《番外編》世界よ極彩色であれ 2
これほど不利な状況で戦うのは、騎士団に捕まった日以来だ。あの時は、ジオルドにおとりにされて、こんな風に騎士団の隊員達に囲まれて戦ったな、と思い出す。あの時とは真逆。今は俺が騎士団の隊服を着て、昔の俺みたいなやつらに囲まれている。
経験上、こうして戦いの最中に過去のことが浮かぶのは、あまりよくない。目の前のことに集中できていない証拠だから。こういう場では、集中できなくなった人間から消えて行く。
だめだ、集中しろ。頭の中で、何度も自分に言い聞かせる。
――その時だった。
ニーナの腹に、敵の剣が突き刺さったのは。
「っぐぁ」
ニーナは崩れるように膝を付き、背中を丸める。腹部を抑えた手がみるみるうちに赤に染まっていく。
慌てて、とどめを刺そうとする男とニーナの間に体を滑り込ませ、剣をはじく。
「ニーナ!」
名前を呼ぶと、ニーナは剣を支えにして立ち上がろうとして失敗した。その場に倒れ、ぜいぜいと息をする。
「っおい! ニーナ、生きてるだろうな!」
「っ、な、なん……とか……」
剣を受ける合間に、ニーナを見遣る。
言葉の通り“なんとか”という状態だ。苦し気に抑えられた脇腹あたりは真っ赤に染まり、地面を赤黒く染めている。浅い呼吸を繰り返す背中が大きく上下する。
――最悪だ。
男を斬り払い、正面を見た。だいぶ片付けたと思っていたが、まだ一人で相手をするには多すぎる人数が残っている。時間が経てば、まだ人は増えるだろう。ニーナのことも庇いきれない。奥では荷物の運び出しが始まっている。ディオの助けが来るまでにはもう少し時間がかかる。
鼓動の音だけがやけに大きくなっていく。
どうする。どうすれば、この状況を、切り抜けられる。
「トナー?」
煮え切りそうな思考に、ふっと、聞き覚えのある声が投げ込まれた。
「やっぱり! トナーじゃないか!」
人をかき分け、ひょっこりと姿をあらわした一人男――俺の最後の主人が、自ら名付けた名前を懐かしそうに呼んだ。
「……ジオルド・ぺンス……」
名前を呼ぶと、ジオルドはニッと笑みを浮かべた。
血だまりの中を上等そうな革靴で迷うことなく進み、離れていた年月を感じさせない様子で俺の肩を抱く。
「おいおい、ずいぶん久しぶりだな!」
「……ジオルド……どうして……」
「あ? なんだその呆けた顔は。あれか、俺も捕まったとでも思ってたのかよ。馬っ鹿、そんなことあるわけないだろうが。だが、あそこで商売するのはきつくなってな、王都に逃げてきたってわけだ。灯台下暗しってやつ」
ジオルドはうんうんと頷くと、突然、はっとしたようにこちらを見た。
「そういや、お前なんでここに……つーか、なんだその服……」
ジオルドの視線が頭のてっぺんからつま先までを辿った後、ちらり、倒れこむニーナにも視線を向けた。
しばらくして、ジオルドは大げさなくらい体をのけぞらせた。
「まさか、お前、騎士団の見習いになったって噂、本当だったのかよ!」
「……ああ」
「まじか!」
ジオルドは笑い声を上げた。腹を抱え、俺の背中をバシバシと叩く。時間が止まったような空間に、ジオルドの笑い声だけが大きく響いた。
「やめろよ、柄でもない! だけど、まあ」
笑い声が、ぴたりと止まった。
「ネズミが入り込んだって聞いたが、見習いが2人か。騎士団に嗅ぎつけられたのかとも思ったけど、そうじゃなさそうだ。安心した」
そう言って、鋭い目をしたジオルドを見て、なぜか懐かしさを感じた。
ずっと自分にはなにもないんだと思っていたし、何にも執着がないんだと思っていた。けど、ニーナとディオと過ごすうちに、こうして「懐かしい」なんて感情を感じるくらいには、人間らしい心が育っていたらしい。
「運がいいのか、悪いのか。相変わらずだな、トナー」
「……人攫いなんて、おまえにしては随分リスクのあることをしてるんだな」
「薬は最近、締め付けが強い。それに、俺は人攫いなんてしてないさ。俺はただの商人。品物を仕入れて、欲しい奴に売るだけさ」
ジオルドって、こういう人間だったな、と思い出す。
ジオルドは善悪を測る天秤なんか持っていない。ただ金になるか、自分が気持ちいいか、それだけだ。昔は、そうやって本能に従って生きるジオルドの下に付くことを、それなりに気に入っていたんだと思う。
「……こんの……ク、ソ野郎、が……」
その時、背後からニーナの声が聞こえた。苦し気な呼吸の間に、かろうじて聞こえるくらいの声が言葉を紡いでいる。
ニーナはもがくように体を起こし、ジオルドを睨んだ。
「許さない」
「ふはっ!」
ジオルドは吹き出し、馬鹿にするように吐き捨てた。
「許さない? ボロ雑巾みたいな女が、ずいぶん吠えるな。どう許さないのか教えてくれよ」
「すぐに……騎士団が、ここに来る。あんた達は、捕まる」
「忠告感謝する。代わりに、いいことを教えてやる。お前みたいなのを欲しがる、趣味が悪いのもこの世にはごまんといる。大した実力もなく地面に這いつくばってるくせに、きゃんきゃん吠えるだけの女をいたぶりたがる、悪趣味なのがな!」
「ジオルド」
ニーナへ向かおうとしたジオルドの腕を、咄嗟に掴んだ。
ジオルドは釈然としない表情を浮かべたが、すぐにこちらに向き直る。
「トナー、俺の下へ付けよ」
「……何?」
「その趣味のわりぃ上着を脱いで、また俺の下で、用心棒として働けってことだ。随分買ってたんだぜ、お前のこと」
騎士団に捕まったのは、ジオルドの持っている倉庫の中だった。
突然乗り込んできた騎士団に、手薄だった守りはあっという間に破られた。「荷を運びだしたら戻る」と言ったジオルドは、戻ってこなかった。
「まさか嫌とは言わないよな。お前は優秀な用心棒だった。今、必死にこの状況を切り抜ける方法を考えてるはずだ。どうするのが一番いいか、分かるだろ?」
でも別に、ジオルドを恨んでなんかいない。俺みたいなのはいくらだって替えが利く。俺を切り捨てたのは、商人として正しい判断だろう。俺だってずっと、そうやって生きてきた。
俺を雇ってくれる人間の元を渡り歩いて、潮時だと思えば去って、誰かを傷つけて、時には利用して。ジオルドの生き方と俺の生き方の、何が違うというのだろう。
「お前は負ける勝負はしない。答えは一つしかない。“俺の元でもう一回働く”、だ」
俺は、ディオやニーナとは、違う。
そんな答えが浮かんで、振り返る。目が合うと、ニーナは目を見開き、ゆるゆると首を振った。
「……っ、め」
ニーナが何かを言った。けれど口から溢れた血で、何を言ったのかほとんど聞き取れない。
「も……っち、……、行っちゃ……わたしは、どうなった……って、いい……は、っう、あ、かるいところに、いるんだから……みんな、待って……」
そこまで言って、ニーナは大きく咳込んだ。今までとは比べ物にならない量の血が口から出る。苦し気に歪んだ顔には涙が浮かんでいた。もう目を開けているのも辛いのか、瞼が落ちかけている。「トナー」ニーナは最後にもう一度だけ、消え入りそうな声で、俺の名前を呼んだ。
「五月蠅い女だな、まったく……」
ため息交じりに言って、ジオルドは俺の体を引き寄せた。
「時間がない。早く答えろよ。何を迷う必要があるんだ、トナー」
「……俺は」
「来いよ、また一緒に仕事しよう」
「……」
「さあ、行こうぜ、相棒」
――頼むぜ、相棒。
そう言った、ニーナの姿が頭いっぱいに浮かんだ。
「……相棒」
ニーナ。ジオルドや俺とは違う生き物。
明るいところで生きてきた人間。正直、なんで俺なんかに構うのか、今でもよく分からない。もっと明るくていい奴は、見習いにたくさんいる。俺は笑い方もよく分かんないし、他人と普通に話すことだってできない。挙句の果てに犯罪者で、騎士団に入れなかったらそのまま牢屋行きだ。それを知っても、俺を友達だとか、相棒だとか、そんな風に呼んだ世界で初めての人間。
「……違う」
「あ?」
剣を構え直し、首を横に振る。
「お前は、相棒なんかじゃない」
ジオルドは驚いたような顔で薄笑いを浮かべた。そうだよな、俺、今までお前の命令に、首を振ったことなんてなかったもんな。
「なに言って」
「俺は!」
叫ぶ。自分に、言い聞かせるように。そして、この王都中のすべての人間に届くように。
「俺は、誇り高き王立騎士団見習いの、トナー・ローレンだ! もう、お前とつるんでた時の俺じゃない!」
ジオルドからスッと表情が抜け落ちた。
「……がっかりだ、トナー。お前は、もう少し利口な男だったのに。答えを変えるなら今だぜ」
「……裏切りたくないやつらができた。俺は、もう、お前らとは行かない」
「……死んでもか」
「最後まであがくさ」
「……残念だ」
死ぬ理由がなかったから、ずっと生きてきた。
でも、今、見つけた。死ぬなら、これを理由にしたい。騎士団見習いのトナー・ローレンとして、望みは少なくても、どれだけの苦痛に襲われようとも、最後までここにいる人たちを守るために生きたい。最後くらいはそう在りたい。
ジオルドは、自分の意にそぐわないことを許さない。ニーナは瀕死で、俺一人じゃこの人数をどうすることもできない。俺はきっとここで死ぬ。ディオはきっともうすぐ来てくれる。それまでのわずかな時間さえ稼げればいい。
四方から向けられる剣は受け止めきれず、刃が次々に皮膚を裂いていった。血が噴き出し、脳が揺れる。蹴りが入り、木箱の山の中に突っ込む。ニーナの悲鳴が聞こえた。引き上げられても、視界の右半分は赤く染まっていてニーナがどうしているのか、よく見えない。
ジオルドは笑っていた。
「残念だなぁ、トナー。お前は、利用価値のある男だったのに」
俺も笑う。ジオルドの剣が振り上げられた。
高く上がった切っ先が、自分に降りてくるのが、ひどくゆっくりに感じた。
その刹那。
ジオルドの体が吹き飛んだ。
俺はその場に崩れ落ち、見えたのはニーナの燃えるような瞳。
ニーナの持った剣はジオルドの胸を突き刺し、そのままの勢いで地面に倒れこんだ。
「死なせない……!」
ジオルドはもがき苦しみ、叫び、ニーナの顔や体を何度も殴った。
けれどニーナは痛みなんて感じていないかのように、より全身の体重を剣に乗せ、刃を深く押し込んだ。その横顔は、獣だった。目は憎悪と怒りに燃え、食いしばった歯の隙間から血が垂れている。
「死なせてたまるか!」
ジオルドの声はどんどん細くなり、そのうち聞こえなくなった。ニーナは剣を突き立てた姿勢のまま動かない。あまりの出来事とニーナの気迫に、倉庫の中は時間が止まったように、誰も動かなかった。
「騎士団だ! 全員動くな!」
静寂を破ったのは、騎士団の突入だった。
再び時間が動き始めたかのように、倉庫の中にいた男たちは散り散りになったが、倉庫内に一気に騎士団の隊員達がなだれ込んできて、あっという間に確保されていく。
「トナー!」
悲鳴にも似た声で叫んだディオが、真っ青な顔をしてこちらに駆けてくる。
ディオは今まで見たことのない悲壮な顔で俺に抱きつき、「大丈夫か」「生きててよかった」「もう大丈夫だから」と泣きながら言った。回された腕が、がくがくと震えている。
それからハッとしたように顔を上げ、「ニーナは!?」と周囲を見渡した。
「ニーナ、は……」
ディオの言葉で再びニーナに視線を戻した。ニーナはちょうど隊員達によってジオルドから引き離されるところだった。両脇を抱えられたニーナは、ぐったりとしていて動かない。「ニーナ!!」と絶叫したディオが、今度はニーナの方にすっ飛んでいった。
「大丈夫か!? 遅くなって悪かった、ニーナ! 返事してくれ! 死ぬなよ!」
ニーナはその叫び声で薄く目を開けたが、またすぐに瞼は落ちてしまった。明らかに、血を流しすぎている。なんとかしなければ。
そう思って立ち上がろうとした瞬間、視界が真っ暗になった。
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