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あなたはわたしの光 1


 ベルロスが背後に隠したのは、間違いなく領主印だ。仮に、万が一そうでなかったとしても、ロシトの領主である父のなんらかを盗もうとしている時点で、この男がろくなことを考えていないことは明白。

 異様な静けさに包まれた部屋の中に、窓の向こうから、再び陽気な音楽が昇ってくる。

 ニーナは視線を動かさず、ベルロスに聞こえないよう限界まで落とした声でカイトに告げた。


「なにか盗りました」


 返事はなく、カイトも動かなかったが、ニーナは続けた。


「恐らく、ロシトの領主印の入った袋です」


 ぴくりと、カイトの指先が反応する。


「俺が出る。お前は動くな」


 同じように絞った声で、はねのけるような短い返事が返ってきた。はねのける、というのはもちろん、喉元まで出かかった「そんなわけにはいきません」という反論だろう。先回りした答えが、ニーナは多少不満だったが、口論をしている暇はない。頷く代わりに瞬きを一つ。もちろんカイトには見えていないが、カイトは姿勢を微かに低くし、前に出る体制を取った。


「い、いや、ま、待て!」


 これから自分の身に降りかかる出来事を察したのか、ベルロスは片手でこちらを制するようにして叫んだ。


「……なんだ」


 カイトが苛立ちを隠さない声で答える。


「ご、誤解だ!」

「誤解? なにが」

「僕はたっ、ただ、ニーナさんと少しお話をしたくて」

「時間稼ぎをしたいなら、もう少しましな言い訳考えろよ」


 これ以上の会話は時間の無駄だとカイトは判断したのだろう。身振り手振りを駆使して、未だに要領を得ない言い訳を続けるベルロスに向かって、飛びかかるように一気に距離を詰めた。

 カイト・ディンスターは若くして王立騎士団第3隊の隊長を任されるほどの、優秀な人間だ。例え戦闘経験のない一般人だろうと、その動きには一切の隙も驕りもない。ニーナの目から見ても、ベルロスに逃げ場はない。捕らえた後、ゆっくりと領主印に手を出した言い訳を聞かせてもらえばいい。

 カイトの腕が、ベルロスの首に回る、まさにその瞬間だった。


 ニーナがそれに気が付いたのは、勘に近いものがあった。


 首の後ろに感じた、ちりちりとした嫌な違和感。弾かれたように振り返ったときには、“手”が眼前に迫っていた。

 思考の前に衝撃。

 次の瞬間には、転げるようにして部屋の隅に積んだ本の山にぶつかっていた。


「っ、隊長!」


 いくつかの打撃音。一瞬天地が逆になったニーナが再び状況を把握できるようになったときには、すでにこちらにカイトが後退してきていた。腕が防御の形を取っている。


「おい、大丈夫か」

「問題ありません」


 ニーナは立ち上がり、ベルロスと、自分を押し退けた相手――ベルロスの従者を見た。見て、歯ぎしりする。やっぱりあの時の総毛立つような不穏さを、もっと気にしておけばよかった。あんなにも気配を隠すのが上手い人間が、ベルロスのような只の商人の従者であるものか。


「……すみません。私の失態です」

「説明は後だ」


 カイトは一瞬ニーナに視線を遣り、けががないことを確認すると再びベルロスの従者に視線を戻した。

 従者は目を細め、ニーナとカイトを交互に見て、にんまりと口だけで笑みを作った。


「だから言ったじゃないですか、ベルロス様」


 従者の声も、その姿同様、これといった特徴がない。印象に残りにくい声だ。


「自分が、執務室ではなく、ニーナ・フィントの寝室を担当する、と」

「……執務室は、オルト・フィントと鉢合わせする可能性があるだろう」


 従者の後ろに庇われるようにして立つベルロスが、ばつが悪そうに言った。


「ないって言ったじゃないですか。このパーティーの主役ですよ。執務室になんか戻りませんよ」


 従者は、嘲笑うかのように返す。


「自分で領主印を手に入れたかっただけでしょう。ああ、ベルロス様は本当に欲深い。おかげで、こんな厄介な人間二人と鉢合わせすることになってしまって」


 言葉と裏腹に、従者の言葉からは歓喜のようなものがにじみ出ている。視線は、値踏みだ。どちらが、より強く、より自分を楽しませるのか――


「ニーナ」

「はい」

「あの男の相手は俺だ」

「……はい」


 カイトの決定に、反論はなかった。相手が武器を所持しているのかどうかは分からないが、こちらは完全な丸腰。強い方が相手をする。当たり前のことだ。

 ニーナは意識をベルロスに移した。手に持った領主印を、ちょうど従者に渡すところだった。


「ニーナ、趣味の悪い見合い相手を逃がすなよ」

「了解です」


 従者は受け取った領主印を、おもちゃのように両手の間で投げながら、こちらを見ている。右手から左手へ。左手から右手へ。領主印の入った袋が行き来する。

 ニーナはカイトと呼吸を合わせた。

 パーティーは室内の緊張感など知らず、陽気に進み続けている。

 従者の右手から領主印が離れたところで、カイトが動いた。

 ニーナはカイトに続き、反対方向から退路を断ちつつベルロスを狙う。


「なっ!?」


 驚きの声が上がった。

 従者に胸倉を掴まれ、自分の前に引きずり出されると、そのままカイトに向かって思いっきり投げつけられたベルロスの驚きの声だ。


「っ!? なにを」


 ぶつかるようにして、カイトはベルロスを抱え込んだ。勢いに負け、足が止まる。その隙を見逃さず、従者が向かったのはニーナだった。

 思いがけない方向からの攻撃に、ニーナは一瞬反応が遅れた。顔に打ち込まれた拳を間一髪のところでガードし、息つく間もなく脇腹めがけて振られた足を受け止める。攻撃に入る姿勢が取れない。防戦一方の形になってしまった。

 舌打ちをすると、従者はそれを嘲った。


「悪いね。弱い方を狙うのが、プロの仕事なんで!」

「ぁあ!?」


 聞き流せない言葉が聞こえた。ニーナは歯を食いしばり、思い切り足を蹴り上げた。


「わ、危な」


 とは言いつつも、従者の声色からは、全く危機感を感じない。蹴りはあっさりとよけられたが、勢いそのままに、今度は拳を叩き込む。拳は手のひらで受けられたが、これ幸いとその手を取り、背負うようにして投げ飛ばす。このタイミングで領主印を奪えないかと手を伸ばしたが、上手く間合いを取られてしまった。


「やるじゃん」

「どうも」

「こりゃ長居は無用かな」


 従者は再びニーナに向かい、蹴りを入れた。ニーナが身を引くと、その隙を見逃さず身をひるがえし、部屋の外へ向かう。

 追わなければ。

 ニーナは目の端で後方のカイトを見た。海で溺れたようにパニックになりながら、「裏切りだ!」「僕は悪くない!」「僕の話を聞いてくれ!」と喚くベルロスに縋りつかれている。

 反対側で、窓が割れる音がした。従者がこちらを振り返り、口元に笑みを浮かべる。このままでは領主印ごと逃げられてしまう。

 一瞬の間に、頭の中にいくつかの案が浮かんだが、ニーナが選んだのは


「隊長、私が!」


 自らがこのまま従者を追いかけることだった。

 スカートの裾を翻し、割れた窓の外へと身を投げた。従者の姿は、あっという間に夜の森の中へと紛れていった。



***


 私が。

 ニーナのその叫びに、カイトは一瞬耳を疑った。


「っ、はぁ!? おい!」


 カイトは縋り付いてくるベルロスをやっとのことで引き剥がし、両手を背に回した形で拘束し、そのまま床に押し付け、振り返って叫んだ。


「馬鹿! お前が出るべきじゃない!」


 叫び声は誰にも届かなかった。開け放たれたドアの向こう、割れた窓の先には、パーティーが行われている表の庭とは表情の違う夜がぽっかりと待っている。ニーナの姿も、もちろん従者の姿もない。


「……くそ」


 知らず知らずのうちに腕に力が入っていたのか、ベルロスは情けないうめき声を漏らした。

 カイトはベルロスを見下ろす。先ほど従者がやってきた時は、ほっとしたような顔をしていたくせに、自分に向かって投げ飛ばされた時から、迷子の小動物のように震えている。

 短慮。見栄っ張り。小物。この男と会って短いが、そんな言葉ばかりが頭に浮かぶ。こうして地面に押し付けられて震える様はいっそ哀れだが、かといってこの腹立たしさが消えるわけでもない。


「……おい」


 自分でも驚くほど冷え切った声が出た。

 視線だけをこちらに向けたベルロスが、「ひっ」と鳴いた。ひきつった表情から察するに、今の自分はあまりいい表情をしていないようだ。


「――腹が立ってるんだ」

「え……?」

「俺は、」


 カイトは一字一句漏らさず相手の耳に流し込むように、ゆっくりとした口調で言った。


「俺は、このまま、お前の腕を折ることに、一切の抵抗がない」

「は……」

「なんなら、指を一本ずつ折ってやってもいい」


 ベルロスの腕を片手で押さえつけ、もう一方で手の甲に触れる。ベルロスの歯がかちかちと音を立てて震えていた。


「目的、あの男の素性、そして行先を簡潔に言え」


 ――言わないと、折る。

 ささやくように付け加え、腕に力を込める。

 短慮。見栄っ張り。小物。そんな男にはこれくらいで充分だった。


「言うから!」と震える声で叫ぶベルロスを、カイトは表情が抜け落ちた顔で見下ろした。



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