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仮初のロマンス劇場 8


 会場に戻ると、「ようやく主役のお出ましだ!」と歓声が上がった。

 広場に出ると、並んでいたテーブルを隅に寄せて作られた広いスペースを囲むように、人が集まっていた。その中には小さな子供からお年寄りまで、たくさんのカップルが体を寄せあい待っている。

 ニーナもカイトの手を取り、するりとその輪の中に加わった。


「ところでケーキはどうなった?」

「かなり深い傷でした。がっつりやられてましたね。なんとか山盛りのクリームとクッキーで誤魔化しましたが」

「はは。いいね」

「見た目は全く問題ありません。直してクリーム盛り盛りになった部分は私とレイナで食べます」


 ニーナとカイトも、他のカップルに倣って身を寄せ合った。

 輪の中心ではオルトとリエッタが何か言い合い、笑い声を上げ抱き合ったところだった。ニーナはそれを横目でちらりと見てから、無意識のうちにもう一歩だけカイトに近づいた。


「ダンスタイムって、どんなダンスを?」


 カイトが尋ねた。どこか不安げにも見える表情に、ニーナはニッと口の端を吊り上げた。


「安心してください。カイトが想像しているような、お上品なダンスとかは、残念ながらロシトにはありません。練習なんてしてなくて、問題ありませんよ」


 陽気な音楽が鳴り始める。輪の内と外、どちらからも歓喜の声が上がった。指笛を鳴らし、カラトリーでリズムを取って、足を踏み鳴らす。

 上品さだとか、しっとりした雰囲気とは程遠い。一般的にこういうときのダンスは、男女が密着して、ロマンチックさに身を任せて漂うようなものだ。

 カイトは面食らったように周囲を見渡している。


「ぷ」


 なかなか見られないカイトの表情がおかしくて、ニーナは噴き出した。


「……何笑ってる」

「いえ。そんな素っ頓狂な顔もするんだと思いまして」

「想像と違ったんだ」

「小さな子供みたいに言い訳しなくたって」


 ニーナはカイトの掌に自分の手をちょこんと添え、一歩離れた。「見ててくださいね」とスカートの裾を持ち、軽く腰を下げる。打楽器の軽快なリズムに合わせて、体を軽く揺すった。


「ここの太鼓が四つ鳴るときに男性が女性の腕を引いて体を寄せるのと、ここの太鼓で腕を離してぐるっと回るのだけ守れば、あとは結構適当で」


 言葉と実際の動きで説明しても、カイトはまだ戸惑っているように見えた。ニーナはぎこちないカイトをリードするように足を踏み鳴らし、スカートを翻しながら踊る。

 カイトをこんな風にリードして踊るのは、なんだか不思議で、そして気分もよかった。立場上、カイトをリードするような場面は皆無なので、ほんの少しだけ優越感のようなものも感じる。

 そんな心境が顔にも出た。陽気な音楽やこの浮かれた雰囲気も相まって、ニーナの頬はにやにやと緩む。


「やけにご機嫌だな」

「なんか、おかしくて」

「なにが」

「もしかしてなんですけど、リズム感あんまりなかったりします?」

「……ほぉー」


 カイトの表情が引きつった。

 太鼓の音が四つ。腕を引かれて、ニーナはカイトに体を寄せ、ついでに「冗談です、すみません」と先ほどの軽口を謝罪した。「別に」と短くぶっきらぼうな返事が返ってくる。機嫌を損ねたらしい。

 もう一度謝っておこうと、口を開いた時だった。


「カイ、うっ、わひっ!」


 突然、脇の下あたりから体が持ち上げられ、足が宙に浮いた。目を白黒させながら見下ろせば、カイトが勝ち誇った笑みを浮かべている。何するんですか。と、言おうとした瞬間。今度は子供にするように、持ち上げられたままぐるりと一周回される。周囲がわっと盛り上がった。「いいぞ!」と、何が“いい”のか分からない酔っ払いが叫んだが、再び地面に足をついたときには、ニーナは驚きのあまり、口をぱくぱくさせることしかできなかった。


「……“わひっ”」


 ぽそりと、カイトがからかうように、先程の叫びを真似した。

 ニーナは頬を膨らませ、カイトを睨むように見た。


「……急にあんなことしないでください」

「適当でいいって言っただろ」

「言いましたけどぉー……」


 腕を離し、くるりと回る。スカートの裾も舞った。ニーナは小さなため息をつく。


「腕、痛めますよ。重かったでしょう」

「全然」

「いや、気使わなくていいですよ。でかいしごついし、重いに決まってますから」


 スカートから覗くハイヒールに押し込んだ足を見て、ニーナは苦笑した。隣をするりと抜けて行った女性の体は華奢で、しなやかな丸みがある。自分の筋肉質な体は、彼女と比べると重そうだ。

 カイトはそんなニーナの視線を辿り、呆れたように言う。


「そりゃあ、そこら辺の男ならそうだろうけど、俺なら余裕」

「わっ!」


 もう一度、先程よりも軽々と高く持ち上げられて、ニーナは小さく声を上げた。

 全くタイミングでないところで持ち上げられたので、悪目立ちをしてしまい、またも酔っぱらった大人たちの口笛がからかうように鳴る。


「ほらな」

「~っ、なんなんですか、本当に」

「軽い軽い」

「……からかわないで、ください、よっ!」


 お返しだと言わんばかりに、体を寄せあったタイミングで、ニーナはカイトの腰に手を回した。そして、ふんっと鼻を鳴らし、腕に力を込める。「うぉ!?」カイトの体が一瞬、持ち上がった。

 やってやった。そう言わんばかりの満足げな表情で、ニーナはぱっと手を離し、何事もなかったかのようにカイトから離れた。


「……“うぉ!?”」

「……お前なぁ」


 カイトは口の端をひくつかせた。


「私も、鍛えてるんで、それくらい余裕です」

「負けず嫌いか」

「そうですぅー」

「ほー。上司に向かっていい度胸だ」

「今は違うって言ってたの誰でしたっけ」


 カイトは諦め交じりの笑いをこぼし、もうそれ以上はもう何も言わなかった。


 体を揺らしながら、ニーナは不思議な気分だった。

 ぬるいお湯の中を揺蕩っているような感覚。それだけじゃない。草木、建物、人々すべての輪郭が、ぼうっと光っているように見える。暖かな光、人々の笑い声、足を踏み鳴らす音、陽気な音楽。全てが輝き、ゆったりと夜空に吸い込まれていくようだった。


 音が終わると、大きな歓声と拍手が沸き起こった。

 ニーナとカイトは互いに顔を見合わせ、どちらともなく吹き出した。互いの手を握ったまま声を上げて笑う。見渡せば、ダンスを終えたカップルたちが同じように、笑いあっている。少し離れた場所で踊っていた父親とリエッタも同様に、子供のような無邪気な笑みを浮かべて、体を寄せあっていた。


 ――幸せだな。


 今、この時間が永遠に続けばいいのに。

 そんなことを考えてしまうくらいに、今この瞬間、世界は幸福に満ちていた。


「さぁ、もう一曲!」

「そーだそーだ! まだまだ踊り足りないわ!」


 余韻冷めやらぬまま、パーティー会場には次の音楽が流れ始めた。

 正直まだまだ踊り足りない気持ちもあるが、しなければいけないことがある。ニーナはカイトの手を離した。


「私、そろそろ父へのプレゼント取りに行ってきます」


 大抵、ダンスタイムが終わるとパーティーはお開きだ。まだまだダンスタイムは続くだろうが、踊り疲れる前にプレゼントを用意しておいた方がいいだろう。


「ああ、俺も行く。一人じゃ重いだろ」

「それ私に言ってます? さっきカイトのこと持ち上げたの、もう忘れたんですか」

「……よくもまあ、そんな情緒のないことを……」


 カイトは呆れたようにニーナの額を小突いた。


「俺が付いて行きたいんだ。それに、こういうときは黙って好意に甘えとけばいいんだよ」

「……どうも、ありがとうございます」

「よろしい」


 若いカップルに場所を譲る形で、ニーナとカイトはダンスの輪から抜け出て、家に戻った。


 室内に入ると、外の喧騒がぐっと遠くなる。月明りを頼りに、廊下を進む。先ほどまでの余韻で火照る顔を仰ぎながら、ニーナはしみじみと呟いた。


「楽しかったぁ」


 返事を求めるものではなかったが「そうだな」と隣から肯定の言葉が返ってきた。見上げれば、カイトもまた、ダンスの余韻に浸っているのか、満足そうな顔をしている。


「隊長のあんな姿、初めて見ました」

「“隊長”?」

「あ、カイトの」


 訂正すると、「別に誰も聞いていないから、安心しろ」と笑いを含んだ声で、カイトが言った。


「……不思議だな」

「なにがですか?」

「つい2か月前までは、お前に名前を呼び捨てにされる日が来るとは思ってもいなかった」


 ニーナは乾いた笑みをこぼす。

 こちらこそ、まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかったです。


「安心してください。もうこんなことは二度とありません」

「……それは」


 カイトは目を細めた。


「それはそれで、寂しい気もするな」


 私もです。

 喉元まで出かかった言葉を、ニーナは飲み込む。カイトの“寂しい”と、自分が今思う寂しさは、きっと別のものだ。だから私は、寂しいなんて、とても気軽には言えない。

 寂しさを笑顔の端に滲ませて、ニーナは「何言ってるんですか」と返した。


「隊長を呼び捨てなんて、やっぱり私には、恐れ多いですよ」

「よく言う」

「本当ですよ。敬愛する上司ですから」

「敬愛ねぇ。どうだか」


 二人の声が止むと、庭から登ってくる音楽や笑い声が、静寂を埋めた。

 ニーナはちらりと隣を歩くカイトを見た。

 

 ――綺麗な人だな。


 美しく整った横顔を見て、改めてそう思う。自分の実家の廊下をカイトが歩いているという非現実感も相まって、なんだか夢の中にいるような気分になった。明日の朝になったら、今までの2か月の出来事は全部夢で、また父に結婚相手を探せとせっつかれる日々がやってくるのかもしれない。

 そんなことを思っていると、口の端が自然と持ち上がった。馬鹿馬鹿しい話だ。馬鹿馬鹿しい話で、寂しくて、でも、そうだったらいいな、なんて少しだけ思う。

 もし本当にそうなったら、今度はちゃんと、


「どうかしたのか?」


 顔を覗き込まれ、ニーナは口元の筋肉を戻しつつ「え?」と返した。カイトは急に黙り込んだことを心配しているようで、「飲みすぎたのか?」と控えめなトーンで尋ねる。


「いえ、そんなことないです」

「そうか? なんか顔色も悪いぞ」

「そうですか?」

「……お前はホントに自分のことに無頓着だな」

「そうですかね。自分じゃそんな風には思わないですけど」


 話をしているうちに、自室の前に着いた。ドアを開ける。鍵はかけていない。なんの抵抗もなく開いたドアに連れられるように自室に入った。

 主が不在にして長い部屋はやはり少し埃っぽく、昨晩寝る前に多少片付けたとはいえベッド以外の場所は雑然と物が積まれて、すっかり物置の様相を呈している。両親へのプレゼント達は、居心地悪そうにベッドの端に鎮座している。 

 朝方と変わらない部屋。

 けれど一つだけ、大きな違いがあった。

 そこに、いるはずのない人がいる。

 飛び込んできた予想外の光景に、ニーナの動きが中途半端に止まった。


「え、あっ!?」


 そこにいるはずのない人物――ベルロスが、こちらを見て慌てたような声を出す。


「ニ、ニーナさん、ここここ、これは」


 人気のない部屋。昼間よりも乱れた机の上。開いた引き出し。焦るベルロス。

 なにか言い訳をしようとしているようだが、この状況を見て導き出されたいくつかの答えは、あまりいいものではない。ニーナは静かに、けれどはっきりと怒気を含んだ声で尋ねた。


「何してるんですか」

「ちちち違うんです。こ、これは」

「何が違うんだ。なァ?」


 一歩前に出ようとしたニーナの肩を引き戻し、カイトが一歩前に出た。ニーナの心を代弁するように話を続ける。


「この状況で、何が“ちがう”のか、教えてもらおうか」


 うっわ。

 思わず声が出そうになるくらい、カイトの声は冷え切っていた。さっき廊下で鉢合わせた時の比ではない。

 顔は見えないが、おそらくゾッとするような殺意垂れ流しの凶悪な笑顔を浮かべているのだろう。その証拠に、ベルロスは「ひぃぃぃ」と、情けない声を上げて縮み上がっている。恐らく戦いとは無縁の生活を送ってきた彼には、トラウマ必死の恐怖だろう。

 ほんの少しだけベルロス同情しつつも、ニーナの目は、わたわたと言い訳をするベルロスのおかしな動きをしっかりと捉えていた。


 ベルロスが慌てて背中に隠した小さな包み。あの中には、ロシトの領主印が入っている。


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