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《番外編》ガールズトーク 1

〇ジェナ視点。ある日の、友人との会話と新人バイト。


 その日、閉店間際に、ニーナは珍しく一人でうちの店にやってきた。

 さらに言えば、珍しく深刻そうな顔をしている。

 店内にもう他の客はいない。ニーナはおぼつかない足取りで力なくいつものカウンター席に座ると、そのまま組んだ手の上に顎を乗せた。出したお酒にも手をつけようとしない。どうしたの? と聞こうとしたところで、ニーナが先に口を開いた。


「私さ」

「うん」


 ふう、と一呼吸置いてからニーナは続けた。


「隊長をさ」

「ディンスター隊長?」

「そう。あー、ディンスター隊長を、ですね」

「うん」

「な」

「な?」

「……殴ってしまったといいますか」

「は!?」


 つい大きな声が出た。店の奥から閉店作業中の夫が「どうしたの?」と顔を覗かせたので、「なんでもないの、ごめんね」と追い返す。

 彼がいなくなったところで、誰もいないというのに、なんとなく大声を出す気になれずにニーナに顔を寄せる。


「なに? え? 殴った?」

「いや、グッ、グーじゃないから!」

「グーでもチョキでもパーでも問題よ」


 そうだね。とニーナはしょんぼり肩を落とした。

 そこでやっと、ニーナは出したお酒に手を付けた。心を落ち着かせるように、ちびちびと3口ほど飲んで、こちらを向く。「実は――」神妙な面持ちで、昨夜の出来事について語り始めた。


 騎士団第3隊の職務に忙殺されて、休みも合わない。デートらしいことといえば、たまに一緒に食べる夕食ぐらい。

 その夜も仕事が終わってから待ち合わせをして、隊長の家で晩御飯を食べた。帰ろうとしたところで、ひどい雨になって、じゃあ泊っていったらという話になった。こんな高級な家に泊まれてラッキー! 客室広~い。お風呂広~い。くらいに思っていたんだけど、部屋に案内されて、少し話しているうちに、なんか、こう、ちょっと甘ったるい雰囲気になってきて、キッ、キスとかしたわけよ。


 いい年して「キス」って言うのに顔赤くしすぎだから。

 と、喉元まで出かかった突っ込みを、なんとか飲み込む。ここで余計なちゃちゃを入れると、話が一気に逸れそうだ。


 それで、なんか、ベッドに押し倒される格好になっちゃって、隊長の手がシャツの裾から入ってきたところで、パニックになっちゃって、つい。


 つい、の先は説明がなくとも、ニーナの神妙な面持ちを見ればわかった。


「ビンタ、ね」

「……そう。それもここ何年かでした中でも、最も綺麗に入ったビンタが隊長の綺麗な顔に……」


 遠い目で店内の灯りを見つめるニーナ。「あんなにね、いい音が鳴るビンタはね、なかなかないよね……」などとぼそぼそ言っている。


「っていうかなに、まだだったわけ。付き合って結構経つじゃない」


 ニーナとディンスター隊長の恋愛にまつわる一連のあらましはすでに聞かせてもらっている。嘘ではなく、本当の恋人となった時から数えても、大人の恋愛が進むスピードにしては遅い。


「隊長はそういうことしないとでも思ってたわけじゃないでしょ」

「うーん。そりゃあ、いつかはそういうことになるかもとは、思ってたけど……」

「心の準備が出来てない?」

「うぅーん……」

「そういうことになるのが嫌?」

「いや。嫌って言うか……」


 ニーナは視線をテーブルの上に置いたまま、多分、無意識に手で“その位置”をなぞった。

 私もニーナの口からその事件のことをちゃんと聞いたわけじゃない。ことの顛末は報告書で知っただけ。ただ事実として、ニーナは見習い時代、地下倉庫の一件で脇腹を刺されている。傷はかなり深かったようで、おそらく傷跡がしっかり残っているはずだ。


「ここだけじゃなくて、いろんなところに、傷跡があるから……」


 ニーナは消え入りそうな声で言った。「ニーナ……」と慰めるように名前を呼ぶと、ニーナはすぐにハッとしたように首を振り、へらりとした笑顔を作った。


「いや、別に、こういう傷跡があることを後悔してるわけじゃないよ」

「分かってるわ」

「ただ……ただ、騎士団っていう肩書を取っ払って、一人の女として体を見せるっていうのが……」


 ニーナは続く言葉を、酒と一緒に飲み込んだ。

 私の体にはニーナほどの傷跡は残っていない。けれど、第4隊の仕事はどんな手段を使ってでも情報を取ってくること。人には言えないような酷いこともしたし、自分の体を使うことだってないわけじゃなかった。

 結婚するとき本当に怖かった。本当に、全部、受け入れてもらえるのだろうかと。だから、ニーナの気持ちは痛いくらい分かる。


「……ディンスター隊長は、そんなこと気にしないと思うわよ」


 痛いくらい分かるのに、ありきたりな台詞しか言えないのが、少しもどかしい。けれど、これは適当な慰めなんかじゃなくて、本心だ。ディンスター隊長は、ニーナの体の傷のことなんて気にしないはず。

 きっとニーナも、そうだと思っている。けれど、0.1%でも、その傷を受け入れてもらえないかもしれないという可能性があると、堂々とはしていられないのだ。


「ありがとね」


 ニーナは眉尻を下げて言った。


「いつでも相談に乗るわ。あのアホにはさすがにこういう話できないだろうし」

「はは。ディオね。まあ確かにディオにはちょっと……」


 ようやくいつもの顔に戻ったニーナに簡単なつまみを出しつつ、店のドアに掛かっている札を閉店に変える。ドアのガラス窓が汚れているのに気が付いて、後で拭いておこうと頭の中にメモしておいた。「閉店後に悪いねぇ」とニーナが申し訳なさそうに言う。「気にしないで」と私は返す。友達と話すのは、私だって楽しい。


「でもねぇ」

「うん?」


 再びカウンターの中に戻り、洗ったグラスを拭きつつ話を戻す。


「いくらディンスター隊長でも、何か月も“おあずけ”は無理だと思うわよ」

「え」

「なにその間抜けな顔。とっとと腹くくって、パクっと食べられちゃえばいいじゃない」


 ニーナは言葉が見つからないのか、茹蛸のような顔で口をパクパクさせた後、両手で顔を覆った。指の隙間から「デリカシーのない発言はやめてください」と情けない抗議が漏れ聞こえた。


「別に減るもんじゃあるまいし」

「そうっすよ。いやぁ~健全な男なら、何か月もお預けは辛いなぁ」


 ぴくり。

 第三者の声に、ニーナの指が反応した。自分の背後から届いた声に顔を向け、指の隙間から“その人物”を捉えると、ニーナは飛び上がるように椅子から立ち上がった。


「な、なん!?」


 ニーナは咄嗟に構えた拳を震わせ、目を白黒させながら言った。


「“何でも屋”!? なんでここに」

「お久しぶりっすね、パイセン」

「は、ぁ? パイセンって、何……ていうかなにその恰好。エプロンに箒って……一体……」


 そこまで口に出したところでピンと来たのか、ニーナは“まさか”と書かれた顔で勢いよくこちらを見た。そしておそらくニーナの想像した“まさかの出来事”を肯定するように頷き、親指でその男を指す。


「それ、うちの新しいバイト」

「はぁ!?」


 ニーナは猫のように毛を逆立てた。

 店の奥からまたも、声に驚いた夫が顔を出したので、「なんでもないの。あ、ジョゼフさんのところへ、これ届けてもらってもいい?」と、適当な荷物を渡し、しばらく外に出ていてもらうことにした。ここから先の話は、一般人の彼にはあまり好ましい話ではないから。

 夫が店を出て通りの人の流れに合流したのをドアのガラス越しに見送って、ニーナに向き直る。


「っていうのは表向きの理由で、本当はそいつ、第4隊所属の情報屋」

「……は?」


 とは言いつつも、先程よりも少し落ち着いたのか、ニーナは構えを解きもう一度男を見た。男はへらりと笑い、ほうきの柄の先に顎を乗せ、だらけた姿勢で言った。


「ここでの名前はオルフェ・リングラード。ここの新しいバイトで、第4隊所属の情報屋っす」



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