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あなたはわたしの光 6


 はっくしょーん!

 ロシト中に響き渡りそうな盛大なくしゃみに、近くの木から鳥が一斉に羽ばたき、通りかかった人が転んだ。ニーナは鼻水を啜り、肩にかけたショールを掻き合わせた。

 川に落ち、ずぶ濡れになったのがトドメになった。風邪をぶり返し、なんなら来る時よりもひどくなっている。王都に戻る予定日をずらし、あと2日ほどロシトに留まることになった。


「すびばせん……」


 ニーナはがらがら声で言った。

 予定通り帰路につくカイトは、すでに送りの馬車に荷物を積み終え、呆れ顔でこちらを見下ろしている。


「謝られてばっかりだな、俺は」

「すびばせん」

「また」

「あ」


 ニーナは小さく咳払いをした後、仰々しく言い直した。


「休みをいただきありがとうございます。しっかり治し、王都に戻ったら再び馬車馬のように仕事をする所存です」

「お、そうだな」


 カイトに頭をぐしゃぐしゃに撫でられ、ニーナはへらりと笑った。

 多分、この人は自分を犬かなんかだと思っているのだろう。とても女性にするような撫で方ではない。


「ところで」


 カイトは不意に話を変えた。


「本当に、お前はベルロスのこと、あれでよかったのか?」


 あれで。

 その言い方には小さな棘があり、ベルロスのことを、カイトが今一つ納得していないのが伝わってくるようだった。ニーナは苦笑しつつ、「いいんです」と返す。

 せっかくのおめでたい日に水を差すような真似はしたくなかったから。



***


 家に戻ると、裏手にある木に、ぐったりとしたベルロスが縛り付けられていた。

 あまりにもぐったりとしているので一瞬、“死んでいる”と物騒な言葉が過ったが、心を読んだようにカイトが「死んでない」と言ったので、無事は無事のようだ。

 カイトの背中から降り、ニーナはベルロスの前にしゃがみ込んだ。


「大丈夫ですか?」

「ん……」


 のろのろとベルロスが顔を上げた。虚ろな視線が彷徨い、カイトの顔を捉える。途端に、「ひぃ!」と怯え切った声が上がった。


「……隊長」

「なんだその疑り深い目は。俺は本当に何もしてない」


 カイトはけろりと言ったが、ベルロスの怯えっぷりを見るに、お優しい交渉が行われたわけではなさそうだ。カイトと1対1の尋問なんか死んでも勘弁いただきたい。ニーナはベルロスに少しだけ同情しつつも、小さく咳払いをして真剣な表情を作った。


「あなたが雇った男は逃げ、領主印は取り戻しました。あなたの目論見は失敗です」

「っ……」

「ベルロスさん、あなたのやったことは許されることではありません。このまま近場の騎士団に引き渡すこともできます」


 さっとベルロスの顔が青くなった。


「ですが――」


 ニーナは真っ直ぐ、ベルロスの目を見る。


「私の提案に乗っていただけるなら、今回の件は表には出さず、今後も一切罪に問うことはしません」


 その言葉に、ベルロスの目が傘のように見開かれた。ごくり、と喉が上下する。


「乗っていただけますね」


 しばらくの沈黙の後、戸惑いながら出された答えはイエスだった。





「僕はどうしてもニーナさんとの結婚を諦められず、カイト・ディンスターさんに決闘を申し込んだのです。ええ、負けることは分かっていました。けれど、それでも、彼女を諦めきれなかったのです!」

「俺は正直、最初は腹立たしかったですよ。一度断られているくせに、しぶとい男だと。ですが、負けると分かっていても戦いを申し込んでくる姿には、心を打たれました。同じ女を愛した男同士、けりをつけようじゃないかと」

「私なんかのために決闘するなんて、本当に……なんと言ったらいいか。最初は黙って見ていたんですけど、だんだん怖くなって、それで、カイトを止めた拍子に川に落ちてしまって……」


 しばらくパーティー会場から消えていた3人がひどい恰好で語った、安っぽい恋愛劇のような話を、ロシトの人々はあっさりと信じ込んだ。

 割れた窓はベルロスとカイトの口論がヒートアップした結果で、それをきっかけに決闘になったんだ、と両親には付け加え、最後に3人で謝罪をする。「パーティーに水を差すようなことをして、本当にすみませんでした」


「~っ、いい! いいじゃないか! 若き日の青い情熱!」

「ええ、一人の女性をめぐる争いなんてロマンチックだわ」


 両親はいたく興奮し、街の人々も同様に鼻息を荒くしながら「俺も昔は女を取り合って喧嘩をしたもんだ」とか「私も昔は取り合われるほどモテたのよ」とか話していた。最終的には恋に破れたベルロスを胴上げする流れになり、ベルロスは顔をひきつらせながら何度も宙を舞っていた。

 さすがにここの人たちは大丈夫かと心配にもなったが、とにかく、これですべては丸く収まった。領主印は無事で、再婚パーティーも無事終了。遅くなったが、贈り物もちゃんと渡せた。

 全部、終わりだ。



***


「……別に、ニーナがいいならいいんだ。まさか、ロシトの人たちも、あんな話をあっさり信じるとは、思わなかったけど」


 カイトが呆れつつも、感心したように言った。


「人がいいのはいいことだけど、鉱石の話が本格的に進んだら、ベルロスの適当な嘘の通り、本当にロシトにも小さな支部を作ってもいいかもな。こんなんじゃ、悪い人間に簡単に付け込まれそうだ」

「まあ、確かに……検討してもらえると、領主の娘としても安心ですけど」


 ニーナは苦笑交じりに返した。

 “ロシトにも支部ができる”と言うのも、ベルロスのついた嘘だった。一つの大きな嘘を補強するために、また嘘をつく。そしてその嘘を補強するために、また嘘を。どんどん嘘を重ねて、何が本当なのかも、なぜこの嘘が必要なのかも分からなくなっていったんだろう。その感覚は、よく分かった。


「ま、とにもかく、帰ったらやっと元通りだ」

「そうですね……」


 ニーナはこの2か月間を思い出すように、周囲を一度ぐるりと見渡した。パーティーの余韻が残る広場も、日常に戻ろうとしている。

 2か月前ここから王都に戻るときは、こんな風になるとは予想もしていなかった。


 濃い人生を送ってきたと自分でも思っているけれど、その中でもこの2か月は、本当にいろいろなことがあった。

 適当についた嘘が、まったく違う方向から王都に広まり、上司と嘘の恋人になった。職場でからかわれ、疑われ、デートもした。アリシアともひと悶着あったし、トナーとも……トナーともいろいろなことがあった。

 ずっと親友で仲間だと思っていたトナーからの告白を受けた時は裏切られたような気にさえなったし、告白を断った時には身を斬られるような悲しみも苦しみもあった。

 でも今は――今は、トナーの気持ちが、分かる。


 ニーナは再びカイトを見上げた。目が合うと、目尻に優し気な笑みが浮かぶ。それを見ると、なんだか泣きたくなった。


 カイトには本当に迷惑をかけ続けた2か月でもあった。

 恋愛事に疎い部下の相手は、さぞ面倒くさいものであっただろう。感謝してもしきれない。王都に戻ったら、面倒くさい部下から解放されて、隊長には自由にのびのびと過ごしてもらいたいものだ――


「……好きです」


 するりと口から出たのは、頭の中で考えていたこととは真逆のことだった。

 カイトの目が見開かれるスピードで、ニーナも、自分がとんでもないことを言ったのに気付いた。はっと口元を抑えたが、完全に後の祭りだ。

 互いに顔を見合わせ、呼吸さえ忘れたように、瞬きをするだけ。

 何度かの瞬きの後、カイトの口がゆっくりと開かれた。


「っ、お、お気を付けて!」


 カイトの口から音が発せられる前に、ニーナは脱兎のように駆け出した。


 その先の言葉を聞く勇気は、今はまだ、なかった。



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