仮初のロマンス劇場 3
それが見つかったのは、ニーナが前回ロシトを訪ねた時のおおよそ10日前だという。
東の山の方で、住人が偶然見つけた洞窟の中、青く輝くものが壁に埋まっているのに気が付いた。掘ってみると、掘りだした石のいくつかが、青く輝いている。ロシトに出入りのある商会に鑑定を頼むと、削ると深い青に輝く美しい石で、全く新しいものだということが分かった。
加工も容易で、美しい。宝飾品などにするのにとても適している。ぜひロシトの特産品として、売り出すべきだ!
商会の人間は、鼻息荒くそう言った。
「と、いうことだ」
「ちょ……ちょっと待って」
応接室へとやってきたニーナは、テーブルを挟んで正面に座り、満足げに話を完結させたオルトを手で制した。
「どうした?」
「どうした、って……」
ニーナは頭を抱える。なぜこんな重大な話を黙っていたのか……
「私、何にも聞いてないんだけど」
オルトと、お茶の用意を終え隣に座ったリエッタは、不思議そうな顔で顔を見合わせると、ニーナに向き直った。「手紙を、送ったのだけれど」と、リエッタが控えめに言う。
「手紙……?」
「ああ。お前が王都に戻って1週間くらい経った後だったか。鉱石の件について手紙を送ったんだ」
オルトはリエッタの言葉を肯定し、「返事がないのが気になってはいたが、お前は忙しいからなぁ……」と付け加えた。
確かに、最近は仕事も忙しく送られてくる手紙も見合いを勧めるような内容ばかりで、返事をしないことも多々あった。だから両親も返事がなくともあまり気にしていなかったのだろうが、今回はそもそも、
「手紙、届いてないです」
ニーナは不貞腐れたように言った。手紙が事故や様々な理由で届かないことは、ごくごく稀にある。今回はおそらくそれだろう。なんて運が悪い。
けれど、それにしたって、ニーナは不満だった。
「っていうか、私が前にきた時に分かってたなら、教えてくれればいいじゃないですか」
お見合いの話なんかよりも、こっちの方がどう考えたって大事に決まっている。けれどそう思っているのは自分だけだというのも分かっている。あの時の両親は、というか父親は、なんとしても娘に恋人を見つけてやらねばという使命感に駆られ、他のことは考えてもいないようだったから。
ともかく、これ以上不満を露わにしたって状況は変わらない。控えめなため息で気持ちを切り替え、ニーナはオルトに向き直った。
「つまり、それで私の部屋があんな有様になっていると」
「そういうことだ。その流通や加工についていろいろと決めないといけないことがあってだな、まあ……」
オルトは歯切れ悪く言った。
自分の書類仕事苦手は父親譲りだと、ニーナは確信している。ロシトから新しい特産が生まれようとしているのは、ニーナの記憶の限り初めての出来事だ。決めなければならないことや会わなければならない人のことでてんやわんやになっている父の姿は容易に想像がつく。
話を聞いていたカイトが紅茶に腕を伸ばすのを見て、ニーナも思い出したように、目の前に置かれた紅茶に手を伸ばした。
「お前は恋人を連れてくるから、一緒にゲストルームを使ってもらえばいいだろうと思ってたんだ」
「結婚もまだなんだし、一緒には寝ません」
「そんなこと、気にしなくてもいいんだぞ」
リエッタと同じようなことを言う父親に呆れつつ、「自分の部屋で寝ますから」と返した。
「ベッドは無事だし。荷物は適当に隅に寄せておくから」
「まあ……お前がそうしたいなら、そうすればいいが……」
オルトは申し訳なさげに、しゅんと背中を丸めた。
「本当にすまないなぁ。ゆっくりさせてやりたかったのに」
その姿がなんだか気の毒になり、ニーナは慰めるように言う。
「いいんです。家に帰ってくるだけで、充分、ゆっくりできてますから」
「ニーナ……」
オルトは目を潤ませながら、最愛の娘の名前を呼んだ。
結局、ニーナも父親には弱い。見合いや恋人候補の紹介を断り切れないのは、父親を好きだからだ。父が自分をどれだけ大切にしているか、ちゃんと分かっている。
柔らかな表情でやりとりを見ていたリエッタが、「そういえば」と思い出したように声を上げた。
「もし、こちらに支部ができたら、ニーナさんも、もっとたくさん家に寄れるようになるのかしら?」
「支部?」
ニーナの片眉がぴくりと上がった。
「ええ。そうよ。王都に勤務していても、他の街に行くことも多いんでしょう?」
「そうですけど……ごめんなさい、いまいち話が見えないんですけど」
オルトが続けて口を開いた。
「今回の鉱石の件の流通が軌道に乗ったら、多くの人の出入りが増えるだろう? それで、ロシトに騎士団の支部の立ち上げが検討されてると聞いたんだ」
「「えっ?」」
ニーナとカイト、同時に驚きの声が上がった。互いに顔を見合わせ、お互い同じことを考えていると確認してから、今まで会話に入ってこようとしなかったカイトが戸惑いがちに口を開く。
「あの……その件、本当に?」
「ああ。そうだと聞いているが」
「失礼ですが、どなたから?」
「誰って……そういう噂があると、住人から」
もし、本当にそんな話があるのなら、ニーナはともかくカイトの耳にも入っていないというのは不自然だ。
ややあって、カイトは口を開いた。
「可能性がないとも言い切れませんが、今のところ、そのような話は聞いたことが……」
「まあ、そうなの?」
「ええ。ですが、僕の耳にまだ入っていないだけかもしれません。確かにそうなったら、ニーナはこちらを訪ねる理由が増えて、いいですね」
カイトはやんわりとその噂を否定しつつ、「ところでニーナの兄姉が訪ねてくると聞いたんですが」と嫌味なく話を逸らした。
***
「疲れた……」
カイトからこぼれた弱弱しい声に、ニーナは「すみません」と平謝りするしかない。
夕食を終え、腹は満たされた。が、カイトは夕食の少し前にやってきた、姉のレイナと兄のリオの質問攻めに合い、すっかり疲れ果てていた。ニーナの必死の塞き止めもなんのその、レイナとリオは父親譲りの猪突猛進さとおせっかいさを前面に出し、おしゃべりを止めなかった。カイトは終始笑顔で質問に答えていたが、最後の方は頬の辺りが引きつっていたのを、ニーナはばっちり目撃している。
リエッタが上手く終わらせてくれなかったら、二人はあと何時間も話し続けていただろう。
「カイトももう少し、あの二人のこと適当にあしらってくれてよかったんですよ」
「そういうわけにいくか。お前の大切な家族だろう」
「それはそうですが」
「それに、探られるような会話よりも、あれくらいずけずけ来られた方が、気は楽だしな」
カイトはあくびを一つ噛み殺し、頭を掻いた。そしてあらためてニーナに視線を向け、観察するように顔を見る。
「にしても、あんまり似てないな」
「ああ、お姉ちゃんとお兄ちゃんは父親似なんですよね」
二人とも元々体格がよく、さらにレイナは子供を産んでから少しふくよかになったので、並ぶとなかなかの圧がある。顔も父親に似ていて、どちらかというと濃い顔立ちをしている。
「私は、母に似てるんですよね」
「へえ」
「見ると結構驚きますよ」
そう言うと、ニーナはカイトをゲストルームの前で待たせ、隣の部屋から一枚の絵を持ち出した。「ほら」と胸に抱えた絵を見せると、カイトは瞠目する。
「……これ、お前じゃないのか」
「母です。父と結婚したばかりの頃の」
絵画の中でゆるりと微笑むのは、農灰色の長い髪を編み上げ白いドレスを着た女性――ニーナの産みの母親であるルル・フィントだ。生き写しと言ってもいいほど、似ている。言われなければ、誰もがこれはニーナの姿を描いたものだと思うだろう。
「驚きましたか?」
「ああ」
カイトは絵とニーナを見比べ、「驚いた」と頷いた。
「でしょう!」
とニーナは顔を上気させながら子供のように笑った。
「私は兄や姉のように母のことは覚えていないんですが、これを見ると、なんとなく家族の繋がりみたいなものを感じて嬉しいんです」
カイトは目を丸くした。ニーナがこんな風に自分の話をして、無邪気に笑うのを見たのは初めてかもしれないと思ったからだ。
一拍遅れて、ニーナは急に現実に戻ってきたかのように、恥ずかし気に笑顔の端をひくつかせた。胸に抱えた絵をぎゅっと抱き、気まずげに視線を逸らす。
「や。まぁ、だからなんだって話なんですけどね。すみません、疲れているのにお時間取らせて。なんとなく、見て欲しくて」
「いや――」
カイトは不意に手を伸ばし――ニーナの前髪を上げた。
金色の宝石のような目が、まっすぐにこちらを捉えている。この行為の意図を図りかねて、ニーナは半身を引きつつ尋ねた。
「?……な、なんすか」
カイトはぱっと手を離し、前髪を上げた自分の手を見ながら首を捻った。
「?……なんなんだろうな」
「はぁ?」
「分からん」
「……隊長、お疲れですね。お時間取らせてすみませんでした。さあ、寝てください」
ニーナはカイトの背中を押して、ゲストルームに押し込んだ。こんな風に、自分で自分が何をしたのか分からなくなるまで疲れされてしまうなんて、申し訳ないことをしてしまった。
「ささ、とっとと寝てください。明日も早いですよ」
「……なあ」
「はい」
「一緒に寝るか?」
「寝ません」
食い気味にニーナが返すと、カイトは小さく笑った。「冗談だよ」と言われたが、その手の冗談はやめて欲しい。
「おやすみ、ニーナ。よい夢を」
「カイトも。おやすみなさい」
ドアが閉まるまで見送って、ニーナは自分の部屋へ歩き出した。廊下の窓の向こう木々が揺れる音は、子守歌のように優しい。
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