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まだ青い 1


「あんたまだここに住んでたのね」


 ジェナは、ぐるりとニーナの部屋を見回した。

 ニーナの住居は、騎士団に正式入隊したときから変わらない。小さなキッチンとバスルームのあるワンルームだ。部屋の中にはベッドと二人掛けのテーブルがあるだけ。それも、ここに越して来た時から変わらない。


「うん。引っ越しするのも面倒で。時間ないし」

「第3は一年中忙しかったわよね」

「第4も忙しかったじゃん」

「大きな事件があるときだけよ」


 ニーナは今日買ったばかりの紅茶を淹れて、椅子に腰かけたジェナの前に置いた。


 ジェナはニーナと同じ年に騎士団の第4部隊に正式入隊をした。そして、半年ほど前に、街の酒場の男性と結婚し、騎士団の仕事を辞めたばかりだ。今は、夫と共に酒場をきりもりする女店主である。

 ニーナからすれば、あれだけ血の気が盛んで気の強い彼女が、酒場で仕事をできるとは思えなかったが、案外うまくやっているようだ。店に遊びに行ったとき、客の前で太陽のような笑顔を浮かべた姿を見た時は、正直驚いた。


「ところで」

「うん?」


 ニーナは砂糖をたっぷり溶かした紅茶に口を付けながら、ジェナを見遣った。


「さっきディンスター隊長とキスしてたけど」

「がふっ」

「あんたマジで隊長と付き合ってんの?」

「げほっ……ちょ」

「どこまで行ったの? もう最後までした?」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って」

「待たない。尋問するときは、相手に考える暇を与えちゃだめよ」


 ジェナはうっそりとほほ笑んで、テーブルの上で組んだ手にちょこんと顎を乗せた。「教えてよ、ニーナ」と真っ赤なルージュを乗せた唇が、悩まし気に言葉を紡ぐ。

 ニーナは咽ながら、とんでもない奴を家に入れてしまった、と後悔した。


 王立騎士団第4部隊は、王都に置かれた1から3までの部隊とは仕事内容が大きく異なっている。

彼らの主要な業務は“情報収集”だ。時には年単位で情報元の組織に潜入したり、また時にはありとあらゆる手を使いターゲットに情報を吐かせる。

 ジェナの目は古い友人を前にした時のものではなく、完全に、ターゲットを目の前にしたときのそれだ。


「……黙秘」

「えぇー。ひどぉい。私たち、親友でしょ」

「親友にだって言えないことの一つや二つあるの。っていうかどこで隊長と私のこと」

「この前ディオとトナーがうちの酒場に飲みに来て、教えてくれたのよ」


 あの二人は明日殴る。ニーナは固く心に決めた。


「それだけじゃないわよ。もちろん、お客さんからも聞いたわ。今まで頑なに恋人を作らなかったあのディンスター隊長に突然恋人ができて、それがあんたみたいな女だったら、噂になるなってほうが無理だと思うけど」


 ジェナは紅茶を一口飲んで「おいしいわね」と目を輝かせた。ニーナも「そうだね」と返したが、実際のところ、別のことで頭はいっぱいいっぱいだ。正直、紅茶の味なんてほとんど分からなかった。


「まあ、私は実際のところ疑ってたのよ。根も葉もない噂だろうって。だってディンスター隊長と、あんたよ。あんたとは長い付き合いだけど、恋愛のれの字もなかったじゃない。それが急に、難攻不落の要塞を木の枝だけ持って単騎で攻め落としたなんて信じられる?」

「なにその例え……」

「あんたしょっちゅう父親から見合だのどうだの言われてたし。付き合ってるなんて思わないじゃない」


 両手で持ったカップの水面が不自然に揺れた。読まれるほど表情を変えたつもりはないが、無意識のうちに腕には力が入ってしまっていたようだ。ニーナはカップを置いて、椅子の背に体を預ける。ちらりと見たジェナの顔に浮かんだ笑みがどういう意味を持つのかは、恐ろしくて考えられなかった。


「で、結局なに。何が聞きたいの? 恋バナはしないよ」

「いいわよ。聞くまで帰んないから」


 ジェナも、「今日明日は店休日なの」と椅子の背に体を預けた。本気で居座る気らしい。

 困った。今日はとにかくいろいろ慣れないことをしたので、すっかり疲れてしまっている。もう寝たい。が、こうなったジェナは梃子でも動かない。ジェナが明日店休日だろうが、こっちには関係ない。明日は朝から普通に仕事だ。

 数分の葛藤の後、ニーナが絞り出した答えは、“とりあえず答えられる範囲で答えて、とっとと帰ってもらおう”だった。


「……いいよ。聞いて。でも、答えたくない質問には答えないから」

「もちろんそれでいいわよ」


 ジェナの目がきらりと輝いた。


「じゃあさっそく。いつからディンスター隊長と付き合ってるの?」

「2か月前」

「告白はどっちから?」

「自然と、なりゆきで」

「隊長のどこが好き?」

「頼りになるところ」


 ふっふっふ。このあたりの質問はすでに隊長と打ち合わせ済み。設定を書面に残し、完璧に記憶しているのだ。少々つっこまれたくらいでは、おたおたすることなく答えられる。

 ニーナはにやけそうになるのを抑えながら、「もういい?」と、つまらなさそうなふりをしてジェナに尋ねた。


「えーつまんない」

「つまんなくていいよ。私、明日も普通に仕事だから、そろそろ帰って」

「えー、もう少しいいじゃん。ね、ね。もうキスはした?」

「した」


 本当はしてないけど。

 ニーナは“こんな何度もされた質問をまた聞くのか”と言わんばかりの雰囲気を纏いながら、けだるげにカップの取っ手をなぞったりしてみた。


「そうなんだー。まあ、もうそんなことにドキドキするような歳でもないか」

「まぁね」

「ふーん……ねえ、隊長とのキスってどんな味がした?」

「……味?」


 取っ手をなぞっていた指先が止まった。

 味? 味ってなんだ。まずい。そんなところまで決めていない。

 動揺をなんとか押し込めようと固まるニーナに、追い打ちをかけるように「ほら、初めてはレモンの味がするって言うじゃない?」と、ジェナは続けた。


「う、うん……まあ、レ、レモンと言えば、レモンみたいな味がした、かな?」

「へー。で、ディンスター隊長とはどこまでいった? もちろん最後までいったよね?」

「それは黙秘」

「えぇー、まだヤッてないってこと? ディンスター隊長、手ぇ早そうなのに。ニーナが断ってるの?」

「ま、まあ。そんな感じかな」

「それはダメでしょ。付き合って2か月でしょ。いつまでもったいぶるつもりなの!」

「ほっといてよ」


 今のセリフはふりじゃなくて本心だ。

 ほっといて欲しい。ほっといてください。これ以上はまずい。

 ディオやトナーたちは、さすがにここまで無神経に恋人関係に踏み込んでくることはなかったので、このあたりの話からは設定を決めていないのだ。救いを求めるように、つい、視線がベットサイドのキャビネットに向かう。上から2段目の引き出しに、いろいろと設定を書いた紙が突っ込んである。


「なあに。なんで今、キャビネット見たの?」

「えっ。み、見たっけ」


 机の下の足の裏に、じっとりと汗をかく。

 ジェナの目は獲物を狙う蛇のように、ニーナの一挙手一動に絡みついている。


「で、どうして断ってるの?」

「ど、どうしてって」

「ああ、ニーナ、処女だから? 怖いの?」

「ちょ、ちょっと待って」

「私はいいと思うけどね。初めてってやっぱり大切なものだから、怖いのも当たり前よ。でも心配だわぁ。ディンスター隊長、ちゃんと我慢できるのか。ほら、ニーナってやっぱりちょっと奥手そうだし、できなくてもいいけど、ちゃんと愛情表現してあげてる? “愛してる”って、ちゃんと隊長に言ったことある?」

「まさか!」


 口が滑ったというのは、こういう感覚なのだろうかとニーナは思った。恋人に愛してると言ったことがないなんて、どう考えたって不自然だ。

 さきほどまでの駆け足気味の会話が止まり、部屋の中は水を打ったように静かになった。ジェナの笑みが何かを確信したように深くなる。それを見ると、口の中が一瞬でカラカラに乾いた。


「だめよ、ニーナ」


 一転、ジェナはゆったりとした口調で、小さな子供を言い含めるように言った。


「愛情表現は、ちゃぁんと、してあげなきゃ」

「う、うん」


 優雅な手つきでカップを持ち上げ紅茶を口に運ぶジェナの姿は、余裕さえ感じる。反して、ニーナはもう恐ろしくて、視線をあげることさえできない。

 すべてが、ジェナのペースだ。


「実はねニーナ、私、今度、隊舎に行くのよ」

「あ、え、そ、そうなん、だ」

「そう。昔のよしみでね、第4部隊の会議にうちの店の軽食を配達してほしいって依頼があって、それで」

「へぇー」

「だからニーナ、その時、手伝ってあげるわ」


 なにを?

 ニーナの視線が尋ねた。

 ジェナは可愛らしく首を傾げてみせた。


「隊長に“愛してる”って、言えるように」




***


「と、いうわけです、隊長」

「ほー」


 昼の休憩に入ってすぐに、ニーナはカイトの執務室に飛び込んだ。

 山のような書類が乗った執務机の向こう側で、カイトは書類から目を離すことなくニーナの話を聞き終えた。聞いているのかいないのか。ずいぶん気の抜けた返事が返ってくる。


「ニーナ」


 カイトの指先が、くいくいと、ペットでも呼ぶような気軽さでニーナを呼んだ。視線は書類に落ちたまま。

 ニーナはその指先に導かれるままに、執務机の前に立つ。が、今度は回り込んで、こちら側に来いと言う。戸惑いながらも大人しくそこに立った瞬間に、下から伸びてきた腕に、思いっきり胸倉を掴まれた。


「お前、次から次へとよくも……!」

「ひぃ」


 激おこであった。

 ここ半年ほどの中でも、トップ10に入るの機嫌の悪さである。理由は分からない。またなにか面倒な仕事を押し付けられたのかもしれないし、他部隊の隊長に気に入らないことを言われたのかもしれない。なんにせよ、第3部隊の隊員のトラウマ必死な怒り顔に、ニーナは悲鳴さえ出なかった。

 不自然に引っ張られた上半身に引きずられて倒れないように、右足を引いて踏ん張る。


「す、すみません」

「謝って済むなら俺達みたいな仕事は必要ないだろ。あ?」


 “俺達みたいな仕事”をしている人らしからぬ物言いだ。


「こうなる可能性があったから、わざわざ俺が設定まで考えてやったんだろうが」

「お、おっしゃる通りです」

「もし答えられない質問が来たら、答えるなとも言ってあったよな」

「そ、その通りです!」


 ぎちぎちと閉まる襟元に手を入れて気道を確保しつつ、ニーナは叫ぶように同意した。

 だってあっちは元情報収集&尋問のプロですよ! とか、キスの味だの最後までやっただののとんでもない質問が来るとは思わなかったんですよ! なんて、言い訳はいくらでも浮かぶが今ここでそれをするのは自殺行為だ。何を言われようとも、答えはイエスオアイエス以外あり得ない。


「で、どうするつもりだ」

「え?」

「どうするつもりだと聞いている」


 怒りを発散し多少落ち着いたのか、カイトは乱暴にニーナを解放した。

 ほっと息をつくが、間違った答えを言ってしまうと、今度は胸倉を掴まれるくらいでは済まないだろう。いまだピリピリした空気を纏い、椅子の背もたれに体を預けたカイトの刃物のような目がそう言っている。

 ニーナはしばらく考え、申し訳なさげに続けた。


「その、昨夜から私の足りない頭で考えましたが、愚かな私ではいい回避案が浮かばず……」


 自分は下げられるところまで下げる。


「今回はジェナのおせっかいの通りにしようと思っています。彼女は私たちの関係を疑っています。ここで私が隊長に“愛してる”って言わないと、余計しつこく追及してきそうですから」

「それで?」

「ですから、隊長には重ね重ね迷惑をかけてしまい本っ当に申し訳ありませんが、本日の業務後、私の茶番に付き合っていただきたく思います」


 ニーナは「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。

 下げた頭は次の言葉まで上げない。不規則なリズムを刻むカイトの靴を見ながら、ニーナはじっと許しの言葉を待った。


「…………顔を上げろ」

「はい」


 顔を上げた時、カイトの表情は多少ましになっているように見えた。もちろん、あくまで多少だ。普段から彼の不機嫌さを見慣れない人間にとっては分からないくらいの変化だろう。

 けれどニーナはほっとした。


「いいさ、お前の茶番に付き合ってやる」

「あ、ありがとうございます」

「ただし」

「ただし?」

「やるからには本気でやれ。なぁなぁで済まそうとするな。これ以上、その女に追及されるのは面倒だ」

「はい、もちろんです!」


 ニーナは弾けるような返事をした。

 ああ、よかった。隊長の機嫌を損ねることなく、話をまとめることができた。

 達成感で頬が緩む。


「では、また業務後に来ます」

「ああ」

「あ、午後は見習いの訓練指導を終えたら多少時間があるので、なにか私にお手伝いできることがあれば適当に仕事振ってください」

「ああ」

「はい。失礼します」


 執務室を出たニーナの足取りは軽い。

 とりあえず一旦詰所に戻って、ディオかトナーがいれば一緒に食事に行こう。ついでに見習いの訓練指導の打ち合わせもして……

 本日最大の懸念事項が取り払われて、頭の中はすぐに仕事と食事のことへ切り替わった。


「あいつ本当に分かってんのか……」


 執務室で心配そうにつぶやいたカイトのことなど、もうニーナの頭にはないのだ。

 数時間後、自分がとんでもない状態になってしまうことなど知らずに。



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