残っている。

 訓練場には暖かな太陽の光が降り注ぎ、時折抜ける風が髪を揺らした。二人にはすでに模擬戦闘を終えた他の見習いたちや、その相手をしていたトナーとディオの好奇の視線に囲まれている。もちろん、この後ニーナと模擬戦闘を行う者たちの探るような視線も。


「緊張してる?」


 と、ニーナが少年に聞いたのは、彼の表情が随分硬かったからだ。けれど少年は「いいえ」と、表情と同じく硬い声で首を振った。


「そう? じゃあ、いいよ。いつでもかかって来て」


 しかし、少年は剣を構えた姿勢のまま動かない。視線が彼の迷いを表わすように、足元を行ったり来たりしている。随分、思いつめた表情だ。ニーナは構えていた剣を下ろし、首を傾げた。


「どうしたの? 体調悪い?」

「そういうわけでは……ないんですが」

「じゃあ、なに?」

「その……」


 少年はしばらく口をもごもごさせていたが、ついに意を決したように言った。


「じょっ、女性と戦うことはできません!」

「……え?」

「お、男として、女性に偽物とはいえ剣を向けることはできません! あまつさえ蹴ったり殴ったりなど……」


 少年の顔は真っ青だった。本気で悩んでいるらしい。

 ニーナは目をまん丸にして驚いたが、すぐに目尻を緩ませ、困ったように微笑んだ。


「そっかぁ。きみ、優しいんだね」

「い、いえ。ですが父からずっとそう教わってきたのです。女性や子供など、自分よりも弱いものは守らねばならないと」

「素晴らしい」


 どっかの隊長に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。嫌味なほど長い足で問答無用に蹴りを入れてきたり、訓練で表情一つ変えずに顔面を狙ってきたり、機嫌が悪いと胸倉を掴んできたりする、どっかの隊長に。

 久しぶりに自分に向けられた純粋な目に内心感動しつつ、ニーナは天を仰いだ。青い。


「いい子だね、本当に」

「いえ……」

「でも、」


 次の瞬間、少年が見たのは自分の喉元に、困った笑顔で模造刀の切っ先を向けたニーナだった。


「もしこれが本物だったら、今、きみ死んじゃったね」

「――え?」


 一体いつニーナが剣を構えたのかも、一体いつニーナが動き始めたのかも、どうやって距離を詰めたのかも、少年には分からなかった。驚きで、少年の手から模造刀がするりと抜け、カランと足元に転がる。

 それを足で踏み、ニーナは片眉をあげた。


「剣を落とすのは最悪。これできみは、私に反撃する手段を持たない」

「ど、どうして」

「どうして? 不思議な質問だね。そんなの、私がきみより強いからだよ」


 ニーナは剣を引き、踵を返した。


「きみの優しさは素晴らしいね。騎士団にふさわしい。でも、きみやきみの大切なものに剣を向ける女だっているし、きみより強い子供がいないとも限らない。剣を持つ覚悟って、そういうことだよ。誰が来たって、剣を向けられるかどうか」


 再び最初の場所に戻り、ニーナは「さて」と振り返った。


「剣を構えて。もう一回、最初からやろう。次は、本気で来てね」


 少年はまだ半分夢の中にいるような顔をしていたが、剣を拾い構え直した時には剣士の顔になっていた。




***


「いやー充実した」


 ニーナは水場で頭から水をかぶり、体を大きく伸ばした。


「若者はいいねぇ。まだまだ青い感じが、青春って感じ」


 ちらりと見たのはもう一つの水場で、同じように頭から水をかぶる見習いたち。彼らはおそらく今日の模擬戦闘の振り返りをしているのだろう。熱心に話し合いながら、それぞれ気になった場面を再現し合っているようだ。もちろんその中には、あの少年の姿もある。


「俺達も見習いのころはあんなだったよなー。夢と希望に燃えてた」

「ねー。トナーだけは昔も今も、あんまり変わらないけど」

「あ?」


 長い髪を絞っていたトナーは「お前らが青臭かっただけだろ」とぶっきらぼうに答えた。


「うわっ。出たよ」

「トナーって昔からそうやって冷めたふりしているけど、でも私は知っているよ! 君の心にもちゃんと夢や希望が色づいていることを!」

「うざい」


 湿ったタオルではたかれ、ニーナは「ちょっと」と怒りつつも笑った。

 彼らの青臭いエネルギーに当てられてしまったようで、なんとなく気持ちまで若返ったような感じがする。


「お疲れ、ニーナ」

「「わっ」」


 ぬっと水場の向こうから現れたジェナに、ニーナとディオの驚きが重なった。


「や。ディオもトナーも久しぶり。っていうほどでもないか。この前飲みにきてくれたもんね」

「びっくりしたー。なんだよー! どうしたー?」

「ちょっと酒場の仕事のほうでこっち来たんだ。で、ちょっとニーナ借りていい?」

「え、私?」


 きょとんとしたニーナに、ジェナの眉間に皺が寄る。


「昨日の話、もう忘れたの?」

「…………あ」

「鳥頭。ほら、行くよ」


 呆れ顔のジェナに手を引かれ、ニーナは更衣室へと押し込まれた。引退した人間がこんなところまで来るとは思っておらず驚いていると、「今日は隊舎の中ならどこでも自由よ」と勝ち誇った笑みを浮かべ、通行証を見せられる。相変わらずの用意周到さだ。


「更衣室、なぁんにも変わってないのね」


 ジェナは半年ほど前まで私物やら制服やらを押し込んでいた、もう今は空になった棚を覗き込みながら、少し驚いたように言った。


「半年くらいじゃ変わらないよ。女の子の新入隊員もいないし」

「そっかー。ま、狭き門だしね」


 騎士団の門戸は広く開かれている。

 生まれや性別は関係なく、貴族の子供だろうが孤児だろうが通る道は一緒だ。見習いになるための入隊試験を受け、受かったものだけが騎士団の見習いとなる。そこで厳しい訓練を乗り越え、認められたごくわずかな一握りだけが、正式に入隊することができるのだ。故に、どうしても女性の隊員は少ない。

 ニーナとジェナは同じ年に正式入隊となったが、女性隊員が同じ年に2人も合格するのは、ちょっとした事件扱いだった。


「だからさ、ニーナ。私はあんたのこと、本当に好きなのよ」

「え、何、急に告白?」


 ニーナは隊服に着替えながらジェナを振り返った。


「そうよ。仕事を辞めたって親友だと思ってるし、あんたの幸せを心から願ってるの」

「うれしいんだけど、なぜか嫌な予感がする」

「やだぁ! 嫌な予感なんてしないわよ。」

「その手に持ってるの、なに」


 ニーナは上着の前ボタンを閉めながら、ジェナの手の中にあるブラシや美しい装飾の施されたコンパクトケースを見る。おそらく、いや間違いなく、それは“化粧品”と呼ばれるものではないだろうか。


「やっぱり、一番最初の“愛してる”って、重要じゃない? 気合入れていかないと。あんたここでは、本当に必要最低限しか化粧しないじゃない。今日なんか、もうしないつもりだったでしょ」

「そうだけど……やだよ」

「ニーナ」


 距離を詰めたジェナが、ニーナの両手を包むように握った。その目は煌々と燃えている。


「私にまかせて」

「いや……」

「あんたはいわば、あの見習いたちと同じよ。恋愛初心者。まだまだ青いの。そういう人間には、ちゃぁんと指導者が必要でしょ? 大丈夫、悪いようにはしないから」


 ぜったい悪いようにするつもりでしょ。ニーナのつぶやきは、ジェナの笑顔の前で、誰に拾われることもなく消えていった。




***


 どうか誰にも会いませんように。ニーナは人目を避けるようにして、早足に廊下を進んだ。

 自分が、自分らしくない格好をしているのは、自分が一番よく分かっていた。髪は両サイドを緩く編み込んでハーフアップに、まつ毛はくるんと上げて長く。ほんのりピンクに染まった頬は当然羞恥心からくるものではない。熟れた果実のように瑞々しい色に染めた唇が、むずがゆい。

 こんなに女らしい恰好をするのは、年に一度あるかないかだ。そして、絶対に隊舎ではこんなメイクはしない。メイクの申し出も断固拒否していたが、結局ジェナの押しと口車に負けたのだ。


 なんとか辿り着いた隊舎の最上階の端。建物の外に突き出た階段は、使う人はあまりいない。半分物置のようになっていて、踊り場には用途の分からない材木や箱が置かれている。ジェナ曰く、人払いも済ませてあるので安心して、だそうだ。きっと今も、どこかでほくそ笑みながら、この状況を見ているはずだ。


「こんなところへ呼び出してどうした。それにその恰好も……」


 すでにそこで待っていたカイトは、こうなることは分かっていたはずなのに、演技臭さを感じさせない。目を丸くして、困惑したような驚いたような表情をしている。

 ニーナは自分の顔辺りをなぞるくすぐったい視線から逃げるように、体をくねらせた。


「い、いえ……」

「何か言いたいことがあるから、わざわざ呼び出したんじゃないのか?」


 カイトの金色の髪を、夕日が紅く染めていた。弱い風に靡くたびに、毛先が輝いて宝石のようだった。この状況で、余所行きの顔になったカイトを直視するのはあまりよくない気がする。鎖骨あたりに視線を落としながらニーナは用意していた5文字を言うために口を開いた。


「あの」

「ん?」

「……えっと」

「どうした、ニーナ」


 普段よりも、少しだけ甘い響きの声が頬を撫でるように名前を呼んだ。


「えっと……」


 ――おかしい。


 ニーナは混乱していた。

 たった5文字を言うくらい、なんてことないことだと思っていたのだ。偽りの恋人に“愛してる”と伝えることなんて、自分の嘘をより強固にするための塗装材くらいに思っていた。

 けれど、喉のすぐそこまで来ているはずの言葉が、音にならない。


「どうした、言いにくいことか?」

「いえ、そ、そういうわけじゃ、ないんです、けど……」

「ん?」


 覗き込むように視線を合わされて、頬に熱が集まった。

 “恥ずかしい”と思ったが最後、その言葉が世界で一番重たい意味を持つものに感じた。なぜ。だって、愛してるなんて別に特別な言葉じゃない。両親にだって言うし、なんならジェナやトナーたちに冗談交じりに言うことだってある。

 それなのに、なぜ、隊長にだけ言えないんだろう。


「いいよ、ニーナ。ゆっくりで。待ってるから」


 普段なら、“お前いつまでかかってんだ!”と蹴りの一発でも飛んでくるシチュエーションなのに、壊れ物に触れるような手がそっと肩を撫でた。そのギャップで、よけいに頭が沸騰する。


「さあ、言ってごらん」

「えっと……えー」

「うん」

「私、思ったんです。隊長に、まだ、その、えっと……自分の気持ちをちゃんと、言ったこと、ないなって」


 ジェナのプランでは、ここに呼び出し、いつもと違う雰囲気の私にドキドキした隊長に、少し抱きついたりしながら「今まで言ったことなかったんですけど、愛してます」って言って、それでハッピーエンドになるはずだった。今のところ、どれもできていない。

 どこかで見ているであろうジェナは怒っているのだろうか。それとも面白がっているのだろうか。どちらにせよ最悪だ。


「で?」


 肩に置かれたカイトの手が首筋を撫で上げ、ニーナの肩が大きく跳ねた。


「つまり……」

「つまり?」

「今日は」

「うん」


 話している間にも悪戯な指先が、ふいに首筋やら耳元を撫でる。こんなのとてもじゃないけど集中できない。

 ニーナは“もう勘弁してください”との願いを込めてカイトを睨んではみたが、彼はおかしそうに小さく吹き出した。


「顔、真っ赤だな」

「……そういうの、言わないでください」


 肩の手を振り払いながら、ニーナは一度深呼吸をした。

 だめだ。このままのペースでいると、永遠にこの茶番は終わらない。どこかで気合を入れて、一気に言ってしまわなければ。


「隊長」

「ん」

「……愛してる」


 体の中であれほど重たかった言葉は、口から出ると空気に溶けてしまうような軽さの音になった。掠れて、不格好極まりない。恥ずかしさが津波のように襲ってきて、今すぐここから飛び降りて逃げ出したいくらいだ。


「……なにか、言ってください」


 沈黙は耐えられなかった。ニーナはつま先に視線を落としたまま、蚊の鳴くような声で言った。


「ニーナ」


 するりと伸びた手に肩を引かれ、そのままカイトの顔が近づく。

 夕日で染まった顔に浮かんだのは溶けるような笑顔。ゆるい弧を描いた唇から出た音は、はちみつのように甘かった。

 吐息が触れ合うこの距離は、はた目から見たら恋人達の口づけにでも見えるかもしれない。


「……悪くない」

「……どうも」

「お前も、なかなかの演技派だな」

「おかげさまで」


 言葉の端に不機嫌さの乗った言葉に、カイトは小さな笑いをこぼした。

 近づいた時よりは幾分か速い速度で顔が離れ、ニーナはようやく息をつくことができた。まだ熱の引かない顔をカイトから逸らし、手で仰ぎながら「帰ります」と続ける。

 その言葉に、カイトは不思議そうに眼を見開いた。


「帰れると思うのか?」

「――え?」

「お前が、言ったんだろ。“私にできることがあれば手伝います”って。安心しろ。詰所のお前の机の上に、やれそうなの全部置いておいた」

「え“っ」


 今まで顔に集まっていた熱が一瞬で引いた。


「全部ってなんですか、全部って」

「いやぁ、上司思いの部下を持って俺は幸せだよ、ニーナ」

「手伝うって言うのは、押し付けろって意味じゃないですよ!」

「愛してるならいいだろ?」


 言質を取られた気分だった。“愛してる”は、別になにをしても許される魔法の言葉などではない。

 相変わらずの笑みを浮かべるカイトを見て、ニーナはおののいた。


「あ、悪魔……」

「ちなみに、明日絶対に提出しないといけないものもあるから」

「お、鬼ーっ!」


 ニーナは駆け出した。目的地はもちろん自分の机だ。後ろでひらひらと手を振る男を振り返る余裕などない。

 小さな机の上に、山のような書類がのっているのを想像して絶望する。そして駆け込んだ部屋の中に、頭の中と同じ光景が再現されていて、二度絶望した。


 一方。

 ニーナの姿を見送ったカイトは、踊り場の手すりに背中を預け、天を仰ぎ息を吐いた。


「……いつまで隠れてるつもりだ」


 しばらくの沈黙の後、風が吹いた。瞬きの間に、目の前に女性が現れた。勝気な釣り目の彼女に、カイトは見覚えがあった。


「4番隊の、ジェナ・ロビニア、だったな」

「元、ですけどね。気づいていたんですね」

「ああ。どこに隠れてるかまでは分からなかったが」


 そう言うと、ジェナは不敵に口の端を吊り上げた。


「安心しました。まだまだ私の腕も鈍ってませんね」

「随分悪趣味だな。きみとうちのニーナは親しい友人だと思っていたが、のぞき見とは」


 呆れたように言うと、ジェナの表情が変わる。「だからです」と言った顔は、まるで氷のようだった。

 真っ直ぐに向けられた目に、隠し切れない怒りの感情がちらついている。カイトはそれを見て、困ったように微笑んだ。


「なにか、腹に据えかねることでも?」

「……私はニーナが好きです。もちろん、私だけじゃない。彼女を好きな人間はたくさんいます」


 ジェナが一歩、カイトに近づいた。


「ディンスター隊長がどういうつもりなのかは知りませんが、ニーナを泣かせることだけは許せません」

「……なんのことかな?」


 カイトはゆるい笑みを浮かべたまま、自分を睨むように見上げるジェナを見た。


「……私が言いたいのは、それだけです」

「そうか。よく分からないが、安心してくれ。彼女を泣かせるようなことだけはしない」

「……絶対ですよ」

「ああ、誓うよ」


 ジェナの表情は、とでもじゃないが納得したものではなかった。まるで親の仇を見るような彼女に苦笑しつつ、カイトはもう一度「誓うよ」と重ねた。

 しばらくの間、二人は言葉もなく視線をぶつけ合っていた。先に口を開いたのはジェナだ。「失礼しました」とぶっきらぼうな返事を残し、静かに去っていった。


 ようやく人気のなくなった踊り場で、カイトは古い木箱に腰掛け、一人静かに目を閉じた。


「……何してるんだろうな」


 目的地のない小さな問いかけは、夜の色に染まりつつある空に消えて行った。



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