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ただの友達


 気が付くと、もう日はとっぷりと暮れている。今日はできるだけ早く帰って明日の準備をするつもりだったが、帰りがけにもう一度港の方へ呼ばれ、結局これだ。帰り支度を終え、くたくたになりながらも、ニーナは足早に隊舎の廊下を進んだ。まだ明日の用意はなにもできていない。家に帰ったら、最早魔窟と化したクローゼットからトランクを救出するところから始めなければ。

 ニーナは小さくため息をついた。珍しく寂然とした廊下に、その音がやけに大きく響いた気がする。


「……明日、か」


 のろのろと足を止め、ニーナは窓を見た。闇夜の窓ガラスに、困憊しきった様子の女が一人、恨めしそうな顔をして浮かんでいる。

 それを見て、つい、鼻で笑う。「なんて未練がましい顔を」と口の中で自分に吐き捨てた。「そんな顔したって、もう後はパーティーだけ。それが終わったら、この関係も終わり。ただの上司と部下だよ」

 うるさいな。そんなこと、分かってるよ。

 どこにも行けない心が、もがいていた。


「ニーナ」

「っわぁ!?」


 突然名前を呼ばれ、ニーナは弾かれたように振り返った。そして、そこにいた人物を見て、ぎくりと体をこわばらせる。


「……トナー」

「よ」


 隊服から私服に着替えたトナーが、いつの間にか、すぐそこに立っていた。


「あ……」


 目が合った一瞬で、いろいろなことが駆け巡った。言葉にならない思いが、間抜けな音になって口から落ちる。ニーナは自分の顔がどんな表情を作っているのか分からなかったが、トナーはいつもと変わらない、ほとんど感情が読み取れない表情をして、こちらを見ていた。


「変な顔」


 トナーは小さく言って、かすかに目を細めた。


「変な顔って……」

「まあ、そうなるか。俺のこと、露骨に避けてたもんな」

「そんなつもりじゃ」

「知ってる」


 一歩こちらに近づいたトナーに、ニーナは視線を逸らした。避けてない、と言ったばかりなのに、結局こんなふうに視線を逸らしてしまう。決して、避けたいわけではない。けれど、どうしたらいいのか分からない。


「明日から休み?」

「……うん」

「ロシトまでどれくらい」

「1日半もあれば、着くと思う」

「遠」

「うん。まあ、近くはない、かな」


 落とした視線の端から、トナーの靴がまた一歩分、こちらに近づいた。無意識のうちに肩に力が入ってしまう。ニーナは眉間に皺を寄せた。

 どうしてトナーが、こんな風に普通に自分と話せるのか、不思議でならない。だって自分は、あんなに熱のこもった心が震えるような告白を、断ったのだ。今だって、トナーを見ると、後ろめたい気持ちになる。かけがえのない友人を、突き放してしまったようで--


「あのさ」

「ほら」


 二人が声を出したのは、ほとんど同時だった。ニーナは顔を上げた。


「これ、お前のオヤジさんとリエッタさんに」

「え? わっ、ちょ」


 顔を上げたとほとんど同時に、高い場所から降ってきたものを、ニーナは咄嗟に受け止めた。

 腕の中にはリボンの付いた包みが二つ。どちらも両手に収まるくらいの大きさで、重さはそれほどなかった。


「青いリボンのは俺から。黄色の包みがディオ」


 トナーはそう言って、それぞれの包みを指さした。


「俺のは紅茶。ディオのやつの中身は知らない。結婚1周年おめでとうございますって伝えといて」


 一拍遅れて、腕の中のこれが自分の両親への贈り物だと気が付いた。「じゃあ」と踵を返しかけたトナーの腕を慌てて引く。その拍子に腕からこぼれ落ちそうになった包みを持ち直し、ニーナはトナーを見上げた。


「なに」


 振り返ったトナーは、驚きと戸惑いが混ざった目で、こちらを見下ろしていた。

 なに、と問われて、ニーナはきゅっと唇を結ぶ。なにを言うつもりだったんだ。と、脳内で自分に尋ねる。が、返事は返ってこない。


「えっと……なんていうか、その、」


 返ってこない返事は諦めて、まごまごと言葉を探す。


「あ、ありがとう」


 ようやく出たのが、何の捻りもなく当たり障りのない言葉で、ほっとしたと同時に少し落胆もする。本当に言いたかったことは、これじゃあない気がする。


「別に。オヤジさんとは何回か、会ったことあるし」

「うん」

「当たり前のことだから」

「そっか」


 当たり前。

 そう言われて、ニーナの胸に再び重苦しい罪悪感が押し寄せた。「気にしなくていいから」と手から抜けそうになったトナーの腕を、ひしと掴み直す。


「なに」


 トナーは困惑していた。

 ニーナは、押し寄せた罪悪感そのままに、吐き出すように言った。


「当たり前なんかじゃない」

「は?」

「当たり前なんかじゃない」


 もう一度強く言って、首を振る。


「なんか……なんかさ、こんなの、申し訳ないよ」

「急に何の話」


 トナーがこちらの態度に当惑しているのに気が付きながらも、ニーナは続けた。


「だって、私、トナーからもらってばっかりで……」

「もらってばっかり?」

「そうだよ。もらってばっかり。でも、結局、なんにも返せてなくて」


 ニーナは目を閉じた。


「こんなの……申し訳なくて……」


 こんな風に優しくしないで。いっそ、いないもののように扱って。

そうしてくれた方が、どれだけ楽だろう。

 これからもずっと3人で今までのように居たいと願ったのはこちらで、今のトナーの振る舞いは、まさに自分が望んでいたもののはずだ。告白を断ったときは、今までのようにいられなくなるのではと絶望に似た感情さえ抱いた。そういう気持ちで、告白を断ったのだ。

 だからこうして友人として接してくれて、嬉しいはずなのに。今、望んでいたはずの姿を見て、こんなにも苦しい。いないもののように振る舞ってくれた方がずっといい。

 何も返せないのだから、何もくれなくたっていい。


「いいよ」

「……え」


 静かな肯定の言葉に、ニーナは顔を上げた。

 トナーはどこか晴れ晴れとした表情を浮かべている。


「いいよ、別に」

「いいよ、って」

「なにも返さなくていい。もう、もらってるから」


 ニーナは首を傾げた。


「……もらってる? な、なにを?」


 最近トナーになにか贈り物をしただろうかと記憶を掘り返すが、特に思い当たることはない。

 掴んでいたトナーの腕がするりと抜けて、再び向き合う形になる。


「分かんない?」

「うん」

「ふーん」

「私、何あげたっけ」

「教えない」

「えぇ?」

「分かんないままでいい」


 伸びたトナーの手がニーナの前髪に触れようとして、空中で止まった。一瞬指先をたゆたわせた後、漏れ出た小さな笑みと一緒に戻っていく。


「そこ、まつ毛、目に入りそう」

「あ、うん」


 もうちょっと右。少し上。トナーの指示に従って指を動かしていくと、目尻あたりについたまつ毛に辿り着いた。「取れた」とニーナが笑うと、トナーはふわりと口元を緩めた。なぜか、その顔をどこか寂し気に感じる。


「……気を付けて」

「トナ、」

「お土産、期待してる」


 遮るような言葉に、ニーナは小さく「うん」と返した。

 

「俺、詰所寄ってから帰るから」

「……分かった。じゃあね」

「ん」


 トナーが背を向け歩き出したのを見て、ニーナも歩き出した。背中に感じるトナーの気配が遠ざかっていくのが、うら寂しい。


 寂然とした廊下に足音は二人分。夜の闇に、溶けるように消えていった。



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